落ちこぼれの【無属性】魔術師、実は属性そのものを定義する「概念魔法」の創始者だった

風船色

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第四話

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「最果ての森」の最深部に白亜の研究所を構えてから、一ヶ月が経過した。

 アリスティア・レイロードの生活は、極めて規律正しく、そして非世俗的だった。朝、自ら定義した「最適温度」の寝室で目覚め、ルナが用意した高エネルギー効率の食事を摂取し、残りの時間はすべて魔法理論の再構築に費やす。

 かつての王立魔導学院での日々が嘘のように、そこには「無能」と蔑む声も、非効率な属性魔法への強制も存在しなかった。ただ、世界の真理を数式へと翻訳する静謐な時間だけが流れていた。

 しかし、いかに概念魔法が万能に近くとも、質量保存の法則を無視してあらゆる物質を無から生み出すには、まだ膨大な演算コストが必要だった。

「アリスティア、残念なお知らせよ。昨日、貴方が『空間転移の触媒』に使った銀輝石の在庫が切れたわ。それに、私の朝食用のジャムも底をつきそう」

 銀髪を揺らしながら、ルナが報告してくる。彼女は今や、研究所の管理とアリスティアの計算補助を見事にこなす、完璧な助手へと成長していた。

「銀輝石……。あの石は地脈の魔力が結晶化したものだ。この森の瘴気エンジンで精製することも可能だが、それには三週間の連続稼働が必要になる。……時間の無駄ですね」

 アリスティアはペンを置き、眼鏡を指先で押し上げた。

「ルナ、近くの街へ向かいます。必要な素材を買い付け、ついでに研究所の備品を補充する。僕の研究を三週間も停滞させるコストに比べれば、俗世に顔を出す不快感など誤差の範囲内だ」

「やった! お出かけね! 私、人間の街って初めてだから楽しみだわ!」

 こうして、世界の法則を書き換える「賢者」と、その助手である「銀嶺竜」は、重い腰を上げて人里へと向かうことになった。

    *

 森の境界に近い宿場町「ルミナ」。ここは多くの冒険者や商人が行き交う、活気に満ちた場所だ。

 そんな賑やかな街の門を、二人の人影がくぐった。一人は、地味な魔導師の法衣に身を包んだ、線の細い少年。もう一人は、目を見張るほどに美しい銀髪の少女だ。

「……ねえ、アリスティア。みんながこっちを見てるわよ。やっぱり私の美しさが隠しきれていないのかしら?」

「自意識過剰です。珍しい色の髪が目立っているだけでしょう。……それよりも、ルナ。この街を流れるマナの不純物を見てください。非常に不快だ。属性魔法の残滓が至る所に散らばっていて、論理的な思考を妨げるノイズになっている」

 アリスティアにとって、街の活気は単なる「情報のノイズ」に過ぎなかった。彼は最短ルートで目的の場所――「冒険者ギルド」へと向かった。希少な素材を入手するには、商人から買うよりも、ギルドに張り出されている高難度依頼の報酬として、あるいはギルドの倉庫から直接買い付けるのが最も「効率的」だからだ。

 ギルドの重厚な扉を開けると、そこには汗と酒、そして安っぽい魔力の匂いが充満していた。

「いらっしゃい。……あら、見ない顔ね」

 受付の女性が、アリスティアの姿を見て怪訝そうな顔をした。アリスティアが着ているのは、王立魔導学院の「不合格者」に与えられる無地のローブだったからだ。

「銀輝石の原石、二十キログラム。それから、高純度の魔導インクと、空腹を満たすための最低限の食糧を。対価は現金、もしくは依頼の達成で支払います」

 アリスティアが淡々と告げると、周囲の冒険者たちからドッと笑い声が上がった。

「おいおい、坊主。銀輝石の原石を二十キロだって? そんなもん、王宮の魔導師様でもなけりゃ使いこなせねえ代物だぞ。おまけにそのローブ……『無属性』の落ちこぼれじゃねえか」

