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夢は語らない side
夢は語らない side:香賀
しおりを挟むはなまる亭のバイトは結構楽しい。
今まで色んな業種のバイトをしてきたが、あそこは人間関係で揉めた事がないし、上司の長窪さんもいい人だ。
前の職場のように無駄に詮索される事もないから、博允の誘いに乗って本当に良かったと思っている。
ただ、最近笠の奴がやたらと絡んでくるのは正直どうしていいかわからないでいた。
博允に言うとモテモテじゃんとからかわれて、解決策はまだ見つけられていない。
女子なら八重野の方がどちらかというと接しやすいタイプだ。
八重野は笠と違ってプライベートにあまり突っ込んでこないし、誰に対しても適度な距離感を保つ。
表情があまり変わらないのが気にはなるところだが、礼儀正しいし仕事も出来る奴だ。
待ち合わせの時間に遅れた博允を置いて、喫煙所で煙草を吸った後出勤すると、休憩室には既に八重野がいた。
挨拶すると八重野は律儀に頭を小さく下げて、俺に挨拶を返した。
後ろから恨みがましい博允の声が聞こえて、煙草を吸いたかったから置いて行ったと素直に答える。
俺だって吸いたかったと嘆かれたが、そろそろ勤務時間のため、煙草をゆっくり吸う暇はない。遅れた博允の責任である。
適当に話を聞き流すと、次に休憩室に入ってきたのは笠だった。
博允が猪娘と余計な事を言ったが、笠に何か言ったかと詰められると素知らぬ顔で誤魔化していた。
北島が入ってくると、笠がビリだからジュースを奢れと軽口を叩いた。
同じ高校生同士だからか仲はいいらしい。
ぼーっとしている八重野に笠が声をかけると、皆若いなと思って見ていたと八重野が口にして、博允が婆さんかよと若干失礼なツッコミを入れた。
長窪さんの所在を聞くと、八重野は厨房で試作品を作っていると言う。
博允は軽い調子で行ってくると厨房へ向かった。
博允がいない休憩室は静かで少し気まずい。
逃げるように博允の後を追うと、何故か笠がついて来た。
厨房で長窪さんはラテアートを作っていた。
ハートやリーフは勿論、立体の兎や熊を再現する様は職人の域で、俺は密かに感動した。
「すっげー! どうやんのそれ!」
「やば! 可愛い! すご!!」
「あはは、ありがとうね。練習した甲斐があるよ」
絶賛する博允と笠に、長窪さんが笑う。
「それもメニューに加えるんですか?」
「まあ、もう少し上手になったらね」
「えー今のままでもすごいのに」
「ねー」
「よっしゃ長窪さんが神な事伝えにいこうぜ!」
「了解!」
博允の発言に笠が乗っかると、二人は休憩室へ向かった。
「……あの、すみません長窪さん。騒がしくして」
「あはは、大丈夫だよ。元気な事はいい事だからね」
「まあ……じゃ、またあとでお願いします」
「うん、よろしくね」
厨房の扉を閉めて来た道を戻る。
博允と笠は相変わらず騒がしくて、俺はもう少し静かにしろと二人に注意した。
八重野のよろしくという言葉に頷くと、制服に着替えた後、厨房の開店準備へと向かう。
そうしてはなまる亭の夜が始まった。
♢
今日は貸切で持ち込みは魚だと聞いていたが、マグロの塊を持ってくるとは誰も予想が出来なかった。
まな板からはみ出しそうな大きさのマグロを、どうにか切り分けてまずは刺身にしていく。
博允は隣で四苦八苦しながらマグロを切って、サラダを作っている。どうも盛り付けにこだわっているらしかった。
長窪さんはいつも通り手際よく調理をして、俺が一品作る頃には二品三品と作って八重野達に運ばせていた。
余れば店で使ってもいいらしく、俺も博允も今日のまかないが楽しみになった。
客は神ではないが、今日の客は神に近い。
俺達が作ったのはマグロのフルコースで、刺身やサラダの他にもステーキや竜田揚げ、照り焼きを作った。全部長窪さんのレシピだ。
即興でここまでの料理を作るのも、料理の順番を考えてやっているのもすごいと思う。
だが長窪さんは皆に褒められても決して驕|《おご》る事はない。そういうところも俺は尊敬している。
片付けを終えて長窪さんとまかないのマグロ丼を人数分作ると、博允と一緒に休憩室へ運んだ。
厚く切ったマグロは艶があって光っている。
美味そうだと言う博允に、全員が頷いた。
すり下ろしたわさびを見せる長窪さんに、笠がいち早く手を挙げてサビ抜きを所望して、八重野もそれに乗っかる。
八重野が苦手なのは意外だった。
長窪さんがわさびをマグロ丼に載せている間、
俺は手を洗って席に着いた。
何気なく座った場所が女子に挟まれたおかげで博允に恨みがましい視線を向けられたが、ただの偶然だ。
長窪さんにも両手に花だと言われて反応に困っていると、北島が花じゃなくてゴリラだと笠をからかった。
笠は北島を殺すと息巻いている。
そろそろ八重野の注意が入る頃だろうと思っていると、やるなら外でやってねと珍しい反応をした。
