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第2部1章 躍る大王たち
第90話 『旧世代の遺物』
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「ん? 僕はアニメを観ていてね。一話だけと思っていたら十二話丸々ワンクール視聴してしまって、気づけばこの時間だよ。ははは、没頭とは恐ろしいね」
「あにめ? なんだ、それ? 知ってるかソニア?」
「うーん……わかりませんっ。でもこのご飯はとってもおいしいです!」
ソニアはここの食事が大層お気に召したようだ——ほっぺが落ちるとばかりに頬に手を添える彼女を横目に、イドラはソニアの味覚が戻って本当によかったと心を安らげる。
信頼する少女に倣い、イドラもカレーなる料理を食してみる。甘めの味付けだが、その内に香辛料の複雑な辛味があり、ソニアのはしゃぎようもうなずける味だった。
「アニメーション……『魔法塊根ネガティヴ☆ナタデココ』。言わば、音のついた紙芝居かな。まあ、今となっては旧世代の遺物だよ」
アンゴルモアによって文明が崩壊する以前の社会の歴史は大きく失われてしまったが、保護されていたものや、復旧に成功した情報も存在した。
方舟ではそうした旧世代の記録を記憶領域にまとめ、閲覧できるようにしている。その中には小説のような文字媒体のものから、音や動きを伴うアニメーションまであった。
「まほうかいこん……? 魔法器官の一種か?」
「気になるなら、ディスクに落として渡そうか。部屋はどこだ?」
「一階の奥の方」
「一階ということは、戦闘班の部屋が割り振られたのか。そうなるか……なら僕の部屋とも近くて好都合だ。食べ終えたら僕の部屋に寄れるか? 再生機器の使い方も教えよう」
「本当か? 助かるよ。ありがとう、トウヤ」
「いや、なに。作品の布教活動は愛好者の義務だからね——アーカイブによれば」
トウヤはアーカイブ、中でもとりわけ旧世代において夜間に放送されていた類のアニメーションにドップリとハマっていた。
未だアニメーションなるものがなんなのかイドラはよくわかっていなかったが、この世界の娯楽がどんなものか、純粋に興味が引かれていた。加えて言えば、スドウに渡した赤くなったマイナスナイフの解析が終わるまで、時間つぶしがしたかったのもある。
こうも長時間ギフトを手放したのは、イドラにとっても人生初の経験だった。
空になった腰のケースに、常に違和感を覚えてしまう。
食後、約束通りトウヤは部屋に寄り、アニメーションの入った光ディスクをイドラに手渡してくれた。
「えーと。確か、ここにこの薄い円盤を入れて……あ、裏面は素手で触っちゃいけないんだっけか。気を付けないと」
「触っちゃだめって、どうしてですか?」
「健康を害するかどうか怪しいラインの毒が塗られてるらしい」
トウヤにも騙されていた。無知な人間をからかうのは、万人に共通する暗い愉しみだ。
「毒……! ひええぇ、おっかないですねっ」
イドラの部屋にて。トウヤに教わったことを思い返しながら再生機器を操作するイドラの後ろで、ソファに座るソニアが身を震わせる。
夜が更け始める少し前。食後の二人は、既に自室でシャワーも済ませ、寝る態勢を整えたところで部屋に集合していた。
「よし、後はここを押して……っと。おお、点いた。ふっ、僕もこの世界になじんできたじゃないか」
部屋の電気も消しており、薄暗い部屋の中、壁掛けのモニターに映像が映りだす。
無事に操作できたことを確認すると、イドラもソファに腰掛けた。
「わ、すごい……! 始まりましたよ!」
「板の中で人が動いてる……これ全部、人が手で描いてるんだって? とんでもない話だ。きっと名のある芸術家が作ってるんだろうな」