 一人の大男が、アリスティアの前に立ち塞がった。腰には巨大な戦斧を携え、身体からは荒々しい「土属性」の魔力が漏れ出している。

「無属性のゴミが、何の真似だ? ここは遊び場じゃねえんだ。火種一つ作れねえ奴は、大人しくママのところでミルクでも飲んでな」

 ルナが怒りで身を乗り出そうとしたが、アリスティアはそれを片手で制した。

「火種を作ることに何の意味があるのですか? そのプロセスは極めてエネルギー効率が悪く、既存の魔法学における火属性の定義は熱力学的に見て欠陥だらけだ。……貴方のその斧も、重心が右に零点四ミリメートルずれている。振り抜くたびに無駄な遠心力が発生し、筋肉に不要な負荷を与えている。実に非効率な生き方だ」

「……あ? 何をごちゃごちゃ抜かしてやがる!」

 男が拳を振り上げた瞬間、アリスティアの瞳が冷たく輝いた。

「定義。この空間における『摩擦係数』を一時的に零とする」

 パチン、と指先が鳴る。

 次の瞬間、男は踏ん張っていた足が氷の上を滑るように横滑りし、自重を支えきれずに無様に床へ転倒した。それだけではない。彼が掴もうとしたアリスティアの肩も、すべての摩擦を失っていたため、手がかかることすらなく虚空を掴んだ。

「ぐわっ!? なんだ、何が起きた!?」

「摩擦という現象を一時的に記述から外しました。……さて、受付の方。話を戻しましょう。現金がない場合、どの依頼を達成すればその素材が手に入りますか?」

 呆気にとられていた受付嬢は、慌てて資料をめくった。

「え、ええと……銀輝石を即座に報酬として出せるのは、この『Sランク』の緊急依頼だけです。街の北にある『霧の峡谷』に現れた、魔導反射の特性を持つ古代獣『スペクトル・ベア』の討伐。……でも、これは騎士団ですら手を焼いている代物で、属性魔法がすべて無効化されるという――」

「魔導反射。なるほど、既存の魔法というエネルギー放射を反射する波長を持っているわけですね。……論理的な隙(バグ)を見つけるのは容易そうです。ルナ、行きますよ。五分で終わらせます」

「了解、アリスティア! あいつらを見返してやるんだから!」

 アリスティアは転倒した男を一瞥もせず、ギルドを後にした。背後では「おい、待ちやがれ!」という怒号が響いていたが、アリスティアにとっては風の音と同じ、無意味な音声信号に過ぎなかった。

    *

 街から数キロ北にある「霧の峡谷」。そこは常に分厚い魔力の霧に包まれ、あらゆる探知魔法を狂わせる難所だった。

 谷の奥深くから、地響きのような咆哮が上がる。体長五メートルを超える巨大な熊、スペクトル・ベアが姿を現した。その体毛は虹色に輝き、放たれた火球や雷撃をすべて鏡のように跳ね返している。

「アリスティア、あいつよ! 確かにすごい魔力を弾き返しているわ。私のドラゴンの息(ブレス)でも、正面からだと相性が悪いかもしれない」

 ルナが身構える。だが、アリスティアは杖すら構えず、ただ静かに怪物の構造を観察していた。

「……幼稚な防御機構ですね。あれは反射しているのではなく、対象の魔法の『周波数』を瞬時に解析し、逆相の魔力をぶつけることで相殺しているだけだ。ならば、その『解析』という前提そのものを崩せばいい」

 アリスティアが、一歩前に出る。スペクトル・ベアが彼を餌と認識し、猛然と突進してきた。その巨体から放たれる圧力は、並の冒険者なら腰を抜かすほどのものだ。

「定義。この個体における『重力質量』と『慣性質量』のリンクを切り離す」

 アリスティアが言葉を発した瞬間、世界の理が歪んだ。

 突進していた巨熊の体が、不自然に浮き上がった。いや、浮き上がったというより、地面との接点を失い、自らの突進の勢いだけで制御不能な回転体へと変わったのだ。

「ぐ、がぁ……!?」

「さらに定義。対象の体内に含まれる水分を、一点の『絶対零度』へと収束させる。熱力学第二法則を無視し、エントロピーを強制的に減少(減少)させる」

 アリスティアの手のひらから、透明な波紋が広がった。

 咆哮を上げようとしたスペクトル・ベアの喉が、一瞬で凍りついた。凍結はそこから一気に全身へと広がり、虹色の体毛すらも真っ白な霜に覆われていく。魔法反射? 逆相の相殺? そんな「魔法のルール」など関係ない。

 アリスティアが行っているのは、魔法ではない。  この空間において、その生物が「凍るという結果」を、数式として確定させたのだ。

 ドォォォォォン……!

