あなたを狂わす甘い毒

アマイ

文字の大きさ
18 / 23
番外編

見守る人々(マーサ視点)

しおりを挟む
「いつもごめんなさいね、マーサ」

「いいえ、奥様そのようなお気遣いは不要です」

むしろ反省すべきはジョエル様の方だ、と鬱血痕まみれのエマ様の首筋やデコルテを見ながら内心密かにため息を零します。

わたくしはマーサ。エマ様専属の侍女を致しております。十六で縁あってヴァルク家に雇われ早十年。大変名誉なことに身一つで嫁がれてきたエマ様の侍女に抜擢され、三月程になります。

婚約者時代のエマ様は、ジョエル様を大層嫌っていらして、ツンケンと人を人とも思わない高飛車な印象がありましたが、ご結婚されてからは何か心境に変化でもあったのでしょうか。とても落ち着いた気さくで快活な女性になられました。

不仲だったお二人を、はじめは皆大層心配しておりましたが、どうやら杞憂だったようですね。

お母様の出自もあるせいか、異常なまでに女性に潔癖なジョエル様が、初夜から毎日欠かさずエマ様の元へ通われているのです。真面目な方なので閨事も義務のように感じているのかと思ったものでしたが、どうやらそうではないようです。

ある時期からどうかしたのではないか、と心配になる程大量の執着の痕キスマーク……ジョエル様はどうやらエマ様に溺れていらっしゃるようです。

エマ様はイマイチ分かっていらっしゃらないようですが、日に日に増えていくキスマークの有様には目眩を覚えるほどです。

全く少しは手加減をして頂きたい、と呆れてしまうのは許して欲しいですね。わたくしも人間ですから。

濃紺のシンプルなハイネックドレスに着替えて頂き、お髪を整え終えた所でコンコン、とノックの音。

「どうぞ」

エマ様はありがとう、と美しく微笑みながら立ち上がりました。

「エマ」

内心噂をすればジョエル様です。
エマ様の病が癒えてから、ジョエル様は大層表情豊かになられました。

今エマ様に向けられている、誰も見たこともないような甘い微笑はきっと無意識のものでしょう。大好きで大好きで堪らない! 感が溢れ出しております。
何だか見ているこちらが恥ずかしくなってしまいますね。

「ごめんなさい、待たせてしまったかしら? 行きましょうか」

優しく微笑み返すエマ様。ああ、眼福! お二人はかくもお美しく尊い!
見慣れているはずなのに、やはり何度見てもお似合いなお二人だと見惚れてしまうのです。

今日はジョエル様の休日で、街へ買い物に行かれるというお二人。無事に送り出してほっと安堵のため息をひとつ。メイク道具を片付けながら、どうか素敵なデートになりますように、と祈ります。

誰がどう見ても相愛のお二人なのですが、何がどう拗れているのかお互い愛の言葉だけは避けあっているように見受けられます。

婚約者時代の不仲が尾を引いているのでしょうか。でも、過去がどうあれ今は憎からず思い合っているように見えるのですが……きっとお二人なりの愛の深め方があるのでしょうね。

とはいえ両片思いのような焦ったいお二人の様子に、早くお互い素直になれば良いのに、などと不敬なことを考えていた所、わたくしを呼ぶ声がしました。

「マーサさん、今少し時間取れますか?」

「まあクルスさん、どうされました?」

「旦那様も奥様もお出かけになられたので、休憩がてらお茶にでもしませんか?」

「ええ、喜んで」





休憩といえば使用人控室。いつもは誰かがいるのですが、今日は珍しくわたくし達だけのようですね。

紅茶を差し出すと、クルスさんはありがとう、と優しく微笑みました。
三十半ばという若さで公爵家の筆頭家令を務めるクルスさんは、普段クールで近寄りがたい方なのですが、オフの際はこうしてとても優しく気さくなナイスミドルなのです。

