もしも剣と魔法の世界に日本の神社が出現したら

先山芝太郎

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5巻

5-1

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 序章 彼岸にて


『ティーシシングォディエス――グォッジョーシャノオキャッサマニハ、グォッメイワクオォ、オカケイタシャァス』

 スピーカー越しのダミ声が、列車の車内に――藤重ふじしげ佐保さほの耳に響く。鉄道会社の職員の、この独特の発声としゃべり方はなんなのだろうか。そういうものだからそうしているのか、あるいはそのような教育を受けているのか。いや、今は車掌のしゃべり方や発声について問題にしている場合ではなかろう。問題はアナウンスの中身――ですらなく、停車した原因の方である。
 地震だ。

「結構、揺れたわね」

 外出しているとき、特に移動中は「揺れている」と体感しにくいものである。元々、南関東は地震の多い方だ。元来きもわっている藤重佐保は多少の揺れであせるようなタマではないが、それでも今度の揺れには驚いた。震度四といったところか。

「ここ最近、随分多いな」

 叔父の梓馬あずまがそう言った。確かに、地震が増えた気がする。ニュースでは毎日のようにこの事実が取り上げられ、大地震の前触れではないかと不安をあおっている。ペットボトルの水、保存食などの防災グッズは、ここ最近品薄らしい。メーカーのマッチポンプなのではないか、と疑いたくなるくらいだ。
 とはいえ、不安にもなる。世界が滅ぶとか滅ばないとか、そういう話を神様本人から聞いた矢先のことなのだ。
 ちなみに、その『予兆よちょう』とも言える存在である異世界からの来訪者――サイは、三人のうち誰よりも平然としていた。

「こんなもんなんじゃないんスか? エルナトには地震なんてなかったから、最初は面食らいましたけど、この国じゃよくあることだって」

 確かに、日本は地震大国で云々うんぬんといった話を、梓馬は以前したが、順応性が高すぎやしないだろうか。あるいは、そういう人間が『選ばれて』この世界に来ているのかもしれないけれど。

「まあ、そりゃ火山のない国に比べりゃはるかに多いさ。それにしたって異常だな、最近は」

 梓馬が軽く首をひねる。小刻みに起きる中規模の地震は、大きな災害の前触れ、と言われることが少なくない。マスコミが連日あおっているのも、あながちまと外れではないのだ。

「異常と言えば、総理大臣もよね」

 天変地異のことなど、いくら推測したところでどうにもならない。佐保がさっさと話を変える。

「自分で言うのもなんだけど、辺鄙へんぴな神社の宮司ぐうじと会談してさ、それで、異世界人の受け入れの法整備を検討しているとかさ。意味不明すぎない? この国大丈夫?」

 あきれたように言うと、梓馬がふむ、とうなる。
 そもそもこの三人が、西武新宿線から東京メトロを乗り継いで、わざわざかすみせきまで行っていたのは、内閣総理大臣に面会するためである。
 二度言うが、内閣総理大臣に会うためである。
 当たり前と言えば当たり前だが、梓馬は総理大臣と面識などない。それがなぜか、スマートフォンの電話帳の「ア行」の項目に、の御仁のプライベートな連絡先が登録されていたのである。
 神のおぼし召しも、随分ハイテクになったものだ。いやそれにしたって――

「神様が色々と手を回してるんだろうな――かなり強引な気はするが」

 実際に面会した総理大臣は、異常なほどあっさり状況を理解した。あるいは、同じような現象が他の場所でも起きているのかもしれないが、人の認識を都合よくじ曲げてしまう神の干渉かんしょう能力には、ぞくりとはだあわつのを抑えられなかった。今はこちらに都合よく働いているからいいが――その気になれば爽悟そうご雷矢らいや透子とおこがいたことすら『なかったこと』にできてしまうのではないか。そういった考えが頭をよぎる。
 そんな梓馬の考えなど露知つゆしらず、サイの方は呑気のんきなものだ。

「よく分かんないッスけど、オレ当分はこの国に住めるんスね?」

 のほほんとした様子のサイに、望郷の思いはないのだろうか。

「みたいよ」
「やった!」

 サイは無邪気に喜んでいる。根が明るいというか、考え方がとても前向きだ。良くも悪くも後ろをかえりみない性格なのだろう。佐保も彼のそういうところに好感を抱いているのか、若干じゃっかん対応が優しくなっている。

