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いい加減な奴
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この話は、バブル景気の頃からつい最近に至るまでの、私とFとの腐れ縁とも言える関係を綴ったものである。
私の友人のFは自称作家だ。
『自称』と言うのは、Fの小説は売れたことがないどころか、出版されたことすらないということである。自費出版も含めてだ。
当時私は下宿住まいだったが、Fは近くのアパートに住んでいた。
同い年だった私とFは、近くのコンビニや安食堂で偶然会うたびに、次第に挨拶を交わすようになっていた。
そのときの私は、大学4年生で既に就職が決まっており、Fは大学を中退していて、親の仕送りを受けながら家で小説を書いていた。親にはまだ中退したということを秘密にしているということだった。
何と親不孝な男だと思うのが世間一般の常識だと思うが、当時の若者は、少しくらい悪さをしていないと大成しないと、本気で考える馬鹿な奴が時々いた。大成するかしないかは、本人の才能や器の大きさの問題で、小者がいくら肩で風を切ったところで、屁の突っ張りにもならない。また滑稽でもある。
私はある日、暇を持て余していたので、Fの家に遊びに行き、作品を見せてくれと何気なく頼んだ。
「うーん、純文学というのは書き出しがなかなか決まらなくてね。ここを過ぎれば、後は流れに乗って筆が進むのだが・・・」
と言いながら、Fは原稿を見せてくれた。
本当に出だししか書いていないが、その原稿用紙に書かれていた短い文はこうだった。
『国境の長いトンネルを抜けると、そこは南国であった。』
「はあ!冗談か!?これってあの文豪作品のパクリだろう!」
と、私は思わず叫んだ。
「だから、純文学と言うのは、書き出しがなかなか決まらないんだよ。」
と、Fは悪びれもせず言い放った。
「いやいやいやいや、この書き出しだと即盗作認定だろう。それともパロディを書こうとしているのか。全然面白くない。」
「失敬な。俺はパロディは書かん。」
「ところで、この続きはどこにあるんだ?」
「いや、そこまでしか書けてないよ。」
私は唖然とした。
「今まで幾ばくかの期間をかけて、これしか書けてないのか?パチンコ三昧だったのか?」
と、私は思わず道義心が出てしまい、Fに強めの口調で問い詰めてしまった。
「パチンコ?そんなのお隣のミサイルや反日活動に使われるだけだ。愚の骨頂だ。」
「じゃあ、何に使ったんだよ。」
「そりゃあ、創作意欲を高めるために使ったんだよ。」
具体的に答えないのは卑怯だと私は思った。
だが、どんなに揉めても喧嘩にはならない。そこがFの不思議なところだ。
それからも私は、不自由な下宿を嫌って、時々Fの部屋に転がり込んだ。
私は地方出身者で、東京の下町で共同台所、共同風呂・便所の安下宿に住んでいた。
私がこれから勤めることになる就職先の話をすると、
「ああ、やはり労働集約型労働者になったか。精々体には気を付けろよ。」
と、Fは寂しそうな調子で、私の顔をちらっと見て言った。
Fが全く祝福してくれないことに不満を感じて、私はFに問いかけた。
「労働集約型労働者って何だよ。」
Fはやれやれという表情を露わにし、『そんなことも知らずに就職したのか』と言いたげな顔をして、私に答えた。
「己の時間と体を削って、資本家のために働く労働者のことだよ。」
私は少しむっとした。
苦労した末に就職先が決まって、明るい未来を思い浮かべていたのに気分が悪いというものだ。就職先のないFの嫉妬ではないかと感じた。
そこで、こう言ってやった。
「そういうお前は何なんだ。」
Fはさらりと言い返した。
「将来の一流作家さ。お前が一生かかっても稼げない大金を十日で稼いで見せる。」
「大した自信だな。だけど、まだ一枚も書けてないんじゃないのか。」
ひょっとしたら、Fは既にいくつかの小説を書き上げていて、ペンネームで活躍しているのではないかと疑ってみた。
それくらい、Fの自信は揺るぎないものに思えた。
「最近、カントにはまっていてな。」
と、Fはあさっての方向で返答してきた。
「カントって、あの哲学者のカントか。」
「そうだよ、それ以外のカントがあるか?」
人をおちょくったFであったが、ふと思い出したように言葉を継いだ。
「そう言えばいつだったか、大阪に遊びに行った時に、新世界というガラの悪い商店街で、『カント炊き』という看板を見かけてな、これは何かと店の人に聞いたら、それは関東炊きですと言うのだ。関西の人は、おでんのことを関東炊きと言うのだよ。これには爆笑したな。」
