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第1話 拗らせセンサー
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「こちらの書類ですが、第二課税部のレイラ様宛でよろしいでしょうか?」
にこやかに、しかし事務的に。私は受付の女性に書類の束を手渡した。
ここは王宮の税務局。きらびやかな王宮のイメージとは裏腹に、実直で地味な空気が漂うけれど、私にとっては居心地の良い職場だ。
私はいわゆる転生者だ。
記憶が蘇ってから、十年ほど経つだろうか。
現代日本で暮らしていた前世の記憶は、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。不倫相手の奥さんに背中を刺された時の、じわりと広がる熱と痛み。冷たくなる体と薄れゆく意識の中で最後に見たのは、憎悪に歪んだ女性の顔だった。
(ほんと……我ながら、ろくでもない死に方ね)
どういうわけか、好きになるのは決まって彼女持ちの男ばかり。
一度だけ、私に好意を寄せてくれた人と試しに付き合ったこともある。けれど、どうしても本気になれなかった。結局、私が心惹かれるのは手の届かない相手ばかりで、告白しては玉砕し、それでも諦めきれずに最後には体を差し出す。そんな関係を繰り返した末路が、前の人生だ。
(私だって、皆みたいに普通に恋愛がしたい)
そう願っていたはずなのに、この体に生まれ変わっても、私の「拗らせ体質」は健在らしい。今世の私はめぐまれた貴族じゃなく、平民の娘。生活のためにと紹介されたのが、この税務局の仕事だった。
幸い、前世で培った事務スキルはここでも通用した。地球で生きていた頃のようにパソコンこそないものの、膨大な書類を整理して計算を合わせる作業は性に合っている。
物語の主人公みたいな不思議なパワーなんてものはないけれど、平穏な日々には満足していた。
「お疲れ様、ミリア」
自席に戻ると、隣の席のアンナが声をかけてきた。彼女は私より1つ年上で、面倒見の良い先輩だ。
「アンナもお疲れ様。それにしても、今日は一段と忙しいわね」
「ええ、年度末が近いから。そういえば聞いた? 第三課の課長、また奥様と喧嘩したらしいわよ」
「まあ……それは大変ね」
噂話には適当に相槌を打つ。どこの世界でも、人の口に戸は立てられない。特にこの職場は、良くも悪くも人間関係が密接だ。
そんな噂話の中で、ひときわ頻繁に登場する人物がいる。
「……でも、うちの課長は素敵よねぇ」
アンナがうっとりとため息をつきながら、視線を送る先。そこにいたのは、私達の所属する第一課税部の課長、アレクシス・フォン・ベルンハルト様。
すらりとした長身に、陽の光を浴びて輝く金色の髪。彫りの深い顔立ちは、甘さと理知的な雰囲気を同居させている。そして何より、彼の左手の薬指には、銀色の指輪が光っていた。
妻子持ち。しかも、王宮内でも評判の愛妻家。
(……完璧な勝ち組ね)
私の『拗らせセンサー』が、警報を鳴らしている。
あの人に関わってはいけない。絶対に、好きになってはいけない相手だと。
そんなことは分かっている。痛いほどに……。いや、実際痛かったけど。
前世の過ちを繰り返すつもりはない。今度こそ、平穏に生きて、まっとうな幸せを手に入れたい。
――そう固く誓っていたはずだった。
その日の午後、私は大量の資料を抱えて第一課税部の書庫へと向かっていた。前が見えない ほどの書類を運ぶのはさすがに無理があったらしい。廊下の角を曲がった瞬間、誰かにこつんとぶつかってしまった。
「きゃっ!」
ばさりと音を立てて、羊皮紙の束が床に散らばる。
「す、すみません!」
慌てて相手に謝罪し、顔を上げる。そこに立っていたのは――。
「いや、こちらこそすまない。怪我はなかったか?」
柔らかなバリトンボイス。心配そうに私を見下ろす、深い青色の瞳。
アレクシス課長、その人だった。
彼は咎めるでもなく、優雅な仕草で屈み込むと、散らばった書類を拾い集め始めた。その指先の動きひとつですら、洗練されていて見惚れてしまう。
「あ、いえ、大丈夫です! 私が前を見ていなかったので……」
心臓が、嫌な音を立てて高鳴る。
(ダメだ、ダメだ、ダメだ!)
