23 / 216
気づき
しおりを挟む
「橋本奏多さんですね、どうぞ。」
やわらかな声だった。
部屋の中は、病院特有の無機質さがなく、観葉植物や柔らかい照明で穏やかに整えられている。
奏多はわずかに眉をひそめながらも、体を支えながらゆっくりと中へ入った。
無言のまま椅子に腰掛けると、カウンセラーの女性は微笑みながら対面の席に座った。
奏多「……何を話せばいいか、わかりません。」
「大丈夫ですよ。話したいことがなければ、話さなくても。」
返ってきた言葉は、驚くほど優しかった。
奏多は少しだけ目を伏せたまま、答えを探すように唇を噛んだ。
「眠れない、と聞いています。最近も続いていますか?」
奏多「……はい。寝ても……夢を見て起きます。」
「どんな夢ですか?」
奏多「……母の顔が浮かびます。……死んだ時の。あとは、事故のときの、、、」
カウンセラーはうなずいた。
何も言わず、ただ受け止めるように。
「その夢のあと、どうしてますか?」
奏多「……静かに泣くか、……誰かのぬくもりにすがります。」
ふと、自分でも口にして驚いた。
“誰か”なんて、今までいなかったのに。
(今は……いるんだ、あの人が)
桐谷の手、声、抱きしめてくれた夜。
それを思い出すと、胸の奥にじわりと温かさがにじんだ。
奏多「……最近、泣いてるとき、少しだけ安心することがあります。」
「それは、なぜでしょうね?」
しばらくの沈黙のあと、奏多はぽつりと呟いた。
奏多「……あの人が、いるからだと思います。」
答えながら、胸の奥がかすかに震えた。
声に出して初めて、“安心”という感情に気づいた。
「……それは、大事な感情ですね。」
カウンセラーの微笑みに、奏多はゆっくりとうなずいた。
ほんの少しだけ、心が呼吸を取り戻した気がした。
奏多「‥はい。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
母「ねぇ奏多、今日は何食べたい?」
昔の母は、笑ってそう言っていた。
髪をまとめて、エプロンをつけて、慣れた手つきでキッチンに立つその姿は、どこか“理想の母親”そのものだった。
奏多「オムライス!」
母「また?好きだねぇ、奏多はほんとに。」
ケチャップで“かなた”と文字を書いてニコちゃんマークを書いてくれるのが嬉しくて。
あの頃は、幸せだった。
自分にも、母にも、何の翳りもなかった。
けれど。
父が事故で死んでからか、家は、母は、空気そのものが変わった。
母「なんであんたばっかり、生きてんの……」
最初は、泣きながらの独り言だった。
その次は、テーブルの皿がひっくり返された音。
そして、扉の向こうから聞こえるすすり泣きと、壁に投げつけられる酒瓶の音。
時間を追うごとに、それは“声”になった。
母「お前が、死ねばよかったのに……」
「見てるだけで腹が立つ……」
「お父さんを返してよ……!」
奏多は、黙っていた。
ただ、耐えるしかなかった。
泣いても、叫んでも、誰も助けてはくれないと、知っていたから。
母は一度、包丁を持ってキッチンの床に座り込んだことがあった。
「一緒に死んでくれる?」と笑って言った。
その目は笑っていたけれど、声は冷たかった。
奏多は、その夜から眠れなくなった。
ベッドに入っても、瞼を閉じると、あの夜の目が浮かんだ。
誰かが入ってきて、自分の首を締める夢も、何度も見た。
目覚めるたびに、汗と涙でシャツはびっしょりで、手は震えていた。
それでも、まだ“母が戻ってくるかもしれない”と信じたかった。
「母さん、僕今度ピアノコンクール金賞だった!」
「母さん、今度生徒会に入ったんだ、!」
「母さん、〇〇大学合格したよ、、!」
小さな報告を重ねた。
もう一度、あの“笑顔の母”に会える気がして。
「流石奏多だね~!」と笑顔で褒めてくれると信じ続けた。
けれど──
母「だから何?そんなんでお父さんは帰ってこないのに、、。」
「いちいち報告すんな、うるさい」
「さっさと出てけ、目障りなんだよ……!」
その声に、全部、砕かれた。
胸の奥にある“信じたい”気持ちごと。
それでも、まだ笑ってほしかった。
その気持ちすら、惨めだと思った。
