幽霊部員は本物の幽霊でした。~オカルト部の日常と非日常~

風船色

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第4話:音楽室のセレナーデ

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 夜の学校というのは、なぜこうも人の不安を煽る構造をしているのだろうか。

 長く伸びる廊下は、まるで巨大な生物の食道のように暗く、等間隔に並ぶ教室の窓は、うつろな眼窩のようにこちらを見つめている。  午後八時。生徒はもちろん、教師たちの姿も消えた校舎内。  非常誘導灯の緑色の明かりだけが、頼りない道標として点在していた。

「……ねえ、零士くん。なんかここ、昼間より寒くない?」

 俺の左腕に、しがみつくような感触がある。  白鷺瑞希だ。  彼女は今、俺の二の腕を両手で強く抱きしめ、ぴったりと身体を密着させている。傍から見れば(俺が一人で腕を押さえているようにしか見えないが)、怯える恋人が彼氏にすがりついている図に見えなくもない。

「幽霊が怖がってどうする。お前が一番のホラー要素だ」 「だってぇ! 私、お化け屋敷とか苦手なタイプなんだもん! 自分がお化けなのと、怖いお化けが出るのは別腹でしょ!?」

 瑞希は涙目で抗議してくる。  彼女の身体からは、微かな冷気が伝わってくる。だが、俺がこうして触れ合っていることで、俺の体温が彼女に流れ込み、彼女の輪郭を保っていた。  この「接触」は、今の彼女にとっては命綱のようなものだ。特に、こういう霊的磁場の悪い場所では。

「……確かに、空気が重いな」

 俺は懐中電灯の光を前方に向けた。  特別棟、三階。音楽室のあるフロアだ。  階段を上がるにつれ、肌にまとわりつくような湿度が上がっているのが分かる。物理的な湿気ではない。怨念や未練といった負の感情が、ヘドロのように空間に滞留している感覚だ。  俺の「視える」目には、廊下の隅々に煤のような黒い粒子が漂っているのが映っていた。

「零士くん、聞こえる……?」

 瑞希が動きを止めた。  俺も足を止める。  静寂の中、耳を澄ます。

 ポーン……ポーン……

 聞こえた。  ピアノの音だ。  だが、それは音楽と呼ぶにはあまりにも拙く、そして不気味だった。  調律が狂っているのか、あるいは奏者の指が折れているのか。不協和音が、断続的に、何かを訴えるように響いている。

「『開かずの音楽室』の噂通りだな」

 俺は声を潜めた。  噂では、ここでピアノを弾いているのは、コンクール前に自殺した女子生徒の霊だと言われている。  だが、この気配はそんな単純な悲劇の残滓ではない。もっとドロドロとした、人工的な悪意のようなものを感じる。

「行けるか、瑞希」 「う、うん……零士くんがいるなら、頑張る」

 瑞希は震えながらも、俺の腕を握る力を強めた。  俺たちは呼吸を合わせ、音楽室の重厚な防音扉の前へと進んだ。

2

 扉には鍵がかかっているはずだった。  だが、俺がノブに手をかけると、カチャリという音と共に、それはあっけなく回った。  まるで、中から誰かが「どうぞ」と招き入れているかのように。

 俺は瑞希を背中に隠すようにして、ゆっくりと扉を押し開けた。

 ギイィィ……と、蝶番が錆びついた悲鳴を上げる。  懐中電灯の光が、広い室内を切り裂いた。  整然と並ぶパイプ椅子。壁に掛けられたバッハやベートーヴェンの肖像画。そして、部屋の最奥、一段高くなったステージの上に、そのグランドピアノはあった。

 ピアノの前に、影が座っている。

「……誰だ」

 俺が声をかけると、影がゆらりと揺れた。  懐中電灯の光を当てる。  そこにいたのは、人間ではなかった。

 それは、黒い霧の集合体だった。  人の形を模してはいるが、輪郭は曖昧で、内側から赤黒い光が脈動している。顔があるべき場所には目も鼻もなく、ただ大きく裂けた口のような亀裂があり、そこからヒュウヒュウと空気が漏れる音がしていた。

「――ヒ、キ、タ、イ……」

 影が呻いた。  硝子を爪で引っ掻いたような、不快な音声。

「キ、キイテ……ワタシノ、キョク……」

 影の両腕――いや、触手のような黒い帯が、鍵盤に叩きつけられる。  ガァァァン!!  爆発音のような轟音が室内に響き渡った。

「ひゃあっ!?」

 瑞希が悲鳴を上げて俺の背中に顔を埋める。  同時に、室内の空気が一変した。  壁に掛けられた音楽家たちの肖像画が一斉にガタガタと震え出し、パイプ椅子が独りでに跳ね上がる。ポルターガイスト現象だ。

「瑞希、離れるなよ!」 「離れられないよぉ!」

 影が立ち上がった。  その体積が膨れ上がる。天井に届くほどの巨大な黒い影となり、俺たちを見下ろした。  これは、ただの幽霊じゃない。  複数の霊魂を無理やり継ぎ合わせたような、歪な「怪物(キメラ)」だ。

「オ、オオオオッ!!」

 影が咆哮し、黒い腕を振り上げた。  物理的な質量を伴った一撃が、俺たちを潰そうと振り下ろされる――。

 その瞬間だった。

「――急急如律令!」

 凛とした詠唱が、闇を切り裂いた。

 ドォォォン!!  青白い閃光が走り、振り下ろされようとしていた黒い腕を直撃した。  影が苦悶の声を上げて後退る。

「え?」

 俺が振り返ると、音楽室の入り口に、一人の少女が立っていた。  制服のスカートを翻し、右手には数枚の呪符、左手には木刀を持った姿。  生徒会長、九条院凛だ。

「まったく。素人が不用意に怪異の結界を開けるから、活性化してしまったじゃない」

 凛は呆れたように言いながら、優雅な足取りで室内に入ってきた。  彼女の周囲には、目に見えない風が渦巻いているようだった。

「か、会長……?」 「下がっていなさい、八雲くん。ここからは専門家の領分よ」

 凛は俺たちの前に立つと、木刀を構えた。  ただの木刀ではない。表面にびっしりと梵字が刻まれており、淡い光を帯びている。

「浄化の時間よ、醜い合成霊」

 凛が床を蹴った。  速い。  達人のような踏み込みで影の懐に潜り込むと、流れるような剣舞を見せる。  一閃、二閃。  木刀が振られるたびに青い軌跡が描かれ、影の身体を霧散させていく。

「すごい……」

 瑞希が俺の背中から顔を出して呟く。  確かに圧倒的だ。これが「九条院家」の実力か。  影は反撃しようと触手を伸ばすが、凛の張った結界のようなものに阻まれ、届かない。

「終わりよ!」

 凛は懐から一枚の呪符を取り出し、木刀の切っ先に添えて突き出した。  呪符が燃え上がり、強烈な浄化の光となって影を貫く。  影は断末魔の叫びを上げ、霧となって消滅した。

 静寂が戻る。  後に残ったのは、荒らされた室内と、肩で息をする凛だけだった。

「ふぅ……。手応えの割に、脆かったわね」

 凛は木刀を下げ、髪をかき上げた。  そして、ゆっくりと俺たちの方へ向き直った。

「さて、八雲くん。怪我はない?」 「あ、ああ。助かりました」

 俺は安堵の息をついた。  なんだかんだ言いつつ、助けに来てくれたのか。案外いい人なのかもしれない。  そう思った、次の瞬間だった。

 凛の視線が、俺……ではなく、俺の背後、瑞希がいる空間に釘付けになった。  その瞳が、先ほどの戦闘時以上に険しく、鋭く細められる。

「……なるほど。あっちが囮で、こっちが本命というわけね」

 凛が再び木刀を構えた。  殺気が、真っ直ぐに瑞希に向けられる。

「えっ?」 「強力な霊気を感じるわ。先ほどの合成霊とは比較にならないほど純度が高く、そして人間に近い……。何より、貴方に憑依して精気を吸っている!」

 凛には瑞希の姿が見えていない。  見えていないからこそ、瑞希が放つ「強力な地縛霊の気配」と、俺に密着している状況を、「悪霊が人間に取り憑いている」と誤解したのだ。

「待ってください会長! これは違います!」 「黙っていなさい! 魅了されているのね。すぐに祓ってあげるわ!」

 凛は聞く耳を持たない。  彼女の手から、再び呪符が放たれた。  それは一直線に、俺の背後にいる瑞希へと飛んでくる。  退魔の力が込められたその紙片は、幽霊にとっては即死級の猛毒だ。

「いやあああっ!」

 瑞希が悲鳴を上げて竦み上がる。  逃げられない。恐怖で身体が動かないのだ。

(くそっ!)

 俺は反射的に動いていた。  思考よりも早く、身体が反応した。

 俺は瑞希を庇うように一歩踏み出し、飛来する呪符に向かって右手を突き出した。

「やめろぉぉぉっ!!」

 バチィッ!!

 俺の手のひらが、呪符を空中で鷲掴みにした。  瞬間、火傷しそうな熱さと衝撃が走る。  だが、俺はそれを握りつぶした。呪符は燃え尽きることなく、くしゃくしゃの紙屑となって床に落ちた。

「なっ……!?」

 凛が目を見開いて絶句する。  無理もない。退魔の力が込められた呪符を、生身の人間が素手で掴んで無力化するなど、あり得ないことだ。

 だが、俺の行動はそれで終わらなかった。  俺はすぐさま振り返り、腰を抜かしそうになっている瑞希の腕を掴んだ。  そして、強く引き寄せ、抱きすくめるようにして自分の身体に密着させた。

「きゃっ……れ、零士くん?」

 瑞希の驚いた顔が目の前にある。  俺は強く念じた。  ただ触れるだけじゃない。もっと強く、もっと確かに。  俺の存在を、俺の「生(せい)」を、彼女に流し込め。  幽霊という曖昧な存在を、この世界に「固定」しろ!

 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。  瑞希の身体が一瞬発光し、そして――重量感が増した。

「……え?」

 凛の声が震えている。  彼女の目には今、信じられない光景が映っているはずだ。  今まで「気配」でしかなかった場所に、突然、一人の少女の姿が「実体化」して現れたのだから。

 俺の腕の中には、温かく、柔らかく、確かな重みを持った瑞希がいた。  彼女の足には影が落ち、そのスカートは布擦れの音を立てていた。

「こいつは悪霊じゃない」

 俺は凛を睨みつけたまま、静かに、しかしはっきりと告げた。

「オカルト部の部員だ。手出しはさせない」

 シンと静まり返る音楽室。  凛は呆然と、突然現れた少女――瑞希を見つめていた。  瑞希は状況が飲み込めず、真っ赤な顔をして俺の胸の中でパクパクと口を動かしている。

「……貴方、一体何をしたの?」

 凛が警戒心を解かずに問う。

「見えたでしょう。こいつは幽霊ですが、俺が触れている間は人間と変わりません。祓う必要なんてないんです」 「幽霊を……人間と同じに?」

 凛は理解不能といった表情で眉を寄せたが、やがてふぅと息を吐き、木刀を下ろした。

「……どうやら、私の知っている常識は通用しないようね」

 彼女の瞳から、殺気が消えた。  代わりに宿ったのは、探究心とも好奇心とも取れる、複雑な光だった。

「いいわ、八雲くん。一旦停戦しましょう。……その『部員』についても、詳しく話を聞かせてもらう必要があるみたいだしね」

 俺はそこでようやく、全身の力が抜けるのを感じた。  腕の中の瑞希が、心配そうに俺の顔を覗き込む。

「零士くん、大丈夫? 手が……」

 彼女の視線の先、俺の右手は、呪符の熱で少し赤くなっていた。  だが、その痛みさえも、今は心地よかった。  俺は自分の能力の、本当の使い方を少しだけ理解した気がした。

 窓の外では、いつの間にか月が出ていた。  こうして、俺たちオカルト部と生徒会長の、長く奇妙な夜が始まったのだった。
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