目まぐるしく移り変わる映像と音に、思わず感嘆を漏らしてしまう。
ただイドラは、芸術への関心は薄い方だ。絵画や舞台とは縁遠いし、本も読まない。
そのため、異世界の娯楽という新鮮さにこそ幾分かの興味はあったが、そこに過度な期待はなかった。
時間つぶし。それができれば十分。
(あの赤くなったマイナスナイフを、スドウが解析してくれてる……。うまくいけば、寝たきりの先生を助けられるかもしれない)
もう会えないと思っていた恩人と再会できたのだ。目を開けて、起き上がることこそできなくとも。
ふかふかとしたソファに背を預け、ソニアとすぐ近くで肩を並べて壁のモニターを眺める。
しかし頭の中は、自らの天恵のことでいっぱいだった。どうか、その変化した能力が、希望につながるものであれと。
それゆえに、画面の中で躍る映像に意識を注ぐ余裕などありはしない——
*
「ううっ、あんまりだ……! こんな結末になるなんて……!」
約十時間後、イドラは劇的な物語の顛末に目じりの涙を拭った。
時を忘れて没入していた。トウヤの計らいで同じディスクに収められた続編の二期まで一気に観ていた。
「まさかナタデココの正体が実はタピオカで、原料もキャッサバだったなんて……」
窓の外はすっかり明るくなっており、一睡もせず朝を迎えた形だ。
「ここで終わりなんてこと、きっとないよな。またトウヤに続きを渡してもらうよう頼んでみよう。うん、そうしよう」
そうと決まると、イドラは隣を見る。ソニアは一期の七話目辺りで睡魔に負け、イドラの肩に寄りかかるようにして眠りこけていた。
肩を揺すると、「ん~……」と喉の奥から小さく声を漏らしつつ目を開けた。まだ少し眠気を帯びた、橙色の瞳が覗く。
「あれ、イドラさん……? わたし、途中で寝ちゃったんですね」
「おはよう。『魔法塊根ネガティヴ☆ナタデココ』、ソニアが寝てからもまだまだ続きは長かったぞ。また今夜観るか?」
「あ……えっと。わ、わたしは別に、もういいかなって」
「えっ」
「なんか、よくわかりませんでしたし……」
ソニアにはいまいち受けが悪かった。
そもそも『魔法塊根ネガティヴ☆ナタデココ』は、当時のアニメーション愛好家たちの評価も芳しくはなかった。曰く、題材が謎。展開が不明瞭。
感想を共有できないのはいささか残念ではあったが、仕方がないとイドラは気持ちを切り替える。一晩中画面に夢中になってしまったものの、それは当初の目的ではない。
気を取り直し、二人は食堂で朝食を摂ると、再びコピーギフト第二抽出室を訪ねた。
「おはよう、待ってたわよお二人さん」
スドウは徹夜で作業していたらしく、疲労の浮かぶ、しかしそれ以上の達成感のにじむ顔で出迎えた。
イドラたちと入れ替わるように、三名ほどの職員が部屋を出る。
「もうできたのか? 様子を伺いに来ただけで、流石に朝のうちから終わってるとは思わなかった」
「幸い、手の空いた部下が何人かいて、手伝ってくれたのよ。おかげで早く進んだわ」
今しがたすれ違った職員たちがその部下なのだろう。
スドウは壁面の機械に近づくと、なにがしかの操作を行う。すると棺のような形をした機構がプシューという音とともに動き出し、蓋がスライドして中身が露わになる。
その中にある、赤い刀身を持つ短剣を、スドウは丁寧に手に取った。
「まずはこれを返すわ。ありがとう」
「ああ」
大切な天恵を受け取り、その赤色に目を落とす。
無事ギフトは返ってきた。
「それで結果は……僕のギフトがどうなったのか、解析できたのか?」
「そうね、結論から言えば、すべてを詳らかにすることはできなかった」
申し訳なさそうに、あるいは悔しがるようにスドウは目を伏せる。
真正のギフトとコピーギフトとでは、やはりその性質に差異があり、その能力を一から十まで解析することは叶わなかった。
