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第二章 バディ誕生!
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「誰か来ていたね」
デスクに座って書類を見たまま、顔も上げずに叔父様が言った。
わたしは、がっかりした声で答える。
「刑事じゃありませんでした」
「誰だったんだい?」
「別に、無関係な人です」
ポケットの中の紙を、指先でなぞる。くしゃくしゃになった名刺は、チクチクと刺さるみたいに痛かった。
「君の知り合いかい?」
探るようにこちらを見た後、叔父様はいたずらな笑みを浮かべた。
「もしかして……君の《いい人》かな?」
わたしはため息交じりに返した。
「違いますよ。ただのゴシップ記者でした」
「事件のことかい?」
「違いました。わたしに……」
言いかけて、やめた。
詳しいことは、言いたくない。言わないほうがいい。
けれど、それを見逃す叔父様ではない。
「記者が、どうして君に?」
「ああ……きっと、わたしが美しすぎるからでしょうね。さっき、現場で会ったんで」
とっさに誤魔化す。叔父様は、それ以上追及してこなかった。
「ところで」
それどころか、話題を変えてくれる。スマートな大人だと、いつも思う。
「大学の課題は、終わっているのかい」
「新年度の準備は、完璧です」
「単位のほとんど、もう取ったんだろう?」
「一年でとれるものに関しては。進級しないと受けられない講義の分は、まだ残っていますよ」
「さすがだね。試験を頑張った甲斐があった」
叔父様は、懐かしそうに笑った。
試験――高卒認定試験のことだ。高校――それどころか、学校というもの全般――に通ったことのなかったわたしは、大学に進学するために、高卒認定試験を受けた。叔父様の勧めだった。「せめて大学くらいは卒業しておきなさい。将来の役に立つ」。そう言われたのだ。
勉強というものをしたことはなかったが、叔父様の教え方がうまかったのか、もともとの能力が高かったのか、学習でつまずくことはなかった。とはいえ、試験は緊張したし、結果待ちの時はさすがに不安になった。合格がわかった日には、叔父様と乾杯をした。
その後すぐ、私立N大学の入試が待っていた。試験自体は簡単だったし、認定試験の時ほどは緊張しなかった。哲学科に合格し、通い始めたのが昨年の春。その直前に、合格祝いを兼ねて、叔父様と温泉旅行に行ったのが、懐かしい。
「まぁ、楽勝でしたよね」
軽く笑って言ってみる。
過ぎたことは、些細に思えるものだ。それが、どんな重大な出来事であっても。
「君は、誰に似たんだろうね」
ぽつり、叔父様が言った。
「君のお父さん――僕の兄は勉強が得意な方では……」
「叔父様」
静かに、告げる。
「わたし、その話はしたくありません」
棘のある口調だったかもしれないが、叔父様は気にも留めない様子で、いつものように柔らかく笑った。
「これは失敬。配慮が足りなかったね、すまない」
そうして立ち上がり、給湯室に向かう。事務所の奥には、簡易キッチンが設置されているのだ。
「さて、コーヒーでも淹れようか」
叔父様は鼻歌を歌いながら、コーヒーを淹れはじめた。芳醇な香りが漂ってくる。
かつてのわたしは、この強い香りが苦手だった。けれど叔父様と暮らし始めて数年、この香りは日常となって、わたしの生活に馴染んでいる。
わたしは椅子に置いたままの本を手に、来客用ソファに向かった。横になって、本を広げる。そうしてそのまま、本の世界に入り込んでいった。
事件のことは、いつの間にか頭の外に追いやられていった。
***
その夜は、よく眠れるだろうと思った。けれど、眠りは浅かったらしい。夢を見た。そういえば、徹夜したあとは、悪夢を見る。
わたしは、暗い場所にいた。足元が不安定だ。水の中に立っているのか。いや、水にしては重い。それが、私の自由を奪っている。
手探りで進む。何もない空間。ただ空気だけが、ぞぉ、と音をたてて蠢いている。
ぞぉ、ぞぉ……
身体の奥まで響く音に、不安な気持ちが膨らんでいく。
どこだ。ここは、どこだ。
ぞぉ、ぞぉ、ぞぉ……
何も見えない。人の気配もしない。真っ暗な闇。音だけが聞こえる。
ぞぉ、ぞぉ……
光を求めて、わたしは歩く。自由にならない足が重い。けれど本能が、光を求めている。
一歩、また、一歩。
その時、遠くに灯が見えた。
――よかった。
そう思った瞬間、灯が燃え上がり、真っ赤に染まった。
炎が、襲い掛かってくる。まるで生きているかのように。
逃げようとして、あきらめる。
燃え盛る炎。化け物のような、異形の赤。
ああ、あの炎は……わたしの、こころ。
***
翌日の目覚めは、最悪だった。早朝に覚醒してしまったので、暗いキッチンに降り、水を飲んだ。それから少し本を開き、再度眠ったのは、夜が明けてからだった。
