落ちこぼれの【無属性】魔術師、実は属性そのものを定義する「概念魔法」の創始者だった

風船色

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第五話

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「最果ての森」の平穏を切り裂いたのは、断末魔の叫びと、大気を震わせる不吉な魔力の拍動だった。

 研究所の最深部で、アリスティア・レイロードは顕微鏡のような観測機材を覗き込んでいたが、わずかに眉を寄せた。彼の知覚は、研究所を囲む広大な「定義領域」の揺らぎを正確に捉えていた。

「アリスティア、北の境界線が騒がしいわ。大きな『穴』が開いたみたいに、マナが急速に消失している。……これはただの魔物じゃない」

 ルナが鋭い視線を窓の外へ向ける。彼女の銀色の瞳には、森の木々をなぎ倒して進む、異形の巨大な影が映っていた。

 それは、伝説に謳われる「マナ・イーター(魔力喰らい)」の変異種だった。体長十メートルを超えるその巨躯は、不定形の泥のような影で構成され、周囲のあらゆる魔力――大気中のマナから植物の生命力、果ては放たれた攻撃魔法までを無差別に吸い込み、己の糧として肥大化させていた。

 森の境界付近では、王国の騎士団と数名の高位術師たちが、絶望的な戦いを繰り広げていた。

「放て! 極大火球(グランド・フレア)ッ!」

 術師の叫びと共に、太陽のような熱量を孕んだ巨大な火の玉が放たれる。だが、その一撃が影の怪物に触れた瞬間、爆発すら起きなかった。火球はまるで水に吸い込まれるインクのように、無造作に、そして完全に消滅した。

「馬鹿な……火属性の最上位魔法だぞ!? 奴は魔法そのものを『食べて』やがる!」

「無駄だ、退け! 物理攻撃も効かん! あれは『魔法反射』どころじゃない……あらゆる属性魔法を無効化し、自身の質量へと変換する特異点だ!」

 騎士たちの悲鳴が響く。彼らにとって、魔法が効かない敵とは、世界の理(ルール)が通用しない悪夢そのものだった。

    *

 騒乱のただ中、一人の青年が静かに歩み寄った。

 煤に汚れた騎士たちの間を通り抜け、アリスティアは無表情に怪物を観察する。その背後には、不機嫌そうに唇を尖らせたルナが控えていた。

「……非合理的ですね」

 アリスティアの第一声は、同情でも怒りでもなく、呆れを含んだ呟きだった。

「君、逃げろ! そいつに魔法は効かない! 近づけば魔力を吸い尽くされて死ぬぞ!」

 騎士の一人が叫ぶが、アリスティアは立ち止まらない。

「魔法が効かないのではありません。貴方たちの使っている魔法という『言語』が、あの個体の構成論理に対して語彙不足なだけです。……ルナ、並列演算を開始。対象の核となる『存在定義』の記述を抽出してください」

「了解、アリスティア。……うわ、中身はボロボロね。数千人分の怨念と、不完全な術式が複雑に絡まり合ってる。解読に三秒かかるわ」

「三秒ですか。……少々、贅沢な時間ですね」

 アリスティアが眼鏡のブリッジを押し上げた。その瞬間、彼の周囲の空気が一変した。温度が消え、音が消え、ただ「純粋な思考」だけが空間を支配する。

 怪物がアリスティアの「質の高い魔力」を感知し、無数の影の触手を伸ばした。触手は触れるものすべてを分解し、吸収する死の宣告だ。だが、その触手がアリスティアの肌に触れる直前、ピタリと静止した。

「定義。この空間において、対象の『摂食』という概念を一時保留する」

 アリスティアの言葉に従い、物理法則が捻じ曲げられた。触手はそこにあるのに、アリスティアの魔力を一滴も吸い上げることができない。吸い上げるという「事象」が、世界から許可されていないからだ。

「……さて。属性魔法というものは、本来、世界の理を書き換えるための『手段』に過ぎない。しかし貴方たちは、その手段自体を崇拝し、枠組みに囚われすぎている。だから、こうして魔法を無効化する存在を前にしたとき、何もできなくなる」

