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唯一の長所①
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少し時は遡り――
朝から皇宮へ行っていたフレデリックが屋敷へ戻ったのは昼過ぎのことだった。
万が一にもセシルが同意書を勝手に提出できないよう、念のため不受理の手続きを済ませてきたのだ。
それを知った時のセシルの悔しがる顔が目に浮かぶようで、くくっと喉奥から笑いが込み上げる。
と同時にズキっとこめかみに軽い痛みを覚えた。
昨夜はセシルの件でほとんど寝ることができず、流石に疲れたし眠い。
仮眠でもしようと寝室へ足を向けたところで、偶然通りがかったゾフィーと鉢合わせした。
フレデリックは立ち止まり、無言のまま軽く礼をする。
「ちょうどよかったわ、フレデリック。セシルには婚姻までここに滞在してもらうことにしたから、不便のないようあなたからも気にかけてあげて頂戴」
いつもは顔を合わせても冷ややかに一瞥するだけのゾフィーが、今日は気味が悪いほど饒舌で機嫌がいい。
昔からそうだ。
ゾフィーはセシルを実の娘のように可愛がっている。
名門であるバートン家に憧憬の念があるにしても、フレデリックからすればその愛着ぶりは常軌を逸しているようにも見えるのだが。
「……万事抜かりなく計らいます」
「それと当分火遊びは控えて」
「……努力はします」
「いいわ、その代わり婚姻前にセシルが孕んでも……目を瞑ってあげるから」
冷徹な眼差しで意外な譲歩案を提示するチェスター公爵夫人を、フレデリックは思わずまじまじと見下ろす。
未婚の令嬢にとって貞節とは、命より大切にすべきものと教え込まれる。
だからそれを雑に捨てようとしたセシルは、世間の常識から鑑みれば非常識な異端者ということに他ならない。
誰よりも貴族であることを誇りにし、伝統やらしきたりに煩いこの夫人が、それを曲げてまでこんな提示をするということは……もう既に二人が一線を越えた仲であることを知っているのだ。
しかもそのことを咎めるどころか、むしろ喜ばしく思っている様子だ。
お前の持てるもの全てを使ってでも必ずセシルを手に入れろ――そう言外に告げるゾフィーの真意をフレデリックは敏感に察した。
天邪鬼なフレデリックとしては背きたくもなるが、今は幸か不幸か目的が合致している。
「……心得ました」
「ねえフレデリック、セシルは昔からお前の顔が好きだと言っていたわね。その顔に生まれたことだけが、唯一お前の手柄よ。存分に使いなさいな」
ふっと唇に嘲りを含んだ冷笑を浮かべ、ゾフィーは話は済んだとばかりにスタスタと何処かへ歩き去って行った。
一人取り残されたフレデリックは、胸に湧き上がる昏い衝動に突き動かされるまま、当初とは反対側の方向へ足を向けた。
目的の部屋まで辿り着いたフレデリックは、扉前に待機している侍女と護衛を下がらせ、ノックもせぬまま扉を開いた。
すぐに文句の嵐でも飛んでくるかと思いきや、当の本人はベッドの上ですやすやと寝入っていた。
「おい、セシル」
肩を掴んで揺すってみたが、一向に目覚める気配はない。
ここへ運ぶときも死んだように眠っていたから相当疲れていたのだろう。
無理もない、皇都から辺境伯領は早馬を乗り継いでも一週間、馬車なら半月はかかる。
しかも昨日着いたばかりのようだった上、疲れさせるに一役買った覚えがある。
疲れさせることといえば……セシルの体にはフレデリックの痕跡がかなり残っているはずだ。
そこでセシルのハイネックドレスにようやく目が留まり、次いでその色がフレデリックの瞳の色に似ていることに気づいて、もやっと不快な感情が胸に広がる。
以前のセシルならいざ知らず、今のセシルがわざわざこんな色を選ぶはずがない。
おそらくは侍女、もしくはゾフィーの差金だろう。しかも彼女らは「恋するセシルのため」と完全なる善意であるからタチが悪い。
フレデリックはセシルの体をうつ伏せにし、ドレスを脱がしにかかった。
「ちっ……」
女のドレスは何故こんなにも脱がし難いのだ。
イライラしながらもなんとか破かずに脱がせて床に放り投げ、無防備な下着姿となったセシルを見下ろす。
こんな有様になっても起きないとは……
『大嫌いなフレデリック』と一つ屋根の下にいるというのに、あまりに危機感がなさすぎるだろう。
「セシル」
肩を掴んで表に返すも、セシルの深すぎる眠りを打ち破ることは敵わなかった。
