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第二十五話 九月のセミは……
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気がつくと、周囲から夕方の気配が失せていた。陽がまだ高く、あんなにもやかましく鳴いていたセミの声が聞こえない。代わりに、草むらからはチチチ、チチチチと小さく秋の虫の声がした。
「……戻って、来たんだろうか?」
スマホを取り出し電源を入れる。起動時間がもどかしい。画面の左上に『4G』と表示されるのを確認してからニュースアプリを開く。日付けを見ると、年号は令和の九月某日。俺が帰郷した、当日だった。
さっきまで目の前にあった、克哉と美咲が手をつないで歩いていた夕暮れの河川敷の景色が、現実感を失ってゆく。
シャツの胸ポケットで、小さな土産袋がガサリと音を立てた。市営水族館で買った、小さなキーホルダーだ。美咲が『みんなでおそろいね!』と買ってくれたものだ。
「少なくとも、何もかもが、ボーッと突っ立っていた俺の白昼夢だったわけじゃないな」
美咲の番号をコールしてみる。ほんの少だけ、こっちの時間軸の美咲も生き返ってるんじゃないかと思ったからだ。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません……』
無機質なアナウンスに、ほんの少しの期待が打ち消される。
次に姉貴の番号をコールしようとした、その時。
尻ポケットのプリペイド携帯から、メールの着信音が聞こえた。
急いで取り出して、メールを開く。件名は『平成の姉ちゃんより』。姉貴だった。
イチさん、お元気ですか?
イチさんが言っていた通り、年号が平成から『令和』に変わりました。今ならもしかしてと思い、メールを送ってみます。
あれから二十年近く過ぎました。不思議なことに、今でもイチさんのことを憶えているのは、私だけになってしまった。
美咲ちゃんも克哉も早川さんも、イチさんのことを……あの七夕祭りまでの三日間と、それに続く出来事を、きれいさっぱり忘れてしまった。
イチさんがいなくなって、二人ともあんなに泣いていたくせにね! だんだんと記憶が曖昧になって、三日もすると『えっ? イチさんって誰のこと?』なんて言っていた。ちょっと寒気がしたよ。
あんなにも世話になっておいて、薄情すぎるって頭に来たりもしたけれど、今考えてみると仕方のないことだったのかもと思う。あの、一連の不思議な出来事には、相応しい顛末だったのかも。
私だけが憶えているのは、たぶん当事者じゃないからなのかな?
あれからのことを少し報告するね。
克哉と美咲ちゃんは、なんと結婚しました! ハタチくらいに一度別れて、三年くらい別の人と付き合ったりもしていたんだけどね。いつの間にかまたつき合っていて、最後は出来ちゃった婚だったよ! 今では二人の子持ちで、上の子は小学生です。
早川さんは蓮見くんと結婚したよ。こちらもびっくりしました。二人とも仕事の関係で東京で暮らしていたんだけど、ある日バッタリ再会したらしいです。なかなかドラマチックだよね。蓮水くんもやっぱりイチさんのことは憶えていないみたい。
でも彼は『お酒を飲んでも絶対にバイクに乗ってはいけない』っていう誓いだけは憶えてるんだよ。
私しか憶えていないのは、なんだか申し訳ない気がするけれど、イチさんが克哉と美咲ちゃんのために頑張ったことはちゃんと実を結んでいるよ。みんな楽しく暮らしてるし、なんのかんの言って幸せそうにしてる。
だからイチさんも、幸せになって。
イチさんが令和に戻った時、そっちの状況がどう変わるのか私にはわからない。でも、イチさんも幸せになって欲しい。心からそう思います。
きっと、そっちの姉ちゃんも、そう思っているよ! 口うるさいのは、そのせいだからさ。
身体に気をつけて、元気で!
私のもう一人の弟へ。姉ちゃんより
読み終わって、座り込むべきか歩き出すべきか悩んで、結局そのまま歩き出した。さっきまで高校生だった克哉が二人の子持ちとか……頭が着いて行かない。
「蓮水くんと早川が……! ハハッ! ほんとドラマチックだな!」
周囲に誰もいないのを良いことに、込み上げて来る笑いをこらえずに吐き出す。
そっか。忘れられちゃったのか……。歴史警察、そんなところはキッチリ仕事するのかよ!
さすがに凹む……。たった五日間だけれど、俺は克哉にも美咲にもすっかり情が移っていた。
「まあ、俺は『なかったこと』にするために呼ばれた訳だしなぁ……」
立ち止まり、やっぱり座り込む。情けないことに足に力が入らない。
さっきまで夏のど真ん中にいたせいで、九月の空が高く見える。雲も少し薄い。いくら気温が高くても、夏のねっとりとした空気とはどこか違っている。
ところが。
河川敷の低い木の方から『ジジ……ジジジ』と、往生際の悪いセミの声が聞こえて来た。やがて意外なほどに力強く鳴きはじめる。たった一匹だけで秋の訪れを無視して鳴くセミの、その諦めの悪さに心が湧く。
せっかく地面から這い出して来たんだ。想いを遂げられずに落ちるなんて出来ないよな。
いいぞ! やれやれ! それでいい。
例え最後の一匹だったとしても、俺が聴いていてやる。だから頑張れ。諦めるな!
令和の世の中は、何も変わっちゃいない。美咲は二十年前に死んで、姉貴は結婚して歳を取り、俺はあいも変わらず日常に拘わっている。
でも……。平成の克哉と美咲は、結婚したんだってさ! 子供を二人も作って、幸せに暮らしている!
