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3巻
3-3
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「そう、キューちゃんのことは、外の彼らは知らないはずだ。窓からこそっと出れば、誰にも咎められないだろ」
「たしかにそうかもしれませんけど、ボクが野良猫……」
んー、やっぱり嫌だったか?
こうして日々接していると忘れがちだが、キューちゃんは気高い伝説の精霊獣だ。
精霊というだけで尊い存在なのに、その中でもさらに上位のカーストに属するのが、我が愛猫だ。
「その女にやらせた方がお似合いですっ!」とか言って、アリアナと口論になってもおかしくない。
「無理なら別の方法考えるけど、どうかな」
キューちゃんの反応を見て、諦めつつあった俺だったが……
「ご主人様の命令ならば、何なりと! ご主人様さえよければ、ボクはそういうのも嫌いじゃありません!!」
捉え方はともかく、二つ返事で承諾してくれた。
それから彼女は不思議な力により、可愛い青のリボンも首輪も、すっと消すと、その滑らかな白い毛を腕でくしくしとやって乱し、目もことさらキッと鋭くした。
「やるからには、絶対になりきって見せます! にゃおっ!」
どうやら、うちの愛猫はなかなかの演技派らしい。
キューちゃんが帰ってきたのは、その夜、日を跨ぐ少し前のことだった。
リビングの大窓が、こつと肉球で叩かれる。続いて、庇護欲を掻き立てられる鳴き声がした。
俺はすぐ窓の鍵を開け、鳴き声の主を中へと招き入れる。
「ご主人様、ボクはばっちり任務を果たしましたよ」
精霊獣の誇りを捨て、野良猫を精一杯演じてくれていたらしい。
元に戻らない険しい目つきや、灰色にけぶった毛並みから、その努力の一端が覗く。
「よかったよ、帰ってきてくれて」
俺も気が気でなかっただけに、安堵した。
もしこのまま朝まで帰ってこなかったら、一人で夜更かしをしてでも待つ覚悟だった。
全力で労ってやろうと腕を開けば、キューちゃんは大きく飛び跳ねて、俺の胸元へと飛び込んできた。
「ふふふ、これを味わえるならどんな試練もどんとこいですよっ。あぁ、これですこれ! もっともっと!」
言っていることは可愛らしいが、悪い人相――猫相というべきか――のままであった。
だが、そんなことはお構いなしに、にゃんにゃん頬を擦り付けて甘えてくる。
頭の上に綺麗な紅葉を乗せているあたり、野良猫になってもキューちゃんはあざとい。
それを摘んで取ってから毛繕いしてやる。
「お疲れ様、泥棒猫。で、なにか分かったの?」
そこへ、アリアナから茶々が入った。
紅茶をすすりながら、という片手間具合で、言葉も態度も不遜。
だが、なんだかんだと彼女も寝ずにキューちゃんの帰りを待っていた。
アリアナも素直じゃない。
「ボクがどれだけ頑張ったと思ってるんですか!」
「だからそれは認めるわよ。でも、余計にひっつきすぎよ」
そんなことを知らないキューちゃんが、アリアナと火花を散らし始める。
「いいんですぅ! 猫だけに許された特権ですっ」
「あんた、都合のいい時だけ猫ぶるわよね」
俺は二人を眺めて肩を竦めた。
一緒にキューちゃんの帰りを待ってくれていたマリとサクラ、エチカも困った顔をする。
こうなることは薄々分かっていたが、ここで騒ぎになって、キューちゃんの存在が知られるのも困りものだ。
マリとサクラに、アリアナたちを後ろから押さえてもらって、俺は喧嘩を止める。
「キューちゃんさんも、アリアナさんも、仲良くだよっ!」
俺に代わってエチカに、二人を叱ってもらった。
年下の少女からの言葉は、やっぱり強力らしく、争いがすんなりとやむ。
それから俺が本題に入ろうとすると、先にキューちゃんが話し始める。
「ボクが聞いた感じだと、今夜、日付が変わる頃から、町のはずれで何かをやるそうですよ」
「微妙にふわっとした話だな。そっか、確証は取れなかったか?」
「はい、きちんと警戒されていたみたいで……あ! でも、門番の一人がこう呟いてたのは聞きました。『俺も行きたかったなぁ。今月生活きつかったし』、と」