時計を見ると、十時。朝食の時間はとっくに過ぎている。そういえば、叔父様が声をかけに来た気もする。眠くて起きられなかったが。
ベランダに出て、外の様子をうかがう。いつもより、人の行き来が多い。特に坂下公園周辺。カメラやマイクを持ったマスコミ関係者らしき人々の姿もある。今、外に出て行ったら、インタビュー対象になってしまうのだろうな、と思い、今日は家にいようと決めた。
階下に降りると、叔父様はいなかった。私室にも気配がなかったから、時間的にもう事務所に降りているのだろう。
わたしは遅い朝食にと、シリアルにミルクをかけた。表面をならすように、スプーンの背でペチペチと軽く叩く。そうしていると、日常の感覚に戻れる気がした。
玄関を出て、事務所に降りる。叔父様の気配はない。コーヒーの香りが、わずかに残っているだけだ。どこかにでかけたのだろうか。
何冊もの本を手にソファに向かうと、ローテーブルの上にメモが置いてあった。
『徹夜はほどほどに。身体を壊しますよ。
書類を届けに行くので、留守番を頼みます。』
メモを手にして、ぴらぴらと振ってみる。
留守番――必要ない気もする。
瑪瑙探偵事務所は、いつだって開店休業だ。そもそも、あまり依頼がない。あったとしても、浮気調査だとか、猫探しだとか、そんなつまらない内容ばかり。
叔父様はどんな依頼であっても、基本的には断らない。金には困らないはずなのに、なぜこんな仕事をしているのか、理解できない。
本人は「探偵なんてなんでも屋だ」と言っている。感謝されるのが嬉しいとも言っている。そんなものだろうか。大きな事件をスパッと解決してこそ、探偵じゃないのか?
納得はいかないが、それが叔父様の生き方なら、わたしが口を出すところではない。
わたしは大きく息を吐くと、ソファに座った。メモをゴミ箱に入れ、それがあった場所に本の山を作る。今日はここで、じっくりと読書をしようと思い、部屋の積読本をたんまり持ち込んだのだ。
さて、どこから読み始めようか……
その時、入り口の扉が開いた。
* * *
「今、いませんので、折り返しご連絡します」
依頼人だと思い、顔もあげずに告げる。
すると――
「構いません、待たせてもらいますので」
聞き覚えのある声だった。慌ててそちらを見ると、昨日の青年――東雲将流が、立っていた。
「おまえ……」
思わず、声が漏れる。警戒心を隠せていないが、気にしない。隠すつもりもない。
しかし、将流はそんなことを気を留める様子もなく、来客エリアに向かってきた。
「どうも、昨日ぶりですね」
腹が立つほどに、さわやかな笑顔。
わたしは、ぶっきらぼうに言い放つ。
「貴様の顔など見たくもない、帰れ」
しかし、将流はどこまでもマイペースに言った。
「いやです。俺は瑪瑙清隆さんに用があるんです」
――叔父様に?
一瞬、考えが逸れた。その隙に、将流が来客エリアに入ってくる。そうして、手に持っていたものを、テーブルに置いた。
「これは……」
それは、色とりどりの果物が盛られた籠――フルーツバスケット!
柳編みの籠は想像よりもずっと大きく、安定感のある底に、果物が隙間なく詰められている。表面を磨いたように艶のある赤い林檎、深い紫の葡萄、柔らかな産毛をまとった桃。黄色い柑橘がいくつか混じり、緑の葉が添えられているせいで、ただ置かれているだけなのに、やけに完成された構図に見えた。
量が多いだけではない。選び方が静かだ。派手さを狙った高級果物ではなく、けれど、安っぽさもない。甘さと酸味、硬さと柔らかさが考えられた並びで、季節と実用を両立させている。誰かの好みを押しつける贈り物ではなく、「食べる人」に委ねる選択だ。
――なんて素晴らしい!
そう思った瞬間、わたしは自分の失敗に気づいた。口元が、勝手に緩んでいたのだ。
……だめだ。
相手は、警戒すべき記者だ。
わたしは慌てて視線を逸らし、籠から一歩距離を取った。
こんなものを差し出してくる人間が、無邪気であるはずがない。これは好意ではなく、手段だ。沈黙を破るための道具で、こちらの警戒心を削ぐための、計算された重さだ。
うう!そんなことのために果物を利用するなど、不届な!
それでも、籠の中の果物は、黙ったまま、ただ美味しそうなのである。
「な、なんだそれは……見舞いじゃあるまいし」
関心がない風を装って、かろうじて言う。
将流は笑顔のまま、答えた。
「瑪瑙探偵に、お話を伺いたくて。手ぶらってわけにもいかないでしょ」
「た、たしかに……」
「帰り、遅くなるんですかね」
我に返った。
だめだだめだ、こいつは記者なんだ。
しかも、面倒な奴だ。関わってはいけない。
「あ、ああ、そうだ。遅くなる。めちゃくちゃ遅くなる。明日になるかもしれないな。帰れ」
一息に言うと、将流はニヤリと笑った。
「そんなに遅くならないんですね、わかりました。待ちます」
なぜだ。なぜわかってしまった!
