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時計屋『永遠時間』【完結】
1-5 無限の時間
しおりを挟む心臓の音が聞こえる。時計の……
(……いや、違う。これは私の――)
瞬時に、いくつもの歯車がカチリと合わされた。それと同時に、目の前がフェードアウトし、すべてが何もなかったかのように消え失せた。
そして、この空間の本来の姿を現す。
遥か天空に存在するはずの、宇宙そのものの姿を――。
「――やっと、気付いたようだね」
ピンと張り詰めた暗い空間に、静かに、けれど凛とした声が響いた。ふわりと空気が揺れ、その場を優しく包むように店主の姿が浮かび上がる。
「君は、自分の意志で扉を開けた。それは偶然ではなく、君が求めた結果だ」
さらりと懐から懐中時計を取り出し、セルビクスに見せる。彼がこの店に入った時に店主が見ていた物。そして、セルビクスがその手で直した物でもある。
(本当は、最初から分かっていたのではないのか? あれは、自分の物だと……)
子供のころから見慣れた、メッキが剥げた鎖のない古びた懐中時計。
壊れた、時計……。
認めてしまうのが怖かった。壊れた理由を知りたくなかった。
帰るつもりでいたのだ。やっと苦労が報われ、独り立ちできるようになって、列車に飛び乗った。
誰をも責める気は、今更ない。あれは、事故だった。
まだ雪の残る路面は、咄嗟に急ブレーキを掛けたところで止まるはずもなく、対向車線の列車がレールを逸れて突っ込んでくるなど、分かるはずもなかった。
そして、帰る場所を失った魂が彷徨った。
「この店の名を覚えていますか? 永遠とは、果てしなく無限に続いていくこと。そして、滅びを知らない。時間は流れているようで、ときに戻ったり進んだり、留まることもある。
メビウスの輪のように、捻れた世界。ここは、そういう空間なんです。
本来形を持たない存在ゆえに、普通の人にはこの店の扉は見えない。求めるものだけが扉を見つけ、開けられる。だからこそ、この店は客を選ぶとも言える」
ゆっくりと、足元に散らばる星屑を踏みしめながら、店主はセルビクスに近づく。
「けれど、君は客ではない。君は来るべくして、ここへ来た。この世界に必要な人だから。
君は時計に、本来の意味での生命を与えることができる。他人の心に共鳴し、干渉することができる――。
ずっと、捜していた。同じ世界を感じ、時を見届けることのできる、僕のパートナーとなり得る人」
片隅に月を映しながら、じっと黒く濃い瞳がセルビクスの瞳を覗き込む。
「でもね、決めるのは君。選択肢は君が持っているんです。セルビー」
白銀に瞬く光に包まれ、差し出された掌に乗る懐中時計を、セルビクスは静かに見つめていた。
暗い空間に、パチパチと光が弾けては乱反射する。光は闇に消え、闇に光が灯る。時は流れ、逆流する。
壊れてしまった時計。それは、彼の生命の鼓動も止まってしまったということ。
けれど、再び動き出した意味は……
そっと、懐中時計に自分の手を重ねると、スパークを起こしたように温かい光が体中を駆け巡った。
答えは出ていた。初めから選んでいたのだ。胸を躍らせるほどの想いを、すでに自分の中で見つけていた。迷うことなどなかった。
清々しい、すっきりとした意識の開放感を、心地よく感じた。
「あなたの名前を、まだ聞いていなかった」
「そうだったね。僕の名は、エンジ」
優しく微笑むエンジに、セルビクスもまた、微笑みを返した。
「これから、どうぞよろしくお願いします。エンジ」
* * *
カウンターに座り、いつ訪れるとも分からない客を待ちながら、懐中時計の感触を忘れないようにその手で包み込むと、壊れないように布で包み、宛名を書いた箱に詰めた。
いずれ、故郷の両親のもとに届くだろう。その〝いずれ〟が、過去なのか、未来なのか、それとも現在なのか……。
それはセルビクスにも分からない。もしもそのことが分かるとすれば、カウンター前のテーブルについて、幸福そうに紅茶を啜るエンジだけかもしれない。
見つめる視線に気づいたのか、エンジが誘いをかけてくる。
「セルビー、一緒に飲まないかい? 僕の焼いたクッキーも美味しいよ?」
人懐っこい笑顔にセルビクスは苦笑する。子供のような、無邪気な笑顔だった。
「えぇ、いただきます」
と、その時、空気がわずかに震えるのを感じた。状況を見定めるように、すっとエンジの目が細められ、表情が引き締まる。
二人の視線が、同時に扉に向けられた。
ためらうように、控えめに、けれどはっきりと、呼び鈴の澄んだ音色が店内に響いた。
チリン、チリン……、と。
完
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