「けれど、スキルの方向性はつかめたわ。その赤い短剣には、欠落を補う力がある」
「欠落を……」
「補う?」
イドラも、その隣で話に耳を傾けていたソニアも、思い当たることのない説明だった。
「あにめ? なんだ、それ? 知ってるかソニア?」
「うーん……わかりませんっ。でもこのご飯はとってもおいしいです!」
ソニアはここの食事が大層お気に召したようだ——ほっぺが落ちるとばかりに頬に手を添える彼女を横目に、イドラはソニアの味覚が戻って本当によかったと心を安らげる。
信頼する少女に倣い、イドラもカレーなる料理を食してみる。甘めの味付けだが、その内に香辛料の複雑な辛味があり、ソニアのはしゃぎようもうなずける味だった。
「アニメーション……『魔法塊根ネガティヴ☆ナタデココ』。言わば、音のついた紙芝居かな。まあ、今となっては旧世代の遺物だよ」
アンゴルモアによって文明が崩壊する以前の社会の歴史は大きく失われてしまったが、保護されていたものや、復旧に成功した情報も存在した。
方舟ではそうした旧世代の記録を記憶領域にまとめ、閲覧できるようにしている。その中には小説のような文字媒体のものから、音や動きを伴うアニメーションまであった。
「まほうかいこん……? 魔法器官の一種か?」
「気になるなら、ディスクに落として渡そうか。部屋はどこだ?」
「一階の奥の方」
「一階ということは、戦闘班の部屋が割り振られたのか。そうなるか……なら僕の部屋とも近くて好都合だ。食べ終えたら僕の部屋に寄れるか? 再生機器の使い方も教えよう」
「本当か? 助かるよ。ありがとう、トウヤ」
「いや、なに。作品の布教活動は愛好者の義務だからね——アーカイブによれば」
トウヤはアーカイブ、中でもとりわけ旧世代において夜間に放送されていた類のアニメーションにドップリとハマっていた。
未だアニメーションなるものがなんなのかイドラはよくわかっていなかったが、この世界の娯楽がどんなものか、純粋に興味が引かれていた。加えて言えば、スドウに渡した赤くなったマイナスナイフの解析が終わるまで、時間つぶしがしたかったのもある。
こうも長時間ギフトを手放したのは、イドラにとっても人生初の経験だった。
空になった腰のケースに、常に違和感を覚えてしまう。
食後、約束通りトウヤは部屋に寄り、アニメーションの入った光ディスクをイドラに手渡してくれた。
「えーと。確か、ここにこの薄い円盤を入れて……あ、裏面は素手で触っちゃいけないんだっけか。気を付けないと」
「触っちゃだめって、どうしてですか?」
「健康を害するかどうか怪しいラインの毒が塗られてるらしい」
トウヤにも騙されていた。無知な人間をからかうのは、万人に共通する暗い愉しみだ。
「毒……! ひええぇ、おっかないですねっ」
イドラの部屋にて。トウヤに教わったことを思い返しながら再生機器を操作するイドラの後ろで、ソファに座るソニアが身を震わせる。
夜が更け始める少し前。食後の二人は、既に自室でシャワーも済ませ、寝る態勢を整えたところで部屋に集合していた。
「よし、後はここを押して……っと。おお、点いた。ふっ、僕もこの世界になじんできたじゃないか」
部屋の電気も消しており、薄暗い部屋の中、壁掛けのモニターに映像が映りだす。
無事に操作できたことを確認すると、イドラもソファに腰掛けた。
「わ、すごい……! 始まりましたよ!」
「板の中で人が動いてる……これ全部、人が手で描いてるんだって? とんでもない話だ。きっと名のある芸術家が作ってるんだろうな」
目まぐるしく移り変わる映像と音に、思わず感嘆を漏らしてしまう。
ただイドラは、芸術への関心は薄い方だ。絵画や舞台とは縁遠いし、本も読まない。
そのため、異世界の娯楽という新鮮さにこそ幾分かの興味はあったが、そこに過度な期待はなかった。