そして、あの日──
ドアを開けた瞬間に、冷たい空気が流れ込んできた。
部屋の真ん中に、ロープが揺れていた。
首にくい込んだ痕。
紫色に変わった指。
床に落ちたスリッパが静かに落ちていた。
なぜ、止められなかったのか。
なぜ、自分だけが生き残ってしまったのか。
それが頭の中でぐるぐる回って、
涙よりも先に、吐き気が襲った。
「俺が……壊したのかな、全部……」
そう思った。
今もまだ、その気持ちは拭えないままだ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
呼吸が浅くなる。
胸の奥がざわめき、鼓動が耳の中に響いた。
(過去じゃない、ここは“今”だ──)
奏多は、目を強く閉じて、ゆっくりと吐き出すように呼吸を整えた。
数秒の沈黙のあと、かすれた声がようやく漏れる。
奏多「……ありすぎて、逆に、何も話したくなくなるんです。」
「それでも、話そうとするのは、なぜだと思いますか?」
カウンセラーの問いに、奏多は少しだけ目を伏せた。
椅子の上で、指を絡める。
奏多「……母のことを……嫌いになりたくないんです。」
その言葉は、自分でも思っていなかったほど脆く、幼かった。
奏多「暴力も、言葉も、……全部、壊してくれたのに、それでも、あの人の笑った顔を、まだ忘れたくない。
……バカみたいですよね。」
「いいえ。とても自然なことだと思います。」
カウンセラーの目は真っ直ぐだった。
“肯定”でも“慰め”でもなく、ただ、受け止める眼差し。
「あなたは、傷ついたまま、
それでも誰かを大事に思おうとする、
すごく優しい人ですね。」
その言葉に、胸がぐっと詰まった。
言葉にされた途端、堰を切ったように涙があふれてくる。
自分でも、なぜこんなに泣いているのか、わからなかった。
ただ一つだけはっきりしていたのは──
あの時、一人で見た“死”を、''絶望と恐怖''を
今はこうして“誰かに聞いてもらえている”ということだった。
やわらかな声だった。
部屋の中は、病院特有の無機質さがなく、観葉植物や柔らかい照明で穏やかに整えられている。
奏多はわずかに眉をひそめながらも、体を支えながらゆっくりと中へ入った。
無言のまま椅子に腰掛けると、カウンセラーの女性は微笑みながら対面の席に座った。
奏多「……何を話せばいいか、わかりません。」
「大丈夫ですよ。話したいことがなければ、話さなくても。」
返ってきた言葉は、驚くほど優しかった。
奏多は少しだけ目を伏せたまま、答えを探すように唇を噛んだ。
「眠れない、と聞いています。最近も続いていますか?」
奏多「……はい。寝ても……夢を見て起きます。」
「どんな夢ですか?」
奏多「……母の顔が浮かびます。……死んだ時の。あとは、事故のときの、、、」
カウンセラーはうなずいた。
何も言わず、ただ受け止めるように。
「その夢のあと、どうしてますか?」
奏多「……静かに泣くか、……誰かのぬくもりにすがります。」
ふと、自分でも口にして驚いた。
“誰か”なんて、今までいなかったのに。
(今は……いるんだ、あの人が)
桐谷の手、声、抱きしめてくれた夜。
それを思い出すと、胸の奥にじわりと温かさがにじんだ。
奏多「……最近、泣いてるとき、少しだけ安心することがあります。」
「それは、なぜでしょうね?」
しばらくの沈黙のあと、奏多はぽつりと呟いた。
奏多「……あの人が、いるからだと思います。」
答えながら、胸の奥がかすかに震えた。
声に出して初めて、“安心”という感情に気づいた。
「……それは、大事な感情ですね。」
カウンセラーの微笑みに、奏多はゆっくりとうなずいた。
ほんの少しだけ、心が呼吸を取り戻した気がした。
奏多「‥はい。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
母「ねぇ奏多、今日は何食べたい?」
昔の母は、笑ってそう言っていた。
髪をまとめて、エプロンをつけて、慣れた手つきでキッチンに立つその姿は、どこか“理想の母親”そのものだった。
奏多「オムライス!」
母「また?好きだねぇ、奏多はほんとに。」
