右腕狩りのヨシュア

彗星無視

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第四話 感覚的なことを伝えるのは難しい

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「どうだ。首尾は」
「ええと……すみません、まだ。左目とピスティス、二つの視界が別々に動いて、別のものを見て……ってすると、どうしても気分が」
「謝らなくていいこればっかりは個人差もある。焦らず、身に着けていくことだ」

 アイラの息は少し乱れていた。吐き気に耐えながら、ピクシスを手に辺りを歩き回っていたのだろう。
 今となってはどれだけ急激に動こうが、それこそ瞬時に移動しようとも二つの視野に酔うことなどなくなったヨシュアだったが、アイラを見て、烙印払いエクソシストになってすぐの体験がいくつか脳裏をよぎった。
 なにより気分を悪くさせるのは、視界の左右における高低差だ。ピクシスを手に持つ都合上、移植眼球の視界の高さは、眼窩の眼球よりずいぶんと低くなる。それがどうも、自分がどんな状態なのかをつかみづらくさせるのだ。めまいがしたり、平衡感覚を失ってしまいがちになる。

「えっ——な、なんですか急に。そんな優しい言葉をかける先輩なんて、先輩じゃないです」
「本当に俺をなんだと思ってるんだ? きみは」
「でも、だって先輩。わたしのこと、一般人同然の役立たずって言ったじゃないですか、任務に連れていくには危険だって」
「なっ、役立たずとは言ってないだろう!?」
「言ったも同然ですよー! めっちゃ傷ついたんですからねわたし! 緊張して初任務に就こうって時に先輩にそんなこと言われて! 面と向かって! 初対面なのにー!!」
「わ、悪かった。悪かったよ。頼むから落ち着いてくれ」

 ぷんすかとまくし立てるアイラに、ヨシュアは怒りを鎮めるよう懇願するほかない。先輩としての威厳らしきものを著しく損なっている気はしたが、どうすることもできなかった。
 両手を合わせてなんとか落ち着くようなだめていると、そのうちアイラは深くため息をついた。それから一転してしゅんとしたような、落ち込んだ面持ちになる。

「……先輩の言い分も、ほんとはわかってます。ピクシスが使えてこそのエクソシスト。わたしはオラクルを出ることはできても、まだエクソシストとしてスタートラインにも立ててないんだって」
「アイラ君……」
「悔しいです、わたし。ピクシスが欲しくってずっとがんばってきたのに、手に入っても使いこなせないなんて。……信仰が、足りないんでしょうか。地に眠る主への祈りが」

 ぎゅっ、とアイラの腕がピクシスを抱く。彼女の右眼が移植された黒い箱を。
 その箱は神が所有する全能の甕の模倣であり、移植眼球に宿る聖寵は、下賜される神の奇蹟の一端だとされる。ゆえにピクシスを得て生来の眼球を奇蹟の眼ピスティスとすることは、信徒にとって最大の信仰だ。
 ヨシュアは、神には縋らなかった。だがアイラはそうではないようだった。

「どうだろうな。俺は信仰に厚い方じゃない。きみは、信仰を寄る辺にしてきたのか」
「ずけずけ訊いてきますよね、先輩……。そうですよ。祈りだけが、わたしを孤独から守ってくれますから。でも……夜からは守ってくれない」
「夜?」
「怖いんです、夜が。いえ、正確には暗闇……暗いところすべてが、ですかね。転生者が家を襲ってきた日を思い出すので」

 口調こそ淡々としていたが、アイラの手は隠しきれない震えを帯びていた。
 ヨシュアは、幼いアイラを物置かどこかへ押し込み、その後転生者の手によって殺される彼女の両親の姿を思い浮かべた。
 想像は容易だった。なにせ、その境遇は自身と重なる。

「……弟がいたんです。まだ幼い、いつもわたしの後ろをくっついて離れない弟が」

 しかし想像とは違い——ヨシュアとも異なり、彼女には兄弟がいた。

「夜になると……暗闇の中から、聞こえるんです。あの日のままの声で……どうしてぼくを置いていったの、って。お姉ちゃんって、わたしを呼ぶ声が、確かに」
「幻だ、それは」
「つらいものはつらいんです。わかっていても……暗闇はいつもわたしを呼んでいる。でもそれも今はずっとましなんです。念願の奇蹟の眼ピスティスがありますから」
「え? あぁ……そうか、暗視。なるほど、それでピクシスを求めたのか」
「はい。もちろん、唯一神パンドラに眼を捧げ、奇蹟を宿す名誉だって大切なことです。だけどわたしはそれ以上に……暗闇から逃れるすべが欲しかった。……あはは、こんなだから聖寵も使えないんですかね」

 少女が浮かべるには似合わない、自嘲的な笑み。
 ピスティスにはいくつかの機能がある。聖寵に烙印透視、異能解析。そして暗視。
 とはいえ最重要なのはやはり聖寵で、次点で烙印透視か異能解析だろう。暗視は転生者に対して働く力というよりは、夜動きやすくなるための単なる便利機能だ。

 だが、アイラにとってはそうではなかった。彼女にとってその機能は、ともすれば聖寵よりも欲する力だったに違いない。
 なぜなら、見通せる暗闇などもはや暗闇ではない。恐ろしい闇を払拭する、暗視の力こそアイラのトラウマを遠ざけるには必要だった。
 確かにピクシスを欲したのは、信仰によるものもあるのだろう。しかしそれだけではなく、アイラには烙印祓いエクソシストだけに許される黄金の眼がなくてはならなかったのだ。