(……目覚めないお前が悪いんだからな)
朝から皇宮へ行っていたフレデリックが屋敷へ戻ったのは昼過ぎのことだった。
万が一にもセシルが同意書を勝手に提出できないよう、念のため不受理の手続きを済ませてきたのだ。
それを知った時のセシルの悔しがる顔が目に浮かぶようで、くくっと喉奥から笑いが込み上げる。
と同時にズキっとこめかみに軽い痛みを覚えた。
昨夜はセシルの件でほとんど寝ることができず、流石に疲れたし眠い。
仮眠でもしようと寝室へ足を向けたところで、偶然通りがかったゾフィーと鉢合わせした。
フレデリックは立ち止まり、無言のまま軽く礼をする。
「ちょうどよかったわ、フレデリック。セシルには婚姻までここに滞在してもらうことにしたから、不便のないようあなたからも気にかけてあげて頂戴」
いつもは顔を合わせても冷ややかに一瞥するだけのゾフィーが、今日は気味が悪いほど饒舌で機嫌がいい。
昔からそうだ。
ゾフィーはセシルを実の娘のように可愛がっている。
名門であるバートン家に憧憬の念があるにしても、フレデリックからすればその愛着ぶりは常軌を逸しているようにも見えるのだが。
「……万事抜かりなく計らいます」
「それと当分火遊びは控えて」
「……努力はします」
「いいわ、その代わり婚姻前にセシルが孕んでも……目を瞑ってあげるから」
冷徹な眼差しで意外な譲歩案を提示するチェスター公爵夫人を、フレデリックは思わずまじまじと見下ろす。
未婚の令嬢にとって貞節とは、命より大切にすべきものと教え込まれる。
だからそれを雑に捨てようとしたセシルは、世間の常識から鑑みれば非常識な異端者ということに他ならない。
誰よりも貴族であることを誇りにし、伝統やらしきたりに煩いこの夫人が、それを曲げてまでこんな提示をするということは……もう既に二人が一線を越えた仲であることを知っているのだ。
しかもそのことを咎めるどころか、むしろ喜ばしく思っている様子だ。
お前の持てるもの全てを使ってでも必ずセシルを手に入れろ――そう言外に告げるゾフィーの真意をフレデリックは敏感に察した。
天邪鬼なフレデリックとしては背きたくもなるが、今は幸か不幸か目的が合致している。
「……心得ました」
「ねえフレデリック、セシルは昔からお前の顔が好きだと言っていたわね。その顔に生まれたことだけが、唯一お前の手柄よ。存分に使いなさいな」
ふっと唇に嘲りを含んだ冷笑を浮かべ、ゾフィーは話は済んだとばかりにスタスタと何処かへ歩き去って行った。
一人取り残されたフレデリックは、胸に湧き上がる昏い衝動に突き動かされるまま、当初とは反対側の方向へ足を向けた。
目的の部屋まで辿り着いたフレデリックは、扉前に待機している侍女と護衛を下がらせ、ノックもせぬまま扉を開いた。
すぐに文句の嵐でも飛んでくるかと思いきや、当の本人はベッドの上ですやすやと寝入っていた。
「おい、セシル」
肩を掴んで揺すってみたが、一向に目覚める気配はない。
ここへ運ぶときも死んだように眠っていたから相当疲れていたのだろう。
無理もない、皇都から辺境伯領は早馬を乗り継いでも一週間、馬車なら半月はかかる。
しかも昨日着いたばかりのようだった上、疲れさせるに一役買った覚えがある。
疲れさせることといえば……セシルの体にはフレデリックの痕跡がかなり残っているはずだ。
そこでセシルのハイネックドレスにようやく目が留まり、次いでその色がフレデリックの瞳の色に似ていることに気づいて、もやっと不快な感情が胸に広がる。
以前のセシルならいざ知らず、今のセシルがわざわざこんな色を選ぶはずがない。
おそらくは侍女、もしくはゾフィーの差金だろう。しかも彼女らは「恋するセシルのため」と完全なる善意であるからタチが悪い。
フレデリックはセシルの体をうつ伏せにし、ドレスを脱がしにかかった。
「ちっ……」
女のドレスは何故こんなにも脱がし難いのだ。
イライラしながらもなんとか破かずに脱がせて床に放り投げ、無防備な下着姿となったセシルを見下ろす。
こんな有様になっても起きないとは……
『大嫌いなフレデリック』と一つ屋根の下にいるというのに、あまりに危機感がなさすぎるだろう。
「セシル」
肩を掴んで表に返すも、セシルの深すぎる眠りを打ち破ることは敵わなかった。
(……目覚めないお前が悪いんだからな)
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