あなたを狂わす甘い毒

アマイ

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1巻

1-3

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 まさか私の部屋にまで来てくれるとは思わなかった。演技ではなく、今はただ素直に嬉しい。ジョエルは拒絶することもなく、どこか戸惑いがちに私を抱き締め返した。堅い胸板に甘えるよう頬を擦り付けると、ジョエルの腕に力がこもる。

「来てくれて嬉しいわ」
「……俺に話があるんだろう」

 どうやら話を聞いてくれるようだ。私は眉尻を下げながらジョエルを見上げた。

「実は……兄の執務室から不審なノートが見つかって……」
「ノート?」

 私は頷くと、膝に抱えていたノートをジョエルに差し出した。ジョエルは受け取るとそれを様々な角度から眺める。

「鍵はないのか?」
「ええ……持ち主に思い当たる人物は居るけれど、できればその者に知られずに中を見たいの」

 ジョエルはじっとノートにめられた錠を見つめる。

「そんなに複雑なものではない。二、三日もあれば鍵は作れるだろう」
「本当?」
「ああ、それまでこれは預かるがいいか?」
「ええ……ええ勿論よ! 先に中をあらためてくださって構わないわ! ああジョエル、ありがとう!」

 私は涙を浮かべながらジョエルに再び抱きついた。兄が助かるかもしれない。一度うしなったあの痛みを思えばこの身などどうなっても構わない。
 不意にソファに押し倒され、首筋にジョエルの唇が押し当てられる。吐き出された熱い吐息に、発情した雄の気配を感じて私はすっと目を閉じた。
 そう、この身などどうなっても構わない――


 ★


 それから三日後、ジョエルは約束通りノートと共に鍵を私に手渡した。

「ジョエル、感謝するわ! 心から」

 私は感極まって思わずジョエルに抱きついてしまったけれど、当のジョエルは何やら難しい顔をしている。怪訝けげんな顔をすると、ジョエルは早く中を見るよう促してきた。私は頷き慎重に鍵を差し入れ、錠を外す。そしてノートを開いた瞬間言葉を失った。

「裏帳簿だな」
「こん、な……」

 目に飛び込んでくる数字の大きさに目眩めまいを覚える。とても一貴族などがまかなえる額ではない。そして取引先にはドグラ商会の名があった。金さえ払えば死神にだって魂を売る、そんな噂を前世で耳にした名だった。取引されている品目は武器にとどまらず、違法薬物や傭兵の雇用にまで及んでいた。

「これだけ見れば既に小国一国分の兵力に匹敵する。不穏な意図しか感じられないな」
「そんな……兄はこの帳簿の存在を知りませんでした! 何者かが兄をおとしいれようとしているに違いありません! 争いを嫌う優しい兄がこんな恐ろしい企みなど……決して……決して!」

 あとからあとから涙があふれる。私と違って人を疑うことのない素直な性質たちの兄は、裏でこんなことになっているなど知る由もないだろう。やはり前世の兄は無実の罪で処刑されてしまったのだ。
 激しいいきどおりに全身が戦慄わななく。ジョエルはそんな私を思いのほか優しく抱き締めた。

「このノートの持ち主は?」
「……兄の側近のユーレンだと思います」

 几帳面に記されたこの文字は間違いなくユーレンのものだった。

「セドリックの人柄は俺もよく知っている。調べてみよう」

 私はジョエルを見上げた。まさか本当に力を貸してくれるだなんて。前世の彼なら絶対に考えられないことだ。

「ありがとうジョエル……この恩は一生忘れないわ」

 真実心からの言葉だった。この時ジョエルの表情が僅かにやわらいだ気がしたのは、私の願望が見せた幻だったかもしれない――


 翌日目覚めた時、妙に頭がすっきりとして気分が良かった。ジョエルの力添えを得られたことが想像以上に嬉しかったらしい。なんとなく庭園の薔薇が見たくなった私は、マーサを伴って薔薇園を訪れていた。

