キミガネ:天使みたいで悪魔みたいな先輩でした。

シンシア

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第三話 インスピレーションは口笛から

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 志之聡平しのそうへい中堂凛なかどうりんと出会ってから、一週間が経った。あれから聡平そうへいりんと会うことはなかった。しかし、あの日から西門が開いていない日は一度も無かった。聡平そうへいはその都度ありがたく使っているのだが、誰が開けてくれているのやら。

そもそも聡平そうへいりんの居場所が分からない。一年生が三年生である、彼と会うのは至難の業だ。それこそ、向こうから近寄ってきてくれなければ。どうしてだか、無性に謎の先輩のことを、彼が気になり始めた頃である。

 俺は今日こそ先輩を探そうと決意を固めた。そうなれば、まずは情報収集だ。放課後になると、俺の気を引こうと寄って来た同級生の女子たちは、みんな少しずつ離れていって、もう誰も近づいてこなくなった。俺が運動音痴なことをどこかで知ったらしく、ごっそりと俺に対する興味は剥がれ落ちたみたいだ。たぶん、無理矢理体験させられたバスケ部かサッカー部かそれか……。自分に思い当たる節があり過ぎる。

 自席で腕を組んで、いかにも考え中なポーズの聡平そうへいに一人の女生徒が近づいてくる。


「ねぇ。しのくんて、もしかして文化部希望だったりしないかな。最近運動場で姿見ないよね」

「あ、そっーうなんだよね。ちなみに何かオススメとかあったりする?」

「私の? そうだなー。演劇部とか?」

「演劇ね。でも俺、運動音痴だよ。体とか上手く動かせないけど、ちゃんと演じられるのかなぁ」

「あー。そっか、じゃあ体動かすの嫌い? しのくんが舞台に立ったら、きっと画になるなぁって思ったんだ。あ、ごめんね」


 彼女はそう言うと片目を瞑り、指でカメラのポーズをつくる。被写体である聡平そうへいを正面に収める。空気のレンズ一枚越しに彼はそっと笑う。


「もしかして写真部?」

「うん、正解!」

「あ、それとさ。本当に大したことじゃーないんだけど、小柄でおかっぱ頭のズボン履いてる女子見たことない?」


 この子なら、知っていれば答えてくれる気がした。


「あー。待ってね。確かこの前、部室棟にズボンのおかっぱの子いたかも……、あと運動場にもいたっけ。それこそ、しのくんがサッカーやってるところ見てた気がする」

「へー、そうなんだ。 部室棟と運動場ね。ありがとう、佐藤さとうさん」


 俺は目の前のクラスメイトにお礼を言うと、スクールバックを背負って教室から飛び出した。


「うん。こちらこそ……」

 彼女は聡平そうへいが居なくなった教室でぽつり呟いた。

 何気なく呼ばれる名前には思いがけない破壊力があることを、さりげない笑顔の即効性を、聡平そうへいは知っているはずなのに。彼はさらりとスマートにそれをやってのけてしまうのだった。






 聡平そうへいは部室棟を目指した。運動場にはなるべく近づきたくないので、自然と足は部室棟の方へ向かった。手掛かりはクラスメイトからの見たかもしれないという目撃情報と、りんが同好会を立ち上げようと言っていた記憶。部室棟でその準備を何かしらしているのかもしれない。


 俺は部室棟に足を踏み入れた。なぜだか背筋がぴしっとなる。階段を上がると、教室が見える。作りは基本的に教室棟と変わりがない。教室を部活の活動場所として使っているぐらいだ。

漫画研究部、書道部、美術部。教室から漏れ出る会話は心地が良い。同じ目標に進む仲間との会話は、さぞかし刺激的なのだろう。白熱した議論の声や、黙々と打ち込む作業の音。

廊下を進んでいると、吹奏楽部だろうか。楽器の音色が聞こえてくる。練習中のあどけない演奏はどこか、背中に推進力を授けてくれるようで。進んでいる内に階段に差し掛かる。ん?


 吹奏楽部の練習の音に耳がいくら引っ張られていようが。いくら音が小さかろうが、聞き逃すはずがない。自分で作ったメロディを。俺は出しかけた脚と体を急いで引き戻し、階段の様子を窺うように聞き耳を立てる。


「ふんふふふーん、ふーん、ふん」


 鼻歌なのに綺麗な音。そして明らかに俺の曲を歌っている。最近、自意識過剰すぎるのかな。いやいや、まさか同じ学校に三十四人中二人がいるなんていう奇跡は……流石に起こらないと思う。顔なんて確認しなくても分かるのだが、一応確認したい。

俺が顔を出そうとすると、朧げながらに言葉が耳に届いた。幾つかかたまりのある言葉。一節。これは歌詞だ。聞き覚えしかないメロディに、聞き覚えがあるはずがない言葉がのっている。きゅうーっと胸が苦しくなる。

締め付けられて、心臓は口から飛び出そうだ。耳は頭から、勝手に千切れて歩き出しそうなほど、この歌声を離してはくれない。

 アイリスは主にパソコンで作られた音源を投稿している。「インストゥルメンタル」と呼ばれる、楽器のみで作られた曲。ボーカルがない音楽だ。だから、メロディはあっても歌詞がつくことはない。

つまり、聡平そうへいの耳に届いた言葉は、この歌声の持ち主が勝手に考え、当てはめた歌詞ということだ。

 俺は顔を確認することなく、急いで踵を返した。早く帰りたい。早く帰ってこの衝動を形にしたい。これしか頭に無かった。これだけで、今の軽い心を抱えて走るのに十分すぎる原動力だった。



