CINDERELLA

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09:シンデレラ

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シンデレラっていう童話がある。かなり有名な童話だし、誰だって一回は読んだことがあるだろう。

シンデレラは不幸な星の元に生まれたけど、魔法の馬車とガラスの靴でパーティに出かけて、王子様の心を掴んだ。でも、12時になって魔法は切れてしまったんだ。王子様は残されたガラスの靴を手がかりにして、シンデレラを探した。そうして、とうとう二人は幸せに結ばれたというわけだ。よくシンデレラストーリーなんていう言葉が使われるけど、あれはひとえに、雇われ者のシンデレラが王子様の心を掴んだということが、一発逆転の大成功を収めるというところに通じているからなんだろう。

だけど、世の中の全てがシンデレラのようにはいかない。

なかなか無いことだからこそ、そういう話は夢を乗せて語り継がれるんだろう。といっても童話は作り物であって伝承とかではないから、強いていえばそれは、人々の「夢」なんだろう。絶対無理だって思うようなことがたくさんあるけど、もしかしたらつかめるかもしれないっていう、僅かな可能性のために。

 俺には魔法使いのおばあさんもいないし、だからガラスの靴なんかも登場しやしない。だけど、それでもシンデレラみたいな一発逆転が出来たらいいのになと願ってる。

いや、むしろ反対かな?

もしかしたら今こそ魔法がかかっている瞬間なのかもしれない。真実の俺の姿を隠す魔法。本当は女だっていう、本当の姿を。この魔法が切れたら、俺の気持ちも破れるのかもしれない。そうだ、12時になって魔法が切れてしまうのと一緒で。だけど俺にはガラスの靴は無いから、きっとその後のハッピーエンドはないだろう。魔法は解けたままで、そのまま雇われ者のまま生きることしかできないのかもしれない。

でもさ…。

もしあのとき魔法が切れなかったら、シンデレラはハッピーエンドになってたかな?あれはもしかしたらなるべくしてなったのかもしれないじゃないか。

もしかしたら、魔法は切れるべきなのかもしれない。

そういえばあの王子様は、シンデレラの本当の姿を見ても嫌がったりはしなかったんだな。迎えにきて、この人だって分かって、それがどんな姿であっても、王子様はシンデレラを選んだんだ。

 魔法は…やっぱり、切らなきゃいけない。

 例えシンデレラみたいにいかなくても。








 俺は、三日三晩寝込んだ。

さすがに家にずっといると退屈で、ぼんやり天井なんか見ててもあまり良い思考なんかできやしない。職場、大丈夫かな。シフトで迷惑かけちゃったな。俺はそんなことをぼんやり考えながら、一人きりの部屋で息をつく。

アカネは、最初の一日、ずっと傍にいてくれた。

 俺がふいに口に出したあの言葉のせいかもしれないし、元々そのつもりでいてくれたのかもしれないけど、とにかくアカネはずっと傍にいて、寝ている間もベット脇に椅子を寄せて座っていてくれた。俺はそれが嬉しかった。だけどずっと俺に付き合わせるわけにもいかないし、翌日からはちゃんと仕事に行ってもらうことにしたんだ。最初は、回復するまで休むって言ってくれてたけど、さすがにそれはできなかった。

そういえばアカネと香水の話をしたんだっけ。
ずっと気になってたアカネの香水。

ブルガリってブランドの香水なんだって言ってた。俺、この先、きっとあの匂いを嗅いだらアカネを思い出すんだろうな。

 逆に、アカネも俺に、俺のつけてた香水のことを聞いてきた。例の、ユリちゃんから貰ったやつだ。バニラみたいな甘い匂い。だけど俺はあの香水の名前も知らないし、自分で買ったわけでもないから、正直にそれを話した。貰いものだから分からないって。そしたらアカネは、女の子からのプレゼントだろ、って言って笑った。間違ってはないから反論はしなかったけど、俺を男だと思ってるアカネからすれば、なんか違う意味に取れたんだろうな。