「奥様! 言付けてくださればいつでもお持ちしますのに」
「ありがとうロン。どうか気にしないで、私ここが好きなの」

 ヴァルク家の庭園は本当に素晴らしい。昔、異国から嫁がれたヴァルク公爵夫人が、故郷をしのんで丹精されたと聞いたけれど、美しいシンメトリーで構成された庭園はこの国では珍しく、見飽きることがない。中でもとりわけ薔薇園を気に入った私は、暇を見ては散歩がてら訪れていた。そのため今生のロンとも大分気安い仲だ。

「ここの庭園はどこを見ても美しく手入れされているわ。余程庭師の腕がいいのね」

 片目をつむるとロンは真っ赤になって俯く。

「いえ、自分はそんな……好きなことしてるだけですから」
「あなた本当に草花が好きなのね」
「はい! 天職だと思ってます! 草花は手をかけただけ応えてくれますから、本当に世話のしがいがあるんですよ。奥様も良かったら鉢植えからでもどうですか?」
「私にできるかしら?」
「大丈夫です。手がかからず簡単なものもあります」
「そう、ならやってみようかしら」
「ええ! 是非! 奥様にピッタリなものを準備してお届けします」
「ありがとうロン。楽しみにしているわね」

 ロンの喜色満面な笑みに心がなごむ。この屈託のなさに癒されたくて、以前の私は彼に身を委ねていたのかもしれない。ふとそんなことを思った。
 数刻後、ロンは約束通り私の部屋まで苗の植えられた鉢植えを届けてくれた。土が乾燥したらたっぷり水を注ぐだけでいいのだという。それなら私にもできそうだ。
 良く日の当たる窓際に鉢植えを置き、まだひょろりと頼りない苗を見つめながら、この花が咲く頃、私は何をしているのだろうかと感慨にふける。
 このままいけば当初の目的である実家の破滅は回避できるだろう。けれど、私とジョエルは?
 何かが変わっていくのか、それとも何も変わらないままなのか――



   第二章 取り戻した記憶


「我がラン王国からのモンテアナ王国視察には、余の名代として第五王子クローヴィスを指名する」

 突然何の前ふりもなく、命令という形で隣国行きとなった俺。正直気分は最悪だ。
 第五王子という肩書は気楽なもので、これまで大して注目されることもなく、余り褒められたことじゃないが自由気ままに生きてこられた。権力の中枢からも遠いし、誰からも期待されないってのはある意味身軽なもんだといがみあう兄貴たちを見て思っていた。
 それが一体何の企みか陰謀か……幼い頃に数か月滞在したことがあるってだけで父の名代として隣国のモンテアナ王国へ来ることになってしまった。ああ、なんて面倒くさい。自由気ままな俺は、堅苦しい公式の場が正直苦手だし大嫌いだ。まあ嫌いだからといって全て避けられるものでもないんだけどな。内心うんざりしながら、着いて早々連れてこられたモンテアナ王宮の豪華な大広間を見渡した。

「おいクローヴィス。お前のための歓迎パーティーなんだから、もう少し楽しそうなふりくらいしろ」
「ああ、なんだフランクか」

 すると貴族たちに囲まれ談笑していたフランクが、苦笑しながらこちらにやってきた。
 友人でもあり、モンテアナの王太子でもあるフランクは、女関係が最高にだらしないことを除けば悪いヤツではない。

「モンテアナは美人も多いんだぞ。気に入った娘がいたら取り持ってやってもいい」
「お前の世話になるほど不自由してねえよ」

 不貞ふてくされたようにグイッとワインをあおる俺をフランクは鼻で笑った。

「ガキだな。おおやけの場でくらい感情はコントロールしろ。いつか足をすくわれるぞ」
「お前は女に足を掬われそうだけどな」

 俺の投げかけた痛烈な皮肉を華麗に無視して、フランクはクイッと顎をしゃくった。

「なあ見てみろよ。美しいよな、エマ嬢……いや、今はヴァルク公爵夫人か。婚約時代は夫との仲が最悪だったらしいが……」

 エマ、という名には聞き覚えがあった。かつてモンテアナに滞在した折、世話になったカレンガ侯爵の屋敷にエマという娘がいた。俺にとっては遠縁にあたる存在でもある。
 興味をそそられフランクの目線を辿たどると、ハッと目の覚めるような美女が令嬢たちに囲まれ談笑していた。あの美女が、本当にエマなのか? だが――