止めないんだなと八重野に言うと、八重野はお互い本気じゃないし店の被害を最小限に抑えたいからという言葉が返ってきて、つい笑ってしまった。
箸とお茶が全員に行き渡ったところで手を合わせた後、マグロ丼に箸を進める。
労働後という事もあって、マグロ丼は滅茶苦茶美味かった。やはり新鮮なものは味がいい。
今までに食べたものが不味かった訳ではないが、今日食べたマグロは食べてきたマグロの中で一番美味く感じた。
夢中になって食べていると、不意に博允が茶漬けが食いたいと言い出した。
博允は疲れて動きたくないらしく、長窪さんに頼むために名前を呼んだが、八重野が自分が出汁を作ると出ていった。
閉められた扉を博允と長窪さんが見つめている。
「……やべ。怒った?」
「ヒロ先輩が長窪さんをパシろうとするから」
「最低っすね」
「ぁんだよぉ! 俺は長窪さんにお願いしようとしただけじゃん!」
文句を言う博允に北島と笠の冷たい視線が刺さる。
長窪さんは苦笑いだった。
「まあ皆落ち着いて。文恵くんは怒ってないから」
「え~~ホントですか?」
「感情表現がわかりづらいだけで、怒ってないよ。元々誤解されやすいんだ」
「あー……確かに先輩あんま笑わないっすもんね」
北島は納得したような声を上げたが、俺は八重野は頻繁に笑わないだけでちょこちょこ笑う方だろと思った。
……今この場で言うと変な空気になるし、余計な誤解を招くだろうから言わないが。
「でも歳の近い皆といる時は文恵くん、楽しそうにしてるよ。いつもありがとうね」
「いやいやこちらこそ……」
長窪さんの言葉に北島が頭を下げた。
「あたしらも楽しいんで! ね!!」
「そうそう! 長窪さんもいつもありがとうございます!!」
笠が博允に同意を求めると、博允がそれに乗っかって御礼を言う。
何故か俺に長窪さん以外の三人の視線が集まった。
「?」
「いや、智之も何か言えよ」
「何かって……何を?」
「何をって……」
「八重野は長窪さんに休んでほしいから席立っただけだろ? まあ博允はもう少し自分で動いた方がいいと思うけど」
「馬鹿って言うな」
「箸で人を指すな」
箸の先を向けてきた博允に指摘すると、博允は嫌そうに顔を歪めたが、無視して俺はお茶を飲んだ。そもそも事の発端はこいつである。
「ヒロ先輩行儀悪~」
「ああん? お前こそ肘付くな」
笠の煽りに博允が反論すると、笠は博允に舌を出した。
「付いてません~浮いてます~」
「どっちもどっちだろ」
「「ああん!?」」
北島の一言に博允と笠が反応すると、今度は博允と笠が結託して北島に文句を言い始めた。
ああだこうだ言う二人を、北島はどうでも良さげに聞き流している。
長窪さんが仲裁に入ろうとした時、ちょうど八重野が戻ってきて一斉に口を閉ざした。
休憩室に出汁の良い香りが充満する。
八重野は手に持った鍋と鍋敷をテーブルの真ん中に置くと、博允のどんぶりを取って出汁を注いだ。
謝る博允に八重野は私も食べたかったからと返事をして、自分のどんぶりに出汁を注ぐ。
黄金に輝く出汁を見ていると、満たされたはずの食欲がまた刺激された。
いりますかと聞かれて、思わずいいのかと八重野に聞き返す。
人数分はあるからどうぞと言われたため、俺は遠慮を捨ててどんぶりに出汁を注いで貰った。
笠と北島も長窪さんも八重野に出汁を注いで貰っている。
博允が結局皆が茶漬けにした事をやいやい言ってきたが、後輩二人に言い返されて俺に絡んできた。
妥当な扱いだと言ってやると、冷たくないかと言われた。元々俺はこんなだ。
博允のオーバーリアクションに、八重野と笠は笑っていた。
お茶漬けにしたマグロ丼もかなり美味くて、腹と心が満たされた。
長窪さんは友人と飲みに行く約束をしていたらしく、電話をした後先に退勤した。
「俺後片付けやって帰るわ」
「よろしく。俺は今日は帰るわ」
博允に後片付けを託して帰り支度をしていると、更衣室を出てから首元を引っ張られた。
「っ」
「智之ついでに沙也香送ってやってー」
「あー? あー……わかった。北島は?」
「アイツは家近いし男だから大丈夫っしょ」
博允の声に適当な返事をして首をさする。
時刻は夜の十時四十分。学生を家に帰すには遅い時間だった。
目の前の笠が若干おろおろしているのが気になったが、俺は笠と一緒に裏口から外に出た。
「家こっちの方向?」
「アッハイ!」
「近いんだっけ」
「ま、まあまあ……?」
家までの帰り道、笠は普段と違って口数が少なかった。
正直普段の感じで来られても博允みたいに上手い返しはしてやれないから助かった。
笠の家は職場から本当に近くて、五分くらいで家に着いた。
「あのっ、香賀先輩! ありがとうございました!」
「ん。じゃあな」
笠に小さく手を振ると、来た道を少し戻って駅に向かった。
電車内は土日のせいで人が多くて、俺は降りる駅まで興味のない広告のポスターを眺めた。
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