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最下層
最下層3
しおりを挟む結局僕はシェルアさんの厚意に甘えて、しばらくシェルアさんの家に住まわせて貰う事になった。
家賃や光熱費を払おうにもお金がないため、代わりに家事の手伝いをすると言うと、シェルアさんはそんな事しなくても衣食住の保障はすると言ってくれた。
でも凡人の僕を住まわせたところで、シェルアさんには何のメリットもない。
だから僕は家事の手伝いをするのは当然だと意見をゴリ押しした。
シェルアさんは渋々だったけど、首を縦に振ってくれた。
その後は僕のお腹が鳴って、早めの朝食を摂る事になった。
そんなに長く眠った覚えはないけど、いつの間にか朝を迎えていたらしい。
手当てついでに汚れた身体を拭いてくれたと言うシェルアさんに、僕は申し訳なくなった。
朝食はトーストとオムレツ、サラダ、スープ、フルーツといった、どこの家庭にもありそうなメニューだった。
どれも美味しくて、飲み物のココアの甘さもちょうど良くてほっと出来た。
食事の後はシェルアさんに家の中を案内して貰った。
シェルアさんの家は普通の一軒家より少し広かった。あまりにも豪邸だと掃除が大変だから、その点は良かったと思う。
数ある部屋の中で、一番印象に残っているのは書斎部屋だ。
絶対読まないような本の題名が本棚に並んでいたから、シェルアさんはきっと頭の良い人なのだろう。
僕はふと壁にかけてあるカレンダーに目が留まった。
「あの、そういえばシェルアさんって今日お仕事、は……?」
「今日は休みだよ」
「そうですか。良かっ……いや、良くない! すみません、せっかくの休日なのに僕がいたらゆっくり休めないですよね……!!」
「そんな事ないよ。誰かと朝食を摂るのは久しぶりだからすごく嬉しい」
シェルアさんはそう言って小さく笑った。
優しい言葉に女神ではないかと一瞬錯覚すると、シェルアさんはその昔、僕みたいな行き場のない子供と一緒に暮らしていた事を話した。
その子供はもうすっかり大人になってしまったからこの家にはあまり来ないらしい。
それから話題が変わると、今度はシェルアさんの仕事の話になった。
シェルアさんの仕事は、僕が予想していた警察という職業ではなく、所謂“自由業”だった。
仕事の関係で警察に協力する事はあるけど、基本的に人助けを目的として動いているそうだ。
ハウスクリーニングからいなくなったペットの捜索と、頼まれればなんでもやっているらしかった。
詳細は聞けなかったけど、警察と協力するくらいだから危険な事も恐らくやっているのだろう。でなければ僕が遭遇したあの眼球愛好のような人物に関わる事はない。
僕はあの時あの場所で助けて貰った偶然に、改めて感謝した。
「サンの体調が良ければ日用品を買いに行こうと思っているんだけど、どうかな?」
「荷物持ちですね! 任せてください!」
「ああいや、私のじゃなくて君の。これから一緒に暮らすなら必要な物は揃えておかないと不便だろう?」
「ぁ……は、はい……そうですよね……すみません」
「謝らないで。サンは何も悪くないんだから。ね?」
「ぅ……はい。ありがとうございます」
「よし。じゃあ行こっか」
シェルアさんの後に続いて外へ出る。
昨日見た景色とは全然違って、空には太陽が上がっていた。
——此処が“地下”で、その上“最下層”だなんて、未だに信じられない。
僕の記憶では、最下層は最低最悪の人間が集う、真っ暗で酷く汚れた場所だと話を聞いていた。でも実際に最下層の街並みを見てみると、地上と何ら変わりない景色が広がっている。
手を繋いで歩くカップルに、子供を肩車する父親。その隣にいる母親に、友達の話で盛り上がる学生。自撮りする女の子に、孫に手を引かれる老人。
穏やかでそれこそ何処にでもあるような、平和な日常の一場面だった。
「大丈夫? もしかして何か思い出したとか?」
「あ、いえ……あの時と全然違うから、なんというか、意外で」
「ああ……サンが最初にいたのは治安が悪い所だったから」
「ゔえっ!? 僕そんな危ない所にいたんですか!!?」
驚きながら問いかけると、シェルアさんは小さく頷いて肯定した。
あの時シェルアさんが僕を拾ってくれなかったら、今頃僕はあの狂人に殺されていたか、逃げられたとしても何処かでのたれ死んでいたかもしれない。
最悪な想像が頭を支配した。
「今私達がいる所は最下層の中では治安がいい方だから……って言っても怖いものは怖いか。余計な事言ってごめんね」
「っいや全然! むしろありがとうございます! シェルアさんが僕の事連れて行かなかったら、訳わかんないまま死んでたと思いますし!」
申し訳なさそうにするシェルアさんに食い気味で返事をすると、シェルアさんは目を瞬かせた。
記憶喪失という名目はあっても、素性の知れない僕を気遣ってくれるこの人に、そんな顔をさせてしまうのは嫌だった。
「だからその……謝らないでください。お願いします」
「……サンは優しいなあ」
シェルアさんの目が優しくて、僕はなんだか照れくさくなって頬を掻いた。
少し歩くと、僕達は裏路地にある隠れ家風の洋服店に入った。
「好きな服を選んでいいよ」
「は、はいっ」