「公爵夫人?」

 俺は眉をひそめる。知らなかった、いつの間にエマは結婚していたのか。愛らしい身振りを交えながら談笑に興じるエマをボンヤリと眺める。
 エマ・ドゥ・カレンガ――今はヴァルク公爵夫人か。
 蜜色の髪に光の加減で不思議な色合いを見せる神秘的なヘーゼルアイ。そしてなにより女神のようなまばゆい美貌が人目を惹く。
 だが俺の記憶の中のエマは、ドレス姿で日がな一日泥だらけになってはしゃぐ少年のような令嬢だった。
 あのエマが、ねぇ。
 こんな絶世の美女になるとは世の中分からないものだ。まあ、彼女は俺のことなど覚えてもいないだろうが。

「お前親戚だろ、挨拶に行くか?」
「バカなこと考えるなよフランク」
「挨拶くらい良いだろ」

 ただの挨拶ならな。フランクは俺ですら閉口するほど女関係に節操がない。立場上許されている部分もあるのだろうが、それにしたってこいつの女好きは病気レベルだ。世界のすべての女は俺のもの、なんて本気で言い出しかねない、それ程女のことになると頭のネジが飛んでいる。いや、そこを除けば本当悪い奴じゃないんだけどな、たぶん……
 俺が止める間もなくフランクはエマに近づいて行く。ったく!

「ヴァルク公爵夫人、ようやく姿を現してくれたね」
「まあ、王太子殿下。こちらから出向かねばならないところを……申し訳ありません」

 なれなれしいフランクにエマは困ったように微笑む。

「顔が見られただけでも嬉しいよ、エマ」

 恐らく勝手に名前を呼んだのだろう、エマは更に困惑しているように見えた。

「フランク、そこまでにしろ」
「固いことを言うなクローヴィス。全く無粋な奴め」

 見かねて近づくと、エマは弾かれたように俺に目を向けた。

「そ、んな……まさか……」

 戦慄わななく愛らしい唇に自然と視線が吸い寄せられる。

「ロヴィ……お兄様?」
「ああ、覚えていてくれたのか! そうだ、君のもう一人の兄クローヴィスだ」

 彼女と共に過ごしたのは幼いころのほんの数か月だ。まさかそんな俺のことを本当に覚えていてくれたとは夢にも思わなかった。予想外に嬉しくて破顔すると、エマの瞳から大粒の涙が零れた。

「エマ?」
「お兄様……ロヴィお兄様! 生きておられたなんて!」

 は? 俺がいつ死んだことに?
 心底怪訝けげんな顔をする俺に、エマは更にボロボロと涙を零す。

「ロヴィお兄様は遠い所へ行かれた、もう二度と会えないのだと父には聞かされていて……だから、その……」

 ああ、なるほどと合点がいく。母が弟を出産する際、俺は遠縁にあたるカレンガ侯爵家に数か月預けられた。両親はかなりの子沢山で、乱暴者でヤンチャな俺が特に邪魔だったのだろう。わざわざ隣国に預けるなんてな。
 エマはすぐに俺に懐いて、もう一人の兄のように慕ってくれた。癇癪かんしゃく持ちで我儘わがまま放題なエマだったけど、俺にだけは従順で素直な様が本当に堪らなく可愛かった。
 だから別れが酷く辛かったのを覚えている。きっともうこんな風に親しくすることは叶わないだろう。幼いながら俺にも分かっていた。だがまさかエマを納得させるためとはいえ、死んだことになっていたとは……

「良かったお兄様……ずっとお会いしたかったんです」

 泣きながら笑うエマが遠い記憶のエマと重なって、何だか胸の奥がくすぐったい。何気なく胸を貸そうかとエマの背に腕を回した瞬間、後ろから肩を掴まれた。

「妻が何か粗相そそうでも? クローヴィス殿下」

 振り向くと、殺してやる、とでも言いたげな鋭い眼差しに射貫かれ、冷や汗が背を伝う。仮にも隣国の王族に、こんなとんでもない殺気を隠そうともしないとは。彼がヴァルク公か、敵に回せば厄介そうな男だ。
 俺は両手を上げて他意がないことをアピールする。