と、Fは思い出し笑いをして、しばらく一人で爆笑していた。
どこまで本当のことなのか。ふざけたやつだ。
「でも、小説書くのにカントが必要なのか。好きな小説家の作品を読んだ方が役に立つんじゃないかなあ。」
私は嫌味ではなく、Fのことを思って言ってあげたつもりだった。
「人は何のために生きるのか。それを考えようとしない奴は屍と同じだよ。」
私は、暗に自分のことを言われたような気がして、また気分が悪くなった。それで私は、何でもいいから言い返してやろうと思った。
「でも、カントなんて理解しようと思ったら、時間がかかって仕方ないだろう。いつになったらお前の作品を拝めることやら。」
「はっはっはっ、急がば回れだよ。今に大ヒットを飛ばして、大金持ちになってやる。その時は、俺の本を持ってきたらサインを書いてやるよ。価値が出るぞ。」
「何言ってるんだよ。まだ一枚も書けてないのに。」
本当に、Fはいい加減な奴だ。
Fは本当に、まだ全く小説を書いてないのだなと直感した。
「ところで、俺が労働集約型労働者なら、お前は何なんだ。」
と、私はFに聞いてみた。
「強いて言えば知識集約型だな。」
「『労働者』は付かないのか。」
「ああ、何かしっくりこないな。芸術造るのに労働者はおかしいだろ。」
私は、これから自分が生業とする業界について問うてみた。
「コンピュータのシステムエンジニアやプログラマーはどうなんだ?これは知識集約型じゃないのか。」
「はは、それって労働集約型の最たるものだな。知識集約型だなんてちゃんちゃらおかしい。アメリカ様の発明をなぞってるだけだ。いや、現場には、なぞることさえできない馬鹿がわんさかふんぞり返っているよ。」
そうやってFは、私のこれからの仕事をけちょんけちょんにけなした。
散々くさされたので、私はしばらくの間黙ってしまった。
労働集約型の議論はもう聞きたくなかった。Fもそれを察したのか、最近購入したというワープロ機に話題を移した。
「ちょっと前までは、車が買えそうな値段だったけど、技術の進歩ってすごいよな。俺でも買える価格になったよ。」
と、しばらくの間、Fのワープロ自慢の話を聞かされることになった。
「原稿用紙のときに比べて、効率性が飛躍的に良くなったね。おかげで自由度が広がったよ。」
と、Fは饒舌に喋るが、肝心の作品は全く進んでいないのだ。
道具だけ揃えて満足して終わってしまう、最悪のパターンになるのではないかと私は危惧した。
ご両親の気持ちを無碍にして、何ら生活力を育もうとしないF。
私は、いつかこの男は痛い目に遭うのではないかと心配した。
私の友人のFは自称作家だ。
『自称』と言うのは、Fの小説は売れたことがないどころか、出版されたことすらないということである。自費出版も含めてだ。
当時私は下宿住まいだったが、Fは近くのアパートに住んでいた。
同い年だった私とFは、近くのコンビニや安食堂で偶然会うたびに、次第に挨拶を交わすようになっていた。
そのときの私は、大学4年生で既に就職が決まっており、Fは大学を中退していて、親の仕送りを受けながら家で小説を書いていた。親にはまだ中退したということを秘密にしているということだった。
何と親不孝な男だと思うのが世間一般の常識だと思うが、当時の若者は、少しくらい悪さをしていないと大成しないと、本気で考える馬鹿な奴が時々いた。大成するかしないかは、本人の才能や器の大きさの問題で、小者がいくら肩で風を切ったところで、屁の突っ張りにもならない。また滑稽でもある。
私はある日、暇を持て余していたので、Fの家に遊びに行き、作品を見せてくれと何気なく頼んだ。
「うーん、純文学というのは書き出しがなかなか決まらなくてね。ここを過ぎれば、後は流れに乗って筆が進むのだが・・・」
と言いながら、Fは原稿を見せてくれた。
本当に出だししか書いていないが、その原稿用紙に書かれていた短い文はこうだった。
『国境の長いトンネルを抜けると、そこは南国であった。』
「はあ!冗談か!?これってあの文豪作品のパクリだろう!」
と、私は思わず叫んだ。
「だから、純文学と言うのは、書き出しがなかなか決まらないんだよ。」
と、Fは悪びれもせず言い放った。
「いやいやいやいや、この書き出しだと即盗作認定だろう。それともパロディを書こうとしているのか。全然面白くない。」
「失敬な。俺はパロディは書かん。」
「ところで、この続きはどこにあるんだ?」
「いや、そこまでしか書けてないよ。」
私は唖然とした。
「今まで幾ばくかの期間をかけて、これしか書けてないのか?パチンコ三昧だったのか?」
と、私は思わず道義心が出てしまい、Fに強めの口調で問い詰めてしまった。
「パチンコ?そんなのお隣のミサイルや反日活動に使われるだけだ。愚の骨頂だ。」
