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第1章:花ひらく頃、三条大橋にて
梅の追求
しおりを挟む三条油小路にある食事処「うめや」は、中弥の気に入りの店だ。
店主の守蔵が、齢80になる母親と、孤児の梅梅の3人で切り盛りしている。
客は10人も入らない小さな店だが、守蔵のメシは滅法美味く、値段も安い。
お梅はまだ10歳だが、見ていて気持ちが良いほど働きぶりが良い。
立地が工房から近いこともあり、中弥も週に2、3は訪れている。友彦と酒を酌み交わす時もいつもうめやだ。
「今日もお仕事お疲れ様でした。はい、お酒と茄子のしぎ焼、だし巻き玉子にカボチャの炊いたんです」
小さな体に大きなお盆を抱えたお梅が、たんたんたんとリズミカルに皿を置いていく。
冬は火事が多いので、大工の友彦は懐に余裕がある。皮肉なものだが、稼いだ分は市中に還元すべきだと友彦は普段より多めに注文をした。
この時代、テーブルや机なんてものはないので、酒も料理も床か床几の上に直に置かれる。
お梅に礼を言い、中弥と友彦はぐい飲みを銘々煽った。
熱い酒が冷えた身体の中を落ちてゆき、胃の腑が温まる。中弥はほうっと溜息をついて、玉子焼きに箸を入れた。
「今の現場にさ、色っぽい女中がいるって言ったろ?」
二杯目の酒を注ぎながら、友彦が切り出した。
今日の酒を誘ったのは友彦の方で、それが話したかったのだろう。噂が千里を走る壁の薄い裏長屋ではあけすけな話はできない。
中弥が、そういえば言っていたなと相槌を打つのを待ってから、友彦は続けた。
「付き合うことになった」
「は?」
唐突さに、箸の先から玉子が零れ落ちた。床几に落ちたそれを友彦が指で拾い上げ、3秒経たないうちに口に入れる。
「おまえ、人がコイバナしてんのに、は?はないだろ」
「いやだって、友彦。その女中との出会いを聞いたのは先週だぞ。いくらなんでも展開が早くないか」
「早くねえよ。普通だろ」
「普通の定義とは」
さすが、火消しに継ぐ人気職業の大工だ。手が早い。
友彦は酒を煽って胸を張った。
「好きになったら一直線。これが俺の信条だ」
「それは何度も聞いているが、何をどうしたらそんなに早く話が進むんだ」
「何をどうしたって」
友彦は箸を置くと咳ばらいをして、気色の悪い声音を使って一人二役をやり始めた。
「好きだ!、ごめんなさい友彦さんはいい人だけど私はまだ好きとかよく分からなくて、じゃあお試しで付き合ってみよう!、え?でもそんなのって不謹慎だわ、不謹慎なもんかみんなやってることだ嫌になったらすぐ振ってくれていいから付き合ってみよう!、友彦さんがそこまでいうなら以下略って感じだ」
「ごり押ししただけじゃねえか。それ、好かれてんのか」
中弥の呆れ顔に、友彦は勝気に杯を掲げた。
「好かれているともさ。相手が自分を好きかどうかなんて、なんとなく分かるものだろ。その気がゼロなら、相手だって速攻で振るはずだ。もじもじしているのは脈がある証拠だ」
羨ましいほどの自信である。
「まあ、始まりはなんだが、良かったじゃないか。おまえはちょっとばかし短気だし手が早いが、いい奴だ。その女中さん…」
「藤だ」
「お藤さんは見る目があるんだろうよ。大事にして、優しくしてやれよ」
真正面から応援すると、友彦は照れてみせた。
「俺は、おまえのそういうとこが好きで友をやっている。俺が女だったら、おまえと付き合うのにな」
「鳥肌が立つことを言うな」
顔をしかめた中弥だが、酒の力も手伝って、ふと聞いてみたくなった。
「友彦。例えばだが、誰かに可愛いと言うのは、その相手を好いているということか?」
「そりゃあ、そうなんじゃねえか。好意がなかったら可愛いとは思わねえだろ。まあ、可愛いって言葉は子供や動物にだって使うから、情愛的な好きかどうかは時と場合によるんだろうが」
子供や動物。それはそうだ。長屋の新三郎は気まぐれな猫だが、とびきり「可愛い」。
「じゃあ、「親愛なる」とか「俺の」とかって枕詞につけるのは、どういう意味だ?」
「そりゃ、おめえ」
話しかけた友彦を遮って、配膳がひと段落したらしいお梅がずいっと入ってきた。
「中弥君。それ誰に言われたの?」
「言われたわけじゃないよ。ただの、たとえ話」
「ふうん」
中弥のごまかしに、お梅は意味ありげに目を細めた。
「親愛なるはともかく、「俺の」は、ねえ」
「「俺のは」、そりゃあ、なあ」
友彦も生暖かい視線になっている。何なのだ。
「で、誰に言われたの?」
お梅が食い下がってくる。
「だから俺じゃないって」
「中弥君」
否定するが、お梅は許してくれない。中弥はしぶしぶ頷いた。
「……仕事先で知り合った侍だよ」
「どんな人?」
「どんなって言われても。明るくて話好きで、いい奴だよ」
「見た目は?」
お梅は身を乗り出してくる。いつも大人ぶってクールなお梅にしては珍しい反応だ。迫力に負けて、中弥は征次の姿を思い描く。
「やたら目がでかくて、西洋人みたいに濃いめの顔で。背が高い。友彦よりも高いな。あと、なんかいい匂いがする」
お梅は緊張した面持ちで、その人の名前はと聞いた。
「お梅、今日は随分絡むな」
「いいでしょ、別に。ほら、名前は?」
「倉橋、征次」
その名を聞いた途端、お梅は一瞬泣きそうになって、次に花が咲くように笑った。
そこへ、新しい客が木枯らしと共に入ってきた。
温かい店の温度が一気に下がる。お梅はまだ話したりなさそうだったが、「お梅! 油売ってねえでお客さんを出迎えねえか!」と店主の守蔵の檄が飛んできて、慌てて戸口に向かう。
「いらっしゃいませー、どうぞ奥に」
店が混んで来たので、中弥と友彦もお開きにすることにする。ぬるくなった酒を飲み干し、その横に銭を多めに置いた。
「ありがとうございました。またお越しを!」
寒い寒いと肩を寄せ合うように帰途につく絵師と大工の後ろ姿を見送り、お梅は白い息を吐いた。
「また会えて良かったね、中弥君」
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