私の感情が行方不明になったのは、母を亡くした悲しみと別け隔てない婚約者の優しさからだと思っていましたが、ある人の殺意が強かったようです

珠宮さくら

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ヴィルジ国。海の幸にも山の幸にも恵まれた国で、観光客が年中多く訪れて来るため、いつも街は賑わっている。そんな国に王女として生まれたアデライードは、とある子息と婚約した。


「まぁ、王女様とあの方が婚約を?」
「さぞ、お似合いでしょうね」
「これで、王女様の笑顔が見れる日も近いわね」
「えぇ、きっと、あの方が側にいれば、王女様のお心も晴れますわ」


婚約した話題は瞬く間に国中に広まったようだ。アデライードは、その話をされても、一喜一憂することはなかった。盛り上がっていたのは周りだけで、アデライードの気持ちは置き去りになったままだった。

アデライードが婚約した相手の名前は、オーレリア・ラブラシュリ。公爵子息で、ヴィルジ国で知らない者がいないほどの美形で、将来をみんなから有望視されるほど優秀。更には別け隔てなく、誰にでも優しい人と知れ渡っている。

だから、婚約の話題も表向きは褒めちぎったり、これからが楽しみだとか、そう言うものだった。でも、その話題も雲行きが怪しくなったのは、割とすぐのことだった。


「アデライード様、おはようございます」
「……おはよう」


アデライードのことを見かけたら声を必ずかけてくれる。婚約した王女にも他の女性同様に優しくしてくれているし、同じように気遣ってくれてもいる。婚約する前と後で優しさが変わったかと言うとそこに変わりはない。それまでと一緒で一切のブレもなかった。


「よろしければ、教室まで荷物お持ちします」
「……自分で持てるからいいわ」
「そうですか?」


アデライードが、断るとすぐに視界に入った他の令嬢たちに挨拶しに行った。そして、同じように荷物うんねんと言葉をかけていた。

朝から大忙しだ。そして、これが見慣れた光景となっていた。


「婚約しても、しなくても変わらない方よね」
「本当ね」
「……」
「アデライード様、まいりましょう」


本当に何も変わっていない。婚約前から、あの調子で、学園では見慣れた光景になっていた。婚約する前までは、そう言われて遠慮しているようで持ってもらっている令嬢は、ちらほらいた。


「よろしければ、教室までお持ちしますよ」
「あら、そう? なら、お願いしようかしら」
「……わかりました」


もっとも、お願いした時に間があいたりすることはよくあった。頼んだ方は、気を良くして気づいていない者が多かったが、傍から見ていると……。


「あれって、絶対ただの社交辞令よね」
「そうね。わざわざ、そんなことしなくていいのに」
「あの方、なぜ、あれを続けているのかしらね」


そんなことをひそひそと話す令嬢が現れ始めた頃にアデライードと婚約をした。そのため、この日常も変わっていくと思われていたが、そんなことはなかった。

それこそ、同じことをし続けるオーレリアに……。


「よろしければお持ちします」
「え?」
「?」
「あの、婚約なさったのよね?」
「? えぇ、しましたが」
「……なら、婚約者の方にそうお聞きしたら?」
「あぁ、それなら、聞いて断られたので大丈夫ですよ」
「……私も、結構よ」
「そうですか」


オーレリアの偏りのない優しさが、奇妙な風に見える世になったのは、この頃からだった。でも、彼が婚約してからはみんな断っている。

アデライードが自分と婚約したのだから、婚約者として特別に扱ってほしくて、そんなことをしないでくれと言ったことはない。ただ、見ていただけだ。誰に対しても、一緒のままなことに本当にブレはなかった。たとえ、婚約者となろうとも、それが王女であろうとも、彼の中で違いはないことははっきりとした。彼にとっては全く同じ。そこに別け隔てる気持ちは欠片もない。


「でも、誰にでも優しいって、本当に優しいのかしらね」
「……」


アデライードとよく一緒にいる令嬢が、ぽつりと言ったことに他の令嬢たちが何とも言えない顔をした。アデライードの側の令嬢は、もはや優しいだけとは思っていなかった。本当に心から優しい人なら、こんなことはしていない。