核心に迫る情報とは言いがたいが、キューちゃんの言葉をまとめれば簡単な推理くらいはできる。
町のはずれって言ったら……真っ先に思い浮かぶのは、真っ黒に塗られたテンバス家の倉庫だ。
加えて、門番の発言から見るに、お金絡みの話だと思う。
それがなんなのか、俺たちの待遇に関係あるかは定かではないが、キューちゃんのはたらきに報いる意味でも確かめておきたい。
「少なくとも、なにか隠さなければならない催しが行われるのは確からしいな……」
俺はそうまとめてから、キューちゃんを撫でると召喚魔法を解除する。
それから立ち上がって、剣置きに乗せていた刀を手にした。アリアナやマリも、同様に武器の手入れを始める。
やっぱり俺たちにはこっちが性に合っている。
「ソリス様、どのように行かれるのですか? 外はかなり警備が厳重ですが」
サクラの疑問はしごくもっともだが、手段を選ばなければやりようはいくらでもある。
俺はさっきキューちゃんが帰ってきた窓の外を指さす。
「仕方ないから、そこから行くよ。エチカと二人、留守番しててもらえるか? 俺たちがいないことはどうか隠し通してくれ。朝には戻るから」
「その程度であれば、お任せください。必ず隠し通します」
まったく頼もしい限り。うちのメイドは超優秀だと、色んな人に自慢したいくらいだ。
俺は窓を少しだけ開けて、アリアナにアイコンタクトする。
「恵みの雨を降らせよ、『アクアシャワー』」
まずアリアナに放ってもらったのは、局所的に雨を降らせる魔法だ。
マリの精霊による加護を受けていることで威力が増し、空高く作られた雨雲の範囲は屋敷を覆って余りあるほど広がっていく。
「なんだ、雨かよ……くそ、聞いてねぇぞ」
「おい、カッパ持ってこい! これじゃ風邪ひいちまう」
外の警備員らがこのような会話を交わすのが聞こえてきて、俺はにっと笑う。
だが、これで終わりではない。雲が広がり、雨が降ったのだから、お次は雷だろう。
「うおおっ、今度は雷⁉ 一時退避だ、おめぇら! なんたって突然こんなに天災が⁉」
俺は雷属性魔法『サンダーボルト』をアリアナの雲に纏わせ、稲光りを作り出した。
当然、力はきちんとセーブしている。
こんなところで全力を使えば、一帯を焼け焦がしてしまうかもしれない。
生み出した雷を挨拶程度にあいさつ程度に木へ落として、そのうちの一本を割ってしまう。
その光景を見て、阿鼻叫喚といった門番らを尻目に、俺たちはホライゾナルクラウドを使って宙に浮く。
悠々と屋敷の敷地外へ降り立ち、三人で手首を合わせる。
「完璧ね。やっぱり私たち、いいパーティかもしれないわ」
「ですわねっ」
アリアナとマリが笑顔を見せる。
「間違いないな。ありがとう」
お揃いの魔法腕輪が、しゃらりと揺れた。
深夜のツータスタウンは静かだった。
開いている店は一つとしてなく、立ち並ぶ家々からも生活音はしない。
鈴虫の声が、町の外周を囲う山々から長く響き渡っていた。
静かなだけなら、なんの不思議もない。
だが、一つだけ違和感があった。
「……商店街に沿って、結構な数がいるみたいだな」
警備隊員が、等間隔に配置されているのだ。
夜警の巡回が一人いる程度ならばまだしも、人っ子一人通らない場所にその警備は厳重すぎるというものだ。
「二人とも、このまま隠れていくぞ」
小声で囁く俺に、アリアナ、マリがそれぞれ頷く。
この光景を見て、「なにもない」はありえないと確信する。
町外れまで続いているらしい警備隊の列を辿っていけば、必ずなにかしら答えを得られる。
俺たちは、民家の影を踏むようにして、そろりそろりと進み始めた。
警備隊たちは、油断しきっているらしく、まったく俺たちに気付く様子はなかった。
これなら、楽にたどり着ける。そう確信しかけた時であった。
「……ひゃっ、なにか顔に」
アリアナが小さく呟き、次の瞬間――
「ひ、ひっ、む、虫ぃー!」
その声が絶叫に変わった。
おいおい、それはまずいだろ! マリも同じことを思ったようで、すぐさまそれを取り払って、マリと二人、暴れる彼女の口を覆う。
高く形のいいアリアナの鼻先に止まっていたのは、鈴虫だ。
「いま、誰かの声がしなかったか⁉」
