戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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悪い、嘘をついた@全日空カウンター

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 来週の月火って有給取れるかと近間に問われ、直樹はスマホのカレンダーを開いた。
 年度末だが、先週大型案件のプレゼンが終わったばかりで、仕事は比較的落ち着いている。
「大丈夫だと思いますよ」
 なんでもないように答えながら、うずうずが止まらない。
 だって、来週の月曜日、3月19日は直樹の誕生日だ。
「俺も休み取れるからさ、バリに行かないか?」
 近間からのサプライズな申し出に、直樹は両拳を握りしめた。
 
 バリ島。
 アジアの楽園。
 青い海、沈む夕日、影絵芝居にトロピカルフルーツ。
 海を望むリゾートホテル。プルメリアの花びらが散るベットで、近間さんと…。
 常夏のイメージが妄想へと暴走しそうになったので、頭を振って邪念を振り払う。

「いいですね、俺、バリ島ってまだ行ったことないです」
「3泊4日。誕生日プレゼントに奢ってやるよ」
 と言っていたのに。


 チャンギ国際空港で迷わず全日空のカウンターに向かう近間を、直樹は慌てて追いかけた。
「近間さん、ガルーダ航空はあっちですよ」
 近間は全日空カウンターにEチケットとパスポートを出すと、神妙な顔で手を合わせた。
「悪い。嘘をついた」
「え」
 嘘って。なんの。
 チケットをチェックした地上職員が二人に微笑みかけた。
「羽田経由、小松空港行きですね」
 は? 小松空港って。
 直樹はあんぐりと口を開ける。
「金沢? まさか、近間さんの実家ですか?」
「ご明察。ほら、早くパスポート出せよ」


「両親におまえを紹介したい」
 チェックインを済ませた後、空港ラウンジで朝食代わりのサンドイッチを摘みながら、近間は言った。
「いや、あの、でも、俺、スーツ持ってきてないです」
 狼狽して論点がずれる直樹に、近間は苦笑する。
「心配するとこそこかよ。スーツなら、お前が一番気に入ってる紺のやつ、俺のスーツケースに入れてきたから。小松空港で着替えればいい」
「どうりであのスーツがクローゼットにないと。クリーニングの取り忘れかと思ってました。じゃなくて!」
「なんだよ」
「心の準備が出来てないです」
 近間はぱくぱくとハムサンドイッチを平らげているが、直樹はもはや手をつける気にならない。
 緊張で胃がひっくり返りそうだ。
「必要ないだろ、そんなもの。こんにちは初めまして、息子さんとお付き合いをさせていただいてますって挨拶して、息子さんを僕にくださいってお願いすればいいだけだろ」
 すればいいだけって。
 直樹は頭を抱える。
「それ、めちゃめちゃハードル高いヤツじゃないですか」
「はは」
 近間は楽しそうに笑うと、直樹の背をぽんぽんと叩いた。
「騙したのは悪かったよ。でも、最初に行き先言ってたら、おまえごねそうだったし、当日まで気が気じゃなくなるだろ。前も言ったけど、父親も母親も、俺らのこと否定はしてないから大丈夫だよ。母親は寧ろ盛り上がってたし」
 気楽に言われるが、これは超ヘル級ミッションではないか。
 近間の父は豆腐職人だと聞いている。いくら反対はされていないと言っても。
 営業なのに、顔殴られたら困る……。


恵兄けいにい、直樹!」
「恵ちゃん、直樹君!」
 小松空港で出迎えてくれたのは、近間家4男のたもつと、その彼女の椿原市子つばはらいちこだった。
 1月に二人がシンガポールに観光に来て以来だが、二人とも元気そうだ。
 お揃いのパーカーを着て、にこにこ笑っている。
 緊張で機内食も手に付かなかった直樹だが、二人の笑顔を見ると、自然に顔が綻んだ。

「直樹君、寒いでしょ」
「寒い。っていうか、俺、このスーツ以外夏服しかないんだけど」
「えー、なんで」
「近間さんに、バリ島に行くって騙されたんだよ」
 保と市子は盛大に噴き出した。
「ウケる。なに、じゃあこのスーツケース、水着とか入ってんの」
「水着どころか、フィンも入ってる。日焼け止めも虫よけスプレーも」
 保と市子は爆笑し、近間は笑いを堪えて肩を震わせている。
「近間さん、まさか自分だけ冬服持ってきてないでしょうね」
「持ってきてないけど、俺は実家に服あるからさ」
「裏切り者」
 直樹はじとりと近間を睨む。
「服は、陽兄ようにいの服があるからそれ着ればいいよ。身長同じくらいだし。新しく買うなら、いつでも車だすしさ」
 保はそう言ったあと、近間の方を振り返った。
「恵兄、夕食用に「さの」に寿司注文してるんだ。二人をドロップしたら、市子と受け取りに行くんだけど、恵兄達も一緒に来るか?」
 近間は少し難しい顔をしてから、首を横に振った。
「いや、俺はやめておくよ。注文のついでみたいにしたくないから、明日、改めて出向く」
「その方がいいよな。了解」
「さの」という名にはなんとなく覚えがあったが、家族の話のようだったので、直樹は黙ってやりとりを聞いていた。


