幽霊部員は本物の幽霊でした。~オカルト部の日常と非日常~

風船色

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第12話:人間vs魔術師

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「消えなさい、塵芥!」

 雨宮誠が指揮棒を振るうように指先を弾くと、背後の黒い津波が一気に崩落した。  数千、数万という怨念の集合体が、物理的な質量を持って俺たちに襲いかかる。  それは避けようのない絶望の壁だった。

「――天網恢恢、金剛招来!」

 九条院凛が、最後の一枚の呪符を口に咥え、両手で印を結ぶ。  彼女の全身から、命を削るような青い燐光が噴き出した。  光は巨大な半球状のドームとなり、俺たちの頭上を覆う。

 ドォォォォォン!!

 衝撃音が鼓膜を破らんばかりに響く。  結界の外側では、黒い影たちが牙を剥き、光の壁を食い破ろうと群がっていた。  ミシミシと、結界に亀裂が走る。

「くっ……! 長くは持たないわ! 八雲くん、行って!」

 凛の鼻から、ツーと鮮血が垂れる。限界を超えた霊力の行使。彼女は今、寿命そのものを燃料にしてこの場を支えている。

「でも、お前が……!」

「私は九条院の女よ! この程度でくたばりやしない! ……あいつの顔面を殴り飛ばしてくるまで、ここは死んでも通さない!」

 凛は血に濡れた唇で笑った。その笑顔は凄絶で、そして最高に美しかった。  俺は頷いた。  迷っている暇はない。彼女が作ったこの一瞬の道を、無駄にはできない。

「頼む!」

 俺は結界の端、わずかに開いた隙間から外へと飛び出した。

2

 結界の外は、地獄だった。  濃厚な瘴気が肌を焼き、呼吸をするたびに肺が腐りそうな感覚に襲われる。  雨宮は石舞台の上から、飛び出した俺を見て冷ややかに目を細めた。

「愚かな。結界の中にいれば、あと数分は生き延びられたものを」

 雨宮の周囲を浮遊する黒い球体――使い魔たちが、俺に照準を合わせる。  ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ!  黒い弾丸が、マシンガンのように発射された。

 避けきれない。  普通の人間なら、体ごと貫かれて即死だ。  普通の人間なら。

「……邪魔だッ!!」

 俺は走る速度を緩めず、迫り来る黒い弾丸に向かって右腕を振り抜いた。  バチィッ!!  硬質な音が響き、弾丸が軌道を逸らされて地面に突き刺さる。

「なっ……!?」

 雨宮の表情が凍りついた。

「弾いた……? 呪術による攻撃を、素手で?」

 俺の手の甲は赤く腫れ、火傷のような痛みが走っている。  だが、干渉できる。  俺にとって、こいつらの放つ魔術は「魔法」じゃない。ただの「見えない飛来物」だ。ボールが飛んでくればバットで打ち返せるように、霊的な攻撃も、俺には物理的な質量として知覚できる。

「俺は霊が視える! 触れる! だったら、お前のその『自慢の魔法』だって掴めるはずだ!」

 俺は雄叫びを上げながら、石舞台への階段を駆け上がった。  行く手を阻もうと、影の兵士たちが湧き出してくる。  鎌を持った骸骨のような影。

「シッ!」

 俺は影の腕を掴み、へし折った。  バキリ、という不気味な手応え。影が苦悶の声を上げて霧散する。  続けて、振り下ろされた鎌の柄を左手で受け止め、右の拳を影の顔面に叩き込む。  ドゴォッ!  影の頭部が爆散する。

「馬鹿な……あり得ない! 霊体に対する物理干渉だと!? 君の存在(コード)はどうなっているんだ!」

 雨宮が初めて狼狽した声を上げた。  彼にとって、俺は計算外のバグだ。魔術というルールの上で戦っている盤面に、土足で上がり込んで駒を素手で薙ぎ払う無法者。

「言っただろ! 俺はオカルト部の部長だ! 幽霊の扱いには慣れてるんだよ!」

 俺は階段の最上段に足をかけた。  目の前には雨宮誠。  その背後には、意識のない瑞希。

「させるか!」

 雨宮が両手を広げる。  地脈の奔流が立ち上り、彼の前に巨大な障壁となって立ちはだかった。  分厚いエネルギーの壁。  高密度の霊力は、触れるもの全てを溶解させる溶岩のようだ。

「これならどうだ! 触れればその腕、炭になるぞ!」

 熱波が顔を焼く。  確かに、これはヤバい。触れればただでは済まない。  だが、その向こうで瑞希が待っている。  俺の脳裏に、水族館での彼女の言葉が蘇る。  『私、消えたくない』

「知るかよ、そんなこと!」

 俺は止まらなかった。  躊躇なく、その青白い溶岩の壁に、両手を突っ込んだ。

3

 ジュワァァァァァァッ!!

 肉が焼ける音。  激痛なんて言葉では生温い。神経を直接ヤスリで削られ、煮えたぎる油に浸されたような感覚。  俺の両腕から煙が上がる。

「なっ、正気か!? 腕がなくなるぞ!」

 雨宮が叫ぶ。  俺は歯を食いしばり、血の味がする口の中で叫び返した。

「瑞希の痛みに比べれば……こんなもん、蚊に刺された程度だッ!!」

 俺は壁を掴んだ。  エネルギーの流れそのものを、指の力だけでねじ伏せる。  開け。開け。こじ開けろ!