「いや、粗相そそうをしたのは俺の方、かな? 奥方を泣かせてしまい申し訳ない」
「ジョエル、クローヴィス様は幼い頃に遊んで頂いたもう一人の兄のような方なの。私あまりに懐かしくて……クローヴィス様は何も悪くないのよ」

 エマはヴァルク公に駆け寄ると、胸にしがみついて彼を見上げた。恐ろしい程絵になる二人だ。濡れた瞳で公爵を見つめるエマは、全力で彼に頼り切っていて、はかなくも蠱惑的こわくてきに見えた。
 何だ仲良いんじゃないか。二人が婚約者時代、犬猿の仲だったことはフランクから聞いた。だが噂なんてあてにならないものだな。仲よさげな二人を見るに、結婚してみたら案外上手くいったってことなのか? 俺は何だか面白くない気分になる。夫婦仲が良いのは喜ばしいことなんだけどな。
 エマの涙を公爵が指先で拭う。エマは嬉しそうに笑った。花がほころぶようにとても可憐に――
 何だ、これ? グシャリと髪をかきあげる俺を、フランクはニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら見ていた。

「ヴァルク公爵は国で一、二を争う剣豪だ。本気で奪うつもりなら覚悟しろよ」
「は? 奪う? 俺がエマを? 寝言は寝て言え馬鹿馬鹿しい」

 仲睦まじげに寄り添う公爵夫妻を尻目に、俺は胸に突如芽生えた不快なおりに心底困惑していた。


 ★


 ロヴィお兄様が生きていらした!
 今日の主賓が誰かなど聞かされもせずジョエルに連れてこられた夜会だったから、余計に驚きも喜びもひとしおだった。
 以前はこうして偶然にもお会いする機会はなく、ずっとこの世にはいない方だと思っていた。
 会場の隅で談笑するロヴィお兄様を見つめる。
 何故なのだろう、巻き戻った今の生は前世とあまりにも違い過ぎる。まるで欠けた何かを埋め合わせるかのように、以前の誤りを正すかのように。
 ロヴィお兄様とは幼い頃、たった数か月だったけれど、実の兄以上に濃密な時間を過ごした。強くて物知りで、乱暴だけど優しくて。今思えば初恋だったのかもしれない。たとえ亡くなったと言い聞かされていたとしても私はロヴィお兄様が――
 そんな私の視線を遮るようにジョエルが私の前に立つ。私ははっと我に返って殊勝げに俯いた。

「取り乱してごめんなさいジョエル……でもお父様も酷いわ、ロヴィお兄様は亡くなったと言い聞かされていたのよ」
「お前の我儘わがままがあまりに度を越えていたからだろう」

 冷ややかに言い捨てるジョエルをマジマジと見つめる。
 そして眉をひそめるジョエルににっこり微笑んだ。

「私のことを良く分かっていてくれて嬉しいわジョエル。でもあなたのことは決して困らせたくなんてないのよ」

 ジョエルの手を取ってそっと握る。

「あなたにこれ以上嫌われたくないもの」

 つとめて寂しげな微笑を浮かべると、ジョエルはチラリと私を一瞥したきり背を向けてしまった。私は構わず後ろから腕を組む。

「それにね、私は決してあなたの邪魔をするつもりはないのよ」

 本心だった。いずれジョエルがあの女性を選んだら、私はジョエルのもとを去るつもりだ。互いにいがみ合ってきた私達だったけれど、そもそも私が元凶なのだ。最初にジョエルを否定し拒絶したのは私なのだから。

「私はあなたが好きだもの」

 私を見下ろすジョエルの瞳が鋭く光った。

「いい加減本性を現したらどうだ? お前の腐った性根は心得ている。何を企んでいる」
「あなたより素敵な男性なんて居ないもの。確かに私の性根はみにくいけれど、少しでもあなたに近付きたい気持ちに偽りはないのよ」

