これが恋だというのなら、

池代智美

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嘘と本当の間 side

嘘と本当の間 side:福田

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 両親の仲が良くない事はずっと前から知っていた。
でもその時の俺はガキだったから、両親の仲を取り持つ事はしなかった。
大人の問題は大人が解決すると信じて疑わなかったのだ。

 ガキの頃は、家にいるより友達と遊んでいる方が遥かに楽しかった。
 家に帰ればお袋が親父にヒステリーを起こして、親父がお袋を怒鳴りつけた。
そういう二人の姿を見るのはしょっちゅうで、あまり気持ちのいいものではなかった。
だから俺は外の世界に入り浸った。
自分の安心出来る居場所が家にはなかったから。

 はなまる亭のバイトは気が楽だった。
 俺の身の上についてごちゃごちゃ聞いてくるような人間も、変に気を遣うような人間もいなかった。
 バイトを転々としてきたが、こんなに周りの人間がいい人ばかりなのは初めてだった。
だからこそ自分みたいな奴がここにいていいのかと思う時があって、俺はぬるま湯に浸かっているような感覚でいた。

——ずっとここにいたいけど、多分ずっとは無理なんだろうな。

 俺は諦めの入ったそれを抱えながら、日々を過ごしていた。
 そうして最近、親から離婚の話をされた。
 離婚を切り出したのはお袋で、親父は離婚したくないらしかった。
 愛人をつくっておいてどの口がほざいてるんだと親父に対して思ったが、俺は俺で外で遊び呆けてお袋の事なんて一切考えていなかったから、そういう意味ではある意味親父と一緒だった。
 よりによって一番似たくない部分が似てしまったのだ。 
 俺はそこで自分が薄情な人間だと改めて気付いた。
 結局俺は自分の事だけしか考えていなかったし、大事にしていたのも自分自身だけだった。
 そりゃクズだ何だと周りから言われる訳である。
でも俺は親父みたいな真性のクズにはなりたくなくて、今後は自分がお袋を守ると決めた。
 今までお袋に何もしてやれなかったから、せめてもの償いだった。
 親父は親父で勝手で、会社の後継が欲しいというただそれだけの理由で、俺とお袋を引き離そうとした。
 挙句の果てにクソ親父は、夢がないお前には会社を継ぐくらいがちょうどいいとか、安泰の将来を約束しているんだからとか言ってきた。

——そんなもんこっちは頼んでねぇし、俺の将来をお前が決めんなよ。

 俺は言い返そうとしたが、言ったところで親父が俺を理解しようとしないのはわかりきっていたから、全部聞き流してやった。
 ただ一つ聞き流せなかったのは、親父の“お前には何もない”という言葉だ。
 気にしないようにしても、それは俺の心をささくれ立たせて痛みを生んだ。
 考えてみれば確かに俺は何も持っていなかったのだ。
 自分の才能は何かと問われても、よくわからないと。俺はいったい何がしたいのだろう。
ただ毎日を、楽しく生きたいだけじゃ駄目なんだろうか。

 考えてもわからない事を考えるのは苦手だ。
 頭も良い方ではない。
それでも答えらしい答えを探してしまうのは、きっと俺が何も持っていない空っぽの存在だからなのだろう。
 



 あれから二週間が経過して、俺は柄にもなく落ち込んでいた。
 家では考え込んで寝られなくなるから、はなまる亭で寝るようになった。
周りの人間に心配はされても、詮索せんさくをされる事はなかったから有り難かった。

 休憩時間に眠っていると、ふと目が覚めた。
 いつの間にか肩にブランケットがかかっている。
 薄く目を開けると、そこには八重野ちゃんがいた。
きっとブランケットは八重野ちゃんが気を遣ってかけてくれたんだろう。
 嬉しくなって口元が緩む。
 寝たふりをして八重野ちゃんを驚かせてやろうと思っていると、休憩室に沙也香と北島がやって来た。
 しばらく寝たふりをして会話を聞いていると、寝ている方が静かだと北島が失礼な事を言って、沙也香が上手いと北島を褒めた。
 はっ倒してやろうかと思ったが、我慢して聞き耳を立てる。
 間近でカシャリとシャッター音が鳴って息をひそめていると、沙也香が勝手に俺を撮った事が判明した。
 八重野ちゃんがやんわり注意すると、沙也香は素直に従ったが、なんとなく嫌な予感がして俺は薄く目を開けた。
すると油性マジックの先端を俺の顔に向けている沙也香と、それを煽っている北島が視界に入った。
 すかさず沙也香に締め技を軽くかける。
 沙也香は痛いと騒いでいたが、無視して技を続行した。
 北島はしれっと自分には関係がないみたいな顔をしていたため、指差して反省しろと注意した。

