1 / 10
其ノ一 猫又修行
しおりを挟む
ようやく三日三晩の修行が終わった朝。全ての三年猫は倒れるように眠りについた。
ここは熊本県阿蘇山系、根子岳。別名猫岳、言わずと知れた猫又修行の地である。
猫又の修行は数え年で「三年」「七年」「十二年」と三種あり、順番に修めるのが一般的だ。
本日一匹の脱落猫もなしで無事に修行を終えた三年猫たちは、ゆっくり眠ったあと無礼講の宴会へと突入している。
普段はあまり群れたり連れ立ったりしない猫たちも、またたび酒があれば話は別だ。
煮干しの頭を齧りながらペロリと舐めれば、上手に隠していた本音がついつい溢れ出る。
最も話題にのぼるのは、やはり飼い主のこと。忠義とは縁遠いのが猫だが、それぞれが、皆それなりの愛着を持っている。
厳しい猫又修行、実は飼い主のために来たという猫も少なくない。
「うちのご主人、最近元気がないにゃんよ。全然笑わなくなったにゃん」
「それは心配にゃーね。ごはん食べてるにゃんか?」
「どんどん痩せてしまってるにゃーよ。早く帰って暖めてやらにゃーと」
「修行なんか来てる場合じゃないにゃん?」
「ただの猫じゃ、そばにいたって何にも出来ないにゃん!」
初めてまたたび酒を舐めた、まだ年若い茶トラの猫又が、少々呂律呂律を怪しくして言った。
猫又修行中、必須で修めることは三つ。
一つ目は、引き戸やドアの開け閉め。まずはこれが出来なければ、猫又と呼ばれることはない。
開けるだけではなく、閉めることで隠密性が生まれる。
「あれ? どこ行った? ドア閉まってるのに!」
そうやって、秘密と不思議の香りの一つも纏ってこそ、妖というものだ。
何より、散歩も夜遊びも思いのままとなる。
二つ目は、二股に分かれた尻尾を使いこなすこと。
分かれた尻尾は猫又の証。なんのために分かれるかというと、ちゃんと理由がある。
この尻尾、元々の形に偽装も出来て、なかなか便利なシロモノだ。
まず物が掴めるようになる。熟練の猫又になれば、ゾウの鼻程度の使い勝手を実現すると言われている。
他にも尻尾の先に『猫火』と呼ばれる明かりが灯せたり、多少の伸び縮みも可能となる。
そして三つ目が、人語を理解する。
良くも悪くも、猫の生活は人間が左右する。人を知り、付き合い方を学ぶことは飼い猫、野良、共に必要なことだ。
もっとも、飼い主の多くは、猫にとってチョロイ存在だというのは、広く猫たちにも知られている。
「はぁーあ、人間の言葉なんか聞きたくないにゃんよ。あいつら多分、碌なこと言ってないにゃん」
聞き役に徹していたハチワレが言った。それは茶トラもわかっている。だが、それでもなお、茶トラ猫には聞きたい言葉がある。
「にゃーは本当は人間に化けたいんにゃ」
ペロリとまたたび酒を舐め、思いつめた顔をするこの新米猫又。齢三歳、番茶も出花のお年頃。薄茶色の虎模様の、なかなか愛嬌のある美猫である。
変化の術は難易度が高く、十二年修行の遙か先にある。猫岳の指導猫又でも、修めている者はほんの数匹だ。かの有名な猫仙人は、変化の達猫だと言われている。
「それなら、まずは長生きすることにゃんね」
ハチワレ猫が長生きの秘訣について語り出した。ハチワレの飼い主は獣医らしい。
(それじゃ間に合わないにゃんよ! にゃーは今すぐ、力が欲しいにゃん)
新米猫又、茶トラの“ニア”の鼻息が荒くなる。
ニアは尻尾に猫火を、一つ二つと数えながら灯してゆく。夜目の効く猫には、本来なら必要のない猫火。温度が低く物を焼くことも出来ない。
(もっと、役に立つ能力はないにゃんか?)
