黄り泉ち酒場ーよりみちさかばー

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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2.思い出のポテトフライ

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「…はぁ、はぁ」

 すごい流量の川を必死に溺れそうになりながら泳ぎきり、やっとの思いでついた河原。

「こ、ここは何処なのかしら……」

 私は、確かお酒を飲んでいて。
 飲んだ帰りに、えっと。
 ……思い出せない。なんで川にいるのか。
 額に手を当てて、髪から滴る水も一緒に後ろへ払う。
 とりあえず、この川は一体なんなのか、私は今どこにいるのか、そして周りに誰もいないし、恐ろしいほど静かなここは、一体どこなのか。

「だ、誰かいませんかあーー?」

 訪ねてみても、返事が来るはずはなく。
 ふと、さっきまで濡れて重かった服に違和感を感じて自分の体を見ると、真っ白な服。
 一瞬簡素なウエディングドレスかと思ったが、そうではないようだ。

「これはこれは、珍しい白装束をお召しですね。エンディングドレスですか」

「だっだれ?!」

 人っ子一人いなかったはずの謎の河原で、突如聞こえた人の声は、ひどく落ち着いていた。私とは対照的なその男は、スーツのような真っ黒な服で、お洒落なバーカウンターが似合いそうなのに、古びた屋台にいた。

「あなた、誰? 名前は?」

 まずは自分から名乗るべきなのだろうが、怪しすぎたので名乗る前に聞いてしまった。

「失礼いたしました。私はここ、黄り泉ち酒場の店主、ヨモツと申します。彼岸側の河原で、此岸に心残りがある方の話し相手となるべく居酒屋を営んでおります」

「彼岸? 彼岸て……彼岸?!」

 語彙の足りない質問にも、そのヨモツとかいう男は笑顔で頷いてくれた。

「こちら側は、三途の川の彼岸。あちらが此岸ですが、川を渡られたと言うことは、すでに魂は肉体を完全に離れてしまったということですね」

「なん……で。私は、死んだってこと……?」

 現状を飲み込めない。知らない間に死んだとは、どういうことなのだろう。私は死んでいない。死んでいるはずない。
 真っ白なドレスを握りしめて、いつの間にか手に握っていた六文銭を投げ捨てた。

「なんなのよ! 信じられないわよ! 悪いドッキリ?!」

 ヨモツとかいう男は、静かに投げ捨てられた六文銭を拾うと、音もなく私のところまで歩いてきた。

「よろしければ、こちらを代金にして、此岸で何があったかお見せできますが、いかがいたしますか?」

 ドッキリのタネ明かし、と言わんばかりに笑顔で言うヨモツの胸ぐらをつかんで、気がつけば叫んでいた。

「冗談はよして! 早くタネ明かししてよ!」

「かしこまりました」

 ヨモツは静かに返事をすると、するりと私の手から抜けていき、屋台にタブレットを設置した。

 砂嵐のようになっていたかと思えば、映ったのは私。今朝、私が着ていた服を着た、私。

「今朝の私じゃない!」

 タブレットを掴み、食い入るように見つめる。早送りもできる仕様になっていた。会社が終わって飲み会に行ったところまでは記憶があるため、一気に飛ばした。
 
 そこに映っていたのは、泥酔した私と困惑した会社の同僚。
 ーー私、酔いつぶれちゃったのね。じゃあこのドッキリはあいつの仕業か!
 仕掛けた本人を見て、なんだか心が軽くなった。思わず笑みが溢れる。
 次の瞬間、動画の中の私はそのまま倒れ込んで、救急車で運ばれた。

「随分と良く出来てる動画ね」

 そう言ってヨモツを見るが、ただ貼り付けたような笑顔でこちらを見ていた。
 なんだかバツが悪く、動画に視線を戻すとそこは病院。
 手術室のようなところに運び込まれたが、私の心臓は止まっているようだった。
 心肺蘇生をしても、私の心臓は動かなかった。