 沙也香も北島も反省の色がない。
 八重野ちゃんにはほどほどにしてあげてと言われたが、俺は男女平等だから技をやめなかった。
 気が済んでから沙也香を解放すると、沙也香はもうお嫁に行けないと床にしゃがみ込んだ。嘘つけ。
 北島と声が揃うと、沙也香は俺達がいじめると八重野ちゃんに訴えた。
 大袈裟に泣き真似までしている。
 北島と一緒に呆れた目を沙也香に向けると、八重野ちゃんにいつから起きていたのか聞かれた。
 最初から起きていたのかとか変態とか好き勝手言う後輩を置いて、沙也香が写真を撮った辺りからだと答える。
 沙也香は変わらず軽口を叩いてきたが、俺も軽口を叩き返した。

「っはぁ~……マジお前らないわー」
「はいはい」
「はいはい」
「……煙草吸いに行ってくる」

 怒る気も寝る気も失せてしまった。
 俺は喫煙所に行くと、ライターで煙草に火をつけた。
 風にさらわれる煙を見ながら思いを馳せても、将来については何も思い浮かばなかった。



 日曜日、俺は開店の二時間前にはなまる亭に行く事にした。
八重野ちゃんに話を聞いて貰うためだ。
 智之に話をするのは、あいつの夢の邪魔をしてしまうような気がしてやめにした。
最近の智之は以前と違って、かなり調子が良さそうなのだ。だから俺が余計な事を言って水を差したくなかった。

 はなまる亭に行くと、予想通り八重野ちゃんがいた。
 八重野ちゃんは真面目すぎるから最低でも勤務時間のニ十分前には来ている。
 土日となるとそれはもっと早くなる。
 本人曰く、色々やっておいて長窪さんに楽をさせたいらしい。
 俺はあくまで自然な感じで裏口から入ると、八重野ちゃんに挨拶をした。
 八重野ちゃんは早くに来た俺を疑問に思ったようだったが、開店準備が終わったら俺の話を聞いてほしいと言うと了承した。
 作業に取りかかると、予想していたよりも早く準備が終わった。 
 八重野ちゃんの方はどうかと見てみると、ちょうど八重野ちゃんと目が合った。
 多分俺の事を考えているのだろう。
 わかりやすい反応をする八重野ちゃんに、俺はこらえきれずに笑ってしまった。
 八重野ちゃんは俺に怒ると、心配させる俺が悪いと言う。

「皆心配してましたよ」
「あー……」

 一応あいつらも心配してくれたのかとぼんやり思った。
 八重野ちゃんにどうしたのか聞かれて、俺は椅子に腰掛けると八重野ちゃんを隣に誘う。
だが八重野ちゃんは真顔でわかりましたと向かいの席に座った。
 警戒されているみたいで割とショックを受けた。
 気を取り直して本題に入る。
 事のあらましを伝えようとすると、普段は難なく話せるのに、上手く言葉が出てこなかった。
 年下の女の子にこんな話聞いて貰ってる時点で、もう滅茶苦茶ダサい。
 俺は前髪を掻き上げると、笑って誤魔化した。

 八重野ちゃんは絵で、沙也香は進学、北島は就職、智之は音楽。
 俺だけ何もなくて空っぽだと言うと、八重野ちゃんはそんな事ないと俺を慰めた。
 俺の夢は探している最中なだけできっと見つかると言ってくれたが、俺の求める答えはそこにない。
 見つかると思っていたのに何もないのだ。
 興味がある事をやってみたはいいものの、どこかしっくり来ない。
 その上時間ばかりが過ぎるから、俺は焦っていた。

 俺は何をしたらいいと思うか八重野ちゃんに聞いた。
 流れる沈黙が痛い。
 八重野ちゃんはしばらくして口を開くと、最後は俺が決める事だからわからないと答えた。
そりゃそうだと俺は納得したが、次の瞬間に出た八重野ちゃんの言葉に理解が追い付かなかった。

——人の距離の縮め方が上手、気遣いが出来る、優しい、手先が器用。

 なおも言葉を続けようとする八重野ちゃんに、俺は思わず待ったをかけた。
 顔が熱い。
 慌てて八重野ちゃんの手を掴むと、八重野ちゃんは不思議そうな顔をした。
 急に俺を褒め出した理由を聞くと、八重野ちゃんは恥ずかしげもなく見たままを言っただけ、事実を述べただけだと言い切った。
 裏表のない純粋な言葉だ。
それがあまりにもまっすぐすぎて、俺はしばらく言葉を失った。
 顔がもっと熱くなって、照れている事を八重野ちゃんに指摘される。
俺は八つ当たりにテーブルを叩くと、そのまま顔を突っ伏した。
 異性から顔の良さを褒められた事はあっても、内面を褒められたのは初めてだった。
八重野ちゃんからしてみれば褒めたつもりはないのだろうが、俺には褒めたようにしか聞こえなくて困った。