 ジョエルはくだらない、と鼻で笑うとシガレットルームの方へ足を向けた。
 流石さすがに紳士の社交場にまでついて行くわけにもいかず、ボンヤリとその背を見送る。すると蜜に吸い寄せられる蝶のように、華やかな令嬢達がジョエルを取り囲んだ。
 ジョエルは美しい。一夜の情けを本気で乞い願う令嬢も少なくはない。けれどジョエルは私と違って一途な男だ。花を渡り歩くような遊び方はしなかった。
 ジョエルのような男に本気で愛されたなら――それは本来どれだけ幸せなことなのだろう。けれどその相手は私ではない。
 私にできる最善は可能な限り良好に、円満にジョエルと別れること。そのためにもジョエルとの関係修復は絶対事項だ。以前とは比べ物にならないほど触れ合ってはいても、まだ関係が良好とは言い切れない。
 けれど、私は一人の男とこんなに密に関係するのは初めてで、既に何がしかの情が芽生えかけていた。たとえ乱暴で思いやりがなかろうと、以前のようにジョエルを忌み嫌う気持ちが不思議と湧いてはこなかった。
 この思いの先にある感情など知りたくない。早く現れてと願う。ジョエルが愛する、運命の女性――


 ★


 夜会から数日が経ち、私はジョエルの執務室へと呼び出された。部屋へ入るなりジョエルから書類の束を手渡される。

「これは……」

 ユーレンに関する報告書だった。私はジョエルが居ることも忘れて夢中で書類をめくる。
 報告書によると、ユーレンは私の叔父であるウラニ子爵の隠し子で認知はされていない。幼い頃、実母の死と同時にユーレンはウラニ子爵に引き取られ、諜報員として徹底的に訓練された。隙のない身のこなしはその時身についたもののようだ。やがて歳の近いセドリックお兄様の遊び相手としてカレンガ家に送り込まれ、ユーレンをすっかり気に入った兄はそのまま彼を側近にした。
 ユーレンはウラニ子爵の意に従い行動しているといって間違いなさそうだ。そしてユーレン自身はウラニ子爵が実父であることを知らないらしい。
 読み進めるうち、沸々と疑問が湧いてくる。諜報のプロとして育て上げられたユーレン本人すら知らない秘密事項まで、こんなに短期間に調べ上げられるものなのだろうか。ジョエルの情報網が飛びぬけているにしても、あまりに情報の幅が広すぎる。例えばこれだ。

『ユーレンはエマ・ドゥ・ヴァルクに特別な感情を抱いている』

 更にこれまで関係を持った女性達の名や場所、回数に至るまでつらつらと……本当に良くもまあこんなデリケートな部分まで丸裸にできるものだ。まさかずっと以前から見張っていたとか? 私はほんの少しだけユーレンに同情しつつ、ジョエルの底知れなさに薄ら寒いものを感じた。敵に回せばとんでもなく恐ろしい男だ。
 私は書類から目を離せないままジョエルに問う。

「ユーレンだけでなく、叔父様もお兄様を?」
「セドリックが消えて利を得るのはウラニ子爵だ。ほぼ間違いないだろう」

 この国では女性に爵位継承は認められていない。私の父と兄が亡くなれば、カレンガ侯爵の継承権は父の弟であるウラニ子爵へゆく。そのためにユーレンは叔父の手先として私達に近づいたのだろうか――
 以前の私はおとしいれられ裏切られていることすら知らないまま、この体をユーレンの好きにさせていた。あまつさえ絶対的な味方と信じてさえいたのだ。
 怒りと嫌悪感でゾワリと鳥肌が立つ。なんて愚かな……!

「ジョエル……」

 私は床にひざまずいた。そして自身の無知と無力さに打ちひしがれながら俯けば、ポタリと涙が床に滴り落ちた。真相に近づいたとしても、結局私が頼れるのはジョエルしかいない。だから今は、必死にこいねがうしかないのだ。
 私はジョエルの前でぬかづいた。

「どうか兄を救ってください……兄が救われるためなら私、何でもするわ」

 ジョエルは私の顎を掴んで上向かせ、親指の腹で私の涙を拭った。

「……ならばお前は生涯俺に貞節を誓え」

 予想だにしない言葉に私は目をみはる。
 貞節? 生涯ジョエル以外の男と寝るなということ? そうなると、将来娼館で働くことはできなくなる。仮に再び多額の借金を背負ったとして、何の取り柄もない私には返すあてが――
 そんな束の間の逡巡しゅんじゅんがジョエルを誤解させたようだ。ジョエルは皮肉げに唇を歪める。

