Primo d'Aprile

皐月紫音

文字の大きさ
4 / 6

三奏

しおりを挟む

◆◇◆◇

 【フィオナ大通りViale Fiona

 この通りにはルカトーニが贔屓にしていた葉巻屋と、仕立て屋がある。
 
 北部に位置するレンハイムのスーツの作りには、伝統的な特徴があった。
 それは生地が厚く、肩に立体感を出し、胸部を強調して雄々しい印象を与えるというものだ。

 しかし、伝統的なレンハイム式スーツを、ルカトーニは好まなかったという。
 
 彼は今日に至るまでルーラ王国南部で主流となっている、生地が薄く身体に寄り添うような仕立てのスーツを愛用していた。

ありがとうラ・リン・グラーツィオ良い夜をヴォナ・セラータ

 葉巻屋の扉が開き、店主に別れを告げたロレンツォが姿を現す。
 彼は購入したばかりの葉巻に火を灯すと、すでに店仕舞を終えた仕立て屋の窓を覗くアンジェリカに微笑みかけた。

「お待たせしてしまいましたね。行きましょうか」

「お気になさらず」

 やわらかく微笑み返す彼女を先導するように歩を進めてゆくと、諸外国の王族や政治家も宿泊することで知られる格式高いホテルと、レンハイム・フィルハーモニー管弦楽団Orchestra Filarmonica di Renheimの本拠地である劇場【レンハイム楽友協会Società degli Amici della Musica di Renheim】が、並んで建っているのが見えてくる。

 黄褐色サンドベージュの歴史を感じる外壁に、古代の神殿を想起させる柱が連なる劇場は、隣接するホテルとは、秘密の通路で結ばれている。

 と、そのような噂を聞いたことがあるが、その実態を知る者はごくわずかとのことだ。

 道すがら、彼らはロレンツォの友人に誕生日祝いを選ぶために宝石店へと立ち寄り、その後は音楽関連の書籍や楽譜を専門に扱う店にも足を運んだ。

 街を散策しながら、ロレンツォはルカトーニ生家でのアンジェリカとの会話を思い返していた。

 彼女が語ったのは、ルカトーニの曲作りの根幹にあるものであり、ロレンツォも限りなく近いものを彼の曲には感じている。
 
 だが、本当にそれだけなのだろうか。
 
 右手に握られたステッキが、彼の落ち着かぬ心を映すように揺れ動く。
 
 長年、熟成された葡萄酒ワインを口に含んだ時のような、一言では言い表せない甘美で、心地良いわずらわしさを彼は感じていた。


Sig.naシニョリーナヴィヴァルディ、私も貴方と同じものを彼の曲からは感じています。ですが、別の見方もできないでしょうか?」

「どういうことでしょう?」

「言うなれば、これは〝点〟と〝線〟です。私達は彼の曲を線のように見ています。学生時代の初期の曲は、やや荒削りなところもありながら、確かに人々の心の繊細な動きを捉えていました。諸外国の耳の肥えた批評家たちに、商業主義と今では批判される前期とも中期とも言える時代の明るい曲。そして晩年まで変わることのなかった悲哀に満ちた曲」

「えぇ、私の解釈も同じです」

「ですが、音楽は語られる時には線で考えられがちですが、作られる時は点で考えられていると僕は思うのです。作り手の感情は喜怒哀楽に揺れ、あっちこっちへと飛び回る鳥のようなもの。葛藤しながら、決められた景色など存在しない着地点へと降り立つのです」

「大切なのは、結果ということでしょうか?」

「結果は、もちろん大切でしょう。ですが、その過程にある寄り道にこそ、人の生きた証は残るものです。今、それをお見せしましょう。転ばぬように気をつけて――失礼」

「あっ――」


 ロレンツォに手を握られた彼女が、続く言葉をつむぎ出す前に――彼はすでに駆け出していた。
 
 風化の進んだ橋を小走りで渡りきり、その先に並ぶ、いくつかのまだ窓に明かりが灯る店を素通りしてゆくと、モダンな雰囲気のカフェが見えてくる。

 だが、ちょうど店主と思われる高齢の黒人女性が、扉の看板を〝閉店中Chiuso〟へと裏返したところだった。

「今日は、もう閉店時間でして……」

「失礼、Sig.ra.シニョーラ。ご迷惑をかけているのは、重々承知の上でお願いしたい。ピアノを何曲か弾いていただけないだろうか?」

「素敵なカップルのお願いだし聞いてあげたいけどね……」

 女性は二人の顔を交互に見やり、腰に両手を添えながら嘆息をもらした。
 
 その様子にロレンツォは、彼が重大な頼みごとをする際によく利用する、弱ったような微笑を口元に浮かべた。

「ふふ、Sig.ra.シニョーラ。どうか、誤解なさいませんように。もちろん、普段であれば私どももこのような無理なお願いは、決してしないでしょう。本来ならば、ここで貴方に素敵な夜を願い、お暇させていただくところです。ですが、今日は何の日ですかな?」

「そりゃエイプリルフールプリーモ・ダプリーレですよ」

 店主の言葉を聞いたロレンツォは、満面の笑みを浮かべて看板を〝開店中Aperto〟へと戻した。

エイプリルフールプリーモ・ダプリーレには、奇跡が起きるものです」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中

桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。 やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。 「助けなんていらないわよ?」 は? しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。 「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。 彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...