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第2話
鎧を脱げない彼女と心溶かすカボチャ
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第2話 鎧を脱げない彼女と心溶かすカボチャ
人の流れも疎らになってきた頃、都会の路地裏にひっそりと灯る「ヒマワリ」の看板。
「カランコロン」と乾いたドアベルの音が響いた。
入ってきたのは仕立ての良い紺のスーツに身を包んだ女性理沙(35歳)だった。彼女の肩はまるで見えない重しを乗せているかのように硬く表情には一切の隙がない。
「……まだ、大丈夫ですか?」
カウンターの端、いつもの「定位置」に座っていたジャンガリアンハムスターのちび先生がひげをぴくっと動かした。
「いらっしゃいませ。ちょうど誰かが来る気がして火を止めたところです」
MIKAが笑顔で迎える。
理沙は一瞬店主がハムスターであることに目を見開いたが、あまりの疲労からか深く追及する気力もないようだった。彼女は力なく椅子に沈み込むとメニューも見ずに呟いた。
「なんでもいいわ。……温かくて、私を否定しないものを」
調理場へ向かおうとするMIKAの背中にちび先生のテレパシーが飛ぶ。
『MIKA、彼女の匂いを嗅いでごらん。焦げ付いたプライドと冷え切った涙の匂いだ。今の彼女には噛み砕く力すら残っていないよ。』
MIKAは静かに頷き、冷蔵庫からずっしりと重いカボチャを取り出した。
理沙はバッグから画面の割れたスマートフォンを叩きつけるように置いた。
通知は止まっている。それが彼女がもう「必要とされていない」ことを何よりも残酷に物語っていた。
「あんなに尽くしたのに。……土日も、深夜も、自分の生活なんて全部後回しにして。私が育てたプロジェクト、私が守ってきたクライアント。それを全部、昨日入ったような若手に『リフレッシュのため』なんて理由で笑顔で引き継がされたの」
彼女の指がカウンターの縁を白くなるまで握りしめる。
「上司は言ったわ。『君の功績は忘れない。本当にお疲れ様』って。……ねえ笑っちゃうでしょう? 10年の重みがたった5文字の『お疲れさま』で決済されちゃった。まるで使い古した事務用品を廃棄する時みたいな軽い声だった...。」
彼女の瞳に怒りよりも深い虚無の色が広がる。
「私、何のためにあんなに牙を剥いて戦ってきたんだろう。あんなに高いヒールを履いて、誰にも弱みを見せないように声を荒らげて……。結局、鎧を脱いだら中には空っぽの乾ききった私しか残ってなかった」
理沙は震える手で自分の細い肩を抱いた。
「……寒いの。今の私...どこの誰よりも冷え切ってる気がするのよ」
誰に言うでもない独り言にちび先生がトコトコとカウンターを歩み寄り、彼女のスマートフォンのすぐ横で座り込んだ。
「人間というのは不思議だね。自分を守るために『鎧』をまとうが、その鎧が重すぎて自分自身を押し潰していることに気づかない」
理沙が顔を上げた。
「……ハムスターが、説教?」
ちび先生は理沙の震える指先をじっと見つめ静かに髭を揺らした。
「君は『使い古された』と言うがそうではない。使い込まれたのだよ。何年もかけて自分以外の誰かのために。それは誇るべき摩耗だ。……いいかい、人間は中身が空っぽだから震えるんじゃない。中にある大切なものを守ろうと心が必死に熱を出し合っているから震えるんだ。今はただ、その熱が外に漏れ出しているだけだよ」
そう言うとちび先生は彼女の手に触れんばかりに歩み寄った。
「鎧を脱ぐのは負けではない。次の季節にふさわしい服を選ぶための神聖な儀式なのだから。ここは止まり木だ、羽根を休めるためにわざわざ鎧を着ておく必要はない」
理沙の瞳がふっと揺れた。
「お待たせしました。カボチャのポタージュです」
MIKAが差し出したのは深い琥珀色のスープボウル。
生クリームで描かれた真っ白な円の上に砕いた香ばしいアーモンドとほんの一振りのシナモン。
理沙はスプーンを取りゆっくりと口に運んだ。
カボチャの濃厚な甘みが舌の上で優しく解ける。バターのコクと隠し味に加えた少量の白味噌が、冷え切った内臓をじわじわと温めていく。
「……あまい」
「裏ごしを丁寧にして、雑味を全部消しました。でも、カボチャ本来の強さは残してあります。理沙さん、あなたみたいに」
MIKAの言葉に、理沙の手が止まった。
「私に、強さなんて……」
「ありますよ。だって、こんなに傷ついているのに今日まで投げ出さずに戦ってきたんですから」
理沙の目から大粒の涙がスープに落ちそうになった。彼女は慌てて顔を伏せ声を殺して泣いた。
ちび先生は彼女の手にそっと小さな前足を乗せた。その温かさはまるで魔法のように彼女の強張った心を溶かしていった。
しばらくして、スープを飲み干した理沙の顔には入店時のような険しさはなかった。彼女はパンプスを少しだけ脱ぎ足首を回して小さく笑った。
「ごちそうさま。……明日、会社に寄って荷物をまとめてきます。一度ちゃんと休むために」
「それがいい。止まることは後退ではないからね」
ちび先生が満足げに毛繕いを始める。
理沙が店を出た後、夜風に乗って少しだけ軽やかになった足音が響いていた。
理沙が扉を閉めた後も店内にはシナモンの甘い香りが淡く残っていた。
「先生、彼女笑ってましたね」
MIKAが呟くとちび先生は満足げに毛玉を整えた。
「ああ。重い鎧を脱いだ後は、誰だって羽が生えたように軽いものさ」