「そんなに嬉しいもん?」
「そりゃそうッスよ!」

 周囲を気にせず騒ぐサイの頭を、佐保が「声がデカい」とたたく。こうしていると、東洋系と西欧系でまるで違う人種なのだが、姉と弟のようだ。実際、サイは爽悟と同じくらいか、やや下くらいだろう。
 サイは周囲をぐるりと見渡すと、少し声を落として(うるさいのはあまり変わらないが)言った。

「この電車ってやつにしてもそうッスけど、魔法よりすごい道具が山ほどあるし」

 電車や自動車など、大型の機械類を見ても、サイは想定より驚いていなかった。「テレビの中に! 人が!」くらい言いそうなものだが、魔法のある世界からやってきたならむしろ道理ではある。魔法と科学、技術のもとが違うだけで、起きている事象は似たようなものなのだろう。とはいえ、口ぶりからすると魔法の方が不便らしい。

「何より建物ッスよ! 城よりも高いのがいっぱいあるし」

 サイは窓の外に乱立するビル群を指さした。中世ヨーロッパ程度の建築技術で考えると――百メートルもあれば「かなり巨大」だろう。日本にある建物はといえば、それくらいならめずらしくもなく、高いもので六百メートルを超えている。

「建築学に興味があるのか?」
「ん、いや、建築? 設計? そういうのはあんまりッスね。オレ、大工なんで!」

 梓馬がたずねると、サイは腕を組んで、首をひねった。建物に感動はしているようだが、それを作る、設計する方には興味がないようだった。

「土木作業員にでもなるつもり? わざわざ異世界まで来てそんなことしなくても」

 佐保が言う。別にそうした仕事を馬鹿にするわけではないが、わざわざ異世界に来てまで学ぶようなことでもないだろう。確かに魔法の世界と違う工程はあるかもしれないが、先ほどの発言からもうかがえる通り、サイに「魔法で再現できそうな技術」への関心がないことは分かる。

「そういうんじゃないッスよ! あんなでっかいもの、作り方教わっても、向こうの世界じゃ、再現するための道具ないし」
「あら、意外と冷静」

 実際のところ、魔法のあるエルナト王国で高層ビルが作れるか作れないかというと、分からないとしか言えない。ただサイは大した魔法を使えなかった。彼のおぼつかない説明によると、魔法は個人の資質に大きく左右される側面があるのだそうだ。
 この世界に存在する重機を向こうの世界で再現しようと思ったら、相当な年月がかかるだろう。サイは馬鹿そうに見えて案外そういうところは現実的で、自分が生きている内に再現できそうにない技術にもやはり興味はないらしかった。

「それより、写真とか、色々見せてくれたじゃないスか。木だけで作った建物!」
「サイくん、君、宮大工とかに興味があるのかい」

 梓馬が聞いたように、サイが興味を持っているのは、むしろ日本古来の建築物とその技法らしい。確かに建築に興味を持っていたサイに色々見せはしたし、熱弁をふるいもしたので、その甲斐かいがあったと思えば嬉しくはある。

「ッス! エルナトって材木はたくさんあるんで!」

 つまり、そういうことらしい。ごくごくシンプルな理由である。
 また、石を用いた建築物には、それはそれで利点はあるだろうが、気候風土によっては木造建築の方がいいこともあるだろう。
 いずれにしても、学ぶ意欲があるのはいいことだ。

「まあ、本気で勉強するつもりなら、学費は国が支援してくれるらしいよ」
「いくらなんでも都合よすぎない?」

 さすがに胡散臭うさんくさそうに、佐保が梓馬に指摘する。奨学金の審査だって今時分そう簡単ではないし、あれは基本的に、返済の必要がある。なのに、いつか異世界に帰ってしまう人間に対してあっさり与えてしまうとは、どういう判断なのか分からない。

「この世界の学問を勉強させて、魔法への依存をなくしたいんだろうな、神様としては。そのために色々、都合を合わせたってところか」

 かといって直接手をくだせないから、こういうやり方になるようだ。この強引なやり方からして、神様もあせっているのかもしれない。

「こういう、好奇心と適応力の強い子が選ばれてるのかな」
「図太いのは確かね」

 佐保は、異世界に放り込まれてもホームシックの気配すらないサイを見て、わざとらしく肩をすくめる。

「てか、色々勉強するのはいいけど、あんたは先に読み書きからでしょ」

 佐保はそうくぎを刺す。サイは、元の世界にいた頃から読み書きができなかった。彼の暮らしていたエルナト王国では、平民は読み書きができなくて普通なんだそうだ。それで魔法は使えるのだから、日本の常識に照らし合わせると矛盾むじゅんしているとも言えるが、まあ、そういうものなのだろう。

