近間家の人々

ナムラケイ

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「ヤンキーDKの献身」番外編

Morning Relay 3

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 午前8時のワラナシ。
 川際の階段ガートに腰掛け、小倉弥彦は流れゆくガンジス川を眺めた。
 生も死も綺麗も汚いもすべてを包み滔々と流れる川を、地元の人は敬意と畏怖を込めてガンガーと呼ぶ。ガンガーは神の名でもある。
 北インドの冬は霧の世界だ。立ち込めた霧で数十メートル先の対岸は見えない。こういう光景を目の当たりにすると、彼岸という言葉の意味を身をもって知る。
 ガートのすぐ下では、褐色の肌に極彩色の布をまとった女性が、手を合わせてガンガーに身を沈めている。
 弥彦も試してみたいとは思っているが、日本人が一人で沐浴の真似事をするのははばかられて、まだこの身を川に浸してはいない。
 大気汚染のスモッグで覆われた空の向こうから、真昼の日差しが差し込み、弥彦は目を細めた。
 何をするでもなく朝の川を眺めていると、サリー姿の女の子が横に腰掛けた。
「ハイ、ヤヒコ」
「おはよう、リディ」
「ヤヒコはいつもここにいるのね。観光には行かないの?」
「行くよ。気が向いたらね」
「川ばかり見て楽しい?」
「楽しくはないかな。でも、飽きない」
「ふうん」
 インドも冬は寒い。
 露天でチャイを2杯買って、1つをリディに手渡した。
 使い捨ての薄い陶器に注がれたチャイはガンガーと同じ色をしている。こっくりと甘く、身体に染み入る。
 弥彦は、高校を卒業した後、進学はせずに旅に出た。株とバイトとYouTubeで小金を稼いで、旅を続けている。
 インドは62か国目。数を数えるのは嫌いだが、動画配信の際のハクになるので、数えている。
 数は大事だ。
 2か月前に20歳になった。新年度が始まる前に日本に戻るつもりだ。
 旅の最後は、世界中の旅人を魅了してやまないインドで締めくくろうと決めていた。

「今日もランチ食べにくる?」
 チャイの湯気を頬に当てながら、リディが尋ねた。
 リディは食堂の娘だ。その食堂は、インド料理のほかにオムライスや親子丼といった日本食を安く提供するので、バックパッカーに重宝されている。
「今日は先約があるんだ。明日は行くと思うよ」
「先約? お友達」
「うん。オンラインで集まる約束してるんだ」
「素敵ね」
「そうだ。リディ、この近くで、酒を買えるところを知らないかな」
 24時間種類が購入できるのは日本くらいだ。観光地のワラナシでも、スーパーに酒は置いていない。コンビニはそもそもない。
 リディは少しだけ眉をひそめたが、「オムの店の裏側で買えるわ」と教えてくれた。
「ありがとう。言ってみるよ」
「ヤヒコもお酒飲むのね」
「飲むよ。好きだからね」
 正直に答えると、リディは益々しぶい顔になった。インド人らしいくっきりと大きな目に怒りと悲しみがよぎる。
「私は嫌い。男の人は、お酒を飲むと変わるわ」
 リディは時々身体にあざを作っている。インドでは女性への暴力が絶えない。
 リディを殴る相手を痛めつけるのは簡単だが、コトはそれで済むものではない。一時的な旅行者である弥彦が立ち入れる問題ではない。
「うん。ごめんね」
 慰めにもならないだろうが、同じ男の一人として謝った。
「いいのよ。ヤヒコは悪くない」
 リディはそう言って、雰囲気を変えるように明るい声を作った。
「ね、友達って、どんな子?」
 難しい質問だ。弥彦は少し考えてから答えた。
「強いて言うなら、ヤンキーと武士とギャルとおっさんな美少女、かな」
「なあに、それ。何かのゲームのキャラ?」
 リディはあははっと声を上げて笑った。
 弥彦もつられて笑ってしまう。
 どこがツボったのか分からないが、女の子が笑っている姿はいい。ずっとこういう顔をさせてあげたいと思ってしまう。
 ひとしきり笑うと、リディは立ち上がった。
「リディ?」
 ガートを降り切ると、リディは躊躇いなく川に進んでいった。深紅のサリーに包まれたリディの姿が霧に溶けていく。
 朝の沐浴をするのだ。
「リディ」
 再度名を呼ぶと、リディは振り返った。紅を載せた唇がゆったりと笑みを刻む。
 誘われるように、弥彦は川へ向かった。
「ガンガーはすべてを飲み込み、清めるのよ」
 ガンジス川は大腸菌と汚物だらけだとか、日本人が入ったら湿疹と下痢に悩まされたとか。
 旅の前に得たネット情報は頭を過ぎりもしなかった。
 弥彦は衣服を脱ぎ、ブリーフの上にエコバッグ代わりにしていた風呂敷を巻き付けた。
 朝霧が皮膚に触れ、寒さが清々しさに変わる。先に沐浴をしていたインド人男性が弥彦を導くように場所を空けてくれる。
 弥彦は合掌して、悠久の時を刻む流れに右足を踏み入れた。
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