「あれ」
将流は図々しくもソファに腰を下ろすと、テーブルの上の本に目を留めた。一番上に乗っている一冊を手に取る。
「懐かしいな、これ。俺も読んでましたよ、高校のころ」
それは、ちょうど今読みかけのミステリー小説だった。
「名作ですよね!あの一行ですべてがひっくり返るから……」
「言うな!まだ読み終わっていない!」
「あ、すいません。つい……」
将流は苦笑して本を戻すと、別の一冊を手に取る。
「こっちも面白いですよ!読み応えあるし、雰囲気がおどろおどろしくていいです」
「読書をするのか」
「結構読みましたね。今は、それほどでもないですけど。あ、これ、知らない」
「この作者の出世作じゃないか。まさか未読なのか」
「そのまさかですね~。面白そうだな。今度買いに行こう」
「持って行ってもいいぞ。わたしは、もう読んだ」
「え、いいんですか。やった」
「他に、読んだことのある本はあるか」
「ええと……」
わたしたちは、読んだことのある本やおすすめの小説について語り合った。
語り……あった……あってる場合じゃない!
わたしは、我に返った。
こいつは、敵!プライバシーを掘り返してくる、悪者!
「このシリーズ最高ですよ。確か、新刊情報がどこかに……」
楽しそうにスマホを取り出す将流に、わたしは言った。
「あの」
「はい?」
「帰ってください」
「なぜ」
「話すこと、ないので」
「今、めちゃくちゃ盛り上がってたじゃないですか」
「そうではなく……」
「あ、大丈夫ですよ」
「何が?」
「あなたの話は、聞きませんから。今日は、所長の瑪瑙清隆さんに……」
「叔父様とて、お前に話すことなどない」
「そうじゃなくて、昨日の事件の……」
そのとき、カラン、と音がした。
二人の視線が、ドアに向かう。
叔父様の姿が、そこにあった。
「お邪魔しています」
さっと立ち上がった将流が、恭しく頭を下げる。慣れた仕草だ。
「おや、お客さんか。ご依頼ですか?」
叔父様はわたしたちを見比べてから、微笑んだ。
うむぅ。何か、意図を感じる視線だ。
変な誤解をされていないと、いいのだが。
***
ふたりはソファに向かい合い、名刺を交換した。わたしはといえば、叔父様の横の席に座っている。目の前には、フルーツバスケット。早く、食べたい。
「で、聞きたいこと、とは?」
名刺をテーブル上でそっとずらすと、叔父様は身を乗り出した。依頼人に向き合う時の姿勢だ。対して将流は、さきほどより若干緊張してるようにも見える。
「昨日の、事件のことで」
「坂下公園の?」
「はい。バラバラ死体が見つかった、あの事件です」
バラバラ死体――その言葉に、また、胸が躍る。
しかし、すぐに、ベランダから見たマスコミの様子を思い出した。
君子、危うきに近寄らず。
「君は」
叔父様は、少し口元を歪めて笑いながら、言った。
「あの事件を調べているのかい?」
「はい。まだ見習いですが、できることをしたいと思っています」
やはり、こいつは見習い記者だったのか。
わたしの見立ては正しかったな。
「それで、どうして僕のところに?近所の人に取材かい?」
そう言って、叔父様はフルーツバスケットを指す。
「それにしては、豪勢な手土産だけれど」
――たしかに。
果物の彩りに見とれて失念していたが、こんな素晴らしい貢物を持参するということは、なにかしら下心がある、ということじゃないか。
やはり、記者というのは油断ならない。
「瑪瑙探偵のお力を、お借りしたく」
将流は、いたく真面目な表情で言った。
「以前、難解な事件を解決に導いたことがある、とお聞きしています。それで、警察からも一目置かれているのだ、と」
初耳だった。
おじさまが?警察に一目おかれている?難事件を、解決?
――いつのまに。
少なくとも、ここに越してきた四年前以降は、そんなことはなかったはずだ。とすると……もっと若いとき?
わたしが考え込んでいると、叔父様はふ、と笑って言った。
「昔のことだよ」
やはり、そうか。わたしの知らない頃の話だ。それにしても、どんな事件だったのだろう。正直、気になる。
「それに、偶然だよ。時の運だ」
「運命、ですね」
将流の言葉に、叔父様は意外そうな表情を浮かべた。
「君は、運命を信じているのかい」
「ええ、あなたは、信じていないのですか」
「いや……僕も信じるよ」
叔父様はそう言って、微笑んだ。その瞬間、なんとも言えない気持ちになった。寂しいような、悲しいような……ほんの少しの違和感。なんだろう。理由は、わからない。
「それで?聞きたいこと、とは?」
叔父様は大きく息を吐くと、ソファに座りなおした。将流の話を聞く気になったようだ。
「ありがとうございます」
将流が、頭を下げる。
「瑪瑙さんから見て、何か気になることは、ありませんか」
「そういわれても……特に思いつかないなぁ」
叔父様が考え込みながら答えている。
わたしは、思わず口を出した。
「スーツケースの色は?」
「色?」
将流が声を上げ、叔父様とともに視線をよこす。
「赤いスーツケースだったと、聞いた。なぜ、そんな目立つ色にした?」
「……確かに」
「それに、前夜にはスーツケースがなかった。つまり、夜中に、誰かが置いた」
「そうなりますね」
将流がメモをとりながら、言う。
「不審者の情報は、今のところないんですよね」
「警察は」
「とにかく、目撃者を探しているようです」
そこに、叔父様が口をはさんだ。
「現れないと思うなぁ」
「なぜですか」
将流が疑問を投げる。叔父様は当たり前だろう、という口調で説明した。
「あんな大胆なことする犯人だろう。そんなうっかりミスをすると思えない」
「それは……確かに」
スーツケースにバラバラ死体を詰め込んで放置するなんて、発見してくれと言っているようなものだ。綿密な計画がなければ、実行しないだろう。
「それにしても」
叔父様が、続ける。
「悲惨な事件だね。何があったのかわからないが、遺体は酷い惨状だったそうじゃないか」
「そのようですね」
「どのように……酷かったのだ?」
身を乗り出して会話に割り込んでしまった。
「可南子くんは、知らない方がいい」
「そうですね。女の子には、ちょっときついと思います」
二人が頷きあっている。
ええい!そんな配慮は不要だというのに!