「そこの民家の裏だ! 出歩いてやがる奴がいるみたいだ。お前ら、周りこめ!」
アリアナの声を聞いた警備隊が俺たちを探し始める。
……うん、もう手遅れだな、これ。
「ど、ど、どうしましょうっ⁉」
慌てて左右を見るマリに俺は応えた。
「言っててもしょうがない!」
近づいてくる警備隊の足音を聞きながら、足元に風属性魔法を纏わせると、俺はマリとアリアナを抱え、『神速』を発動した。瞬時に、前方にあった民家の屋根の上へと隠れる。
煙突が設置してあり、警備隊たちからはちょうど死角になっている。
「だ、誰もいない……いや、でも、確かにここから声がしたような」
「なんだ、気のせいか……?」
「念のためだ。この辺りを捜索しろ! 『参加証』を持っていない者なら、問答無用で拘束だ」
警備隊らがにわかに騒がしくなるなか、俺は煙突に身を預け、息をつく。
無事に、ピンチを切り抜けたようだ。
それだけではなく、既に通過した後方に騒ぎを聞いた人が集中したことで、行く先の警備が手薄になった。
禍転じて福となす、といったところか。
「ソリス様、はじめからこうすればよかったんじゃ?」
俺の脇に抱えられたまま、マリが言う。
「……はは、かもしれないな」
風魔法は、雷魔法の次に得意な属性だ。
しかも、神速は多用してきた技であり、練度も高い。
この分なら、警備隊に見切られる心配はないと見てよさそうだ。
俺たちが軽く会話を交わしていると、虫に翻弄されて目を回していたアリアナが意識を取り戻す。
状況を把握すると、アリアナが頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。虫だけはどうしてもダメなの……って任務なのに言い訳はダメね。ごめん」
「いいよ、結局どうにかなったし。でも、二度目は勘弁な」
俺は幼馴染である彼女に、にっと笑いかける。
それから再び『神速』を駆使して、警備隊たちの目をくぐり抜け、町の南端へ向かった。
怪しいと睨んでいた黒塗りの建物の前に到着する。
「お前たちも、催しの参加者か? なら、参加証を見せて――」
俺は、門の前を警備していた数人の首裏に、素早く手刀をお見舞いする。
マリの精霊に、彼らが起きないか見張りについてもらうよう頼んでから、俺たちは建物の中へと入った。
わずかに聞こえる人の声を頼りに奥へと進んでいくと、鉄製の扉が出迎える。
少しだけ開けて中を覗くと、そこには三階分程度の高さはあるだろう大きな空間。
かなりの人数が集まっている。
中心には、十メートル四方の大きな台。その台の各辺には鉄柵が立てられ、鉄線が張り巡らされている。
周囲を観察していると、観客の声が耳に入った。
「早く始まらねぇかなぁ」
「ほんとな。楽しみで仕方ねぇぜ! 俺は今夜、ひと月分の給金を賭けたからな!」
「へへ、隣町から来た甲斐があるぜ。勝っても負けても楽しい催しはそうそうないってもんだ」
外の静まり返っていた様子とは打って変わって、中には熱気がこもっていた。
それは、ちょっとの隙間からでも漏れ伝わってくる。
湿度や温度による熱気というより、なにかに魅入られた者たちの醜い欲望が生み出す熱とでも言おうか。
「……なんだよ、これ」
俺はその異様さに圧倒されて、一度扉を閉めた。
男たちの話を聞く限り、賭博で間違いないだろう。
俺の後ろから様子を覗いていたアリアナとマリがしかめっ面をする。
「なにやってるのかしら。でも、いいことじゃなさそうなのは確かよね」
「ですわね、こそこそ隠れて賭け事だなんて……」
彼女たちが、同じような感想を抱いていたことに、俺はちょっとほっとする。
詳細を確認するため、俺は再び扉の隙間から会場の様子を探る。
ふと静まり返ったと思えば、このイベントの司会らしき男が壇上に現れた。
「さぁみなさん、もう始まりますよ! 注目してください! みなさんで盛り上げてください!」
男は大きな声を出して、手を叩くなどの大げさな振る舞いで聴衆を煽る。
それから階上の観覧席にいた主催者らしき男の紹介を手早く済ませると、壇上に誰かを連れてきた。
片方は、髭面の大柄な男。大きなノコギリを腰にぶら下げている。
そしてもう片方は……年端も行かぬような少女だ。