 バリバリバリバリッ!

 空間が悲鳴を上げる。  俺の強引な「接触」によって、雨宮が構築した術式に物理的な亀裂が入る。  俺の血と、霊的なスパークが混ざり合い、障壁がきしみ始めた。

「あり得ない……人の身で、理(ことわり)をねじ曲げる気か……!」

「理屈ばっかりこねてんじゃねぇ! どけぇぇぇぇッ!!」

 渾身の力で両腕を広げる。  パァァァァン!!  障壁がガラスのように砕け散った。  キラキラと光る破片の中、俺は雨宮の懐へと飛び込んだ。

 無防備な魔術師。  その驚愕に染まった顔が、スローモーションのように見える。

「チェックメイトだ、先生」

 俺は握りしめた右拳を引いた。  魔法も、術式もない。  ただの、怒りを込めた人間の拳。

「これは、瑞希の分!」

 ドガァッ!!

 俺の拳が、雨宮の綺麗な顔面にめり込んだ。  眼鏡が砕け飛び、鼻骨が折れる嫌な感触が伝わる。  雨宮の体が吹き飛び、石舞台の上を転がった。

4

「が、はっ……!」

 雨宮は数メートル転がり、血を吐いて倒れ込んだ。  魔術師といえど、肉体はただの中年男だ。俺の一撃は効いたはずだ。

「……下品な……野蛮な……」

 雨宮は震える手で顔を覆い、ゆらりと立ち上がろうとする。  だが、その余裕はもう剥がれ落ちていた。

「どうして理解しない……! 僕は崇高な目的のために……愛のために……!」

「だから、それが独りよがりだって言ってんだよ」

 俺は荒い息を吐きながら、彼を見下ろした。  両腕はボロボロだ。感覚もほとんどない。  だが、まだ動く。  俺は雨宮に背を向け、磔にされている瑞希の方へ歩き出した。

「待て! 儀式はまだ終わっていない! その子に触れるな!」

 背後で雨宮が叫ぶが、俺は無視した。  下からは、凛と先輩幽霊が、残った影たちを掃討している音が聞こえる。  これで終わりだ。

 俺は瑞希の前に立った。  黒い管に繋がれ、白目を剥いて浮いている彼女。  その体は、以前よりも確かに「実体」に近づいていた。だがそれは、雨宮が別の魂を流し込んだ結果だ。  今の彼女の中に、俺が知っている白鷺瑞希は残っているのか。

「……瑞希」

 俺は震える手を伸ばした。  火傷だらけの手。血の滲む指先。  そっと、彼女の頬に触れる。

 ピクリ。  彼女の瞼が動いた。

「……れ、い……じ……くん……?」

 微かな声。  だが、それは間違いなく瑞希の声だった。  別の誰かじゃない。あのおっちょこちょいで、寂しがり屋の幽霊の声だ。

「おう。迎えに来たぞ」

 俺は笑おうとしたが、頬が引きつってうまく笑えなかったかもしれない。  瑞希の瞳に、焦点が戻る。  彼女は俺のボロボロの腕を見て、悲鳴のような声を上げた。

「腕! 真っ赤だよ! 痛そうだよぉ!」

「お前こそ、変な管いっぱい刺さってて痛そうだぞ」

 俺は黒い管を掴んだ。  これも霊的な物質だ。引き抜ける。

「抜くぞ。ちょっと痛いかもしれんが、我慢しろ」

「うん……零士くんが一緒なら、平気」

 俺は一本ずつ、慎重に、かつ迅速に管を引き抜いていった。  引き抜くたびに、プシュッという音と共に霊気が漏れ出し、瑞希の体が本来の半透明な姿へと戻っていく。  他人の魂という不純物が抜け、彼女自身の魂だけが残る。

 最後の管を抜いた時。  支えを失った彼女の体が崩れ落ちてきた。  俺はそれを、しっかりと抱き止めた。

 冷たい。  でも、確かな重みがある。  それは、彼女が「ここにいる」という証明の重さだった。

「……帰ろう、瑞希。部室へ」

「うん……うん……!」

 瑞希は俺の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。

 だが。  物語はまだ、ハッピーエンドを許してはくれなかった。

 ゴゴゴゴゴゴ……!

 地鳴りが響く。  石舞台全体が激しく振動し始めた。

「クク……フハハハハ!」

 倒れていたはずの雨宮が、狂ったように笑っていた。  彼は血まみれの顔で空を仰ぎ、叫んだ。

「器は壊れた! だが、集めたエネルギーは行き場を失って暴走する! 制御を失った地脈は、この地下空洞ごと爆発し、街を飲み込むぞ!」

 雨宮の体から、どす黒い影が溢れ出した。  彼は自らの肉体を崩壊させながら、最後の呪詛を吐く。

「道連れだ! 僕の夢が叶わないなら、せめて君たちも、この街も、すべて冥府へ連れて行ってやる!」

 地下空洞の中央を流れる光の川が、赤黒く変色し、臨界点を超えて膨張を始めた。  崩壊まで、あと数分。  俺たちの戦いは、まだ終わっていなかった。
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