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しおりを挟むここに1人の少女が、澄み渡る空をぼんやりと眺めながら、こんなことを思っていた。
(今日は、何事もなく終わるといいな)
そんな願望にも似たことを思っているのは、ヴィティカ国に生まれた伯爵家の令嬢のエステファンア・クエンカだ。彼女は、その国の貴族や僅かな庶民が通っている学園の制服に身を包んでいる年齢よりも幾分か小柄な少女だ。そう、彼女からしたら、周りが大きすぎるだけだ。
そんな彼女の婚約者は、誰もが羨む公爵家の跡継ぎで、パトリシオ・カステイリョンという美青年だ。エステファンアと同い年だ。
彼は、顔良し、頭良し、家柄良し。勉強もできて、運動もできた。何をさせても卒なくこなし、苦手なことなど何もなさそうな人で、彼の婚約者になろうとする令嬢は、今も昔も多い。
そう、婚約者になりたがっていたのは、昔から多かったらしいのだが、エステファンアは残念ながら婚約するまで彼のことを知りもしなかった。
多分、この国の中で、例外中の例外の令嬢は、エステファンアくらいだろう。
そんな彼女に婚約のことを知らせてくれたのは、父親だった。
「エステファンア!! お前の婚約者になりたいとカステイリョン公爵家から言われているぞ!」
「ふぇ?」
「まぁ! カステイリョン公爵家と言えば、この国でも今をときめく一番の殿方ではありませんか!?」
「へ?」
父が、仕事を終えて大慌てて戻って来て、そんなことを言ったのだ。混乱する娘を他所にそれを聞いた母と使用人の女性陣が、それを聞いて色めきだった。
だが、エステファンアの反応はというと……。
(カステイリョン公爵?? えっと、誰……?)
その時、エステファンアはもぐもぐとお菓子を食べていた。おやつを食べていた。つまり、父はいつもより早く帰って来たということだ。エステファンアのおやつの時間は、ほとんどズレることはない。
きっと婚約の話を聞くなり、驚きすぎて仕事にならないとなり、上司が帰らせたのだろう。そのまま、父は浮かれたまま帰って来た。そんなところだろう。
伯爵家の屋敷の中が、それによって大騒ぎとなる中で、おやつを食べるのをやめることはエステファンらしくなかった。
きっと、誰かと間違えられてるんだろうなと結論に至り、食べることをやめる気はなかった。だが、騒ぎ立てる人たちによって、楽しみにしているおやつタイムは、大変なことになった。はしゃぐ母や使用人たちに巻き込まれて、もみくちゃにされてしまったのだ。
そのせいで、食べるのをやめなかったのを咎めるようなことが起こっていた。
(うぐっ、お菓子が喉に……)
食べ続けていたお菓子が喉に引っかかって、ちょっと大変なことになってしまったのだ。だが、残念なことに浮かれている周りのせいで、誰もそれに気づいてはくれず、涙目になっていたのを見て、更に勘違いされた。
「そうか。そうか。泣くほど、嬉しいか!」
「そうよね! エステファンア、私たちも、嬉しいわ!」
「でかしたぞ!」
「おめでとうございます! エステファンア様も!!」
「エステファンア様が、婚約者になられるなんて、私たちも鼻が高いです!」
「っ、」
両親や使用人たちに色々と言われていたが、それよりもエステファンアは……。
(の、飲みもを……)
それが、伝わることはなかった。
それをエステファンアは思い返して、遠い目をしてしまった。
あの時、かなり苦しかった。これまで、あんな苦しい思いをしたことはなかった。正直、死にかけたくらいだ。危うくお菓子を喉に詰まらせて、あちらに行きかけたが、何とかなったから今がある。
でも、その時に聞きそびれてしまったことがあった。婚約者のことをあれやこれやと聞けるのは、その時だけだったはずなのだ。
だけど、その時、聞いていたら、絶対にまずかったとエステファンは感じていた。それこそ……。
(馬鹿にされていたわよね)
婚約した方は、とても有名な方だった。それをその時まで、知らなかった自分に驚いてしまったほどだ。通りで両親も、使用人たちも浮足立つはずだ。
婚約した次の日から、エステファンアがパトリシオと婚約した話題は、瞬く間にに国中に広まったかのように大騒ぎになっていた。
それにしても、エステファンアは……。
(何で!? 私の婚約にどうして、こんなに大騒ぎになるのよ?!)
そう、両親や使用人たちが騒ぐのは、エステファンアのような令嬢が婚約することになって騒いだだけだと思っていた。婚約できても、カステイリョン公爵家なんて夢のまた夢だと思われていたはずだ。
でも、今は、瞬く間に広まったのも、仕方がないとわかった。わかったというか。理解せざる終えなかったというべきか。
エステファンアは、しばらくして、こう思うようになっていた。遠くを飛ぶ鳥を眺めながら……。
(騒ぐわよね。私みたいなのが、婚約者に選ばれたんだもの)
そんなことを思わずにはいられなかった。その時の目は、死んだ魚のようになりかけていたと思う。
どんな人なのかを色んな人たちに言われることで、ようやく凄い人と婚約したことを知ることになった。エステファンアでも、わかってしまった。
両親や使用人たちが、浮かれるのもよくわかった。何と言うか、次元が違っていた。
むしろ、初めて婚約者に会った時にエステファンアには、彼に後光が見えたほどだ。人が、あんなに輝いて見えるのだとエステファンアは初めて知った。誰かしらが、イザという時にスポットライトでも当てているのではないかと思うほどだったが、エステファンアの見間違いだったのかもしれない。
それでも、屋内にいるのに光源が部屋に現れたのだ。エステファンアは、それにびっくりしたが、母と使用人の女性は、それを見てキャーキャーと騒いでいた。
エステファンアは、同じ人間ではない何かがが来たと思って驚いてしまったのだ。それは、今も忘れられない。
エステファンアとは初対面のはずなのに彼は、エステファンアのことを知っているようだったから他の人と勘違いしているのとは、少しばかり違うことはわかった。エステファンアのようなのを見間違うなんて、中々できないはずだ。
だが、その時も本人に何をどう思って選んだのかを聞けなかった。その時から、パトリシオを見ると異性は騒ぎ立てずにはいられないようだとわかった。年齢に関係なく、結婚していようと子供がいようとも、若い娘のように騒がずにはいられないようだ。
そこも、エステファンアでも無理はない人だと思っているかというとあんまり理解できていなかったかも知れない。
そんなことを思っているエステファンアだが、周りの女性陣がそう言うことで騒いでいることに気づいたのは、最近だ。
世の中は、パトリシオのような子息が素敵であり、格好いいものだとエステファンアはようやくわかってきた。かなり鈍い。いや、かなりどころの問題ではないが、エステファンアという令嬢は、そういう令嬢だ。変わったところと言えば、婚約してからパトリシオを認識したことと周りのことを見聞きするようになったくらいだ。
自分に関係ないことは、とことんスルーしていた。そして、関係があるようになっても、変わることが殆どない。そういう令嬢が、エステファンアだった。
そんな彼女の人生は、婚約してから様変わりした。だというのに婚約者ができたというのにパトリシオの人気は変わることがないままだった。
そう、今も彼を追いかけ回す令嬢は多いままだ。いや、むしろエステファンアと婚約して増えたかも知れないが、比較する頃をエステファンアは知らなかった。
増えた理由は、エステファンアのせいというか。エステファンアを選んだパトリシオのせいというか。世の令嬢たちは、エステファンアのようなのが、彼のような子息には相応しい令嬢とは認めたくなかったことが原因のようだ。
それについては、エステファンアにも言いたいことがある。選ばれたことで、ふんぞり返るわけでもなく、だからと言っておどおどするわけでもなく、ただ婚約者が移動すれば、あとを着いて行き、ちょっとした動きでキャーキャー騒ぎ、誰かと話していれば、それだけで盛り上がる他の令嬢たちを不思議そうに見ていた。
そんな人たちを見ながら、こんなことを思っていた。
(この人たち、何をしているんだろう?)
最初、わけがわからない人たちばかりで、エステファンアの理解を超えていた。心底、不思議でならなかった。エステファンアにとって、未知との遭遇のようなものだった。
パトリシオは、それが日常茶飯事のことのようで、全く気にしていなかった。彼の周りも、いつものことのようにしていたが、時折煩わしそうにしていたが、どうこうする者はいなかった。
いや、今ならわかる。そんなことできないから諦めていただけなのだ。気にしたら負けのレベルで無視するのが一番よかったようだ。
そう、諦めるのが一番いいレベルだったのだ。それを身をもって知ることになるとは思いもしなかった。そんなこと知らずとも良かった。何なら、そんなとんでもない人に見初められなくても良かった。元よりエステファンアは頼んですらいないのだ。
そんなことを言えば非難轟々で、お前みたいなのがパトリシオの申し出を断るのか!?と言われて、それはそれで怒られることになるのだろう。そうなれば、今よりも更に酷いことになるのは、エステファンアにも想像できるようになっていた。
とんでもなく面倒なことに巻き込まれてしまったのだ。
それが、遠い昔のように感じていたが、そこまで経ってはいない。
(私が、こんな風に変わるとは思わなかったな)
しみじみとそんなことを思いながら、青空をエステファンアは見上げていた。
世の令嬢たちの大半が婚約したことで、勘違いしていただろうが、そんなことでエステファンアは変わることはなかった。
変わらないというか。ここまで、ズレた感覚を持った令嬢は、ヴィティカ国でも彼女くらいしかいないが、本人はそんな稀有なる存在なことに気づいていなかった。
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