Talking Rain~4月の雨と君の魔法~

雪村穂高

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5時間目・体育

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 採光か、それとも換気のためだろうか。剣道場の床のほど近くにはいくつかの小窓が取り付けられている。私の傍にあるその1つが開いていて、4月のひんやりした空気と意識しなければ聞き取れないほどかすかな雨音を室内に運び込んでいる。 

 授業が始まって10分が経った頃、私は剣道場に入ってすぐ左側の壁にもたれかかるように体育座りをしていた。 

 サボっていると言われれば否定はできないのだが、面や垂れなどの剣道の防具は数に限りがあり、それを順番に使用して回るため、自分の番が回ってくるまでは暇なのだ。あえて「次は私に防具を貸して」と言いに行くほど私は熱心な生徒ではない。 

 竹刀と竹刀がぶつかる音が単調なテンポで剣道場内にこだまいている。目を瞑り、聴覚に意識を集中させるとその音の切れ間にのみ静かな雨音が聴こえた。それをBGMに、私は今朝からせわしなく起こり続けた厄介な出来事について振り返った。 

 通学途中にゴミを拾った。 

 クラスメイトのくしゃみの原因を突き止めた。 

 音楽の授業に遅刻しかけた。 

 私の劣等感のせいで彩と喧嘩になりかけた。 

 常にもなく頭を使ったためだろうか。いや、やはり彩との不和が解消されたことが強いだろう。急激な眠気が私を襲った。座学でならまだしも、体育の授業中である今、居眠りをしてしまうのはまずいと思いつつも、私はすでに午睡の世界へ片足を突っ込んでいた。 

 睡魔への無駄な抵抗はやめ、おとなしくこの身を委ねようとしたその時、誰かの声が私を現実に引き戻した。 

「雨、やまないね」 

 そう私の耳元でささやいたのは彩だった。雨音に配慮したかのような、優しい声だった。 

 彼女はさっきまで剣道の試合の審判をしていたはずだが、いつの間に私の隣に来たのだろう。 

 体育が得意な生徒が剣道の試合をしているのを眺めながら、私も声のボリュームを抑えて言った。 

「私はこのくらいの降り方が好き」 

「どうして?」 

「眠くなるから」 

 彩が「ふふふ」と目を細める。 

 答えになっていない私の答えを冗談だとわかってくれるのは、家族と彩だけだ。いや、家族の前ではよほど上機嫌でもないと冗談なんて言わないから、もしかしたら彩だけかもしれない。 

 その親密な空気を破るように、水の入ったバケツをひっくり返したような音が聞こえた。 

「大雨は嫌いだな」と私が呟く。 

「同じく」と彩が同意した。 

 しかしその音のあとは今まで通りのしずしずとした音だけが聞こえる。 

 少し外の様子を見てみようと、体育座りのまま、背もたれにしていた壁に取り付けられている小窓の方に上半身をひねった。 

 振り向きざま、玄関と剣道場とを仕切るスライドドアの窓に人影が映る光景が視界をかすめた気がした。気になって二度見をしたが、その人影らしきものの姿はもうそこにはなかった。私の見間違いかと思ったが、彩も同じものを見たらしく、 

「大津くんかな」 

 と言って立ち上がる。そのまま「ちょっと行ってくるね」と言い残すと、彼女はスライドドアの向こう側へ姿を隠してしまった。 

 スライドドアの僅かな隙間に彼女の小さな身体がするりと通過する様子は私に猫を想起させた。 

 再び単調な音だけが私を包む。彼女が行ってしまった後にひとりで聴くその音は、少しだけ陰鬱さが増したようだった。 

  

 彩は1分もしないうちに帰ってきた。 

「やっぱり大津くんだったよ」 

 そう言う彩の隣に、しかし大津の姿はない。ということは、 

「授業には出ないって?」 

 特に興味はないが、自然な会話の流れとしてそう質問をした。 

「うん。今日は授業欠席するって。なんか顔色も悪かったよ」 

「心配だね」 

 取り立てて心配をしているわけではないのだが、自然な会話の流れとしてそう言った。 

「ちょっと先生のとこまで伝えに行ってくる」 

 彩はテキパキとした歩き方で、再び私の元を離れて行った。  

  

 結果的にそれは「ちょっと」では済まなかった。先生に大津欠席の連絡をしに行った彩は、その連絡の直後にクラスメイトから「剣道の試合を一緒にやろう」と持ち掛けられ、今はその人たちと試合をしている。仕方がない。彩は人気者なのだ。 

 彼女らが楽しそうに試合している様子を遠くから眺めて15分ほどが経った頃だろうか、柔道場の方から阿部がやって来た。顔をしかめ、右手で左手を支えるように持っている。 

「どうしたの?」 

 珍しく、私の方から声を掛けた。阿部は私に気が付くと歩みを止め、早口に答えた。 

「受け身をうまく取れなくて、右手を捻っちゃった」 

「保健室まではひとりでいけそう?」 

 多分いけるだろうが、一応聞いておく。返答は早かった。 

「大丈夫。ありがとう」 

 ありがとう、と言ったときには彼女はもう歩き出していた。私から逃げるようにスライドドアの方へまっすぐ進んでいく。私は慌てて立ち上がり、先回りをしてスライドドアを開けた。 

「あ、ありがとう」 

 阿部は目を伏せたまま私にそう言った。 

 短い時間に二度も「ありがとう」と言われてしまった。普段お礼を言われ慣れていない私は、それになんて返せばいいのか少し考えてから、その時ふと思い出した事を阿部に伝えることにした。 

「そういえば大津も体調が悪いって言ってたから保健室にいるかも。あいつはただ体育をさぼりたかっただけかもしれないけどね」 

 足元を見て自分の上履きを探していた彼女が目を見開いて私の方を振り向いた。阿部と目が合ったのはこれが初めてではないだろうか。
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