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其ノ二 ニアの帰る場所
しおりを挟む妖となる動物は、群れないものが多い。犬よりは猫、渡り鳥よりは梟の方が妖となる率が高く、また妖力も強い。
“孤独な夜が妖力を育てる”とは、猫仙人さまの言葉だ。群れて、届く場所にある温もりに満ち足りて眠るものに、妖力は芽生えない。
妖力とは“求める気持ち”に似たものだ。
同じ理由から、草食動物もあまり強い妖にはならない。彼らは、あるがままを受け入れて、生まれたままで死んでゆく。
ところが、受け入れられないものは、探して焦がれて、追い求める。掴み取る手のひらもないくせに、必死で足掻く。
その爪の先に、ほのかに灯るのが妖力だ。
朝靄に煙る電線の上を、バスが軽やかに走り抜ける。
家路へと向かうバスの中、一匹二匹と降りてゆく猫又たちを見送りながら、茶トラの“ニア”はもの想いに沈んでいた。
疲れとまたたび酒の残る頭で、猫仙人さまの講義を思い出す。最初に聞いた時は、チンプンカンプンだった内容が、なぜか今はストンと腹に収まる。
(これも猫又になったおかげにゃんかね?)
三日三晩の修行は座学からはじまり、妖力の流れを整え尻尾へと流す鍛錬、体力を削り研ぎ澄ます我慢くらべのような行軍……。
自由気ままに暮らして来た猫たちにとっては、試練と言わざるを得ない内容だ。逃げ出す猫がいても不思議はない。
ところが終わってみれば、ただの一匹の脱落猫もいなかった。
(何でみんなそんな頑張るにゃんか?)
自分のことを棚に上げて、ニアは首を傾げた。ニアにはどうあっても、投げ出せない理由がある。どうしても手に入れたい力がある。
(ああ、そうか。みんなにゃーと同じにゃんね)
ニアだけが特別なわけではない。
修行に来た全ての猫たちには、それぞれに投げ出せない理由があるのだ。だから、今ここにいる。
ニアの『投げ出せない理由』は、飼い主に関することだ。
ニアの飼い主は、ハルカという名の女性。ひねくれの野良だった子猫のニアを、温かい手で抱き上げてくれた人だ。
そしてもう一人。ハルカの番のダイスケが……いた。
ダイスケは元々、夜しか帰って来ないタイプのオスだったけれど、二人は仲の良い番だった。
二人の間で眠る夜はニアの孤独を癒し、ただの幸せな子猫へと変えた。
ところがある日を境に、ぱったりとダイスケが帰って来なくなった。
(ハルカがもうすぐ子供を産む。こんな大切な時期に、何をやっているにゃんよ!)
ニアはダイスケが戻って来たら、思い切り顔を引っ掻いてやろうと思っていた。
ところが、ダイスケはいつまでたっても帰って来ない。ハルカは、大きなお腹を抱えて泣いてばかりだ。このままではお腹の子にさわる。
ダイスケを探しに行きたかった。ハルカを支えなければと思う。けれどニアには、何の力もない。
泣きながら眠ってしまったハルカに、満足に毛布の一つも掛けてあげられないのだ。
片時もハルカのそばを離れずに、せめてお腹を冷やさないようにと寄り添って温めた。
自分の不甲斐なさと、弱ってゆくハルカを見る不安が、徐々にダイスケに対する怨みへと矛先を変えてゆく。
(このまま闇に呑まれてしまったら、化け猫になってしまうにゃ!)
化け猫になれば、二度と元の姿には戻れない。怨みを晴らすことができたとしても、ハルカのもとへ戻れないのでは、何の意味もない。
そんな、ギリギリの日々を過ごしていたニアのもとに、猫又修行の知らせが届いた。
修行は三日三晩。
今のハルカを一人にするのは心配だが、それでもニアは迷うことなく参加を決めた。
(猫又になるにゃ! 猫又になって、ハルカと一緒に赤ん坊を育てるにゃ!!)
そうしてニアは、後ろ髪を引かれる想いで、迎えのバスに乗ったのだ。
ふと外を眺めれば、そびえる山々は遙か後ろへと消えていた。流れる景色は、人々が目覚める前の、静まり返った町の風景。
バスが電線を蹴り、ドスンと乱暴に着地する。とっさに中の猫又たちは、華麗にジャンプして受け身を決めた。
カギ尻尾の三毛が、バスに礼を言いながら降りて行った。猫又になったら、目の悪くなった婆さまの探し物を手伝ってやるんだと言っていた三毛猫だ。
パタパタと行き先表示がめくれて、バスの目に再び灯りが点く。
次の停車場は『ハルカの家』。ニアの帰る場所だ。
(ハルカ、にゃーは猫又になったにゃんよ! もうじき帰るから、待ってるにゃんよ!)
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