「あーもーマジでなんなの心臓に悪い……これ俺じゃなきゃ絶対勘違いされてるからね」

 八重野ちゃんに文句を言ってもよくわかっていない顔をしていて、俺は肩の力が抜けた。
 溜息をついて、自分が自他共に認めるクズだと八重野ちゃんに教える。
 八重野ちゃんは気のない返事をすると、俺を訝しげな目で見てきた。
 あまり甘やかさないでほしい。
でも本人は甘やかしているつもりはないから、余計タチが悪かった。
 行き場のない感情が胸の奥でずっとくすぶっている。
 テーブルを叩いてみても八重野ちゃんを恨めしげに見ても、それは消えなかった。

……今更、俺が変われる訳がない。

「俺はそんなたいそれた人間じゃないんだって。モテるように見えるだけで、実際は長続きしない薄情者だし」 
「……」
「八重野ちゃんが良いところを言えたのも、俺の一面しか見ていないからで、本性知らないからだよ。知ったらきっとそんな事言えなくなる」

 見つめられるとどうにも居心地が悪くて、俺は目を逸らすと頭を掻いた。
 皆と同じようになれる訳がないと愚痴をこぼす。
 俺は八重野ちゃん達みたいに純粋な人間ではないのだ。
今更夢を持って何かやろうとしたって遅すぎる。
でも何かを始めるのに遅すぎる事はないと、八重野ちゃんに正論を言われてしまって、俺は黙るしかなかった。

 八重野ちゃんは俺なら大丈夫だと言う。
 自信はなかったが、八重野ちゃんが言うなら不思議とそんな気がした。
 俺はまだ俺の事を信じきれていないが、そんな俺を八重野ちゃんが信じているのだ。
それに何とも言えない感情が芽吹いて、俺の燻っていたものにようやく火がついた。
 悪い事ばかり考えていたらそっちに本当に行くと言う八重野ちゃんに頷いて笑う。
 あれこれ考えるより先に、動いてしまった方が俺らしいのかもしれない。
 将来の夢とかそんなのはまだよくわからないし、未来に絶大な希望を抱いている訳じゃないが、俺の人生だ。
 
——好きにしよう。失敗も成功も、どうせ全部自分のものなのだ。

 八重野ちゃんに見つかりそうかもと自分の正直な今の気持ちを言うと、話くらいならいつでも聞くから言ってくださいと優しい言葉が返ってきた。いい子だ。
 思っている事をそのまま口に出すと、八重野ちゃんはいい子じゃないと否定したが、俺は何度もいい子だと言ってやった。
それでもいい子だと認めない八重野ちゃんを頭を撫でて褒める。
 うっかり惚れそうになったとからかうと、八重野ちゃんはいつもの俺に戻ってきましたねと返事をした。
 流石に真面目な八重野ちゃんを動揺させるのは俺には無理だったようだ。
 八重野ちゃんは、俺は料理が上手いからその道に進むのもいいんじゃないかと提案した。
 ちょうど俺も八重野ちゃんと同じような事を考えていたから少しびっくりした。
 俺が店主だったら楽しそうだと言う八重野ちゃんに、俺は嬉しくなってあれこれと考えを巡らせる。
すると八重野ちゃんはイタリアンやフレンチ系なのかと聞いてきた。
 正直俺はそっち方面はハードルが高すぎて全然考えていなかった。
 チャラチャラしているからそっちをすすめたのかと、わざと唇を尖らせて聞くと、西洋料理はチャラチャラしているのかと逆に聞き返された。
 偏見に満ちた事を言うと、しっかり八重野ちゃんは偏見じゃないかと苦笑した。
 イタリアンやフレンチは俺のイメージで他意はないらしい。
 
 どうせならはなまる亭みたいな店をつくりたいという考えが浮かんだ。
 家に居場所がない俺みたいな奴の心の拠り所になるような、ここみたいに居心地がよくて第二の家にしたくなるような、そんな店。
 ただの希望でしかないが、思い付いたものから順に俺は八重野ちゃんに話した。

「やっぱなるなら長窪さんみたいな店主になりたいよな!」

 八重野ちゃんはただただ俺の話を聞いて、頷いてくれた。
 空っぽだった心が少しずつ満たされていくような感覚に、俺は自然と口角が上がる。
ただの開き直りかもしれなかったが、別にそれでも構わなかった。
 今俺が持つこの感情は嘘ではないのだ。
それだけわかっていれば、あとはもう充分だった。

——今変われなくても、変わってもどっちでもいいや。俺は俺だ。

 そんな俺が後日、長窪さんに弟子入りする事になるなんて、周りの人間はおろか俺自身も思ってもみなかった。


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