 巨大な氷像となった怪物が、自重に耐えかねて砕け散った。戦闘開始から、わずか十数秒。

「……ふむ。演算誤差は許容範囲内。ルナ、素材の回収を。心臓部に銀輝石の成分が凝縮されているはずです」

「……ねえ、アリスティア。今の、ちょっとやりすぎじゃない? あんなの、神様がやるようなことよ。あいつ、反射する間もなかったじゃない」

「『反射』という事象が発生するためには、伝播する時間が必要です。僕はその時間を零に固定した。論理的に考えれば、当然の帰結です」

 アリスティアは、砕けた氷の中から輝く石の塊を拾い上げた。

    *

 三十分後。アリスティアとルナは、再び冒険者ギルドの扉を潜った。

 中では、先ほどの土属性の冒険者がまだ仲間たちと「あのガキ、今頃死んでるぜ」と嘲笑っていた。受付嬢も、アリスティアの身を案じて沈んだ表情をしていた。

 コトッ、と。  受付のカウンターに、巨大なスペクトル・ベアの角と、凍りついた魔核が置かれた。

「依頼の達成を報告します。確認してください」

 ギルド内が、水を打ったように静まり返った。

「な、……え? これ、本物のスペクトル・ベアの角!? 嘘でしょ、まだ一時間も経ってないのよ!?」

 受付嬢が悲鳴に近い声を上げる。男たちが椅子を蹴立てて近寄ってくるが、その顔には先ほどの傲慢さはなく、ただ底知れぬ恐怖が浮かんでいた。

「バカな、無属性の……魔法も使えないガキが、どうやって……!?」

「魔法、ですか。……貴方たちの言う魔法とは、精霊に祈り、属性という色の付いた窓から世界を覗く、不自由な遊びのことでしょう?」

 アリスティアは、冷徹な瞳で男を見据えた。

「僕が扱っているのは、それよりも単純で、残酷なものです。――算数ですよ。世界を正しく記述すれば、貴方たちが一生をかけて磨き上げた属性魔法など、ただの書き間違いに過ぎない」

 アリスティアは、呆然とする受付嬢から報酬の銀輝石二十キロと、生活物資を詰め込んだ袋を受け取った。

「ルナ、行きましょう。ここは酸素の純度が低すぎる。研究所の空気が恋しい」

「ええ、そうね! さっさと帰りましょう、アリスティア。……あ、おじさんたち! 私の主人を馬鹿にするのは、明日からやめたほうがいいわよ。次に彼が『定義』するのは、貴方たちの存在そのものかもしれないんだから!」

 ルナが茶目っ気たっぷりに舌を出すと、二人は圧倒的な沈黙に包まれたギルドを後にした。

 門を出て、森へと向かう帰り道。  アリスティアは、手に入れた銀輝石の重さを確かめながら、静かに呟いた。

「属性魔法。……改めて確認できましたが、あれはやはり欠陥品だ。いずれ、その根本から修正しなければならない日が来るかもしれませんね」

「その時は、私も手伝うわよ。世界中の魔法をアリスティア色に書き換えるなんて、最高に楽しそうじゃない!」

 夕日に照らされた二人の背中を見送る者は、街には誰もいなかった。だが、この日を境に「無属性の賢者」という噂が、王国の裏側を駆け巡り始めることになる。

 アリスティア・レイロード。  彼が望むのは英雄の座でも、国家の繁栄でもない。  ただ、世界のすべてを「正しく定義する」こと。

 その歩みは、まだ始まったばかりだった。
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