頭の中で必死に警鐘を鳴らす。でも、私の口から出たのは、そんな理性とは裏腹の言葉だった。
「あの、ありがとうございます、アレクシス課長」
書類を受け取るために差し出した指先が、彼の指に、ほんの少しだけ触れた。
その瞬間、ぞくりとした甘い痺れが背筋を駆け上がっていくのを、私は確かに感じてしまったのだ。
にこやかに、しかし事務的に。私は受付の女性に書類の束を手渡した。
ここは王宮の税務局。きらびやかな王宮のイメージとは裏腹に、実直で地味な空気が漂うけれど、私にとっては居心地の良い職場だ。
私はいわゆる転生者だ。
記憶が蘇ってから、十年ほど経つだろうか。
現代日本で暮らしていた前世の記憶は、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。不倫相手の奥さんに背中を刺された時の、じわりと広がる熱と痛み。冷たくなる体と薄れゆく意識の中で最後に見たのは、憎悪に歪んだ女性の顔だった。
(ほんと……我ながら、ろくでもない死に方ね)
どういうわけか、好きになるのは決まって彼女持ちの男ばかり。
一度だけ、私に好意を寄せてくれた人と試しに付き合ったこともある。けれど、どうしても本気になれなかった。結局、私が心惹かれるのは手の届かない相手ばかりで、告白しては玉砕し、それでも諦めきれずに最後には体を差し出す。そんな関係を繰り返した末路が、前の人生だ。
(私だって、皆みたいに普通に恋愛がしたい)
そう願っていたはずなのに、この体に生まれ変わっても、私の「拗らせ体質」は健在らしい。今世の私はめぐまれた貴族じゃなく、平民の娘。生活のためにと紹介されたのが、この税務局の仕事だった。
幸い、前世で培った事務スキルはここでも通用した。地球で生きていた頃のようにパソコンこそないものの、膨大な書類を整理して計算を合わせる作業は性に合っている。
物語の主人公みたいな不思議なパワーなんてものはないけれど、平穏な日々には満足していた。
「お疲れ様、ミリア」
自席に戻ると、隣の席のアンナが声をかけてきた。彼女は私より1つ年上で、面倒見の良い先輩だ。
「アンナもお疲れ様。それにしても、今日は一段と忙しいわね」
「ええ、年度末が近いから。そういえば聞いた? 第三課の課長、また奥様と喧嘩したらしいわよ」
「まあ……それは大変ね」
噂話には適当に相槌を打つ。どこの世界でも、人の口に戸は立てられない。特にこの職場は、良くも悪くも人間関係が密接だ。
そんな噂話の中で、ひときわ頻繁に登場する人物がいる。
「……でも、うちの課長は素敵よねぇ」
アンナがうっとりとため息をつきながら、視線を送る先。そこにいたのは、私達の所属する第一課税部の課長、アレクシス・フォン・ベルンハルト様。
すらりとした長身に、陽の光を浴びて輝く金色の髪。彫りの深い顔立ちは、甘さと理知的な雰囲気を同居させている。そして何より、彼の左手の薬指には、銀色の指輪が光っていた。
妻子持ち。しかも、王宮内でも評判の愛妻家。
(……完璧な勝ち組ね)
私の『拗らせセンサー』が、警報を鳴らしている。
あの人に関わってはいけない。絶対に、好きになってはいけない相手だと。
そんなことは分かっている。痛いほどに……。いや、実際痛かったけど。
前世の過ちを繰り返すつもりはない。今度こそ、平穏に生きて、まっとうな幸せを手に入れたい。
――そう固く誓っていたはずだった。
その日の午後、私は大量の資料を抱えて第一課税部の書庫へと向かっていた。前が見えない ほどの書類を運ぶのはさすがに無理があったらしい。廊下の角を曲がった瞬間、誰かにこつんとぶつかってしまった。
「きゃっ!」
ばさりと音を立てて、羊皮紙の束が床に散らばる。
「す、すみません!」
慌てて相手に謝罪し、顔を上げる。そこに立っていたのは――。
「いや、こちらこそすまない。怪我はなかったか?」
柔らかなバリトンボイス。心配そうに私を見下ろす、深い青色の瞳。
アレクシス課長、その人だった。
彼は咎めるでもなく、優雅な仕草で屈み込むと、散らばった書類を拾い集め始めた。その指先の動きひとつですら、洗練されていて見惚れてしまう。
「あ、いえ、大丈夫です! 私が前を見ていなかったので……」
心臓が、嫌な音を立てて高鳴る。
(ダメだ、ダメだ、ダメだ!)
頭の中で必死に警鐘を鳴らす。でも、私の口から出たのは、そんな理性とは裏腹の言葉だった。
「あの、ありがとうございます、アレクシス課長」
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