「あまり役に立てなくてすまないね」
叔父様が、腰を上げた。帰れ、という意思表示か。将流も、立ち上がる。
「いえ、お時間をありがとうございます」
差し出された叔父様の手を、将流が握る。軽く、握手。友好の証のはずのその動作には、どこか探り合いのムードがあった。
「何かあったら、ぜひご連絡ください」
「ああ、わかった。お力になれるなら、協力しよう」
叔父様は、将流の名刺を眺めながら言う。社交辞令であることを隠しもしない口調。
「よろしくお願いします」
残念そうな声で、将流が言う。
とっさに、私は口を開いた。
「わたしが、協力してやろうか」
瞬間、視線が、わたしに集まった。
「え、えっと……」
「可南子くん、独自に捜査しようなんて思っちゃだめだ」
叔父様の口調は、強い。
「何故です」
「危険だからだよ」
「大丈夫ですよ」
「君に何かあったら、僕は独りになる」
それを言われると、ぐぅ、としか言えない。
「それに、もうすぐ新学期が始まるだろう?そんな時間は、なくなるよ」
言いながら叔父様は、わたしの頭に、ぽん、と手を置いた。
* * *
将流が退出し、叔父様がデスクに戻ったのを確認して、わたしはドアを開けた。そのまま階段を駆け下りる。なるべく、音を立てないように、けれど、急いで。
外に出た瞬間、桜色が目に飛び込んでくる。そこに溶けるように、背の高い影が去って行こうとしていた。
「東雲将流!」
大きな声で名を呼ぶ。
将流が、振り向く。
驚いたような表情を浮かべている。
「なんですか、瑪瑙可南子さん」
「フルネームで呼ぶな。名前で呼べ」
「あなたが先に呼んだんでしょう」
不満をぶつけたら、もっともな返しをされてしまった。
そうこうするうちに、立ち止まった将流に追いつく。
隣に立つわたしをみおろして、将流は厭味ったらしく言った。
「どうしたんですか。《顔も見たくない》んじゃ?」
「それはもう、過去だ」
「はぁ」
納得できない顔をしている。
なんだ、お前は過去にこだわる小さな男なのか?
そう思ったが、言わないでおいた。
代わりに、わたしは告げる。
「そんなことはどうでもいい。事件のことを教えろ」
将流は、困ったように笑った。
「知って、どうするんです」
「どうもしない。ただ——知りたい」
言い切る。
将流の表情が一瞬、変わった。
笑みが消えて、真剣な眼差し。
それから、ぽつりと。
「……変わってますね、あなた」
「普通だ」
将流は息を吐き、手帳を取り出した。紺の表紙のそれは、まだ新しい。革の手帳をめくりながら、将流は言った。
「現場は坂下公園。通報は朝の五時過ぎ。ジョギング中の男が第一発見者。赤いスーツケースが開きかけてて、中身が……遺体の一部だったらしい」
「一部」
胸が跳ねた。
「遺体はバラバラ。男性、ってところまでは聞いてます。身元はまだ。警察は目撃者探しに躍起だけど——」
「出てこない、か」
「……え?」
「いや、なんでもない」
将流は、手帳を見ながら続ける。
「……で。解決する気ですか」
「当たり前だ。わたしは探偵だからな」
「さっき止められてましたよね」
「気のせいだ」
将流が呆れたように肩をすくめる。
「……一人で何をするつもりですか?」
「一人じゃない。二人だ」
「え?まさか、俺?」
「かよわい美少女を、ひとりで行かせるのか?」
「自分で言います?」
苦笑しながらも、将流は手帳を閉じて言った。
「……はいはい。じゃあ、付き合いますよ」
どこか嬉しそうな響きを感じるのは、気のせいか。
「よし、ではまずは捜査会議といこう。いいな、将流」
「その呼び方なんですね……いいですよ、やりましょう、可南子さん」
こうしてわたしたちは、共に事件を捜査することとなった。
事件発生の翌日。まだ冷たい春の風が吹く午後だった。
――
ここまで読んでくださってありがとうございます。
続きも楽しんでいただけたら嬉しいです。
――
デスクに座って書類を見たまま、顔も上げずに叔父様が言った。
わたしは、がっかりした声で答える。
「刑事じゃありませんでした」
「誰だったんだい?」
「別に、無関係な人です」
ポケットの中の紙を、指先でなぞる。くしゃくしゃになった名刺は、チクチクと刺さるみたいに痛かった。
「君の知り合いかい?」
探るようにこちらを見た後、叔父様はいたずらな笑みを浮かべた。
「もしかして……君の《いい人》かな?」
わたしはため息交じりに返した。
「違いますよ。ただのゴシップ記者でした」
「事件のことかい?」
「違いました。わたしに……」
言いかけて、やめた。
詳しいことは、言いたくない。言わないほうがいい。
けれど、それを見逃す叔父様ではない。
「記者が、どうして君に?」
「ああ……きっと、わたしが美しすぎるからでしょうね。さっき、現場で会ったんで」
とっさに誤魔化す。叔父様は、それ以上追及してこなかった。
「ところで」
それどころか、話題を変えてくれる。スマートな大人だと、いつも思う。
「大学の課題は、終わっているのかい」
「新年度の準備は、完璧です」
「単位のほとんど、もう取ったんだろう?」