「すみません、変な話をしてしまって。わたしは……やっぱり、不適格なんでしょうか。奇蹟を求めるためでも、世のためでも、ましてや殺された家族の復讐のためでもない。ただ……恐怖から逃げおおせるために、エクソシストになろうなんていうのは」

 うつむく少女は、涙さえこぼしてしまいそうな顔をした。当然涙を流すとしたら左目だけだ。ピクシスへ移植した右眼球にもはやそんな機能はない。

「動機なんて問題じゃない。俺たちに必要なのは、そんな理由付けとは違う」
「え……? じゃあ、なんだって言うんですか?」
「技能だ。転生者を殺し、その右腕の烙印を祓うことが俺たちエクソシストの役割。ならエクソシストに必要なものは、それを完遂するスキルのはずだろう」

 それが今日までヨシュアを動かす、機械としての在り方。

「適格不適格かなんて気にしなくていい、きみはもうエクソシストになると決めたはずだ。それとも、ピスティスさえ手に入れば転生者たちなんてどうでもいいか?」
「そんなことはありません! 転生者……ひいては彼らを唆す、神を僭称する悪魔。神敵しんてきを野放しにするわけにはいきません」
「なら、へこたれてる暇はないな。——練習に付き合おう。とは言っても、第二視野は結局時間をかけて慣れるしかないかもしれないが……」

 ヨシュアは神に縋らない。習慣としてわずかにあった信仰も、烙印払いエクソシストの真実を知った時に瓦解した。
 だが、他人の信仰を否定することはしない。
 しるべとなるものがないよりは、ずっといい。たとえそれが虚像であっても、前へ進む指針があるのなら。

(それに……アイラ君があのことを知るのは、ずっと先だ。あるいは知ることはないかもしれない。なら、それでいい)

 全能を持たないヒトに、なにが真実でなにが偽りかなどわかりはしないのだから。ならば、見たいものをその眼で視ればいい。
 漆黒に移植する、黄金の眼で。

「あ。だったらヨシュア先輩、聖寵の使い方、教えてくれませんか?」
「聖寵の?」
「ダメ、ですか? その、先輩の言う通り、スキルを磨きたいんです。前向きに」

——第二視野にも慣れていないのに、聖寵なんて。
 そう反射的に思ったヨシュアだったが、できないことを克服するに越したことはない。

「構わない、が。教えようにも、こういうのは感覚だからな……目を動かすのと同じ、そう、眼球機能の延長だと思う、みたいな」
「う……できてあたりまえみたいな言い草、胃のあたりがむかむかしてきますね」
「そんなつもりは。えーっと、なんて言えばいいか。うーん、感覚的なものだからな、本当に」
「むぅ~っ。じゃあ、とりあえずやってみてくださいよ。先輩が今ここで」
「ここで? 聖寵を使えってことか? 俺の?」
「できないんですか?」
「いや、やろうと思えばすぐできるが」
「ぐぬぬ……っ」

 自分から煽ったくせに、アイラは悔しそうにうなる。
 少なくとも沈痛な面持ちではなくなったことに、ヨシュアは内心安堵した。
 できないことを悔やむのは簡単だ。前に進みたければ、できるようになるまで練習を続けるしかない。
 そうしなければ、遅かれ早かれ命を落とす。それが烙印祓いエクソシストだ。

「一度しかしないぞ。よく見ておけ」
「は、はいっ」

 ヨシュアは左手のピクシスを軽く掲げる。同時に右手で、腰に数本備えてあるナイフを一本引き抜き、目の前に構えた。
 眼窩に収まる右眼球で、ナイフを注視する。
 それとは別に、左手で掲げたピクシスの正面に埋め込まれた眼球——ピスティスを介する第二視野で、アイラのそばに生える木の枝に茂る葉のうち、一枚を強く捉える。

 ちょうど、流れる雲が月を隠した。
 天の明かりが途絶え、周囲は完全な暗闇に包まれる。静寂の中で、アイラがか細く、震えるような息を吐いた。
 闇の中でも、ヨシュアの第二視野は問題なく葉の一枚を捉えたまま。右目の方は同じことをしようとすればそうはいかないだろうが、すぐそばに構えてあるナイフくらいであれば見失うこともない。
 葉。ナイフ。ふたつを、離れた視野に収め。

「————『視差転移』」

 ヨシュアはその聖寵を——罪深い能力を発露させた。
 必ずしも発声が必要なわけではなかったが、声を出す方が安定するのは確かだった。それにアイラに見せるのであれば、この方がわかりやすいだろう。

「……え?」

 とす、という音。
 雲が流れ去り、月が再び夜の世界にかすかな光を注いでくれる。
 音の方向へ自然と首を巡らせたアイラの左目には、地面に突き刺さったナイフが確かに映った。

「これが俺の聖寵だ。……聖寵っていうのは基本的に、あんまり人に見せるものじゃない。言い触らしたりはしないでくれよ」

 そうぶっきらぼうに告げるヨシュアの右手には、網目状の葉脈を張り巡らせた一枚の葉が包まれていた。
 アイラはなにが起きたのかわからない、という風にヨシュアとその手が持つ葉っぱ、それから地面に刺さったナイフとで何度も視線を往復させる。

「どうだ。聖寵、なにかつかめたか?」

 葉っぱをその辺に投げ捨て、ピクシスを持つ手を下ろしながらヨシュアは問う。

「ぜんっぜんです。なんにもわかりませんでした」
「……そうか」

 アイラのこれ以上なく簡潔な返答に、ヨシュアはがくりと肩を落とした。
 結局その夜、アイラが聖寵を使えるようになることはなかった。
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