 アリスティアは、影の怪物の核を見据えた。

「魔法を無効化するなら、魔法そのものの存在定義を消去すればいい。――極めて単純な算数です」

 アリスティアが右手を静かに掲げた。

「ルナ、出力を最大へ。全変数を固定。対象の領域から『魔力(マナ)』という概念を、根本からデリートします」

「準備完了! ……行っけぇー、アリスティア!」

 アリスティアの瞳が、深淵のような黒に染まった。

「概念削除(コンセプト・ディストラクション)。――記述抹消」

 爆発も、光もなかった。

 ただ、世界の「理」の一部が、消しゴムで消されたかのように消滅した。

 アリスティアを中心とした半径五十メートル。その範囲内において、この一瞬だけ「魔法」という概念そのものが存在しなくなった。

 精霊の加護、魔力の波長、属性の結合。それらすべての「定義」が、世界のメモリから一時的に削除されたのだ。

 その結果、何が起きたか。

 あらゆる魔法を吸収し、その魔力によって巨躯を維持していた怪物は、自身を構成する「接着剤(ロジック)」を失った。魔法を無効化する力すらも、魔法という概念の上に成り立っていた皮肉。

「……あ、……ぁ…………」

 怪物は叫び声すら上げられなかった。  影の巨躯は、ただの「ただの質量」に成り果て、自重を支える論理を失って霧散していく。魔力を喰らっていたはずの触手は、ただの泥水のように地面にこぼれ落ち、急速に蒸発していった。

 魔法を食べていた怪物が、魔法という概念が消えた世界では、存在することすら許されなかったのだ。

    *

 嵐が去ったような静寂が訪れる。

 騎士たちは、腰を抜かしたままその光景を見つめていた。彼らの目の前で起きたことは、彼らの知る「魔法」の範疇を完全に超えていた。

 強力な魔法で倒したのではない。  魔法そのものを「無かったこと」にした。

 そんなことが可能なのは、世界を創造した神か、あるいは世界のシステムそのものを掌握する者だけだ。

「……計算通りですね。ルナ、再構築を開始。削除した領域に、標準の物理定数を再記述してください。このままだと、周囲の草木まで生命維持の論理を失ってしまいます」

「もうやってるわよ。……ふぅ、今の出力はさすがに堪えるわ。アリスティア、後で最高級のハチミツを生成してよね」

「善処しましょう」

 アリスティアは、霧散した怪物の残滓を一瞥もせず、研究所の方へと歩き出した。

「ま、待ってくれ! 貴方は……貴方は一体、何をしたんだ!? あの怪物は、あらゆる魔法が効かないはずの絶望の象徴だったんだぞ!」

 騎士団長と思わしき男が、震える声で呼びかける。アリスティアは立ち止まらず、肩越しに冷淡な視線を投げた。

「絶望? ……大袈裟ですね。僕にとっては、ただの『未定義のバグ』に過ぎません。バグが見つかれば、修正(デバッグ)するのが研究者の務めでしょう」

「デバッグ……? 修正だと……?」

「魔法が効かないのであれば、魔法が存在しない世界へ書き換えればいい。それだけの話です。……貴方たちの言う『誇り』や『絶望』といった感情的な変数は、僕の数式には不要です。どうか、次はもっと論理的な敵を連れてきてください。その方が、データとして価値がある」

 アリスティアとルナの姿が、森の深い霧の中に消えていく。

 残された騎士たちは、自分たちの剣や杖を見つめた。これまで自分たちが信じてきた「属性」という力が、いかに脆く、そしてアリスティアという存在がいかに隔絶しているかを、痛いほどに思い知らされていた。

    *

 研究所に戻ったアリスティアは、椅子に深く腰掛け、再びペンを握った。

「ルナ。今の戦闘で得られた『概念削除』の負荷データを整理してください。……まだ、削除の際の余事象の揺らぎが大きすぎる。理想を言えば、周囲への影響を零に抑えつつ、対象の特定の属性値だけを抽出して消去できるようにしたい」

「……アリスティア。貴方、さっきの騎士たちがどんな顔をしてたか見た? まるで、世界の終わりを見てしまったような顔をしてたわよ」

 ルナが苦笑混じりに尋ねるが、アリスティアは手を止めない。

「世界の終わり、ですか。……非合理的ですね。世界は終わりませんよ。僕が、より正しく、より美しく定義し直していくのですから」

 アリスティアの瞳の奥には、飽くなき知的好奇心の火が灯っていた。  かつて「無属性のゴミ」と笑われた少年は、今や、世界のルールそのものを消去し、書き換える領域へと足を踏み入れている。

 属性という枠組みに縋る人々。  それらを蹂躙しようとする帝国。  アリスティアにとって、それらすべては、等しく「整理されるべき記述」に過ぎなかった。

「さて、次の章を書き始めましょう。……魔法という言葉が、古臭い伝説の呼び名に変わる日のために」

 夜の研究所に、羽ペンの走る音だけが規則正しく響いていた。  それは、古い世界の終わりと、論理による新世界の創造を告げる秒読みのようでもあった。
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