「じゃあ、何に使ったんだよ。」
「そりゃあ、創作意欲を高めるために使ったんだよ。」
具体的に答えないのは卑怯だと私は思った。
だが、どんなに揉めても喧嘩にはならない。そこがFの不思議なところだ。
それからも私は、不自由な下宿を嫌って、時々Fの部屋に転がり込んだ。
私は地方出身者で、東京の下町で共同台所、共同風呂・便所の安下宿に住んでいた。
私がこれから勤めることになる就職先の話をすると、
「ああ、やはり労働集約型労働者になったか。精々体には気を付けろよ。」
と、Fは寂しそうな調子で、私の顔をちらっと見て言った。
Fが全く祝福してくれないことに不満を感じて、私はFに問いかけた。
「労働集約型労働者って何だよ。」
Fはやれやれという表情を露わにし、『そんなことも知らずに就職したのか』と言いたげな顔をして、私に答えた。
「己の時間と体を削って、資本家のために働く労働者のことだよ。」
私は少しむっとした。
苦労した末に就職先が決まって、明るい未来を思い浮かべていたのに気分が悪いというものだ。就職先のないFの嫉妬ではないかと感じた。
そこで、こう言ってやった。
「そういうお前は何なんだ。」
Fはさらりと言い返した。
「将来の一流作家さ。お前が一生かかっても稼げない大金を十日で稼いで見せる。」
「大した自信だな。だけど、まだ一枚も書けてないんじゃないのか。」
ひょっとしたら、Fは既にいくつかの小説を書き上げていて、ペンネームで活躍しているのではないかと疑ってみた。
それくらい、Fの自信は揺るぎないものに思えた。
「最近、カントにはまっていてな。」
と、Fはあさっての方向で返答してきた。
「カントって、あの哲学者のカントか。」
「そうだよ、それ以外のカントがあるか?」
人をおちょくったFであったが、ふと思い出したように言葉を継いだ。
「そう言えばいつだったか、大阪に遊びに行った時に、新世界というガラの悪い商店街で、『カント炊き』という看板を見かけてな、これは何かと店の人に聞いたら、それは関東炊きですと言うのだ。関西の人は、おでんのことを関東炊きと言うのだよ。これには爆笑したな。」
と、Fは思い出し笑いをして、しばらく一人で爆笑していた。
どこまで本当のことなのか。ふざけたやつだ。
「でも、小説書くのにカントが必要なのか。好きな小説家の作品を読んだ方が役に立つんじゃないかなあ。」
私は嫌味ではなく、Fのことを思って言ってあげたつもりだった。
「人は何のために生きるのか。それを考えようとしない奴は屍と同じだよ。」
私は、暗に自分のことを言われたような気がして、また気分が悪くなった。それで私は、何でもいいから言い返してやろうと思った。
「でも、カントなんて理解しようと思ったら、時間がかかって仕方ないだろう。いつになったらお前の作品を拝めることやら。」
「はっはっはっ、急がば回れだよ。今に大ヒットを飛ばして、大金持ちになってやる。その時は、俺の本を持ってきたらサインを書いてやるよ。価値が出るぞ。」
「何言ってるんだよ。まだ一枚も書けてないのに。」
本当に、Fはいい加減な奴だ。
Fは本当に、まだ全く小説を書いてないのだなと直感した。
「ところで、俺が労働集約型労働者なら、お前は何なんだ。」
と、私はFに聞いてみた。
「強いて言えば知識集約型だな。」
「『労働者』は付かないのか。」
「ああ、何かしっくりこないな。芸術造るのに労働者はおかしいだろ。」
私は、これから自分が生業とする業界について問うてみた。
「コンピュータのシステムエンジニアやプログラマーはどうなんだ?これは知識集約型じゃないのか。」
「はは、それって労働集約型の最たるものだな。知識集約型だなんてちゃんちゃらおかしい。アメリカ様の発明をなぞってるだけだ。いや、現場には、なぞることさえできない馬鹿がわんさかふんぞり返っているよ。」
そうやってFは、私のこれからの仕事をけちょんけちょんにけなした。
散々くさされたので、私はしばらくの間黙ってしまった。
労働集約型の議論はもう聞きたくなかった。Fもそれを察したのか、最近購入したというワープロ機に話題を移した。
「ちょっと前までは、車が買えそうな値段だったけど、技術の進歩ってすごいよな。俺でも買える価格になったよ。」
と、しばらくの間、Fのワープロ自慢の話を聞かされることになった。
「原稿用紙のときに比べて、効率性が飛躍的に良くなったね。おかげで自由度が広がったよ。」
と、Fは饒舌に喋るが、肝心の作品は全く進んでいないのだ。
道具だけ揃えて満足して終わってしまう、最悪のパターンになるのではないかと私は危惧した。
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