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5-2.黒髪の騎士見習い

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聖女を継いだ6年前、一番に慰問に向かったのは疫病が蔓延した地域だった。病気が原因で働き手も減り、経済にまで影響を及ぼしていた。何よりも疫病は対処が遅れるほど体の弱いものから命を落としてしまう。
町の教会で祈りを捧げ、町全体に浄化の結界を張った。少し時間はかかるが広く確実に成果の出る方法だ。この頃まだ聖女の力の扱いに不慣れだった事もあり、セラフィはひとつの事をこなせばすぐにへろへろになってしまっていた。

そんな帰り道、馬車の前に突然飛び出してきたのが黒い髪に琥珀色の瞳を持った少年、シディアンだった。一歩間違えれば死んでいたかもしれないその無謀はとても褒められたものではなかったし、相手によっては不敬ととられることもあったろう。それでもなお譲れない理由があるのだろうと、セラフィは護衛騎士が止めるのも聞かずに馬車を降りた。

「母さんを助けてくれ――! ずっと熱が下がらなくて、意識が戻らないんだ!」
「ふざけるな! このような事をして、その上聖女さまに助けを乞おうなど厚かましいにも程がある!」
「おやめください、やむにやまれぬ事情があっての事でしょう」

馬車から姿を現したセラフィにシディアンは目を丸くして驚いた。まさか聖女が自分とそう変わらない年端もいかぬ少女だとは思ってもみなかったのだろう。

「嘘だろ。あんたが、聖女……?」
「残念ながら、先日代替わりしたばかりなの。わたくしを貴方のお母さまのところまで案内してくださる?」
「聖女さま! 結界の効果が続けばいずれ疫病は収まります。民ひとりひとりの声に応えていては御身が持ちません!」

確かに、事実今まさにへろへろで余力などほぼ残ってはいないのだが、セラフィにとってはそれがつまり民を見捨てていい理由にはならないのである。

「これもきっと女神さまの思し召しでしょう。わたくしはセラフィ、貴方は?」
「……シディアン、あんた本当に助けてくれるのか」

無礼な態度に護衛騎士の一人が剣に手をかけるが、セラフィは視線を合わせて小さく首を振る。納得がいかない様子ではあったが、セラフィに止められてはそれ以上どうすることもできなかった。
セラフィはシディアンに向き直ると、聖女としての笑みを湛え彼の問いを肯定する。

「もちろん。貴方も、貴方のお母様もわたくしにとって等しく守るべき民ですから」

胡乱げなシディアンに、まずは貴方からね、と優しく声をかけると祈りと共に浄化の力をめぐらせる。少しばかりくらりと脳が揺れたような気がしたが、まだ彼の母親の元に行かなければならないので気合いで堪えた。
セラフィは一目見た時点で彼自身が重い病に侵されていることに気がついていた。おそらく高熱で歩くのもやっとなはずだ。それにも関わらず、彼は自分のことなど口に出さずに母を助けて欲しいと言った。セラフィはシディアンの母への愛にどうしても応えたかった。

シディアンはセラフィの祈りを受けて思考の靄が薄くなり体が僅かに軽くなったことを感じた。それだけで随分と体が楽になった。自らの変化に呆然とすること数秒、ハッと思考を取り戻すと改めて目の前の聖女に懇願する。

「俺はいい、俺じゃなくて母さんを……!」
「ええ、次はお母様の番ですよ。どうぞ案内してください」
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