「一年でとれるものに関しては。進級しないと受けられない講義の分は、まだ残っていますよ」
「さすがだね。試験を頑張った甲斐があった」
叔父様は、懐かしそうに笑った。
試験――高卒認定試験のことだ。高校――それどころか、学校というもの全般――に通ったことのなかったわたしは、大学に進学するために、高卒認定試験を受けた。叔父様の勧めだった。「せめて大学くらいは卒業しておきなさい。将来の役に立つ」。そう言われたのだ。
勉強というものをしたことはなかったが、叔父様の教え方がうまかったのか、もともとの能力が高かったのか、学習でつまずくことはなかった。とはいえ、試験は緊張したし、結果待ちの時はさすがに不安になった。合格がわかった日には、叔父様と乾杯をした。
その後すぐ、私立N大学の入試が待っていた。試験自体は簡単だったし、認定試験の時ほどは緊張しなかった。哲学科に合格し、通い始めたのが昨年の春。その直前に、合格祝いを兼ねて、叔父様と温泉旅行に行ったのが、懐かしい。
「まぁ、楽勝でしたよね」
軽く笑って言ってみる。
過ぎたことは、些細に思えるものだ。それが、どんな重大な出来事であっても。
「君は、誰に似たんだろうね」
ぽつり、叔父様が言った。
「君のお父さん――僕の兄は勉強が得意な方では……」
「叔父様」
静かに、告げる。
「わたし、その話はしたくありません」
棘のある口調だったかもしれないが、叔父様は気にも留めない様子で、いつものように柔らかく笑った。
「これは失敬。配慮が足りなかったね、すまない」
そうして立ち上がり、給湯室に向かう。事務所の奥には、簡易キッチンが設置されているのだ。
「さて、コーヒーでも淹れようか」
叔父様は鼻歌を歌いながら、コーヒーを淹れはじめた。芳醇な香りが漂ってくる。
かつてのわたしは、この強い香りが苦手だった。けれど叔父様と暮らし始めて数年、この香りは日常となって、わたしの生活に馴染んでいる。
わたしは椅子に置いたままの本を手に、来客用ソファに向かった。横になって、本を広げる。そうしてそのまま、本の世界に入り込んでいった。
事件のことは、いつの間にか頭の外に追いやられていった。
***
その夜は、よく眠れるだろうと思った。けれど、眠りは浅かったらしい。夢を見た。そういえば、徹夜したあとは、悪夢を見る。
わたしは、暗い場所にいた。足元が不安定だ。水の中に立っているのか。いや、水にしては重い。それが、私の自由を奪っている。
手探りで進む。何もない空間。ただ空気だけが、ぞぉ、と音をたてて蠢いている。
ぞぉ、ぞぉ……
身体の奥まで響く音に、不安な気持ちが膨らんでいく。
どこだ。ここは、どこだ。
ぞぉ、ぞぉ、ぞぉ……
何も見えない。人の気配もしない。真っ暗な闇。音だけが聞こえる。
ぞぉ、ぞぉ……
光を求めて、わたしは歩く。自由にならない足が重い。けれど本能が、光を求めている。
一歩、また、一歩。
その時、遠くに灯が見えた。
――よかった。
そう思った瞬間、灯が燃え上がり、真っ赤に染まった。
炎が、襲い掛かってくる。まるで生きているかのように。
逃げようとして、あきらめる。
燃え盛る炎。化け物のような、異形の赤。
ああ、あの炎は……わたしの、こころ。
***
翌日の目覚めは、最悪だった。早朝に覚醒してしまったので、暗いキッチンに降り、水を飲んだ。それから少し本を開き、再度眠ったのは、夜が明けてからだった。
時計を見ると、十時。朝食の時間はとっくに過ぎている。そういえば、叔父様が声をかけに来た気もする。眠くて起きられなかったが。
ベランダに出て、外の様子をうかがう。いつもより、人の行き来が多い。特に坂下公園周辺。カメラやマイクを持ったマスコミ関係者らしき人々の姿もある。今、外に出て行ったら、インタビュー対象になってしまうのだろうな、と思い、今日は家にいようと決めた。
階下に降りると、叔父様はいなかった。私室にも気配がなかったから、時間的にもう事務所に降りているのだろう。
わたしは遅い朝食にと、シリアルにミルクをかけた。表面をならすように、スプーンの背でペチペチと軽く叩く。そうしていると、日常の感覚に戻れる気がした。
玄関を出て、事務所に降りる。叔父様の気配はない。コーヒーの香りが、わずかに残っているだけだ。どこかにでかけたのだろうか。
何冊もの本を手にソファに向かうと、ローテーブルの上にメモが置いてあった。
『徹夜はほどほどに。身体を壊しますよ。
書類を届けに行くので、留守番を頼みます。』
メモを手にして、ぴらぴらと振ってみる。
留守番――必要ない気もする。
瑪瑙探偵事務所は、いつだって開店休業だ。そもそも、あまり依頼がない。あったとしても、浮気調査だとか、猫探しだとか、そんなつまらない内容ばかり。
叔父様はどんな依頼であっても、基本的には断らない。金には困らないはずなのに、なぜこんな仕事をしているのか、理解できない。
本人は「探偵なんてなんでも屋だ」と言っている。感謝されるのが嬉しいとも言っている。そんなものだろうか。大きな事件をスパッと解決してこそ、探偵じゃないのか?
