花鳥風月

ナムラケイ

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第1章:花ひらく頃、三条大橋にて

佐川清正

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 中弥が仕事を終えて番所で退城の手続きをしていると、どこからともなく征次がやってきて、三条大橋まで送ってくれる。
 それが常だったが、今日は征次の姿が見当たらない。
 別に約束をしているわけではないが、先に帰った方が良いのかもう少し待った方が良いのか判断しかねて番所の三和土でまごついていると、長身の侍が番所に駆け込んできた。
 日暮れの薄暗い室内のことで、その身長の高さに一瞬征次かと思ったが、行燈に照らされた顔は征次とは似ても似つかなかった。
 肩幅も征次よりはずっと狭くてひょろりとしている。
 男は中弥を見るなり、快活に誰何した。

「もしかして、中弥君かい?」

 相手は初対面の武士なので、中弥は姿勢を正して、丁寧にお辞儀をした。

「はい。中弥でございます。お疲れ様でございます」

 男は両掌をぶんぶん振ると、征次よりも気安い言葉遣いを放った。

「ああ、いいよいいよ。そんなかしこまらなくて。俺は佐川清正さがわきよまさといってね、倉橋の同僚だよ。友人でもある」
「せい……じゃなくて、倉橋様のご友人」
「そうそう。いや、倉橋から君宛の伝言を預かっていたんだけど、会議が長引いちゃってこんな時間になってしまった。間に合って良かったよ。君が帰ってしまっていたら、倉橋にどやされるところだった」

 男は大きな身振りを交えてぺらぺらとよく話した。
 倉橋と苗字を呼び捨てているので、征次と同等の階級なのだろう。
 その佐川がこんなに急いで届けに来たということは、余程重要な伝言なのかと身構える。

「佐川様。伝言の内容を伺ってもよろしいでしょうか」
「あ、そうだよね。ええとね」

 佐川は人差し指を立てて諳んじた。

「可愛い中弥へ」
「……は?」

 冒頭に仕掛けられた時限爆弾に、中弥は思いっきり眉をひそめた。
 茶を飲んでいたら盛大に噴いているところだ。

「今の、冗談ですよね」
「大真面目だよ。あいつ、「可愛い」か「愛しの」か、それとも「俺の」にするかで15分は悩んでたから」
「……信じられない」

 呆れるしかない。

「ごめんね、あんな奴で」

 佐川は心底気の毒そうな目で中弥を見た。

「続きは普通だから安心して。ええと、今日は午後から大番頭の共で京都所司代に行くことになった。送り届けることができずに残念だ。夜道は危ないからくれぐれも気を付けて帰るように。明日の朝が待ち遠しくてたまらないな。おやすみ」
「……」
「以上だよ」
「それだけですか?」
「うん」
「佐川様にお手間を取っていただくほどの内容ではなく、申し訳ないです」
「あの馬鹿から伝言を聞いて、俺が届けたいって思ったから届けたんだよ。届ける価値がない伝言なら、はなから断っている」
「お気遣いをありがとうございます。正直に言うと、倉橋様がいらっしゃらないので、先に帰って良いものかを迷っていたところです。佐川様がいらっしゃってくださり、助かりました」

 頭を下げると、佐川は君はいい子だねえと言った。

「あの、ただ、最後の部分がよく分からなかったのですが」
「最後?」
「はい。明日の朝が待ち遠しいとは、明朝に何かあるのでしょうか」

 そう尋ねると、佐川はくるりと目玉を回して、うーんと唸った。

「これは、うん。倉橋もなかなか大変だなあ」
「大変なことがあるのですか」
「いや、何もないよ。気にすることはない。気を付けて帰りなさい」
「はい。ありがとうございました。失礼いたします」

 提灯片手に三条通りをまっすぐに歩いていく絵師の小柄な背中を見送って、佐川は苦笑した。

 明日の朝が待ち遠しいのは、また君に会えるから。

 なんて、解説するのは情緒がないというものだろう。
 こっぱずかしい伝言を届けただけで十分勤めは果たしたというものだ。

 佐川は番所の畳に腰を下ろすと、火鉢に手をかざした。今日は冷えるなと言うと、気を利かせた番士が茶を煎れてくれた。
 最近の倉橋ときたら、ようやく運命の相手に出会えただの、その子が可愛いすぎて困るだの放っておけないだの、付き合っている相手はいないそうだなの、浮かれたことばかり抜かしていて、その浮かれぶりといったら、二人の事情を知っている佐川でさえも、時々はうざったいくらいなのだ。
 中弥は確かに中性的で繊細な顔立ちをしているが、どこからどうみても立派な男だし、どちらかといえば暗い感じだし、何が可愛いのか佐川にはさっぱり分からない。
 しかし恋は盲目。運命なら仕方がない。
 まあ、せいぜい頑張れよと心中で応援して、佐川は熱い番茶を啜った。
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