「マーサさん、奥様の調子はいかがですか?」

「そうですね、体力の方も大分回復されたようで、最近は大層健やかにお過ごしですよ。ああでも……その、できれば旦那様の寵愛をもう少し加減して頂ければ、と……」

クルスさんは途端に苦笑します。

「私の口からは申し上げられない……というより言っても聞かないでしょうね」

「ですよねぇ」

二人同時に、はあっとため息が零れます。主人の身は心配ですが、どうしても越えられない壁があるのです。

「旦那様はとても良い方に変わられました。奥様にはどうか末長く側に居て頂きたいものです」

クルスさんの瞳が優しく細められました。可愛い弟を見守る兄のような柔らかい眼差しです。

「そうですね、これまでがどうであれ、お二人は思い合っていらっしゃいますから」

「まあ、ジョエル様本人に自覚がなさそうなのが一番の問題ですけどね」

「ホントに……早く気付いて欲しいものですね。奥様に愛想を尽かされる前に……」

「やめて下さい、縁起でもない……」

クルスさんが渋面したので思わず笑ってしまいました。

「まあ、今は初々しいお二人を見守って差し上げましょう。それとなく奥様には旦那様のこと褒めちぎっておきますから」

「それはありがたいですね。それでは私は適度に煽っておきましょう。旦那様にはきっと効果テキメンでしょうから」

浮かんだクルスさんの笑みにゾクッとしましたが、ささっと目を逸らして見なかったことにしました。熱い紅茶を啜りながら、今頃しっかり愛を深めていらっしゃると良いな、と私はお二人に思いを馳せるのでした。






「旦那様、奥様お帰りなさいませ」

夕食前にお戻りになったジョエル様とエマ様を、クルスさんと共に出迎えます。

「出迎えありがとう」

にっこりとお美しく微笑むエマ様。そしてそんなエマ様を優しく見つめるジョエル様……お二人を包む空気の濃密さと、今日の戦利品であるらしきそれぞれのピアスとにわたくしはすぐ気が付きました。
さっと素早くクルスさんと視線を交えます。

『デートは大成功のようですね』
『ええ、安心しました』

言葉にすればこんなところでしょうか。
お着替えのため、ここでジョエル様とは一旦お別れです。

「ジョエル、また後で」

「ああ」

エマ様を見つめるジョエル様の目が切なく寂しげで、何だか見ているこちらの方が胸を締め付けられてしまいます。ほんの僅かな時間すら離れたくないとは、どこまでエマ様がお好きなのでしょうね。

「奥様、デートは如何でしたか?」

「とても楽しかったわ。今日は丁度月に一度の青空市で、珍しい品を沢山見て回れたの」

ふふっと思い出し笑いをするエマ様、余程楽しかったのでしょうね。碧のピアスも楽しげに揺れています。

「でもジョエルはあんな地味に装っても、目立ってしまうのよね……」

はあっと物憂げにため息を零されるエマ様。ええと……それはそのままエマ様にも当てはまると思うのですが……エマ様はご自身の美しさには何処か無頓着でいらっしゃいます。

「そうですね、老若男女問わず昔からジョエル様は人目を引いていらっしゃいましたから」

「そう、よね……」

何処か自嘲的なエマ様の笑みが気になりました。ですが立ち入って良い類のものか判断に迷います。

「ねえ、マーサ。仮によ? 気になる男性が可愛らしい女性に優しく微笑みかけていたら……どう思う?」

そんなことがあったのか、と密か驚きつつわたくしは想像を巡らせました。

「そうですね……状況にもよりますが、愛されている自信があるのなら気持ちは揺るぎません。ですが相手の気持ちが分からないままなら……不安になると思います」

エマ様は大きな瞳を更に大きく見開きました。

「そう……ありがとうマーサ」

何処か吹っ切れたような晴れやかな笑みにつられるよう、わたくしも思わず微笑んでいました。

エマ様にヤキモチを焼かせるだなんて、ジョエル様もやりますね。計算のできる方ではないので、きっと無自覚にでしょうけれど。

お二人の気持ちは少し先へ進んだかに見受けられますし、今日のデートは大成功のようですね。

女心に疎いジョエル様の成長ぶりに内心拍手を送りつつ、わたくしはいそいそとエマ様のお化粧を整えはじめました。

今度はエマ様がお心を奪う番です。ジョエル様が言葉をなくすほどお美しく整えて差し上げねば!
密かに闘志を燃やして意気込むわたくしなのでありました。

……その結果どうなったかは、ご想像にお任せすることに致します──
しおりを挟む
感想 172

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。