 聡平そうへいは急いで自宅に帰った後、自分の部屋でパソコンと向き合う。手元にはトラックボールが付いたマウスとピアノの鍵盤。これ自体は叩いても音は鳴らない。

この鍵盤とパソコンを繋ぐことで初めて音が出力される。これらの道具を用いて、これから作曲をするというわけだ。

 ヘッドホンから聞こえるクリックの音。正確に刻まれる四つのかたまり。四拍子にあわせて、滑らかとは呼べぬ手つきで鍵盤を叩く。

画面上には、その軌跡がリアルタイムで記録されていく。時には人差し指だけでリズミカルに鍵盤を叩き、時には両手を吸いつけるように、ゆっくりと押し込んでは離し、また押す。記録する音色に合わせて若干のニュアンスを表現する。気分はその楽器の演奏者である。

 俺は無我夢中だった。ただ、あの声を。あの衝撃を。あの気持ちを。どうにかこの曲で表したかった。言葉にせずとも伝わる想いがあるのなら、歌詞などなくても伝わる願いがあると思いたい。

久しぶり、実に一年以上ぶりの打ち込み作業。所々操作がおぼつかないし、思うような形にはならず、完成までに時間は要した。この期間、あの歌声を忘れてなるものかと記憶を呼び起こし続けた。


 それから数日後。俺はスマートフォンに曲を落として、また先輩に会おうと部室棟を目指した。ところが、下駄箱で偶然にも再開出来た。初めて会った時と同じように俺の下駄箱を小さな体は塞いでいる。


「よ。元気してた? 相変わらずの背丈、よく目立つこと。あー、羨ましい限りだねぇ」

りんくん!」

「ん。そんなにボクに会いたかったぁ?」


 先輩は目を細めると、俺のことをじっと見る。あくまで揶揄うような言葉遣いは、そっと肌を撫でられたような感覚がする。


「……もう、ほんと。全っ然、変な、意味じゃ、ないんですけど。今日はりんくんだけにその──聞いて貰いたいものがあって」


 ただ、自分が作った曲を聞かせるだけなのに……。ただ曲を聞かせるだけ⁉ 嚙み砕いてみると、大分恥ずかしい。しかも自分のファンに! 目の前にいる人は自分が一番よく思われたい相手なんじゃないの? 変に意識をしてしまって言葉が上手く繋げられなかった。


「ボ、ボクだけに⁉ う、うん。そっか。じゃあ、例の西門いこっか。あそこは
人滅多に来ないしさ」


 りんも大分戸惑っていたことに、果たして聡平そうへいは気が付いたのだろうか。


 俺は先輩と西門へ向かった。跳ねる心臓を抑えながら歩く。これから告白でもするのかってぐらい緊張している。したことないけど。どうしよう。曲を聞いて、俺がアイリスだって分かってもらえたら、どんな顔をして答えればいい。どんな感情を俺は抱くのだろうか。


「──はい到着。それで、話って何?」

「俺が、作った曲を聞いてほしくて」


 先輩は俺の言葉を聞くなり、ピシッとした目つきを俺に向ける。さっきまでの浮ついた足取りはすぐさま消え失せた。途端に足は小刻みに震え始める。膝から下の感覚が薄くなる。


「曲ねー。聞くだけならいいけどさ。厳しいこと初めに言うと、君じゃボクの創作意欲を掻き立てるの無理だと思うよ」


 言ってくれる。俺の手にあるのは、お前が愛して止まないアイリスの新曲だ。それもまだ公開されていない完全新曲。俺がお前の為に作った、お前だけに聞かせる曲だ。

カチカチカチと、スマホの音量を一気に上げて、曲を再生する。

 ──音楽は鳴る。

 先輩の端正な顔。綺麗な形の耳に俺の作った音楽が確かに届いているはずだ。先輩は一度目を大きくすると、ぎゅっと閉じる。そして、音楽に浸かるように首から脱力する。肩の脱力は腕に伝わりぷらんとする。ゾンビみたいに、だらんとした体勢で、顔は垂れる髪で隠れる。

 俺の耳にも音楽が入ってくる。幾度も聞いて、聴いて、効いて。もう何が正解なのか分からなくなった頃。やっぱり、ある程度弾けるベースは自分で演奏しようか。ベースだけ本物なら、ギターとドラムはどうする? 何度も寝て起きて、新しい耳で確かめて、捏ねくり回した後、完成だと判断した曲。

耳に馴染むとかいうレベルではない。目覚ましの固定パターン1の次に聞いた音楽。だけど、どうしてこんなにも胸が高鳴るのだろうか。

 音楽がフェードアウトする。先輩はゆっくりと上体を起こすと、体の感触を確かめるように首を回しながら、肩なんかを触る。それから、目を開ける。

いつもの先輩のたおやかで温かい顔ではない。冷たい顔。だけど不思議と温かくも感じる。


聡平そうへい


 突然呼ばれる名前。もう呼ばれ慣れ始めてきた名前だけど、この名前はどこか違った。心地の良いソプラノで再生された名前は、新譜のCDを始めて再生した時の、あの高揚感に似ていた。


「はい……」

「さっき言ったこと。訂正させてほしい」


 淡々と続けられた言葉。俺は唾を飲み込む。


「ボクと一緒に音楽をやってください!」


 先輩は頭を下げて手を差し出す。小さな姿がさらに小さくなる。視界の上半分。突如として現れる桜の木。揺れる枝から桜が降っては風に運ばれてどこかへ。ぼんやりとした夢見心地な視界。桜よりも美しい肌色にピントが合わさる。俺はその手を迷うことなく取る。


「こちらこそっ! よろしくお願いします!」


 顔を上げる先輩の顔に、俺の心臓は一度だけ大きく跳ねた。
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