納得はいかないが、それが叔父様の生き方なら、わたしが口を出すところではない。
わたしは大きく息を吐くと、ソファに座った。メモをゴミ箱に入れ、それがあった場所に本の山を作る。今日はここで、じっくりと読書をしようと思い、部屋の積読本をたんまり持ち込んだのだ。
さて、どこから読み始めようか……
その時、入り口の扉が開いた。
* * *
「今、いませんので、折り返しご連絡します」
依頼人だと思い、顔もあげずに告げる。
すると――
「構いません、待たせてもらいますので」
聞き覚えのある声だった。慌ててそちらを見ると、昨日の青年――東雲将流が、立っていた。
「おまえ……」
思わず、声が漏れる。警戒心を隠せていないが、気にしない。隠すつもりもない。
しかし、将流はそんなことを気を留める様子もなく、来客エリアに向かってきた。
「どうも、昨日ぶりですね」
腹が立つほどに、さわやかな笑顔。
わたしは、ぶっきらぼうに言い放つ。
「貴様の顔など見たくもない、帰れ」
しかし、将流はどこまでもマイペースに言った。
「いやです。俺は瑪瑙清隆さんに用があるんです」
――叔父様に?
一瞬、考えが逸れた。その隙に、将流が来客エリアに入ってくる。そうして、手に持っていたものを、テーブルに置いた。
「これは……」
それは、色とりどりの果物が盛られた籠――フルーツバスケット!
柳編みの籠は想像よりもずっと大きく、安定感のある底に、果物が隙間なく詰められている。表面を磨いたように艶のある赤い林檎、深い紫の葡萄、柔らかな産毛をまとった桃。黄色い柑橘がいくつか混じり、緑の葉が添えられているせいで、ただ置かれているだけなのに、やけに完成された構図に見えた。
量が多いだけではない。選び方が静かだ。派手さを狙った高級果物ではなく、けれど、安っぽさもない。甘さと酸味、硬さと柔らかさが考えられた並びで、季節と実用を両立させている。誰かの好みを押しつける贈り物ではなく、「食べる人」に委ねる選択だ。
――なんて素晴らしい!
そう思った瞬間、わたしは自分の失敗に気づいた。口元が、勝手に緩んでいたのだ。
……だめだ。
相手は、警戒すべき記者だ。
わたしは慌てて視線を逸らし、籠から一歩距離を取った。
こんなものを差し出してくる人間が、無邪気であるはずがない。これは好意ではなく、手段だ。沈黙を破るための道具で、こちらの警戒心を削ぐための、計算された重さだ。
うう!そんなことのために果物を利用するなど、不届な!
それでも、籠の中の果物は、黙ったまま、ただ美味しそうなのである。
「な、なんだそれは……見舞いじゃあるまいし」
関心がない風を装って、かろうじて言う。
将流は笑顔のまま、答えた。
「瑪瑙探偵に、お話を伺いたくて。手ぶらってわけにもいかないでしょ」
「た、たしかに……」
「帰り、遅くなるんですかね」
我に返った。
だめだだめだ、こいつは記者なんだ。
しかも、面倒な奴だ。関わってはいけない。
「あ、ああ、そうだ。遅くなる。めちゃくちゃ遅くなる。明日になるかもしれないな。帰れ」
一息に言うと、将流はニヤリと笑った。
「そんなに遅くならないんですね、わかりました。待ちます」
なぜだ。なぜわかってしまった!
