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しおりを挟む(あー、最悪。人生で初めて寝違えた)
アリーチェ・グランディは、その日をとても楽しみにしていたのに婚約パーティーの当日に寝違えてしまったことに憂鬱な気分になった。すぐに医者を呼んで診てもらうことにしたのだが、アリーチェは医者に診てもらうなりこう言った。
「あの、すぐに治してもらえますか? どんな苦い薬でも文句言わずに飲みますから」
藁にも縋る思いで、我が家によく来ている医者にそう言っていた。この医者がよく来ているのは、母を週1で診察しているからだ。季節の変わり目になるといつも体調を崩す。
だから、この時期になると父は母を連れ立ってパーティーには出席しない。無理やり出席を促す者がいないのは、母が元王女だからだったりする。
国王や王妃が気遣っているのは、元王女というだけではない。2人のことをくっつけることに奔走したことがあるらしく、他にも色んなところで仲の良い夫婦をくっつけていたらしく、体調が優先されている。
そのおかげというのも何だが、アリーチェたちは周りに何かとよくしてもらっていた。特にアリーチェは、母に似ていると思われていて可愛がってもらっている。アリーチェ本人は似ているとは欠片も思っていないが。似ていると思われて恩恵に預かっているのだ。騒がず、かと言って、違うとも言わずに曖昧にしたまま、利用させてもらっているのは、内緒だ。
そんな主治医は、色々と残念なものを見る目を必死に隠しながら、こう言った。
「アリーチェ嬢。寝違えたものは、首にコルセットをして安静にして治すしかありません」
「明日からの安静じゃ駄目ですか?」
この期に及んで、アリーチェは必死だった。
医者は、アリーチェに慣れているつもりだが、何を言っているんだというまなざしを隠すことをやめていた。まぁ、無理もない。アリーチェは、かなり無茶苦茶なことを言っている。自覚はある。
(今日をどれだけ楽しみにしていたことか。親友の婚約披露パーティーなのに行けないなんて悲しすぎる)
必死さがおかしなことになっていることにアリーチェは気づいていなかった。
「今日からしばらくは、首のコルセットをつけたままで安静していてください」
「今日は、パーティーがあるんです。親友の婚約披露パーティーなんです」
「コルセットなしでドレス着て踊る気ですか? 首が何しても痛いままになったら、安眠できなくなりますよ?」
「……」
流石にそう言われて、それでも行きたいと言えなかった。安眠を邪魔されたくはない。
(それでも、今日は……)
アリーチェは、親友の婚約パーティーに行くのをやめると言えなかった。どのパーティーよりも、アリーチェがここまで楽しみにしていたパーティーはなかった。
踏ん切りはすぐにつけられなかったが、首のコルセットはしっかりつけてもらっていた。もはや外して動くなんて考えられなくなっていた。
「アリーチェ。無理はしない方がいいわ」
「お母様」
「お詫びのお手紙を出しましょう。わかってくれるわ。それにアリーチェ、その角度が楽なのはわかるけど、ちょっと怖いわ」
「……そうします」
母にそう言われて、アリーチェは項垂れたくても、それすら痛みに悶絶することになり、そう言うしかなかった。
それに医者は、ホッとしながら、にっこりと笑って告げた。
「薬を出しておきますから、きちんと飲んでくださいね」
「……それって」
「よくなるための薬ですから、必ず飲んでくださいね」
「……」
絶対に苦いやつだと思ってアリーチェは、無言でいた。苦いのがとにかく苦手なのだ。それをわかっている医者と母は無言を貫いて、そっと視線をそらすアリーチェにため息をつきそうになっていた。
「アリーチェ。飲むわよね?」
「……」
「ちゃんと飲めるわよね? できないなら、私が手伝うわ」
そう言いながら、母が咳き込んでいた。それに医者が慌てて診察し始めた。
「わ、私は大丈夫よ。それより、アリーチェが心配だわ。飲みきるのを手伝わなきゃ」
「あの、1人で飲めます」
母が咳をしながらも笑顔で、薬を飲ませようとするのを怖いと思ったのは、初めてだった。
そして、アリーチェは泣きそうになりながら、婚約パーティーに行けなくなったと手紙を書いた。理由を誤魔化そうとしたが、誤魔化したところでバレることになるのを天秤にかけて、誤魔化さないことにした。
(親友が笑ってくれるなら、いいや)
そんなこんなで、すっかり忘れていた。アリーチェの婚約者の存在を。
だが、この招待もアリーチェがメインで、その婚約者を招いていることもあり、アリーチェが行けないのに1人で行くには婚約している子息だけでは、親友が困るだけになる。
そのことをすっかり忘れていた。
出席を取りやめることになったのは、割と早かったが、最悪なことには続きがあった。医者の出した薬も最悪ではあったが、それはまだマシだった。
(すっかり忘れていた)
アリーチェは、婚約者が来たと聞いて玄関に向かいながら、そんなことを思った。安静にしていろと言われてはいても、それを忘れてたアリーチェは仕方がないと部屋から出た。