「そうだった……」

 指摘されたサイはがっくりと肩を落とす。かんはいいし根は真面目まじめなのだが、勉強は不得手らしい。というより、読み書きができない以上、勉強をしたことすらないのかもしれないが。

「向こうで読み書きできないと、こっちでも読み書きできないのね。言葉は通じるのに――法律とかじ曲げられるんなら、それくらいやってくれてもいいのに」

 法律や人の認識を書き換えられるなら、読み書きぐらい覚えさせられそうなものだ。言葉が通じているだけでももうけものだと分かってはいるが、どうせだったら読み書きも教えておいてほしい。この国で読み書きができないと、まともに生活できない。

「自分で努力しないで得た知識に意味はないよってことじゃないか」

 神様にできることと、できないことの基準が分からない。まあ、大枠としての『世界』はどうとでもなるが『個人』はどうにもならない、というところなのだろう。
 だからこそ、向こうの世界で文明が誤った方向に進んでしまったとき、神なる存在には何もできないのだ。人間が自ら身につけた技術を、神の力で封じることはできない。臓器の働きを、自在に制御できないのと似たようなものだ。どこからが臓器で、どこまでが筋肉なのかは、分からないが。

「――爽悟たちは無事なのかしら」

 佐保も、サイと話すことで気がまぎれているものの、文明があまり進んでおらず、もめごとの絶えない場所にいるらしい弟や仲の良かった姉のような女性の身を案じている。

「どう、だろうな。ここ最近、地震が多いのを思うと、向こうでも何か起きている可能性は高い。というか、普通に考えてまず巻き込まれている」

 何しろ建物ごとの移動だ。サイにしたって、総理大臣なんて大物と面会している。平穏に済んでいるのは、ここが日本という呑気のんきな土地だからに他ならない。
 サイからざっくり事情を聞いただけだが、向こうの世界の人々に、手放しでの歓迎はされていないだろう。それに対して、負けん気の強い爽悟ならなおさら、売られた喧嘩けんかを買うのにりはいらねえ、くらいの対応はしていそうだ。

「やめてよ。そういうの」

 梓馬の言う通りだが、口にしてほしい話でもない。実際、その通りなのだが。想像がつくだけに気が気ではない。佐保は無意識に耳をいじっていた。心配事があるときの、彼女のくせである。

「いずれにしても――神様の言ってたことに間違いがなきゃあ、だが。向こうで文明が滅びることになれば、当然この世界にも影響は出るだろう」

 梓馬は声を低くしてそう言った。二つの世界の間を、たましい循環じゅんかんする。文明が滅び、大量の人死にが出れば、そのたましいは全てこの世界にやってくることになる。

り合いを取るために、俺らもついでで口減らし、なんてことにならなきゃいいんだがねえ」

 今でさえ三割の陸地に人があふれかえっている。日本にいては何も感じないが、世界的に見れば水も食糧も不足しているのだ。



 第一章 聖ジョゼットの受難


 この部屋に閉じ込められてから、どれほどの時が経っただろうか。
 窓のない地下牢ちかろうに日の光は差さない。時間の経過を判断し得る基準は、毎日決まった時間にかび臭い水と石のように固いパンを運んでくる看守だけだ。
 メリッサが飲みくだしたパンの数は合わせて六つ。少なくとも六日間は経過している……のだろう。それ以上のことは分からないし、考える気にもならなかった。

(あんなパンでもありがたいと思えないわたくしは、やはり未熟者なのでしょうね)

 あんな固いパンですら口にできない人々はいる。それを思えば、異端の嫌疑をかけられた罪人になんと慈悲じひ深いことか。真に信心深いものならそう思うのだろう。

(そう思えないのが、きっとわたくしの限界)

 メリッサはベッドに腰かけ、ひざを抱え、じっとうずくまっていた。波紋ほどの起伏さえない静寂せいじゃくは、ゆっくりと、だが確実にメリッサの精神をむしばんでいく。メリッサは内省的な人間だった。あの日、あのとき、ああしていれば、こうしていれば。自分はなんて愚かで、価値のない人間なのか。一人でじっとしていると、そんな悪い考えばかりが頭をよぎる。

「まずいものはまずい。それでいいと、わたくしなどは思いますけれど」

 突然背後から女の声。そっと体重のかかる気配。ただ闇が広がっているだけと知りながら、メリッサはそちらに顔を向け、ぎょっとする。
 女がいた。漆黒しっこくのドレスに身をまとった女が。
 整ってはいるが――特徴のあるような、ないような顔の――どこかで見た覚えのあるような、ないような――。限られた自分の半生の、限られた行動範囲の、一体どこで、自分は彼女を知っているのか、出会ったことがあるのか。故郷の村――ではない――ベネトナシュ修道院――でもない――なら――王都アル=ナスル――