ケチャップで“かなた”と文字を書いてニコちゃんマークを書いてくれるのが嬉しくて。
あの頃は、幸せだった。
自分にも、母にも、何の翳りもなかった。
けれど。
父が事故で死んでからか、家は、母は、空気そのものが変わった。
母「なんであんたばっかり、生きてんの……」
最初は、泣きながらの独り言だった。
その次は、テーブルの皿がひっくり返された音。
そして、扉の向こうから聞こえるすすり泣きと、壁に投げつけられる酒瓶の音。
時間を追うごとに、それは“声”になった。
母「お前が、死ねばよかったのに……」
「見てるだけで腹が立つ……」
「お父さんを返してよ……!」
奏多は、黙っていた。
ただ、耐えるしかなかった。
泣いても、叫んでも、誰も助けてはくれないと、知っていたから。
母は一度、包丁を持ってキッチンの床に座り込んだことがあった。
「一緒に死んでくれる?」と笑って言った。
その目は笑っていたけれど、声は冷たかった。
奏多は、その夜から眠れなくなった。
ベッドに入っても、瞼を閉じると、あの夜の目が浮かんだ。
誰かが入ってきて、自分の首を締める夢も、何度も見た。
目覚めるたびに、汗と涙でシャツはびっしょりで、手は震えていた。
それでも、まだ“母が戻ってくるかもしれない”と信じたかった。
「母さん、僕今度ピアノコンクール金賞だった!」
「母さん、今度生徒会に入ったんだ、!」
「母さん、〇〇大学合格したよ、、!」
小さな報告を重ねた。
もう一度、あの“笑顔の母”に会える気がして。
「流石奏多だね~!」と笑顔で褒めてくれると信じ続けた。
けれど──
母「だから何?そんなんでお父さんは帰ってこないのに、、。」
「いちいち報告すんな、うるさい」
「さっさと出てけ、目障りなんだよ……!」
その声に、全部、砕かれた。
胸の奥にある“信じたい”気持ちごと。
それでも、まだ笑ってほしかった。
その気持ちすら、惨めだと思った。
そして、あの日──
ドアを開けた瞬間に、冷たい空気が流れ込んできた。
部屋の真ん中に、ロープが揺れていた。
首にくい込んだ痕。
紫色に変わった指。
床に落ちたスリッパが静かに落ちていた。
なぜ、止められなかったのか。
なぜ、自分だけが生き残ってしまったのか。
それが頭の中でぐるぐる回って、
涙よりも先に、吐き気が襲った。
「俺が……壊したのかな、全部……」
そう思った。
今もまだ、その気持ちは拭えないままだ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
呼吸が浅くなる。
胸の奥がざわめき、鼓動が耳の中に響いた。
(過去じゃない、ここは“今”だ──)
奏多は、目を強く閉じて、ゆっくりと吐き出すように呼吸を整えた。
数秒の沈黙のあと、かすれた声がようやく漏れる。
奏多「……ありすぎて、逆に、何も話したくなくなるんです。」
「それでも、話そうとするのは、なぜだと思いますか?」
カウンセラーの問いに、奏多は少しだけ目を伏せた。
椅子の上で、指を絡める。
奏多「……母のことを……嫌いになりたくないんです。」
その言葉は、自分でも思っていなかったほど脆く、幼かった。
奏多「暴力も、言葉も、……全部、壊してくれたのに、それでも、あの人の笑った顔を、まだ忘れたくない。
……バカみたいですよね。」
「いいえ。とても自然なことだと思います。」
カウンセラーの目は真っ直ぐだった。
“肯定”でも“慰め”でもなく、ただ、受け止める眼差し。
「あなたは、傷ついたまま、
それでも誰かを大事に思おうとする、
すごく優しい人ですね。」
その言葉に、胸がぐっと詰まった。
言葉にされた途端、堰を切ったように涙があふれてくる。
自分でも、なぜこんなに泣いているのか、わからなかった。
ただ一つだけはっきりしていたのは──
あの時、一人で見た“死”を、''絶望と恐怖''を
今はこうして“誰かに聞いてもらえている”ということだった。
34
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
【柳原学園】いやいや、俺は『俺様生徒会長』だから
西園 斎
BL