時間つぶし。それができれば十分。
(あの赤くなったマイナスナイフを、スドウが解析してくれてる……。うまくいけば、寝たきりの先生を助けられるかもしれない)
もう会えないと思っていた恩人と再会できたのだ。目を開けて、起き上がることこそできなくとも。
ふかふかとしたソファに背を預け、ソニアとすぐ近くで肩を並べて壁のモニターを眺める。
しかし頭の中は、自らの天恵のことでいっぱいだった。どうか、その変化した能力が、希望につながるものであれと。
それゆえに、画面の中で躍る映像に意識を注ぐ余裕などありはしない——
*
「ううっ、あんまりだ……! こんな結末になるなんて……!」
約十時間後、イドラは劇的な物語の顛末に目じりの涙を拭った。
時を忘れて没入していた。トウヤの計らいで同じディスクに収められた続編の二期まで一気に観ていた。
「まさかナタデココの正体が実はタピオカで、原料もキャッサバだったなんて……」
窓の外はすっかり明るくなっており、一睡もせず朝を迎えた形だ。
「ここで終わりなんてこと、きっとないよな。またトウヤに続きを渡してもらうよう頼んでみよう。うん、そうしよう」
そうと決まると、イドラは隣を見る。ソニアは一期の七話目辺りで睡魔に負け、イドラの肩に寄りかかるようにして眠りこけていた。
肩を揺すると、「ん~……」と喉の奥から小さく声を漏らしつつ目を開けた。まだ少し眠気を帯びた、橙色の瞳が覗く。
「あれ、イドラさん……? わたし、途中で寝ちゃったんですね」
「おはよう。『魔法塊根ネガティヴ☆ナタデココ』、ソニアが寝てからもまだまだ続きは長かったぞ。また今夜観るか?」
「あ……えっと。わ、わたしは別に、もういいかなって」
「えっ」
「なんか、よくわかりませんでしたし……」
ソニアにはいまいち受けが悪かった。
そもそも『魔法塊根ネガティヴ☆ナタデココ』は、当時のアニメーション愛好家たちの評価も芳しくはなかった。曰く、題材が謎。展開が不明瞭。
感想を共有できないのはいささか残念ではあったが、仕方がないとイドラは気持ちを切り替える。一晩中画面に夢中になってしまったものの、それは当初の目的ではない。
気を取り直し、二人は食堂で朝食を摂ると、再びコピーギフト第二抽出室を訪ねた。
「おはよう、待ってたわよお二人さん」
スドウは徹夜で作業していたらしく、疲労の浮かぶ、しかしそれ以上の達成感のにじむ顔で出迎えた。
イドラたちと入れ替わるように、三名ほどの職員が部屋を出る。
「もうできたのか? 様子を伺いに来ただけで、流石に朝のうちから終わってるとは思わなかった」
「幸い、手の空いた部下が何人かいて、手伝ってくれたのよ。おかげで早く進んだわ」
今しがたすれ違った職員たちがその部下なのだろう。
スドウは壁面の機械に近づくと、なにがしかの操作を行う。すると棺のような形をした機構がプシューという音とともに動き出し、蓋がスライドして中身が露わになる。
その中にある、赤い刀身を持つ短剣を、スドウは丁寧に手に取った。
「まずはこれを返すわ。ありがとう」
「ああ」
大切な天恵を受け取り、その赤色に目を落とす。
無事ギフトは返ってきた。
「それで結果は……僕のギフトがどうなったのか、解析できたのか?」
「そうね、結論から言えば、すべてを詳らかにすることはできなかった」
申し訳なさそうに、あるいは悔しがるようにスドウは目を伏せる。
真正のギフトとコピーギフトとでは、やはりその性質に差異があり、その能力を一から十まで解析することは叶わなかった。
「けれど、スキルの方向性はつかめたわ。その赤い短剣には、欠落を補う力がある」
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