そして、婚約者はアリーチェを見るなり……。
「お前、マジか」
「……」
幼なじみで婚約者のステルヴィオ・エスポージトに大笑いされることになった。アリーチェを迎えに来た玄関で、ステルヴィオはお腹を抱えて笑って泣いていた。笑いすぎて、咳き込んでいた。
どうやら、首にコルセットをつけたアリーチェが面白くて仕方がないらしい。
(そこまで笑うのね。……親友も、あの手紙で笑ってくれているといいけど)
親友に笑われるのはいい。でも、この男だけは……。
(笑われているのを見ていると殺意を抱くわ。……この笑われ方、物凄く嫌いなのよね。何で、こんなのと婚約したんだろ)
アリーチェは、幼なじみだからと彼の母親に押し付けられたようなものだ。幼なじみだからって、押し付けられても困る。
この笑い袋と化したのをどうしたものかと思っていると……。
「何をしているんだ?」
「エルネスト様」
「ごほっ、ごほっ」
エルネスト・カルヴィは、アリーチェの姉の婚約者で、玄関で笑い転げているステルヴィオを眉を顰めて見下ろしていた。その目は、人を見る目をしていなかった。
「こ、こいつが、寝違えたのが面白くて」
「は?」
「本当に笑えるわ。こんな日に寝違えるんだもの」
「……」
幼なじみと姉のマッダレーナ・グランディは、アリーチェが寝違えたというのが面白くて仕方がなかったようだ。
(まだ、笑うのね)
姉には、今日は朝からずっと笑われていた。それだけでも、げんなりしているのに。そこにステルヴィオまで加わって苦しそうにしながら、ずっと笑っている。
昔からそうだ。この2人はアリーチェだけでなくて誰かが苦しんでいると面白いと笑うのだ。母のことで笑っていて、父にどれだけ雷を落とされたか数えるのも馬鹿らしいほどやっているのにこりていない。
「マッダレーナ。何が、そんなに面白いんだ?」
「え? 見た通りではありませんか」
「そうですよ」
エルネストが、マッダレーナに尋ねて、ステルヴィオもその通りとばかりにしていた。それにエルネストは不愉快そうにしていた。
「そうか。私は、君たちが不愉快でならない」
「「え?」」
「アリーチェ嬢は、今日は出席しないのだな?」
「えぇ、もう謝罪の手紙を送ってあります」
「はぁ?! 何だよ、それ! 聞いてないぞ!!」
「そこは、完全に忘れていたわ」
「っ!?」
ステルヴィオが、それはあり得ないと怒っていたが、エルネストはそれを聞いていて、こう言った。
「悪いが、マッダレーナ。君を連れて出かける気が失せた」
「なっ、何を今更、おっしゃるんですか!?」
「今日は、アリーチェ嬢の親友の婚約パーティーだ。アリーチェ嬢がこんな時に笑っているような姉を連れて行きたくない。今後も、君と出かける気はない。婚約を破棄させてくれ」
「っ、」
それに怒ったのは、マッダレーナではなくてステルヴィオだった。
「いきなり、何なんですか?! あんまりじゃないですか! こいつを笑ったくらいで、破棄するなんておかしすぎる!!」
「その言葉、そっくり返す。婚約者の苦しんでいる姿を見て笑っているのも、身内を笑っているのも、私には考えられない。そんなのを連れ歩いて同じだと思われたくない」
どうやら、アリーチェを笑っているマッダレーナに嫌気がさしてしまったようだ。わからなくはないが。
(親友は、姉は私のついでに呼んだようなもので、エルネスト様が婚約者だから呼んだだけなのよね)
こうなると親友は、姉が行かないことに喜ぶ姿しか浮かばなかった。
「……お前のせいだぞ」
「?」
「お前が、寝違えたりするから、マッダレーナ姉さんが破棄になったんだぞ!」
「……」
(何を言っているのよ。いずれこうなるだけだっただけでしょうが)
ステルヴィオの言葉にアリーチェは絶句してしまった。幼なじみで、マッダレーナのことを自分の姉のように懐いているのはわかっていたが、そんなことを言われるとは思いもしなかった。
そこから、ステルヴィオに婚約破棄すると言われて驚くことになったが、マッダレーナと婚約すると言い出したのに白けた目を向けるだけだった。
(まぁ、いいか。言い出したのは、ステルヴィオだし)
アリーチェが、そんなことを思っていたところに現れたのは……。
「あら、まだいるの?」
「そろそろ出かけないと遅刻するぞ」
両親は、玄関先で揉めているところにやって来た。姉の方がでかけると思って声をかけたのだが、娘たちの婚約が破棄になったことや新しく婚約したいと言い出すのに目を丸くして驚いていた。
(ずっと聞いていた私も、わけがわからなくなっているわ。何でここで姉妹揃って破棄になっているんだか。……親友に話す話題が増えていく)
ただ、エルネストだけが寝違えたアリーチェのことを気遣ったまま心配そうに帰って行った。
(寝違えてよかったかも)
親友の婚約パーティーに行けなかったのは残念だったが、それよりもいいことはあった。アリーチェは、幼なじみとの婚約破棄についてそんなことを思っていた。
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