「どうやら、急性アルコール中毒による呼吸中枢の停止が死因のようですね」

 目の前のヨモツが私に言う。
 この映像を見れば誰しもがそういう結論になるだろう。

「そんな……私、そんなに飲んでないよ……」

 酒で人生が終わってしまったのか。
 目の前が真っ暗になる。これを絶望というには、心の準備ができていない。

「……ご視聴、ありがとうございました。して、心中お察しいたしますが、せっかくですので心残りがあるようでしたら、ご注文お伺いします」

「は?」

 思わず心の底から言葉が喉を通って口から出た。
 ヨモツは笑顔でこちらを見ている。

「足掻いてもあの世へ逝く以外には道は残されておりません。せっかくですので、なんでも、お一つだけお出しいたします」

 それは、そのとおりだ。
 目の前が真っ暗になっている私に容赦なく、現実を突きつけてくる。
 ーーもう、死んだんだもんね。

「それにしても、珍しいですね。ここへ来る方は、基本的に死装束である経帷子きょうかたびらであることが多いですが、あなたはエンディングドレスだ」

 言われて見れば、私の服装は白い長袖の、ゆとりのある服。寝間着のようなドレスと言うべきか。

「今は、その人の生の最後を彩る服装も選べる。以前は和装のエンディングドレスを見ましたが、洋装も素敵ですね」

 自分で選んだわけではないが、褒められて悪い気はしない。
 きっと家族が、私がウエディングドレスを着たいと言いながら着ずに亡くなったことを慮って、このエンディングドレスをくれたのだろうと思うと、目頭が熱くなる。
 ふと、頭を過ぎった思い出の味。

「ねえ、ベルギーとかドイツで食べた、皮付きのポテトフライが食べたいの。家族で最後に旅行したのがドイツとベルギーだったんだけど、そこで食べたポテトフライと修道院ビールが最高だったの!」

 そう言うと、ヨモツは笑顔で頷いてくれた。

「かしこまりました。ポテトフライですね。お飲み物は、修道院ビールでよろしいですか? 銘柄のこだわりはございますか?」

 そう言われてみると、ベルギーでは特にずっとビールを飲んでいたけど、銘柄は覚えていない。

「なんだったかなーー。……たしか、カタカナ三文字くらいのやつなんだけど」

「シメイ、でございますか?」

 すらっと銘柄を出してくれる男に感嘆の息が漏れた。

「すごいわね! それだと思うわ、それをお願い」

 かしこまりましたと笑顔で答える男は、なれた手付きでポテトフライを揚げてくれた。
 この揚がるまでの音でお腹減るのよね、なんて、死んだ人間からは考えられないようなことを思いながらうずうずする体を抑えつつ待った。

「おまたせ致しました。ポテトフライです。塩はフランスのお塩を軽くまぶしてあります」

 熱々の、揚げたてのポテトフライ。
 見た目も匂いも、旅行先で食べたものにうり二つだ。

「いただきます!」

 はふ、と揚げたての熱さを逃しながら頬張ると、ポテト自体の優しい甘さと、それを引き立てる塩の塩梅が絶妙だ。何より、塩自体も甘さがある。

「こちら、シメイです」

「待ってましたー!」

 そう言って受け取ったシメイは、いつになく輝いて見えた。
 香りの深さもさることながら、味わいも深く、とても美味しい。
 瓶のシメイは何種類か色があるが、私は赤が一番好きだ。

 ポテトフライとシメイの相性は最高。
 本当に旅行しているときを思い出す。

「こうやって、お酒って楽しく飲むものなんだよね。……思い出した、私、新入社員だから飲み会で煽られて。普段飲まないショットをたくさん飲んだりしちゃって。……馬鹿なことしたなあ」

 後悔は先にたたないが、思い出した今となっては、なんで断らなかったんだろう、という思いが胸を埋め尽くす。

「お酒は楽しく飲むもの、ということを思い出して逝けることは、酒好きとしてはとても幸せなことだと、私は思います。好きなお酒を恨みながら死ぬのは、酒好きとしては辛いことだと思いますので」

「そうね……」

 そのとおりだ。しかも、楽しく飲んだ記憶を思い出すことができて、今は心が軽くなった気がする。

「好きなものを、好きだって思い出して旅立てるのは幸せかもしれないわね! ありがとう」

 そう言って席を立ち、腕を上に上げて伸びたあと振り返ると、今の今まで目の前にあった屋台は、なくなっていた。

「……なんだったのかしら」

 でも、恨んだまま死ななくてよかった。いや、死んでるんだけど。

 目の前にいつの間にか現れた道を、迷うことなく歩いていく。




「ご来店、誠にありがとうございました」

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