「ごきげんよう、シスター・メリッサ。あるいはミス・ジョゼット」

 メリッサのたぐる記憶の糸を断ち切るかのように、女はそうはにかんだ。

「あなたは?」

 メリッサは眉根まゆねを寄せ、不審に思っていることを隠さずに誰何すいかする。

「わたくしが誰か?」

 ふふ、と女は笑った。

「それはどうでも良いことです。名が必要なら、ミス・メアリー・スーとでも、ミセス・ジェーン・スミスとでも。ただそうですねえ、もしかなうことなら」

 女はそっとメリッサに顔を寄せ、耳たぶを甘くんだ。

「ナタリ、と呼んでくださいな。その呼び名には、格別の思い入れがありますの」

 彼女――ナタリの熱っぽい声のうるみに、メリッサは思わず身震いする。メリッサは奥歯をくっとみしめ、もう一度問う。

「わたくしはあなたの名を問うているのではありません。あなたが一体何者なのかを問うているのです」

 真剣な問いかけに、ナタリはしばし目をまたたかせていたが、しばらくするとそれがおかしくてたまらなかったようで、ころころと口元を隠して笑った。

「何がおかしいというのですか」

 さすがにむっとして、メリッサがナタリをにらみつける。

「失礼、お気を悪くなさらないで。だってあなたがあまりにも、自明のことをおたずねになるから」

 一体いつから手にしていたのか。ご覧なさいな、とナタリが閉じた黒い日傘で、部屋の隅にあるつぼをさした。固いパンと水だけとはいえ、何かしら口にしている以上、出るものは出る。それはそういう用途のものだった。不快極まるので見るのも避けていたメリッサは、思わず目をそむける。

「ああ、いやだこと。これではお茶も楽しめませんわね。こんなめみたいな場所で、異端者の前に現れるのが何者かだなんて、相場が決まっているというものでしょう?」
「《悪魔ディアボラ》――」

 メリッサは固い声でその名を口にした。混沌こんとんたる《魂の質量エーテル》のかたまりに全ての境界線を定めることで、世界を創造した審判者アルティス。その御使みつかい《使徒アンジュール》に反目する存在として俗信されるのが《悪魔ディアボラ》なる《霊質的存在アストラル・ワン》――人ならざる者たちだ。
 かつては、それが邪悪な存在であるとメリッサも信じていた。だが、審判者の導きにより、異界の神殿――神社とともに訪れた《迷い子ストランジェ》、藤重爽悟たちと一緒に、幾度か《悪魔ディアボラ》に接触した結果、必ずしも彼らは邪悪な存在とは言いきれない――という結論に、彼女は至った。審判者アルティスを信奉する聖職者の中では、めずらしい解釈ではあるが、これ自体は異端ではない。そもそも《悪魔ディアボラ》の存在自体、聖典にはなんら記載のないものなのだから。

「お恥ずかしい話ですが《色欲》をつかさどるアスモデウス――そう呼ばれることもございますわ」

 そう言ってナタリは身を軽くくねらせた。

「《七大悪魔ディアボラス・デ・セプテ》ではないですか!」

 ナタリの発言に、メリッサはぎょっとして身を引く。《七大悪魔ディアボラス・デ・セプテ》と言えば、歴史に名をのこすような大聖人が命とたましいを懸けてどうにか封じられるかどうかといった領域の存在である。まっとうな人間が抗しうる存在ではない。
 メリッサはごくりと生唾なまつばむ。
 どうせ自分の行く末などとうに決まっている。《悪魔ディアボラ》ごとき、何を恐れることがあるだろう。

「その――大《悪魔ディアボラ》が、わたくしに何用です。異端審問――火刑にかけられる審判者の手先をわらいにでも来たのですか」
わらうだなんて」

 闇の中でナタリが大仰おおぎょうに肩をすくめる。

「人聞きの悪いことをおっしゃるわ」
「《悪魔ディアボラ》がそんなことを気にするなんて」
「気にもなりますわ。わたくしはこれでも、人を愛しておりますのよ」
「どこまで本気かしら」
「あなたが信じようと信じまいと、どうでもいいことですわ」

 そう言うと、ナタリはぐっとメリッサに身を寄せる。

「汚らわしい」
「この部屋ほどではないでしょう? ねえシスター・メリッサ。いえ、この場ではミス・ジョゼットが適切?」
「ミス・ジョゼットは死にました。教皇聖下の故郷の村ともども」