「あと5分くらいだよ」
 高速を降りてしばらく走っていると、土地勘のない直樹に、市子が教えてくれた。
「すげえ緊張する」
「大丈夫だよ。おじさんもおばさんも凄く優しい人だから」
 市子は安心させるように言ってくれるが、手のひらも脇の下も汗ばんでいる。
 3月の夕暮れはまだ肌寒いのに、緊張で身体が火照る。
 その直樹の手に、近間の手が重ねられた。
 覗き込むように見てくる目は穏やかに澄んでいる。
「直樹。嫌なら無理はしなくていい。どこかホテルに泊まって、金沢観光だけして帰ろう」
 嫌だと言えば、近間は無理強いはしないだろう。
 でも、ここで逃げ帰っても何も進まない。
 直樹は、重なる手の指を絡めとった。
「大芝居打っておいて、今更何言ってるんですか。ちゃんとご挨拶します。怖いけど、近間さんのご両親には、会いたいって思ってます」
「いい子だな、サンキュ」
 近間は嬉しそうに微笑んで、直樹の頬に素早くキスをした。


 近間家は1階の表が店舗になっている、そう大きくはない家屋だった。
 掲げられた真白い看板に、「近間とうふ店」と黒い文字が品よく並んでいる。
 地方都市のこじんまりとした個人経営の店だ。
 夕飯前の店には何人かの買い物客がいて、ショーケースに並ぶ豆腐製品や総菜を見繕っている。湯気の立つ豆腐コロッケがうまそうだ。
 都心とロンドンで育った直樹は、ああ、こういうの、なんかいいなと素直に思う。

「じゃあ、絹を2丁とがんもどきをお願いね。あら、恵ちゃんじゃない!」
 買い物客の中年女性が、近間と直樹に気づき、派手な声を上げた。
「あら本当。今、どっか外国にいるんじゃなかったの?」
「ご無沙汰してます、上田さん、沢木さん。4日間だけ、里帰りです」
 近間はきちんと二人の名前を呼んで、丁寧に頭を下げた。
「あらー、それは近間さんも大喜びね。それにしても、恵ちゃん、相変わらず男前ねー」
 腕をばしばしと叩かれながらも、近間は笑みを崩さない。
 ひとりひとりが、近間とうふ店にとって大事なお客さんなのだ。営業職の直樹にはそれがよく分かる。
「もう30超えたでしょ? なんでそんな王子様みたいなの」
「馬鹿だね、あんた。イケメンは年取らないのよ」
「あ、私、ちょっと翔太にLINEするわ。あの子、恵ちゃんのこと大好きだから」
 買い物そっちのけで騒ぎだすおばさんたちに、店員のひとりが機敏に助け舟を出してくれた。
「恵介さん、旦那さんと女将さんががお待ちですよ。上田さん、こちらお品物。370円になります。沢木さん、お豆腐何丁にします?」
 その隙に、近間は軽く会釈をして、店の奥に入っていく。
 直樹は深呼吸をして、近間の後を追った。


 店の奥に土間兼玄関があり、居間に直接続いている。
 畳敷きの部屋の中央には大きなテーブルがあり、割烹着姿の女性が夕餉の支度の真っ最中であった。

「母さん、ただいま」
 近間が呼びかけると、女性は手ぬぐいで手を拭きながら、土間まで降りてきた。
「おかえり、恵介」
 近間の母親だとすぐに分かった。
 性別も年齢も違うが、顔の造作が同じなのだ。
 還暦を過ぎていると聞いていたが、髪は無造作にまとめただけで、化粧もほとんどしていないのに、全体の印象がとても綺麗だ。
 目元は近間よりもきりりと引き締まっていて、冷たい印象さえ受ける。
 近間母は視線を息子から直樹に移した。直樹は背筋を伸ばして、近間母と視線を合わせてから、頭を下げた。
「初めまして。梶直樹と申します。本日はお時間を割いてくださりありがとうございます」
「近間紹子と申します。恵介がいつもお世話になっております」
 丁寧に挨拶を受けてから、近間母はじっと直樹の顔を見つめた。
 顔立ちが整った人の真顔は怖い。
 射るような目で見られて、背筋に冷や汗が流れた。
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