チラッとアデライードを気遣うように見ていたが、アデライードは気にしてもいなかった。

不満は、アデライードには特にない。他の令嬢なら、婚約したのだから、その優しさをどうにかしてと言いそうだが、アデライードはそれをする気もなかった。アデライードは、その他の令嬢と一緒の扱いをするオーレリアに何も感じていないのだ。

昔も、今も、彼に対しての気持ちに変わりはない。ただの婚約者でしかない。そこは、お互い一緒のはずだ。紙一枚で肩書きが増えただけ。


「優秀だと言われているけど、こうして見ていると女性の扱いは、微妙ですわよね。私なら、あんな婚約者、嫌すぎますもの」
「ちょっと」
「あ、あの、その」
「……授業に遅れるわ。行きましょう」
「そうですね」
「えぇ、授業の方が大事ですものね」


アデライードは、ボロクソに言われる婚約者のことなど聞こえていないかのように授業のある教室に向かった。

最初は、評判のよい子息が王女と婚約したのは当たり前だと周りも納得して盛り上がっていた。でも、最初の頃は、王女の方がオーレリアと釣り合っていないかのように陰口を言う者が多かった。


「いい加減、婚約を解消すればいいのに」
「オーレリア様がお可哀想よね」


ひそひそとそんなことを話す令嬢は、今もいる。それを知っているが、アデライードは無視していた。……というか、相手にしたことがなかった。

側にいる令嬢たちのほとんどが、それを言い返すことなく、聞こえていないかのようにしていたが、それにもアデライードは何も言うことはなかった。元より喧嘩するのが好きではなかったことから、言い争うことを避けているのだろう。

それにそんなことまで、周りにさせているのも本来はらしくないのだ。それでも、こうして側にいてくれるのだから、有り難い存在だ。

婚約者の子息も、それこそ色々言われていることには気づいているはずだが、何もすることがないのは、アデライードが何も言わないからか。関わりたくないだけかもわからない。優秀だと言われていても、それは学園の成績や王太子の側近としての優秀さのみで、他のことにはてんで駄目だという評価が、婚約してからついて回っても夫としていまいちになるのは目に見えていても、男として仕事はできるだろうと思われていた。

どうせ、婚約しているのだ。王女が、結婚して困ろうとも他人事なのが多いのだろう。アデライードが既に他人事のようにしているせいも大きかったのだろうが、婚約者になったのが王女だったからといって天狗になるような子息ではなかった。それなら、アデライードは願い下げだった。昔のアデライードは物凄くはっきりしていた。

他の令嬢と王女を全く一緒に扱うのは、構わない。今のアデライードも、婚約したからと変わる気がないから、その辺はおあいこでしかない。

周りに何を言われていても、それに対して何もしない婚約者と同じく、アデライードはその全てがどうでもよかった。何も感じない日々で、やらねばならないことだけをやっているだけだった。

そのやらねばならないことも、段々と億劫になってきていた。どうにも、アデライードはやる気がもてない日々を送っていた。

昔は、ここまでではなかった。アデライードはあることに気づいていた。それに気づいたのは、オーレリアと婚約する前のことだ。

先に言っておくが、アデライードは婚約する前から、そのことを知っていたのは、オーレリアに好意を持っていたからではない。ただ、色んなことを見ているのはアデライードのくせのようなものだ。見ているだけで、何かする気は、彼女には欠片もないのは、昔からではない。婚約する少し前から、今のようになっただけだ。

オーレリアが見つめる先にある人が、いつもいるのを数年前から知っている。その人を見ている時の表情が違うのだ。だから、彼の特別な人なのだとすぐにピンときた。

そう、この頃は、そういうのに疎くなかった。その前なら、もっと行動に出てもいたはずだが、その気になることはなかった。段々とやる気がなくなってしまっているだけだ。

オーレリアにとって、特別な人の名前は、ジェルメーヌ・バランド。アデライードが昔から心許している侯爵家の令嬢だ。普段はほんわかとしていて、陽だまりのような印象が強いが、それは彼女の一面でしかない。