なんてこった! いいぞ! それでいい。
ここが、俺の生きてゆく世界だ。
九月のセミは俺が立ち上がり、実家に向かって歩き出してもまだ鳴いていた。
おしまい
「……戻って、来たんだろうか?」
スマホを取り出し電源を入れる。起動時間がもどかしい。画面の左上に『4G』と表示されるのを確認してからニュースアプリを開く。日付けを見ると、年号は令和の九月某日。俺が帰郷した、当日だった。
さっきまで目の前にあった、克哉と美咲が手をつないで歩いていた夕暮れの河川敷の景色が、現実感を失ってゆく。
シャツの胸ポケットで、小さな土産袋がガサリと音を立てた。市営水族館で買った、小さなキーホルダーだ。美咲が『みんなでおそろいね!』と買ってくれたものだ。
「少なくとも、何もかもが、ボーッと突っ立っていた俺の白昼夢だったわけじゃないな」
美咲の番号をコールしてみる。ほんの少だけ、こっちの時間軸の美咲も生き返ってるんじゃないかと思ったからだ。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません……』
無機質なアナウンスに、ほんの少しの期待が打ち消される。
次に姉貴の番号をコールしようとした、その時。
尻ポケットのプリペイド携帯から、メールの着信音が聞こえた。
急いで取り出して、メールを開く。件名は『平成の姉ちゃんより』。姉貴だった。
イチさん、お元気ですか?
イチさんが言っていた通り、年号が平成から『令和』に変わりました。今ならもしかしてと思い、メールを送ってみます。
あれから二十年近く過ぎました。不思議なことに、今でもイチさんのことを憶えているのは、私だけになってしまった。
美咲ちゃんも克哉も早川さんも、イチさんのことを……あの七夕祭りまでの三日間と、それに続く出来事を、きれいさっぱり忘れてしまった。
イチさんがいなくなって、二人ともあんなに泣いていたくせにね! だんだんと記憶が曖昧になって、三日もすると『えっ? イチさんって誰のこと?』なんて言っていた。ちょっと寒気がしたよ。
あんなにも世話になっておいて、薄情すぎるって頭に来たりもしたけれど、今考えてみると仕方のないことだったのかもと思う。あの、一連の不思議な出来事には、相応しい顛末だったのかも。
私だけが憶えているのは、たぶん当事者じゃないからなのかな?
あれからのことを少し報告するね。
克哉と美咲ちゃんは、なんと結婚しました! ハタチくらいに一度別れて、三年くらい別の人と付き合ったりもしていたんだけどね。いつの間にかまたつき合っていて、最後は出来ちゃった婚だったよ! 今では二人の子持ちで、上の子は小学生です。
早川さんは蓮見くんと結婚したよ。こちらもびっくりしました。二人とも仕事の関係で東京で暮らしていたんだけど、ある日バッタリ再会したらしいです。なかなかドラマチックだよね。蓮水くんもやっぱりイチさんのことは憶えていないみたい。
でも彼は『お酒を飲んでも絶対にバイクに乗ってはいけない』っていう誓いだけは憶えてるんだよ。
私しか憶えていないのは、なんだか申し訳ない気がするけれど、イチさんが克哉と美咲ちゃんのために頑張ったことはちゃんと実を結んでいるよ。みんな楽しく暮らしてるし、なんのかんの言って幸せそうにしてる。
だからイチさんも、幸せになって。
イチさんが令和に戻った時、そっちの状況がどう変わるのか私にはわからない。でも、イチさんも幸せになって欲しい。心からそう思います。
きっと、そっちの姉ちゃんも、そう思っているよ! 口うるさいのは、そのせいだからさ。
身体に気をつけて、元気で!
私のもう一人の弟へ。姉ちゃんより
読み終わって、座り込むべきか歩き出すべきか悩んで、結局そのまま歩き出した。さっきまで高校生だった克哉が二人の子持ちとか……頭が着いて行かない。
「蓮水くんと早川が……! ハハッ! ほんとドラマチックだな!」
周囲に誰もいないのを良いことに、込み上げて来る笑いをこらえずに吐き出す。
そっか。忘れられちゃったのか……。歴史警察、そんなところはキッチリ仕事するのかよ!
さすがに凹む……。たった五日間だけれど、俺は克哉にも美咲にもすっかり情が移っていた。
「まあ、俺は『なかったこと』にするために呼ばれた訳だしなぁ……」
立ち止まり、やっぱり座り込む。情けないことに足に力が入らない。
さっきまで夏のど真ん中にいたせいで、九月の空が高く見える。雲も少し薄い。いくら気温が高くても、夏のねっとりとした空気とはどこか違っている。
ところが。
河川敷の低い木の方から『ジジ……ジジジ』と、往生際の悪いセミの声が聞こえて来た。やがて意外なほどに力強く鳴きはじめる。たった一匹だけで秋の訪れを無視して鳴くセミの、その諦めの悪さに心が湧く。
せっかく地面から這い出して来たんだ。想いを遂げられずに落ちるなんて出来ないよな。
いいぞ! やれやれ! それでいい。
例え最後の一匹だったとしても、俺が聴いていてやる。だから頑張れ。諦めるな!
令和の世の中は、何も変わっちゃいない。美咲は二十年前に死んで、姉貴は結婚して歳を取り、俺はあいも変わらず日常に拘わっている。
でも……。平成の克哉と美咲は、結婚したんだってさ! 子供を二人も作って、幸せに暮らしている!
なんてこった! いいぞ! それでいい。
ここが、俺の生きてゆく世界だ。
九月のセミは俺が立ち上がり、実家に向かって歩き出してもまだ鳴いていた。
おしまい
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感想ありがとうございます😊なかなかスッキリ終われなくてごめんね!