【今夜の献立帖】
• カボチャのポタージュ
• ポイント: 皮を厚く剥いて丁寧に裏ごしし、豆乳とバターで仕上げる。隠し味の白味噌が、孤独を癒す深いコクを生む。
人の流れも疎らになってきた頃、都会の路地裏にひっそりと灯る「ヒマワリ」の看板。
「カランコロン」と乾いたドアベルの音が響いた。
入ってきたのは仕立ての良い紺のスーツに身を包んだ女性理沙(35歳)だった。彼女の肩はまるで見えない重しを乗せているかのように硬く表情には一切の隙がない。
「……まだ、大丈夫ですか?」
カウンターの端、いつもの「定位置」に座っていたジャンガリアンハムスターのちび先生がひげをぴくっと動かした。
「いらっしゃいませ。ちょうど誰かが来る気がして火を止めたところです」
MIKAが笑顔で迎える。
理沙は一瞬店主がハムスターであることに目を見開いたが、あまりの疲労からか深く追及する気力もないようだった。彼女は力なく椅子に沈み込むとメニューも見ずに呟いた。
「なんでもいいわ。……温かくて、私を否定しないものを」
調理場へ向かおうとするMIKAの背中にちび先生のテレパシーが飛ぶ。
『MIKA、彼女の匂いを嗅いでごらん。焦げ付いたプライドと冷え切った涙の匂いだ。今の彼女には噛み砕く力すら残っていないよ。』
MIKAは静かに頷き、冷蔵庫からずっしりと重いカボチャを取り出した。
理沙はバッグから画面の割れたスマートフォンを叩きつけるように置いた。
通知は止まっている。それが彼女がもう「必要とされていない」ことを何よりも残酷に物語っていた。
「あんなに尽くしたのに。……土日も、深夜も、自分の生活なんて全部後回しにして。私が育てたプロジェクト、私が守ってきたクライアント。それを全部、昨日入ったような若手に『リフレッシュのため』なんて理由で笑顔で引き継がされたの」
彼女の指がカウンターの縁を白くなるまで握りしめる。
「上司は言ったわ。『君の功績は忘れない。本当にお疲れ様』って。……ねえ笑っちゃうでしょう? 10年の重みがたった5文字の『お疲れさま』で決済されちゃった。まるで使い古した事務用品を廃棄する時みたいな軽い声だった...。」
彼女の瞳に怒りよりも深い虚無の色が広がる。
「私、何のためにあんなに牙を剥いて戦ってきたんだろう。あんなに高いヒールを履いて、誰にも弱みを見せないように声を荒らげて……。結局、鎧を脱いだら中には空っぽの乾ききった私しか残ってなかった」
理沙は震える手で自分の細い肩を抱いた。
「……寒いの。今の私...どこの誰よりも冷え切ってる気がするのよ」
誰に言うでもない独り言にちび先生がトコトコとカウンターを歩み寄り、彼女のスマートフォンのすぐ横で座り込んだ。
「人間というのは不思議だね。自分を守るために『鎧』をまとうが、その鎧が重すぎて自分自身を押し潰していることに気づかない」
理沙が顔を上げた。
「……ハムスターが、説教?」
ちび先生は理沙の震える指先をじっと見つめ静かに髭を揺らした。
「君は『使い古された』と言うがそうではない。使い込まれたのだよ。何年もかけて自分以外の誰かのために。それは誇るべき摩耗だ。……いいかい、人間は中身が空っぽだから震えるんじゃない。中にある大切なものを守ろうと心が必死に熱を出し合っているから震えるんだ。今はただ、その熱が外に漏れ出しているだけだよ」
そう言うとちび先生は彼女の手に触れんばかりに歩み寄った。
「鎧を脱ぐのは負けではない。次の季節にふさわしい服を選ぶための神聖な儀式なのだから。ここは止まり木だ、羽根を休めるためにわざわざ鎧を着ておく必要はない」
理沙の瞳がふっと揺れた。
「お待たせしました。カボチャのポタージュです」
MIKAが差し出したのは深い琥珀色のスープボウル。
生クリームで描かれた真っ白な円の上に砕いた香ばしいアーモンドとほんの一振りのシナモン。
理沙はスプーンを取りゆっくりと口に運んだ。
カボチャの濃厚な甘みが舌の上で優しく解ける。バターのコクと隠し味に加えた少量の白味噌が、冷え切った内臓をじわじわと温めていく。
「……あまい」
「裏ごしを丁寧にして、雑味を全部消しました。でも、カボチャ本来の強さは残してあります。理沙さん、あなたみたいに」
MIKAの言葉に、理沙の手が止まった。
「私に、強さなんて……」
「ありますよ。だって、こんなに傷ついているのに今日まで投げ出さずに戦ってきたんですから」
理沙の目から大粒の涙がスープに落ちそうになった。彼女は慌てて顔を伏せ声を殺して泣いた。
ちび先生は彼女の手にそっと小さな前足を乗せた。その温かさはまるで魔法のように彼女の強張った心を溶かしていった。
しばらくして、スープを飲み干した理沙の顔には入店時のような険しさはなかった。彼女はパンプスを少しだけ脱ぎ足首を回して小さく笑った。
「ごちそうさま。……明日、会社に寄って荷物をまとめてきます。一度ちゃんと休むために」
「それがいい。止まることは後退ではないからね」
ちび先生が満足げに毛繕いを始める。
理沙が店を出た後、夜風に乗って少しだけ軽やかになった足音が響いていた。
理沙が扉を閉めた後も店内にはシナモンの甘い香りが淡く残っていた。
「先生、彼女笑ってましたね」
MIKAが呟くとちび先生は満足げに毛玉を整えた。
「ああ。重い鎧を脱いだ後は、誰だって羽が生えたように軽いものさ」
【今夜の献立帖】
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