 俺は職場の香水売り場で、ブルガリの香水をぼんやり眺めた。結構種類がある。アカネのつけてたのは、この内のどれなんだろう。


 「失敗しちゃいました?」

 「あ、ユリちゃん」


にっこり笑ったユリちゃんが、俺の隣に立って、香水のショウケースを眺めながら「やっぱりなかなか上手くいかないものですよね」なんて言った。ユリちゃんの期待にも応えられなかったってことが、何だか悪いことのような気がしてくる。

 俺が休んだ初日、職場に事情を連絡したアカネは、兄貴の名前を名乗ったらしい。なるほど、って思った。確かに、ウチにいるのが兄貴じゃなくてアカネだったっていうことを知ってるのはユリちゃんしかいない。職場の人たちは、兄貴の家にいる、ってところで情報がとまってるんだ。

 仕事の合間、ユリちゃんには事情を話しておいた。別に報告しなきゃいけないってこともないんだろうけど、何となくその方が俺が安心できる気がして。

だけどさ、ユリちゃん。
 俺はもう、魔法を切るって決めたから。ちゃんとやるよ。うん、そう決めたんだ、俺。


 「あ、これ社割で」

 「はいはいー。って、あれ、園部さんが?へー香水。珍しいね」

 「ははは、いやー気分転換ですよ」

 「おーそうかあ。これ良いよなあ。俺も欲しいんだよな。あ、だけどこれ男モンよ?良いの?」

 「ははは、良いんですよー。ユリちゃんに相談したらこれが良いって」


 仕事にはさっぱり身が入らなかったけど、とりあえずブルガリの香水を買った。これはアカネ用じゃなくて、アカネと離れたときの慰め用だ。はは、俺って何だかチキンだなあ。


 「私も社割お願いします」


ユリちゃんも、便乗するように社割で香水を買った。黒い瓶の大人っぽい香水だ。ユリちゃんは社割でそれを購入すると、何故かそれをそのまま俺の手の中に落とした。


 「はい、園部さん。これ私からのプレゼント」

 「ええ!?ユリちゃん!?」

 「貰って下さい。あのね、私、園部さんのこと大好きだから」

 「だ、大好きって!」

 「えへへー、これは上手くいきますようにっていうおまじない」


ユリちゃんの笑顔はめちゃくちゃ可愛かった。あー俺が男だったらユリちゃんに絶対惚れてたなあって思う。本当にありがとう、ユリちゃん。俺はユリちゃんのプレゼントの香水を握り締めた。

その香水は、ランコムの「マギーノアール」という香水だった。
 大人っぽい匂いがする。
マギーノアール、意味は”夜の魔法”というらしい。ユリちゃんが教えてくれた。

 俺はシンデレラのことを思い出す。夜の魔法。そうだな、俺はとうとう魔法を切ろうと思ってるけど、これをつけて勇気を出そう。

 俺の、最後の魔法だ。







アカネの帰りは、やっぱり遅かった。

 俺はそわそわして、今日こそ言うぞって思ってたからものすごくそわそわしてて、落ち着こうと何度も深呼吸した。

いつかこんな日がくるのかもって思ってたことが、とうとう今日やってくるんだ。本当はあの居酒屋の日に言うつもりだったけど、今度こそ本当にやってくる。アカネがどんな反応を返そうとも、俺が魔法を切って、その後の時間っていうのは確実にやってくるんだ。

 俺は、ほぼ90%アカネが目の前から消えてしまうことを考えていた。


 「ただいま」


 待つこと2時間、アカネはようやく帰ってきた。はっとして時計を見ると、あと15分で12時になろうというところだった。

 心臓がドクドクして、そんな緊張の中に、マギーノアールの匂いがふんわりと漂ってくる。


 「お、おかえり!今日も遅かったな」

 「ああ、まあな。…あれ、珍しいな。今日はまだ寝る準備してないんだ?まあ丁度良いか。実は俺、ジュンに話があってさ」

 「あ…あの、俺もちょっと話が…」


アカネが座ろうとしないから、俺も突っ立ったまま、廊下のところで会話が始まった。背の高いアカネを見上げる。金髪の髪から僅かに覗いた耳元のピアスがキラリと光って、俺は一瞬ドキリとした。

