Talking Rain~4月の雨と君の魔法~

雪村穂高

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5時間目後・休み時間

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 5時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。 

 授業終了のチャイムが鳴る直前までクラスメイトたちと剣道の試合をしていた彩を尻目に、授業開始前に胸の内で宣言した通り、私は先陣を切って武道場を後にした。 

 結局この授業を通じて、私は一度も竹刀を握ることがなかった。これでは体育の成績が「2」だったとしても文句は言えないかもしれない。 

 彩の方はと言うと、私の元を離れた後から休みなく竹刀を振っていた。どうやら彼女らは仲間内で勝ち残り方式の試合をしていたようで、そこで彩は鮮やかに勝利の山を築いていた。彩の体育の成績には「5」が付くだろう。 

 彩と試合をしていた彼女らはチャイムが鳴る直前になって急いで防具や竹刀を片付けていたが、帰りの渋滞を回避できたかどうかは怪しい。もし巻き込まれてしまっていたとすれば、彩が教室に戻って来るのにはかなり時間がかかるかもしれない。 

 1等で教室に着き、制服に着替え終わるとすぐに手持無沙汰になってしまった。私は昼休みに図書室で本を借りてこなかったことを後悔した。 

 他にすることもないので彩の帰りを待ち、武道場に近い側の教室のドア(後ろ側のドアだ)をそれとはなしに眺めている。教室に入って来た時にはまだ大津しかいなかったが、彩の帰りを待っている間にも級友がぱらぱらと帰ってきており、今ではクラスの8割以上がすでに教室に戻って来ているようだった。だが、まだ彩の姿は見えない。 

 またひとり、クラスメイトが帰ってきた。しかしその生徒は、これまでの生徒とはどこか様子が違う。どこが違うのだろうと考えてみる。ああそうか、この人は私と視線を合わせ、まっすぐ私のもとへ歩いて来ているのだと思い至った時には、彼女はもう私の目の前に立っていた。 

「私たちの上履き知らない?」 

 鳩が豆鉄砲を食らったようとはこのことだろう。おそらく驚きで見開かれていたであろう私の視線の先にいたのは上原萌香だった。剣呑な雰囲気を隠そうともしない彼女の両目から無意識に視線を外してしまう。すると、その後ろにはいつも上原にいつもくっ付いている女子生徒で、彼女の部活仲間でもある小川美知瑠の姿も見える。さらにその後ろには、なんと彩の姿もあるではないか。 

 突然のことにフリーズしかけた頭を強引に動かし、上原から突如として投げかけられた言葉の意味について一旦把握する。おそらく彼女らの上履きが体育の授業の後になくなっていたのだろうと推し量った。しかし私のその見当が当たっていようがいまいが、今の私に言えるセリフはこれ以外にない。 

「え、いったい何のこと?」 

「しらばっくれんな!」 

 当然のセリフだと思ったが、私のそのセリフに激しく反応したのは小川だった。 

「授業のあと走り去るように武道場から出て行ったくせにあんたが私たちの上履きを盗んだんでしょ!」 

 上原の陰に隠れるように立っていた小川が一気にまくし立てる。すごい早口で。よくこれだけ舌が回るものだ。肺活量も侮れない。きっと女バスではそういった特殊なトレーニングが行われているのだろう。 

 焦っている人を見ると逆にこっちは落ち着くようだ。人間の心理とは面白い。 

「いや、だから、何のこと?」 

 今度は先ほどよりも落ち着いた態度で返答した。上原と小川の上履きがなくなったことはなんとなく理解できたが、なぜ私に窃盗犯の疑いがかかっているのかよく理解できない。私が困ったように彩の方を見ると、その視線に気が付いた彼女が被害者の2人に代わって状況を説明してくれた。 

「体育が終わった後、武道場の玄関に置いてあった2人の上履きがなくなっていたの。正確に言うと、なくなったのは上原さんの右足の上履きと、小川さんの左足の上履き。 

 最初は誰かが間違えて2人の上履きを履いて行ってしまったのだろうと考えたんだ。でも、どうもそうではないらしいみたいなの。 

 なぜかと言うと、間違えて他人の上履きを履いて行ってしまったとしたら、その間違えてしまった人の本当の上履きはその場に残されているはずでしょう? 

 私たち3人は、その残されているだろううっかりさんの上履きを見つけるために、ひとり残らず武道場から人が掃けるのを待ったんだ。でもみんなが出て行ったあとで武道場の玄関に残された上履きは、上原さんの左の上履きと小川さんの右の上履きだけだったの。もちろん2人の上履きには名前が書かれていたよ。それに2人の上履きのサイズも違うから、間違って履いてしまったとしてもすぐに気が付くと思うんだけど」 

 これで誰の何が盗まれたのかはわかった。 

「……そうだったんだ。大変だね」 

 彩の上履きは無くならなくてよかったね、と言いそうになったのを危ないところで堪えて私は言った。万が一にでも彩の上履きがなくなっていたとしたら、私は捜査当局に代わってそれを探し出し、司法に代わって犯人に懲罰を科し、月に代わってお仕置きをしなければならないところだった。だがその必要もないようだ。めでたしめでたし。 