 メリッサの硬い声にふうん、とナタリは笑う。

「あなたは異端審問を甘んじて受け入れるつもりでいる。自ら教皇聖下の前で焼かれるつもりでいる。それでどうなさるおつもりかしら?」
「なぜ《悪魔ディアボラ》にそんなことを?」
「まあ、いいではありませんか。どうせあなたは死ぬのだから」

 その言葉に、メリッサはうつむいて、しばし黙り込んだ。それから静かに口を開く。

「姉であるわたくしが、目の前で火とけむりもだえ苦しんで死ぬさまを見れば――教皇聖下のお心も、少しは動くでしょう。人のたましいは死の瞬間、肉体を離れ、レサトの大河を渡って彼岸へと至るべく丸裸の《霊質的存在アストラル・ワン》になる。わたくしはその一瞬のすきに、教皇聖下のたましい隙間すきまに入り込み、守護者となるつもりです」

 メリッサはよどみなく、はっきりとそう言った。
 メリッサ――彼女の本当の名は、ジョゼットと言う。彼女の妹――アレクシアは、普通の信徒には見ることのかなわない《使徒アンジュール》の姿を見ることができた。それは、教皇となるために必要な、唯一であり絶対の資質であった。不幸なことに、アルレシャ大陸にこの資質の持ち主は、彼女一人だけだった。
 故郷の村に駐在していた司祭を通して、アレクシアの存在は教皇庁の知るところとなり、迎えがやって来た。
 そして、教皇たるべき少女を俗世と切り離すために――
 村は焼かれた。
 奇跡的に逃げ延びたメリッサは妹を救い出す機会を、自ら聖職者になるという形でうかがってきた。だが、隠し続けてきた正体を教皇庁に悟られ、彼女はこうして追い詰められた。
 人は死ぬ。死んだ人のたましいは審判者の現身うつしみたるレサトの大河を通ってもう一つの世界へ渡り、新たな生を受ける。この流れに逆らうには、誰かに取りくしかない。こちらの世界に『メリッサ』としてとどまっていれば、まだ機会はあるはず。彼女はそんなわずかな光明こうみょうにすがるより他なかった。

「無謀ですわね」

 ナタリはあきれたようにため息をつく。

「教皇聖下も自死の口実にされては不本意でしょう」

 いかに彼女の精神が強靭きょうじんであったとしても、最期を迎える瞬間まで理性を保っていられる保証などどこにもない。生きたまま全身を焼かれる苦痛はメリッサの想像を絶するだろう。

「無謀であったとしても」
「まあ、お聞きなさいな」

 ナタリはそっとメリッサの耳元にくちびるを寄せる。

「どの道あなたには《悪魔ディアボラ》のささやきに耳を傾けるより他に道はございませんでしょう?」

 そう言われて、メリッサは観念したように目を閉じる。確かにもう彼女は詰んでいる。何か手があるのなら、《悪魔ディアボラ》にだってすがりたい気分だった。

「わたくしに何をさせようと?」
「雷矢さんに体を貸してもらいなさいな」

 メリッサの答えに、ナタリは満足げに微笑ほほえんだ。

「雷矢さんに、ですか――?」

 意外な名前だった。だが確かに、藤重爽悟の弟であり、同じく異世界からの《迷い子ストランジェ》である藤重雷矢には、死者の声を聴くかのような不思議な異能がある。

「ええ。死後の《魂の質量エーテル》の保持くらいはわたくしがいたしましょう。すでに雷矢さんと教皇聖下の面通しは済んでおりますから、事情を話せば体の一つや二つ、すぐに貸していただけるはずです。わたくしにできるのはそれくらいですわ。この世界では色々と制約があるものですから」

 そこまで言ったところで、ナタリは突然、ふっと消えた。その理由をメリッサはすぐに理解した。こつ、こつ、こつ。石の床をくつたたく音。看守がやって来た。しかし彼が持ってきたのは、いつもの硬いパンとかび臭い水ではなかった。

「シスター・メリッサ」

 ランタンに照らし出された表情は無機質だが、どこか悲しげだった。彼はこうして何度も聖職者を火刑台に送り出してきたのだろう。
 老いた看守は静かに宣告した。

「審問のお時間です」
「お待ちしておりました」

 メリッサは立ち上がり、へらりと笑ってみせた。


         * * *


 メリッサは、数名の聖騎士とともに審問のに通された。いや、引っ立てられたと言った方が適切だろうか。七夜もの間まともに動かさずにいた足はろくに動かない。なかば引きずられるようにして、メリッサは中央のおりに放り込まれた。ご丁寧ていねい手枷てかせめたままだ。
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