「あれ」
将流は図々しくもソファに腰を下ろすと、テーブルの上の本に目を留めた。一番上に乗っている一冊を手に取る。
「懐かしいな、これ。俺も読んでましたよ、高校のころ」
それは、ちょうど今読みかけのミステリー小説だった。
「名作ですよね!あの一行ですべてがひっくり返るから……」
「言うな!まだ読み終わっていない!」
「あ、すいません。つい……」
将流は苦笑して本を戻すと、別の一冊を手に取る。
「こっちも面白いですよ!読み応えあるし、雰囲気がおどろおどろしくていいです」
「読書をするのか」
「結構読みましたね。今は、それほどでもないですけど。あ、これ、知らない」
「この作者の出世作じゃないか。まさか未読なのか」
「そのまさかですね~。面白そうだな。今度買いに行こう」
「持って行ってもいいぞ。わたしは、もう読んだ」
「え、いいんですか。やった」
「他に、読んだことのある本はあるか」
「ええと……」
わたしたちは、読んだことのある本やおすすめの小説について語り合った。
語り……あった……あってる場合じゃない!
わたしは、我に返った。
こいつは、敵!プライバシーを掘り返してくる、悪者!
「このシリーズ最高ですよ。確か、新刊情報がどこかに……」
楽しそうにスマホを取り出す将流に、わたしは言った。
「あの」
「はい?」
「帰ってください」
「なぜ」
「話すこと、ないので」
「今、めちゃくちゃ盛り上がってたじゃないですか」
「そうではなく……」
「あ、大丈夫ですよ」
「何が?」
「あなたの話は、聞きませんから。今日は、所長の瑪瑙清隆さんに……」
「叔父様とて、お前に話すことなどない」
「そうじゃなくて、昨日の事件の……」
そのとき、カラン、と音がした。
二人の視線が、ドアに向かう。
叔父様の姿が、そこにあった。
「お邪魔しています」
さっと立ち上がった将流が、恭しく頭を下げる。慣れた仕草だ。
「おや、お客さんか。ご依頼ですか?」
叔父様はわたしたちを見比べてから、微笑んだ。
うむぅ。何か、意図を感じる視線だ。
変な誤解をされていないと、いいのだが。
***
ふたりはソファに向かい合い、名刺を交換した。わたしはといえば、叔父様の横の席に座っている。目の前には、フルーツバスケット。早く、食べたい。
「で、聞きたいこと、とは?」
名刺をテーブル上でそっとずらすと、叔父様は身を乗り出した。依頼人に向き合う時の姿勢だ。対して将流は、さきほどより若干緊張してるようにも見える。
「昨日の、事件のことで」
「坂下公園の?」
「はい。バラバラ死体が見つかった、あの事件です」
バラバラ死体――その言葉に、また、胸が躍る。
しかし、すぐに、ベランダから見たマスコミの様子を思い出した。
君子、危うきに近寄らず。
「君は」
叔父様は、少し口元を歪めて笑いながら、言った。
「あの事件を調べているのかい?」
「はい。まだ見習いですが、できることをしたいと思っています」
やはり、こいつは見習い記者だったのか。
わたしの見立ては正しかったな。
「それで、どうして僕のところに?近所の人に取材かい?」
そう言って、叔父様はフルーツバスケットを指す。
「それにしては、豪勢な手土産だけれど」
――たしかに。
果物の彩りに見とれて失念していたが、こんな素晴らしい貢物を持参するということは、なにかしら下心がある、ということじゃないか。
やはり、記者というのは油断ならない。
「瑪瑙探偵のお力を、お借りしたく」
将流は、いたく真面目な表情で言った。
「以前、難解な事件を解決に導いたことがある、とお聞きしています。それで、警察からも一目置かれているのだ、と」
初耳だった。
おじさまが?警察に一目おかれている?難事件を、解決?
――いつのまに。
少なくとも、ここに越してきた四年前以降は、そんなことはなかったはずだ。とすると……もっと若いとき?
わたしが考え込んでいると、叔父様はふ、と笑って言った。
「昔のことだよ」
やはり、そうか。わたしの知らない頃の話だ。それにしても、どんな事件だったのだろう。正直、気になる。
「それに、偶然だよ。時の運だ」
「運命、ですね」
将流の言葉に、叔父様は意外そうな表情を浮かべた。
「君は、運命を信じているのかい」
「ええ、あなたは、信じていないのですか」
「いや……僕も信じるよ」
叔父様はそう言って、微笑んだ。その瞬間、なんとも言えない気持ちになった。寂しいような、悲しいような……ほんの少しの違和感。なんだろう。理由は、わからない。
「それで?聞きたいこと、とは?」
叔父様は大きく息を吐くと、ソファに座りなおした。将流の話を聞く気になったようだ。
「ありがとうございます」
将流が、頭を下げる。
「瑪瑙さんから見て、何か気になることは、ありませんか」
「そういわれても……特に思いつかないなぁ」
叔父様が考え込みながら答えている。
わたしは、思わず口を出した。
「スーツケースの色は?」
「色?」
将流が声を上げ、叔父様とともに視線をよこす。
「赤いスーツケースだったと、聞いた。なぜ、そんな目立つ色にした?」
「……確かに」
「それに、前夜にはスーツケースがなかった。つまり、夜中に、誰かが置いた」
「そうなりますね」
将流がメモをとりながら、言う。
「不審者の情報は、今のところないんですよね」
「警察は」
「とにかく、目撃者を探しているようです」
そこに、叔父様が口をはさんだ。
「現れないと思うなぁ」
「なぜですか」
将流が疑問を投げる。叔父様は当たり前だろう、という口調で説明した。
「あんな大胆なことする犯人だろう。そんなうっかりミスをすると思えない」
「それは……確かに」
スーツケースにバラバラ死体を詰め込んで放置するなんて、発見してくれと言っているようなものだ。綿密な計画がなければ、実行しないだろう。
「それにしても」
叔父様が、続ける。
「悲惨な事件だね。何があったのかわからないが、遺体は酷い惨状だったそうじゃないか」
「そのようですね」
「どのように……酷かったのだ?」
身を乗り出して会話に割り込んでしまった。
「可南子くんは、知らない方がいい」
「そうですね。女の子には、ちょっときついと思います」
二人が頷きあっている。
ええい!そんな配慮は不要だというのに!