 ……いや、めでたくない。私が2人からあらぬ疑いをかけられているような気がする。 

「それで、もしかしてだけど、私が疑われているの?」 

 2人の顔を順番に見る。2人はなおも疑わし気に私を睨んでいるが、私のごく簡単なクローズドクエッションには答える様子はないようだった。代わりに彩がそれについても説明してくれる。 

「5時間目、上原さんと小川さんの後に武道場に入ったのは、私とシャロだけだよね。でもその時は、2人の後とは言ってもほとんど同時に武道場に入ったんだし、それは2人も確認している。とても上履きを盗むことなんてできなかったって。授業開始直前までそれがあったということは、必然的に犯行は帰りに行われたことになると考えたの。 

 それで帰りなんだけど、私はシャロが真っ先に出口に向かうのを見て追いかけたんだ。私と上原さんは最後まで一緒に剣道の試合をしていたから、私の後には上原さんたちも付いてきていた。だから私たちは、シャロ以外では1番早く武道場の玄関までたどり着いたことになる。それでも私たちが玄関に着いたときにシャロの姿はもうなかった。 

 その時に上原さんは自分の上履きが見つからないと私に相談してきたの。そのすぐあと、小川さんも自分の上履きが片方ないって言いだして……。 

 それで真っ先に武道場から帰ったシャロが怪しいって2人が疑い始めたんだ。 

 私は『そんなことない。きっと誰かが間違えて履いていっちゃったんでしょ。最後に間違えて履いて行っちゃった人の本当の上履きが残されているはずだよ』って言ったんだけど、さっき言った通り、結局それは見つからなくて」 

 ここで彩が私に向けていた顔を上原と小川の方に向ける。 

「でもこれで彩がやっていないって2人もわかったよね」 

 もちろん2人はそんなお人好しではなかった。 

「そりゃ本人は否定するでしょう。でもクラスの中でアリバイがないのはこいつだけじゃない」 

 上原は「アリバイ」の部分にフォルテをきかせて言った。 

 彼女は将来いい警察官になるだろう。尋問に意味がないと分かっているなら最初から自白を求めるような真似はやめていただきたい。そう言いたいが、言ったところで火に油なのは目に見えている。こういうのは黙っていればいつも彩が何とかしてくれる……。 

 

 その時、私のこころの奥を冷たい風が吹き抜けていった。心臓が凍り付き、全身からどろどろとした汗が滲み出た。 

 私は今、なんてことを考えた。 

 ついさっきは「勝手に私を助けた」と拗ねたにも関わらず、今度は自分の問題に彩を巻き込み、あまつさえその対処を彼女に押し付けようと一瞬でも考えたのだ。私は心の底から、自分の存在そのものを気持ち悪いと思った。こんな自分が情けなくて、格好悪くて、大っ嫌いだ。彩は私の保護者でも姉でも先生でも神様でもないのだ。私と対等な、私の大好きな、たったひとりの大事な友達なのだ。 

 今の自分にはきっと、彩の隣にいる資格なんてない。しかし私は、何があろうと彼女を失うわけにはいかなかった。彼女が私のそばを離れてしまったら、私の心の一部も彩にへばりついたままどこかへ行ってしまうような気がした。それはきっと私の心を構成するものの中で最も大切な一部だ。残された私はもうその失われた心の一片を二度と取り戻すことができないまま、まだまだ先の長い一生を過ごすことになってしまうだろう。 

 私はここで自分の内にある醜い心を殺し、生まれ変わらなければならない。決意を固める。この問題で彩の手を借りてはいけない。絶対にひとりで何とかして見せる。 

「そんな犯人探しみたいなマネはやめて、とりあえず落とし物置き場に行こう。ほら2階の職員室の前にある――」 

「彩は黙ってて」 

 なおも2人をなだめようとしている彩の声に被せるように、決意を込めて私は言った。 

 静かで、だが自分でもびっくりするほど冷たい声だった。 

「そんなのじゃ2人は納得しないでしょ。いいよ、私が犯人を見つけてあげる」 

 その発言にはさすがに2人も動揺したようだ。数秒沈黙が流れる。 

 先に言葉を発したのは小川の方だった。 

「ほんとにできるの?」 

 ようやく口を開いとた思ったら間抜けなことを言う。 

「できるわけないでしょ。このままじゃ自分が犯人にされるとでも思って焦ったんじゃないの? 

 どちらにせよ先生にはこの事を報告する。犯人か上履きが出てくるまでクラス全員家に帰さないようにお願いするわ」 

 上原はそこで一度言葉を切り、少し考えるそぶりを見せる。 

「万が一犯人がわかったら帰りの会で告発することね」 

 上原はそう吐き捨て、挑戦的な目で私に一瞥をくれると自席へと戻って行き、彼女が着席するのを待っていたかのように6時間目開始を告げるチャイムが鳴った。
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