 先に言えよ、と言われて、俺は逆に、アカネが先に言えよ、と切り替えした。アカネはそれを拒絶しなかった。
そしてアカネの口から出てきた言葉に、俺は真っ白になったのだった。


 「俺さ、出て行くことに決めたから」

 「…え!?」

 「元々いきなり転がり込んできたような身分だし、そっから考えるとそれが正当だろうなって気もしてさ。あ、でも元もとの理由は仕事の都合なんだ。バンド忙しくなってきたから、詰めるために近くに住めって言われてて…まあそうだよなーってさ」

 「え、じゃあ…もう、決定なのかよ?悩んでるとかじゃなくて、それで決定なのかよ?」

 「だから、決めたんだって。短い間だったけど、ありがとな」

 「は…」


…なんだ、これ?

 俺は頭が真っ白で、暫く口を動かせなかった。俺が恐れていたことが、俺の白状なしにやってきたんだ。でも、思えばそういうことだってありうるんだ。俺は今までそんなこと考えもしなかった。

 俺が男だと思われてるからとかそういうことじゃなくて、そもそもこれは、ただの偶然で出てきあがってたってことなんだ。どうして気づかなかったんだろう。


 「それで、お前の方は?何?」

 「俺は…」


アカネの告白がショックすぎて、俺は、自分が女だとかそんなことはどうでも良いような気にさえなってきていた。だって今更これを白状したところでどうなる?アカネは、どうせいなくなるんだろう?

マギーノアールが、ふわっと香った。
 何だか、物凄く空しくなった。


 「俺…」

 「どうしたんだよ、ジュン?」


アカネが、俺の好きな仕草で顔を覗き込んでくる。

もう良いだろう?

どちらにしたって俺は、アカネとは離れなくちゃいけないんだから。


 「アカネ、俺さ…俺、本当は…」



その時だった。



 「ジュン〜!いるか〜!ちょっと今日泊まらせろ!」


 突然玄関のドアが開いて、怒声が響いてきた。それは紛れも無く兄貴の声だった。しかもこの声のカンジは確実に機嫌が悪いときのものだ。

やばい!

 俺は直感的にそう感じてハッとしたけど、そのときには既にもう遅かった。兄貴は俺の顔を覗き込むようにして近くにいたアカネの姿を見て、一瞬にして頭に血を上らせたんだ。


 「おまっ…浜瀬!?」

 「園部!?」

 「浜瀬が何でこんなとこにいんだよ!テメーまさか…ふざけんなよ!人の妹に手出してんじゃねー!!」

 「は!?妹!?」


アカネがこの上なく驚いて俺の顔を見てくる。俺はそんなアカネと兄貴とを呆然と見ることしかできなくなってた。

な…んだ、これ…?

こんなとこで?

 魔法が――――――――切れた…?


 「やっぱテメーなんか泊めるんじゃなかった!くそ、テメー許さねえぞ浜瀬!!」

 「ちょ、ちょっと待て!待てって園部!」


 兄貴がアカネの胸倉を掴んでる。それを見て、ああ、止めなきゃ、違うんだって言わなきゃ、って思うのに体が動かなかった。あの驚いたアカネの顔。あの顔。…もう魔法は切れたし、アカネはどうせいなくなるっていうし、俺は…。

…だけどさ、せめて…。

 俺の口から伝えたかったよ―――。


 「あ!ちょ…ジュン!?」

 「ジュン!!」


 気づくと、俺は二人の間をすり抜けて駆け出していた。とにかく遠く、とにかく遠く、どっかに消えてしまいたかった。そして出来れば、ほとぼりが冷めて帰ってきたとき、この家からアカネの物が全て消えていれば良いと思った。

あのブルガリの匂いも、無くなっていれば良い。


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