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三奏
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【フィオナ大通り】
この通りにはルカトーニが贔屓にしていた葉巻屋と、仕立て屋がある。
北部に位置するレンハイムのスーツの作りには、伝統的な特徴があった。
それは生地が厚く、肩に立体感を出し、胸部を強調して雄々しい印象を与えるというものだ。
しかし、伝統的なレンハイム式スーツを、ルカトーニは好まなかったという。
彼は今日に至るまでルーラ王国南部で主流となっている、生地が薄く身体に寄り添うような仕立てのスーツを愛用していた。
「ありがとう。良い夜を」
葉巻屋の扉が開き、店主に別れを告げたロレンツォが姿を現す。
彼は購入したばかりの葉巻に火を灯すと、すでに店仕舞を終えた仕立て屋の窓を覗くアンジェリカに微笑みかけた。
「お待たせしてしまいましたね。行きましょうか」
「お気になさらず」
やわらかく微笑み返す彼女を先導するように歩を進めてゆくと、諸外国の王族や政治家も宿泊することで知られる格式高いホテルと、レンハイム・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地である劇場【レンハイム楽友協会】が、並んで建っているのが見えてくる。
黄褐色の歴史を感じる外壁に、古代の神殿を想起させる柱が連なる劇場は、隣接するホテルとは、秘密の通路で結ばれている。
と、そのような噂を聞いたことがあるが、その実態を知る者はごくわずかとのことだ。
道すがら、彼らはロレンツォの友人に誕生日祝いを選ぶために宝石店へと立ち寄り、その後は音楽関連の書籍や楽譜を専門に扱う店にも足を運んだ。
街を散策しながら、ロレンツォはルカトーニ生家でのアンジェリカとの会話を思い返していた。
彼女が語ったのは、ルカトーニの曲作りの根幹にあるものであり、ロレンツォも限りなく近いものを彼の曲には感じている。
だが、本当にそれだけなのだろうか。
右手に握られた杖が、彼の落ち着かぬ心を映すように揺れ動く。
長年、熟成された葡萄酒を口に含んだ時のような、一言では言い表せない甘美で、心地良い煩わしさを彼は感じていた。
「Sig.naヴィヴァルディ、私も貴方と同じものを彼の曲からは感じています。ですが、別の見方もできないでしょうか?」
「どういうことでしょう?」
「言うなれば、これは〝点〟と〝線〟です。私達は彼の曲を線のように見ています。学生時代の初期の曲は、やや荒削りなところもありながら、確かに人々の心の繊細な動きを捉えていました。諸外国の耳の肥えた批評家たちに、商業主義と今では批判される前期とも中期とも言える時代の明るい曲。そして晩年まで変わることのなかった悲哀に満ちた曲」
「えぇ、私の解釈も同じです」
「ですが、音楽は語られる時には線で考えられがちですが、作られる時は点で考えられていると僕は思うのです。作り手の感情は喜怒哀楽に揺れ、あっちこっちへと飛び回る鳥のようなもの。葛藤しながら、決められた景色など存在しない着地点へと降り立つのです」
「大切なのは、結果ということでしょうか?」
「結果は、もちろん大切でしょう。ですが、その過程にある寄り道にこそ、人の生きた証は残るものです。今、それをお見せしましょう。転ばぬように気をつけて――失礼」
「あっ――」
ロレンツォに手を握られた彼女が、続く言葉を紡ぎ出す前に――彼はすでに駆け出していた。
風化の進んだ橋を小走りで渡りきり、その先に並ぶ、いくつかのまだ窓に明かりが灯る店を素通りしてゆくと、モダンな雰囲気のカフェが見えてくる。
だが、ちょうど店主と思われる高齢の黒人女性が、扉の看板を〝閉店中〟へと裏返したところだった。
「今日は、もう閉店時間でして……」
「失礼、Sig.ra.。ご迷惑をかけているのは、重々承知の上でお願いしたい。ピアノを何曲か弾いていただけないだろうか?」
「素敵なカップルのお願いだし聞いてあげたいけどね……」
女性は二人の顔を交互に見やり、腰に両手を添えながら嘆息をもらした。
その様子にロレンツォは、彼が重大な頼みごとをする際によく利用する、弱ったような微笑を口元に浮かべた。
「ふふ、Sig.ra.。どうか、誤解なさいませんように。もちろん、普段であれば私どももこのような無理なお願いは、決してしないでしょう。本来ならば、ここで貴方に素敵な夜を願い、お暇させていただくところです。ですが、今日は何の日ですかな?」
「そりゃエイプリルフールですよ」
店主の言葉を聞いたロレンツォは、満面の笑みを浮かべて看板を〝開店中〟へと戻した。
「エイプリルフールには、奇跡が起きるものです」
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