尻尾の火が五つを越えたあたりで、ハチワレが「聞いてるにゃーか?」と呆れたように言った。
ニアは尻尾の火をブンブンと振って消すと、フラフラと立ち上がった。
「どこへ行くにゃーか?」
「七年修行に混ぜてもらうにゃん。バスの時間になったら教えてにゃ」
余裕のない様子にハチワレが、呆れたように鼻から息を吐き出した。
「程々にするにゃん。身体を壊したら、元も子もないにゃんよ!」
その獣医の飼い猫に相応しい言葉も、今のニアには届かない。
「酔っ払って修行なんて、出来るにゃんかね?」
ハチワレが、煮干しの尻尾を口からはみ出させたまま言った。
四半刻後、七年修行中の猫又に担がれて、熟睡したニアが運ばれて来た。
「にゃむにゃむ……。にゃーは役に立つ猫又になるにゃんよ……」
ここは熊本県阿蘇山系、根子岳。別名猫岳、言わずと知れた猫又修行の地である。
猫又の修行は数え年で「三年」「七年」「十二年」と三種あり、順番に修めるのが一般的だ。
本日一匹の脱落猫もなしで無事に修行を終えた三年猫たちは、ゆっくり眠ったあと無礼講の宴会へと突入している。
普段はあまり群れたり連れ立ったりしない猫たちも、またたび酒があれば話は別だ。
煮干しの頭を齧りながらペロリと舐めれば、上手に隠していた本音がついつい溢れ出る。
最も話題にのぼるのは、やはり飼い主のこと。忠義とは縁遠いのが猫だが、それぞれが、皆それなりの愛着を持っている。
厳しい猫又修行、実は飼い主のために来たという猫も少なくない。
「うちのご主人、最近元気がないにゃんよ。全然笑わなくなったにゃん」
「それは心配にゃーね。ごはん食べてるにゃんか?」
「どんどん痩せてしまってるにゃーよ。早く帰って暖めてやらにゃーと」
「修行なんか来てる場合じゃないにゃん?」
「ただの猫じゃ、そばにいたって何にも出来ないにゃん!」
初めてまたたび酒を舐めた、まだ年若い茶トラの猫又が、少々呂律呂律を怪しくして言った。
猫又修行中、必須で修めることは三つ。
一つ目は、引き戸やドアの開け閉め。まずはこれが出来なければ、猫又と呼ばれることはない。
開けるだけではなく、閉めることで隠密性が生まれる。
「あれ? どこ行った? ドア閉まってるのに!」
そうやって、秘密と不思議の香りの一つも纏ってこそ、妖というものだ。
何より、散歩も夜遊びも思いのままとなる。
二つ目は、二股に分かれた尻尾を使いこなすこと。
分かれた尻尾は猫又の証。なんのために分かれるかというと、ちゃんと理由がある。
この尻尾、元々の形に偽装も出来て、なかなか便利なシロモノだ。
まず物が掴めるようになる。熟練の猫又になれば、ゾウの鼻程度の使い勝手を実現すると言われている。
他にも尻尾の先に『猫火』と呼ばれる明かりが灯せたり、多少の伸び縮みも可能となる。
そして三つ目が、人語を理解する。
良くも悪くも、猫の生活は人間が左右する。人を知り、付き合い方を学ぶことは飼い猫、野良、共に必要なことだ。
もっとも、飼い主の多くは、猫にとってチョロイ存在だというのは、広く猫たちにも知られている。
「はぁーあ、人間の言葉なんか聞きたくないにゃんよ。あいつら多分、碌なこと言ってないにゃん」
聞き役に徹していたハチワレが言った。それは茶トラもわかっている。だが、それでもなお、茶トラ猫には聞きたい言葉がある。
「にゃーは本当は人間に化けたいんにゃ」
ペロリとまたたび酒を舐め、思いつめた顔をするこの新米猫又。齢三歳、番茶も出花のお年頃。薄茶色の虎模様の、なかなか愛嬌のある美猫である。
変化の術は難易度が高く、十二年修行の遙か先にある。猫岳の指導猫又でも、修めている者はほんの数匹だ。かの有名な猫仙人は、変化の達猫だと言われている。
「それなら、まずは長生きすることにゃんね」
ハチワレ猫が長生きの秘訣について語り出した。ハチワレの飼い主は獣医らしい。
(それじゃ間に合わないにゃんよ! にゃーは今すぐ、力が欲しいにゃん)
新米猫又、茶トラの“ニア”の鼻息が荒くなる。
ニアは尻尾に猫火を、一つ二つと数えながら灯してゆく。夜目の効く猫には、本来なら必要のない猫火。温度が低く物を焼くことも出来ない。
(もっと、役に立つ能力はないにゃんか?)
尻尾の火が五つを越えたあたりで、ハチワレが「聞いてるにゃーか?」と呆れたように言った。
ニアは尻尾の火をブンブンと振って消すと、フラフラと立ち上がった。
「どこへ行くにゃーか?」
「七年修行に混ぜてもらうにゃん。バスの時間になったら教えてにゃ」
余裕のない様子にハチワレが、呆れたように鼻から息を吐き出した。
「程々にするにゃん。身体を壊したら、元も子もないにゃんよ!」
その獣医の飼い猫に相応しい言葉も、今のニアには届かない。
「酔っ払って修行なんて、出来るにゃんかね?」
ハチワレが、煮干しの尻尾を口からはみ出させたまま言った。
四半刻後、七年修行中の猫又に担がれて、熟睡したニアが運ばれて来た。
「にゃむにゃむ……。にゃーは役に立つ猫又になるにゃんよ……」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる