幽霊部員は本物の幽霊でした。~オカルト部の日常と非日常~

風船色

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第7話:雨の日の水族館

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 週末は、予報通りの雨だった。  アスファルトを叩く雨音が、街全体の輪郭をぼやけさせている。

 駅前の待ち合わせ場所。傘をさして立つ俺の隣には、傘を持たない(持つ必要のない)少女がいた。  白鷺瑞希。今日は制服ではなく、俺が雑誌を見ながらイメージして具現化させた「私服モード」だ。白いオフショルダーのブラウスに、淡いブルーのロングスカート。清楚な装いだが、本人のテンションは小学生並みだ。

「わぁー、雨だ雨だー! ねえ零士くん、雨粒が私の体をすり抜けていくのが見える? マトリックスみたい!」 「……はしゃぐな。周りから見たら、俺が虚空に向かってニヤニヤしてる変質者に見えるだろうが」

 俺はため息をついた。  だが、心中では少し安堵していた。昨日の「存在消失」のショックから、瑞希は驚くほど早く立ち直っていた。いや、空元気かもしれない。だからこそ、今日の「デート」は重要だった。彼女をこの世に繋ぎ止めるための、楽しい記憶の上書き保存だ。

「お待たせ。……何よその顔は。不満そうね」

 そこに現れたのは、シックな黒のワンピースに赤いカーディガンを羽織った九条院凛だった。長い黒髪をハーフアップにし、普段の「鉄の生徒会長」とは違う、年頃の少女らしい雰囲気をまとっている。

「不満というか……本当に来たんですね、会長」 「当然でしょう。未確認の霊体と一般生徒を二人きりにさせるわけにはいかないわ。これは『監視』よ。公務なんだから」

 凛はふんと鼻を鳴らしたが、その手にはしっかりと水族館の前売りチケットが握られていた。  瑞希が「わーい、凛ちゃんも一緒だー!」と飛びつこうとして、すり抜ける。凛はビクリと肩を震わせ、「寒っ! いきなり霊気を当てないで!」と文句を言った。

「よし、行くぞ。雨の日は霊的磁場が悪い。瑞希、離れるなよ」 「うん! 充電、充電!」

 俺が差し出した左手を、瑞希が両手でぎゅっと握る。  冷たい雨の中で、彼女の手の温もりだけが鮮明だった。俺の生命力が彼女に流れ込み、彼女の輪郭をくっきりと世界に刻み込む。

 傍から見れば、俺と凛のデート。  だが実際は、見えない少女を真ん中に挟んだ、奇妙な三人連れの休日だった。

2

 水族館の中は、薄暗く、青かった。  巨大な水槽の向こう側で、魚の群れが銀色のリボンとなって回遊している。  家族連れやカップルの喧騒も、分厚いアクリルガラスと水の音に吸い込まれ、どこか遠くの世界の出来事のように感じられた。

「すご……っ」

 瑞希が息を呑む気配が、繋いだ手から伝わってくる。

「零士くん、見て! 青い! 全部青いよ!」 「ああ」 「魚がいっぱい! あ、サメ! サメがいるよ! 凛ちゃん見て、サメ!」

 瑞希は子供のように指差して叫ぶ。  凛には瑞希の声は聞こえないが、俺が視線を向けた先を見て、なんとなく察したようだ。

「……シロワニね。凶暴そうに見えるけれど、意外と大人しい性格なのよ」 「へぇー、凛ちゃん詳しい! 意外と水族館好きなのかな?」 「『意外と水族館好きなんですか』と聞いてます」

 俺が通訳すると、凛は少し顔を赤くしてそっぽを向いた。

「べ、別に。生態系への学術的興味があるだけよ」

 そんなツンデレなやり取りをしながら、俺たちは順路を進んだ。  瑞希は常に全力だった。ペンギンの歩き方を真似し、巨大なエイの腹を見て爆笑し、深海魚のコーナーでは俺の背中に隠れて怯えた。  その全ての感情が、手を通じて俺の中に流れ込んでくる。  彼女が見ている世界。彼女が感じている驚き。  それは、ただの水族館という景色を、宝石箱のようなキラキラしたものに変えていた。

「……楽しいな」

 ふと、俺の口から言葉が漏れた。  自分でも驚くほど素直な言葉だった。  静寂を愛する俺が、こんな人混みの中で、しかも幽霊の世話を焼いているのに。

「えへへ、私も! 生きてて一番楽しいかも! あ、死んでるけど!」

 瑞希が俺を見上げて笑う。  その笑顔を見ていると、胸の奥がチクリと痛んだ。  この笑顔を守るために、俺たちはここに来た。だが、この「やりたいことリスト」を消化しきった時、彼女はどうなるのだろう。

 成仏して消えるのか。  それとも――。

3

 水族館の最奥。  「クラゲのファンタジア」と名付けられたエリアに、俺たちは到着した。  そこは他のエリアよりもさらに照明が落とされ、円柱形の水槽が無数に並んでいた。  暗闇の中、ライトアップされたクラゲたちが、ゆらりゆらりと浮遊している。

「……きれい」

 瑞希が足を止めた。  ミズクラゲ。アカクラゲ。名前も知らない小さな発光体たち。  それらは自らの意思で泳ぐというより、水流に身を任せ、ただそこに「在る」ことを許されているように見えた。

「私、これが見たかったの」

 瑞希が水槽のアクリルガラスに、そっと(俺と繋いでいない方の)手を触れる。  もちろん、その手はガラスをすり抜けてしまうのだが、彼女は愛おしそうにクラゲを見つめた。

「脳みそも心臓もないんだって。ただ流されて、透き通ってて、光に照らされて……。まるで、幽霊みたいでしょう?」

 静かな声だった。  凛も何かを感じ取ったのか、少し離れた場所で黙ってこちらを見守っている。

「私はね、自分が何者かも分からない。記憶もない。アルバムにも載っていない。……このクラゲたちみたいに、ただフワフワ浮いてるだけの存在」

 瑞希が、繋いでいた俺の手を強く握り返してきた。

「でもね、零士くん」

 彼女が俺の方を向く。  水槽の青い光が、彼女の顔を幻想的に照らし出していた。

「私、怖くなっちゃった」 「……何がだ?」 「リストを埋めるのが、怖い。全部やりきって、満足しちゃったら……私、どこかに行っちゃうのかな」

 彼女の瞳が揺れている。

「楽しければ楽しいほど、君と触れ合えば触れ合うほど、『ここ』にいたいって思っちゃう。成仏なんてしたくない。消えたくない。……もっと、零士くんと凛ちゃんと、部室でくだらない話をしてたいよ」

 それは、彼女の魂の叫びだった。  「未練を晴らして成仏する」という当初の目的の完全なる否定。  彼女の中に芽生えたのは、「死への納得」ではなく、強烈な「生への執着」だった。

 俺は彼女の手を引き寄せ、正面から向き合った。

「なら、行くな」

 俺は迷わず言った。

「成仏なんてしなくていい。リストが終わったら、また新しいリストを作ればいい。100個でも1000個でも、俺が付き合ってやる」 「……え?」 「お前を消そうとする奴がいるなら、俺が全力で止める。世界がお前を忘れても、俺が覚えている。……だから、勝手に消えるなんて思うな」

 それは、ほとんど告白に近い言葉だったかもしれない。  瑞希がぽかんと口を開け、それから見る見るうちに顔を真っ赤に染めた。  その時だ。

 ドォォォォン……!

 地鳴りのような音が響き、水族館の照明が一斉に落ちた。

「きゃっ!?」 「な、何!?」

 非常灯の赤い明かりだけが点灯し、館内がパニックに包まれる。  子供の泣き声、悲鳴、走り回る足音。  だが、俺の感覚(センサー)は、別の異常を捉えていた。

 ――甘い匂い。

 あの、腐ったバニラのような強烈な甘い香りが、空調を通じて流れ込んできている。

「八雲くん! あれ!」

 凛が叫んだ。  彼女が指差した先。  クラゲの水槽の前で見ていたカップルが、糸が切れた人形のように崩れ落ちていた。  一人だけではない。あそこにも、ここにも。  意識を失い、倒れていく人々。

「こ、これって……!」  瑞希が俺にしがみつく。 「『魂の蒸留』……!?」

 雨宮の言葉が蘇る。  街中の人間の精神エネルギーを吸い上げる。  ここは人が多い。しかも、休日でリラックスし、心が無防備になっている場所だ。  絶好の「収穫場(かりば)」だ。

「零士くん、見て……水槽!」

 瑞希の指差す方を見る。  美しいはずのクラゲたちが、次々と黒く変色し、溶けるように崩れていく。  水そのものが、どす黒い「毒」に変質していた。

「……雨宮だ」

 俺は歯ぎしりをした。  奴は、俺たちがここにいることを知っててやったのか? それとも、偶然か?  どちらにせよ、許せるはずがない。

「会長、結界を! 倒れた人たちを守ってください!」 「言われなくても! ――急急如律令、四方封殺!」

 凛が呪符を四方に放つ。  俺は瑞希を抱き寄せ、その場に膝をついた。  この甘い匂いは、霊体である瑞希にとって猛毒だ。

「瑞希、しっかりしろ! 意識を保て!」 「う、うん……苦しい……でも、零士くんの手、あったかいから……大丈夫……」

 彼女の姿が薄れかける。  俺は自分の全神経を集中させ、彼女に「生」を送り続ける。

 水槽のガラスに、うっすらと男の顔が反射したように見えた。  白衣を着て、優しげに微笑む男の顔が。  『楽しそうだね、八雲くん。でも、そろそろ時間だよ』  幻聴か、テレパシーか。

 俺は睨み返した。  水族館の闇の中で、俺たちの「デート」は、最悪の形で幕を閉じた。  だが、俺の中で一つだけ、揺るがない決意が固まっていた。  ――絶対に、瑞希は渡さない。
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