家の都合で『俺様』を演じてる生徒会長が、生徒会やら風紀やら教師やらから好かれるお話。
演技俺様会長総受け(愛され)/後固定CP
*10年以上前の作品を、やや加筆修正していきます
たとえば、俺が幸せになってもいいのなら
夜月るな
BL
全てを1人で抱え込む高校生の少年が、誰かに頼り甘えることを覚えていくまでの物語―――
父を目の前で亡くし、母に突き放され、たった一人寄り添ってくれた兄もいなくなっていまった。
弟を守り、罪悪感も自責の念もたった1人で抱える新谷 律の心が、少しずつほぐれていく。
助けてほしいと言葉にする権利すらないと笑う少年が、救われるまでのお話。
氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された
楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。
何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。
記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。
----------
※注)
かっこいい攻はいません。
タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意!
貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。
ハッピーエンドです。
激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします!
全16話 完結済み/現在毎日更新予定
他サイトにも同作品を投稿しています。
様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。
初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!
大嫌いなこの世界で
十時(如月皐)
BL
嫌いなもの。豪華な調度品、山のような美食、惜しげなく晒される媚態……そして、縋り甘えるしかできない弱さ。
豊かな国、ディーディアの王宮で働く凪は笑顔を見せることのない冷たい男だと言われていた。
昔は豊かな暮らしをしていて、傅かれる立場から傅く立場になったのが不満なのだろう、とか、
母親が王の寵妃となり、生まれた娘は王女として暮らしているのに、自分は使用人であるのが我慢ならないのだろうと人々は噂する。
そんな中、凪はひとつの事件に巻き込まれて……。
『定時後の偶然が多すぎる』
こさ
BL
定時後に残業をするたび、
なぜか必ず同じ上司が、同じフロアに残っている。
仕事ができて、無口で、社内でも一目置かれている存在。
必要以上に踏み込まず、距離を保つ人――
それが、彼の上司だった。
ただの偶然。
そう思っていたはずなのに、
声をかけられる回数が増え、
視線が重なる時間が長くなっていく。
「無理はするな」
それだけの言葉に、胸がざわつく理由を、
彼自身はまだ知らない。
これは、
気づかないふりをする上司と、
勘違いだと思い込もうとする部下が、
少しずつ“偶然”を積み重ねていく話。
静かで、逃げ場のない溺愛が、
定時後から始まる。
若頭の溺愛は、今日も平常運転です
なの
BL
『ヤクザの恋は重すぎて甘すぎる』続編!
過保護すぎる若頭・鷹臣との同棲生活にツッコミが追いつかない毎日を送る幼なじみの相良悠真。
ホットミルクに外出禁止、舎弟たちのニヤニヤ見守り付き(?)ラブコメ生活はいつだって騒がしく、でもどこかあったかい。
だけどそんな日常の中で、鷹臣の覚悟に触れ、悠真は気づく。
……俺も、ちゃんと応えたい。
笑って泣けて、めいっぱい甘い!
騒がしくて幸せすぎる、ヤクザとツッコミ男子の結婚一直線ラブストーリー!
※前作『ヤクザの恋は重すぎて甘すぎる』を読んでからの方が、より深く楽しめます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる