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時計屋『永遠時間』【完結】
エピローグ
しおりを挟む時計屋『永遠時間』の店内は、いつものように、エンジが入れた紅茶の香りが漂っていた。
そのエンジは、カウンターで時計の修理をするセルビーこと、セルビクスを、カウンターの前に置かれたテーブルに頬杖をつきながら眺めていた。
「そういえばエンジ。あの日、あなたとは初めて会ったはずなのに、なぜ私の名前を知っていたんですか?」
作業する手を止め、セルビクスは尋ねた。
この場所を初めて訪れたとき、自分という存在自体があやふやな状態だったセルビクスは、それがおかしなことだと気付かずにいた。
だが、今ならば分かる。
帰る場所を失った魂が、あのとき名を呼ばれたことで、おぼろげではあったが、自分という存在が誰であったのかを思い出したのだと。
それでも、やはりセルビクスは不思議に思っていたのだ。
「え? う~ん。初めてかぁ~……。僕が君と出会ったのは、ずーっと昔だけど……」
「ずっと、昔?」
「あ……、そのことじゃないのか」
余計なことを言っちゃった。と、エンジの顔に書かれているようだった。
「エンジ? 私にまだ、隠していることがあるんですか?」
「別に、隠しているわけじゃないよ? よく考えてみて。この店自体が普通じゃないんだ。僕だってすべてを知ってるわけじゃない、だって僕は……」
言いかけて、エンジは口を両手で塞いだ。
「エンジ?」
「――もう、この話は終わり。それより、なんで知っていたかだったよね」
「はい」
「それは……」
「それは?」
「初めて会ったわけじゃないから……って言ったら、信じる?」
「……」
ふふっと笑うエンジの言葉が、冗談なのか真実なのか、すぐには判断ができなかった。
「それよりもセルビー、紅茶が冷めちゃうよ。早く飲んで?」
そちらのほうが重要だとでもいうように、エンジが促す。
「別に、私は冷めた紅茶も好きですよ?」
苦笑するセルビクスに、エンジは嬉しそうに笑った。
「――あ、そうだった。僕、スコーンを作ったんだ。持ってくるね」
そう言うとエンジは立ち上がり、カウンターの後ろにある二階へと続く階段の方へ向かった。
だが不意に、その手前で足を止める。
「セルビー……」
名前を呼ばれ、セルビクスは振り返った。
「どうしました?」
「……いつか、君にも分かるよ。僕が、あなたと出会い、別れるのは、もっと先の――」
「エンジ? 一体、何の話を……」
聞き返したセルビクスに背を向け、エンジは二階へと駆け上がってしまった。残された言葉の意味が分からず、首を傾げた。
そもそも、セルビクスには分からないのだ。この世界の成り立ちも、何もかもが。
だが、不安はなかった。この先に何があったとしても、きっと大丈夫だと、そんな気がした。
「あなたと、再び出会えるのならば、きっと……」
無意識にこぼれた出た、自らの言葉を不思議に思いながら、セルビクスはカウンターに置かれたカップを手に取る。
去り際の、エンジの寂しそうな顔が気になっていた。
(いまの言葉をエンジに伝えたら、笑ってくれるだろうか……)
そう思いながら、セルビクスはぬるくなった紅茶をひとくち啜った。
「……」
やはり後で、温かい紅茶を入れてもらおう。二人で飲めばもっと、美味しく感じるに違いない。
スコーンを持って戻ってくるエンジを、入口の扉の外の世界を眺めながら、セルビクスは静かに待つことにした。
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