「あんなに抱き潰しているのにまだ足りないのか? この淫乱が」
「違う、あなた以外の男なんて要らないわ。ジョエル、私の生涯の貞節をあなたに捧げます」

 私に差し出せるものがあるのなら何だって差し出す。あの未来を変えられるならこの命すら惜しくはない。
 躊躇ためらいを捨ててジョエルの指先に口付けると、ジョエルは私の両手を掴んで立ち上がらせた。
 ぐいと腕を引かれ、私は倒れ込むようにジョエルの胸に飛び込む。

「いいだろう、セドリックは必ず助ける。ただし」

 低められた声とともに強い力で顎を掴まれた。

「あぅっ……」
「誓いを破ったらすぐさま殺してやる……!」

 背筋がゾクリと粟立あわだつ。
 ジョエル、あなたはどれ程私を憎んでいるというの?
 くらい深淵を思わせる瞳には、燃え上がるような激しい感情の揺らぎが見えた。何故だろう、この時の私には、彼が手負いの獣のように見えた。
 私はジョエルの両頬を掌で包んで、いたわるように優しく撫でる。

「いいわ、その時は必ずあなたの手で殺して」

 かつてあんなに好き勝手させていた私に貞節を誓わせるだなんて、一体どういうことなのだろう。以前の婚姻期間は二年だったけれど、その間ジョエルに会ったのは片手で数える程。夫婦であったのに私はジョエルという男をまるで知らないのだ。
 あなたは今何を思っているの?
 初めてジョエルの心が知りたいと思った。吸い込まれそうな紺碧の瞳を覗き込むと、真っ直ぐな眼差しで返される。
 この瞳に私はどう映っているのかしら?
 伸び上がって今度はジョエルの唇に口付けると、ジョエルは角度を変えながらそれを深いものにする。
 胸元から手を入れられ、器用にドレスの下のコルセットの紐が解かれる。ドレスが引き下ろされ、零れ出た乳房をジョエルの大きな掌が荒々しく掴む。私はジョエルの背に腕を回して、突き出た肩甲骨を掌で覆った。
 私の生涯ただ一人の男――その酷く甘やかな響きにうっとりする。たとえ終わりの見えた関係だとしても、生涯誓いは守ろう。

「ジョエル……私には、んっ……あなた、だけ……」

 ジョエルはねっとりとねぶるように私の舌に彼の熱い舌をからめた。同時に下着の中に指を差し入れると、すぐに私の膨らんだとがりを探り当てた。そしてそのまま優しくなぞるように撫で上げられ、背筋から脳天へと疼きが這い上がってくる。

「ああっ……!」

 立ったまま腰を抱えられ、下から突き入れられた。私は振り落とされないよう首にしがみついて、ジョエルの腰に足を巻きつける。
 さっきまで見ていた書類が執務机に散らばるのを気にする余裕もなく、ジョエルは私を抱きしめたまま奥を穿うがった。不意打ちに弱いところを突かれて軽くってしまう。今までなら悔しがって歯噛みするところだけれど、今は素直に快感に身を委ねたかった。
 私にとって唯一の男。そう思えばこそ、このセックスが特別なものに思えた。

「ジョエル……きもち、ぃ……もっと……ああっ!」

 激しく腰を打ちつけ奥を穿うがたれるたび、堪らない快感がせり上がってくる。体を大きくらせ、私はジョエルに抱かれて初めて心からの絶頂に身を震わせた。
 同時に膣内なかが大きくうねってジョエルのものをきつく締めあげる。ジョエルは低く呻くと抽挿ちゅうそうを速め、最奥で熱い飛沫ひまつを放った。快楽に歪む顔すらジョエルは美しい。荒い息を吐きながら私の胸に倒れ込むジョエルを両手で抱きしめる。

「好きよジョエル」

 ジョエルは不機嫌そうに眉間にシワを寄せると、乳房を吸い上げて真っ赤な花を散らした。


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