「あまり役に立てなくてすまないね」
叔父様が、腰を上げた。帰れ、という意思表示か。将流も、立ち上がる。
「いえ、お時間をありがとうございます」
差し出された叔父様の手を、将流が握る。軽く、握手。友好の証のはずのその動作には、どこか探り合いのムードがあった。
「何かあったら、ぜひご連絡ください」
「ああ、わかった。お力になれるなら、協力しよう」
叔父様は、将流の名刺を眺めながら言う。社交辞令であることを隠しもしない口調。
「よろしくお願いします」
残念そうな声で、将流が言う。
とっさに、私は口を開いた。
「わたしが、協力してやろうか」
瞬間、視線が、わたしに集まった。
「え、えっと……」
「可南子くん、独自に捜査しようなんて思っちゃだめだ」
叔父様の口調は、強い。
「何故です」
「危険だからだよ」
「大丈夫ですよ」
「君に何かあったら、僕は独りになる」
それを言われると、ぐぅ、としか言えない。
「それに、もうすぐ新学期が始まるだろう?そんな時間は、なくなるよ」
言いながら叔父様は、わたしの頭に、ぽん、と手を置いた。
* * *
将流が退出し、叔父様がデスクに戻ったのを確認して、わたしはドアを開けた。そのまま階段を駆け下りる。なるべく、音を立てないように、けれど、急いで。
外に出た瞬間、桜色が目に飛び込んでくる。そこに溶けるように、背の高い影が去って行こうとしていた。
「東雲将流!」
大きな声で名を呼ぶ。
将流が、振り向く。
驚いたような表情を浮かべている。
「なんですか、瑪瑙可南子さん」
「フルネームで呼ぶな。名前で呼べ」
「あなたが先に呼んだんでしょう」
不満をぶつけたら、もっともな返しをされてしまった。
そうこうするうちに、立ち止まった将流に追いつく。
隣に立つわたしをみおろして、将流は厭味ったらしく言った。
「どうしたんですか。《顔も見たくない》んじゃ?」
「それはもう、過去だ」
「はぁ」
納得できない顔をしている。
なんだ、お前は過去にこだわる小さな男なのか?
そう思ったが、言わないでおいた。
代わりに、わたしは告げる。
「そんなことはどうでもいい。事件のことを教えろ」
将流は、困ったように笑った。
「知って、どうするんです」
「どうもしない。ただ——知りたい」
言い切る。
将流の表情が一瞬、変わった。
笑みが消えて、真剣な眼差し。
それから、ぽつりと。
「……変わってますね、あなた」
「普通だ」
将流は息を吐き、手帳を取り出した。紺の表紙のそれは、まだ新しい。革の手帳をめくりながら、将流は言った。
「現場は坂下公園。通報は朝の五時過ぎ。ジョギング中の男が第一発見者。赤いスーツケースが開きかけてて、中身が……遺体の一部だったらしい」
「一部」
胸が跳ねた。
「遺体はバラバラ。男性、ってところまでは聞いてます。身元はまだ。警察は目撃者探しに躍起だけど——」
「出てこない、か」
「……え?」
「いや、なんでもない」
将流は、手帳を見ながら続ける。
「……で。解決する気ですか」
「当たり前だ。わたしは探偵だからな」
「さっき止められてましたよね」
「気のせいだ」
将流が呆れたように肩をすくめる。
「……一人で何をするつもりですか?」
「一人じゃない。二人だ」
「え?まさか、俺?」
「かよわい美少女を、ひとりで行かせるのか?」
「自分で言います?」
苦笑しながらも、将流は手帳を閉じて言った。
「……はいはい。じゃあ、付き合いますよ」
どこか嬉しそうな響きを感じるのは、気のせいか。
「よし、ではまずは捜査会議といこう。いいな、将流」
「その呼び方なんですね……いいですよ、やりましょう、可南子さん」
こうしてわたしたちは、共に事件を捜査することとなった。
事件発生の翌日。まだ冷たい春の風が吹く午後だった。
――
ここまで読んでくださってありがとうございます。
続きも楽しんでいただけたら嬉しいです。
――
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