安くて機能性が良さそうな物を二、三着買い物かごに入れると、シェルアさんがその上から何着か服を入れた。
シェルアさんも買う服があるんだろうとその時は気にしないでいたけど、レジに行く前に試着を促されて、そこで初めて買い物かごに入れた服が僕のために選んだ服である事に気付いた。我ながら鈍すぎる。
試着してはシェルアさんに見せてを繰り返すと、最終的に十着ほど服を買って貰った。
会計が終わると、店員の人は笑顔で僕達を店先まで見送った。
僕の手には服の入った大きな紙袋が一つある。
「あの、ありがとうございます。こんなにいっぱい買って貰って……」
「どういたしまして。でもまだ買い物は終わってないから、御礼を言うのは少し早いかな」
「まだ買うんですか!?」
「歯ブラシとかマグカップとか買わないと。それに下着も」
……下着は盲点だった。
固まる僕に、シェルアさんは苦笑を浮かべた。
「流石に下着は一人で選びたいよね? 次の店でカード渡すから買っておいで」
「はい……重ね重ねありがとうございます……」
「そんな畏まらなくてもいいのに」
「いえ……ちょっと自分の考えが至らないのが恥ずかしくて……」
「うーん……そこまで気にしなくても大丈夫だぞ? 逆に君が気を遣うと、私まで気を遣っちゃうからやめてくれると嬉しいかな」
「ぅううっ……努力、します」
「まあ性格もあるから、無理のない範囲で。真面目なのがサンの長所でもあると思うし」
僕は歩き始めたシェルアさんを追いかけた。
次の店ではカードを貸してくれるらしい。
基本的な知識は僕の記憶に残っているようで、買い物の支払いに関して特に疑問に思わなかった。
歩いている内に表通りのカラフルな店に着いた。
シェルアさんからカードを受け取って、店に入る。
入店と同時にカランとドアベルが鳴って、店の女の人が僕を見て微笑んだ。
「いらっしゃい。どうぞゆっくり見ていってね」
「あ、ありがとうございます」
僕は店内を回ると、目当ての物を手にして早速レジに向かった。
商品を渡すと、さっきの女の人が商品のバーコードを読み取っていく。
僕はポケットに入れていたカードを取り出して、釣り銭トレーの上に置いた。
「あの、僕、シェルアさんの所でお世話になってて……お会計はこれでお願いします」
「えっ、シェルアさんの?……ごめん貴方、ちょっと待ってて!」
女の人はそう言うなり、店の奥へと引っ込んでしまった。
……もしかして、不審に思われたのだろうか。
そういえばカードは本人しか使っちゃ駄目だったような気がする。通報されたらどうしよう。
ビクビクしながら待っていると、女の人が少し重そうな紙袋を手に戻って来た。
「これ、シェルアさんに渡しておいてくれる? あの人直接だとなかなか受け取ってくれなくて」
「シェルアさんにですか?」
「うん、そう。ウチの母の恩人でね、前々からお世話になってるんだ」
笑顔で話す女の人に、僕はさっきの考えが杞憂だった事に気付いてそっと胸を撫で下ろした。
袋に入っているのは果物で、苺、林檎、バナナ、オレンジ、パイナップルとどれも瑞々しくて美味しそうだった。
「知り合いから貰った新鮮なフルーツ! 朝食に摂るも良し、お菓子作りに使うも良し! だよ!」
「ありがとうございます。シェルアさんに伝えておきますね」
「よろしくね。君も色々あると思うけど、あの人が傍にいるならきっと大丈夫だから」
「えっ?」
「何か訳アリなんでしょ? 顔見てればわかるよ」
女の人は悪戯っぽく笑うと、僕の顔を指差した。
僕は言葉が出てこなくて、上手く返事が出来なかった。
だけど女の人はそんな僕を気にする事なく、また笑った。
「まあ最下層にいる連中なんて訳アリな奴ばっかだよ。気にしないで此処の生活を楽しめばいいさ」
ポンと軽めに肩を叩かれて、さっき買った商品と一緒に果物の入った紙袋を渡される。
「っ、ありがとうございます!」
言葉に詰まったけど御礼をちゃんと伝えると、僕はシェルアさんが待つ店の外へと出た。
「おかえり。ちゃんと買えた?」
「はい。あのこれ、店員さんがシェルアさんにって」
貰ったそれを見せると、僕は借りていたカードをシェルアさんに返した。
シェルアさんは紙袋の中身を見ると、納得したような顔をして、カードを財布にしまった。
「ありがとう。他に何か言ってた?」
「いえ、特には……あ、」
「ん?」
「励まして貰いました。シェルアさんがいるなら大丈夫だって。僕、そんなに不安そうな顔してたんですかね?」
顔に感情が出てしまうのは子供っぽくて恥ずかしい。
羞恥を誤魔化すように頬を掻くと、シェルアさんの手が僕の頭をゆるく撫でた。
「此処は最下層だけど、怖い人間ばかりじゃないし、もし危険な目に遭ったとしてもサンは私が守るからね」
「ぁ……は、はい。ありがとう、ございます……」
今度は羞恥とは違う熱が僕を襲った。
曇りなき眼で君を守るなんて台詞、王子様キャラ以外で聞いたのは初めてだった。
僕みたいな奴が言ったら寒いけど、シェルアさんみたいな人が言うと様になっていた。
僕は頼もしい人だなと思いながら、シェルアさんの話に耳を傾けた。
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