それをよく知っているのは、アデライードだ。一面しか知らない方が第一印象を損なわないし、そういう令嬢だと思って幻想を抱いている異性には、そのままが一番いいだろう。

だが、アデライードは彼女らしさは、その一面にはあまりないと思って残念に思っていた。同性からすると猫を被っているとか、嫌な風に捉えたがるが、異性を誘惑するのに発揮しているわけでもなく、上手いこと包み込んで、周りが勝手にそういう令嬢だと見ているだけだ。

そう、彼女は言葉だけでなく、彼女だけが本音でアデライードと対峙してくれる。今は、アデライードが以前と違っているのもあり、その本音を抑え気味なことが多いようだが、他のことでストレスが凄くて大変そうだ。それでも、普段の彼女が変わることはないところが、流石としか言えない。

きっと、ジェルメーヌも言わずとも気づいているはずだ。アデライードに昔のような余裕があれば、その話をあれこれできたはずだが、そんな余裕が今は欠片もないため、各々でどうにかするしかない状態になっていた。もっとも、各々と言ってもアデライードに何かする気は今のところない。

そのことに彼女は気づいていて、そのままになっている。それが、まずいことになるのは目に見えているが、アデライードが何もする気がない以上、ほっとくしかない。

そのことに気づいたのは、数年前のことだ。その頃にジェルメーヌが婚約をした。相手は、アデライードの兄の王太子であるリシャールだ。

そして、オーレリアは王太子の側近だ。兄が、側近の中でオーレリアのことを一番信頼も、信用もしているとよく周りに言っている。それはアデライードだけが聞かされているわけでなくて、みんなが聞かされているから知っていることだ。

もっとも、兄がそう触れ回っているのは、至らないところを何かとしてもらっているからだ。できすぎる側近を妬ましく思っていた時期もあったようだが、今は有効に利用することにしたようだ。

そういう人が、王太子をしている。オーレリアが側近をやめたら、執務は成り立たなくなるだろうが、今のところ妹のアデライードと婚約したことで、更に好き勝手に利用しようとしているようだ。

だが、やれることをやっているだけで、オーレリアの方は大したことをしているつもりは欠片もない。優秀すぎて、その辺がわからなくなっているようだ。利用されているのに気づいていても、彼には大した手柄を横取りされている気もないようだ。

まぁ、それを知っているアデライードは、婚約者がジェルメーヌを見ているのを見つけた後に普通に婚約者に優しくする姿にこの人は、優秀なようで残念な人なのだと思っていた。


「アデライード様、おはようございます」
「……おはよう。ジェルメーヌ」


建物の方からジェルメーヌは現れた。彼女を見つけて、アデライードはホッとした。でも、表情が変わることはなかった。前までは嬉しいと思えば顔によく出ていた方なのにそれすらできなくなっていた。それでも、ジェルメーヌはいつもの変わることなくアデライードに微笑んでくれた。

そんなことをしていると素早く見つけたオーレリアは、すぐにやって来た。


「ジェルメーヌ嬢。おはよう」
「……おはようございます。アデライード様、早くまいりましょう。お席は、先に確保してあります」
「ありがとう」
「みんなの分も取ってあるわ」
「ありがとうございます」
「よかった」


いつも馬車が停まるところで事故があって、少し遠くから歩いて来ることになったのだ。アデライードのことを気にかけて、令嬢たちは側にいてくれたため、ジェルメーヌが機転を利かしてくれたことにみんながホッとしていた。


「なら、私も……」
「オーレリア様、少しよろしいですか?」


ジェルメーヌにも同じようにオーレリアは話しかけたが、他の令嬢に手伝ってほしいと声をかけられて、そちらに名残惜しそうに向かった。

それにジェルメーヌは、オーレリアとの会話が、それで終わったことにホッとしているのにアデライードは気づいていた。

彼は、ジェルメーヌと話す時に限って間の悪いことになりやすくて、周りもオーレリアの気持ちに気づいてわざとやっているのではないかと思うことが多かったが、それはジェルメーヌが王太子と婚約しているのもあり、それなのに優しくしようとするのに困ると思って、声をかけていただけのようだ。

もっとも、本当に優しいのなら事故のあったところで、令嬢たちを誘導するなりすればいいのだが、アデライードの側にいればジェルメーヌに会えると思って側にいたのだろう。そういう人だ。

彼の偏った優しさが悪目立ちし始めていた。


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