少なくとも、俺の位置からではそう見えた。
あんな小さな子がこの時間に、しかも見せ物にされている。
その事実だけで身体が動きそうになるが、俺は踏みとどまって息を吐いた。
「さぁ、ご存知の通り! 彼らにこれからやってもらうのは、真剣勝負だ。どちらが勝つのか、それ次第であなた方への払い戻しが決まる。ちなみに九対一で、ノコギリ男に票が集まりましたが、どうなるか」
まだだ。ここを耐えなければ真相を聞けない。
「これは、ただの勝負ではありませんよ。どちらかが死ぬまで、やります」
まだ早い。決定的な証拠をつかむまでは――
「果たしてこの男が少女を殺せるのか。良心が勝つか、命への執着が勝つか。それとも少女がその隙を突いて、この男を刺すか。極限状態での殺し合い、実に楽しみですねぇ。では、いざ尋常に……」
俺はその場で立ち上がる。ギリギリまで我慢したが、もう限界だ。
「なぁアリアナ、いいタイミングで、上に回り込んで主催者を矢で狙ってくれるか。俺がここをどうにかする」
「……どうにか、って具体的にどうするのよ、タイラー」
「壊す。勝負も賭けも。マリは、アリアナの補助を頼むな」
俺は二人に伝えて扉を開け放った。いままさに戦いの火蓋が切られようとしている会場へと単身乗り込む。
神速で人の合間を縫うようにして台まで向かうと、その角を踏み台にリングの真ん中へと、着地を決めた。
「な、何者だっ! ここは神聖な戦いのリングぞ⁉」
司会を務めていた男が、俺の登場に狼狽える。
良心と命への執着のせめぎ合いを観察することは、決して神聖ではなかろう。
俺は男を無視して、『ライトニングベール』で二人をそれぞれ保護した。
「てめぇ、何者だ⁉ ふざけんな、俺たちの賭けをどうしてくれるんだ! 余計な邪魔しやがって!」
醜い野次が客席のあちこちから飛びはじめる。
「てめぇ、ワテの賭け金どないしてくれんじゃい! やってまうぞ!」
「そうだそうだ、邪魔者は殺してしまえ! 排除だ」
随分と不興を買ったものだ。
俺は、愛刀に手をかけて、臨戦体勢に入った。
その瞬間、ぞくりと足元から震えが全身を駆け上がった。
恐怖でなくて、高揚感のようなものから鳥肌が立つ。
鍛錬こそ毎日続けていたが、実戦というのはやはり別物だ。真正面から向けられる敵意と対峙してこそ、やり甲斐があるというものらしい。
ただ、俺はそこで思い直す。
……こんな時こそ、落ち着かないとな。
心の中で燃え上がろうとする火を消すように、一つ息をついた。
それから刀身の向きを反対にして握りなおす。
いくら悪人でも、向こうが殺すつもりでかかってきても、俺にとって不殺は絶対だ。
柄を強く握って魔力を伝えると、刀身をライトグリーンの光が駆け上った。
「へへっ、若造。随分自信満々なようだが、この人数相手に何もできねぇだろ! いくぜ、『ファイアブレス』!」
「こっちからは、雷だ。食らいな、『エレキサークル』!」
リングまで上がってきた者が、左右から俺に襲いかかる。怒りばかりが込められた単調な攻撃を避けるのは、実に容易い。
身体の捻りと足運びで、その両方を避けた。
「くっ、台に刺さって抜けねぇ!」
情けなくも刀を抜こうと焦る一人の男を尻目に、斜めに刺さったその剣を足場にして魔法を放つ。
「『ツイストトルネード』!」
身体を回転させて、魔法と剣をあわせて敵を迎え撃つ。
円形の旋風がどんどん大きくなっていく。
それは、ファイアブレスもエレキサークルも簡単に呑み込んだ。
「う、うわぁ⁉ な、なんだ、これは!」
「風の渦⁉ ま、巻き込まれるぅ!」
会場内に叫び声が響く。
この技の特徴は、他人の魔力をその内側へ巻き込むことができるため、威力が衰えずに増していく点だ。
より強い魔力に触れれば打ち消されるが、今のように多人数が魔法を放つ状況にはうってつけだった。
俺は地面に着地して、すぐに構え直す。
「あー……やりすぎたか?」
だがすぐに刀を下ろして、目の前の光景を見た。
その場にいた者の大半が、積んであった木箱などと共に風に巻き上げられたのか、壁際まで押しやられていた。
壊れた武器や道具からは木屑や鉄片が、ヒビの入った土壁からは砂塵が舞い上がっている。
どうやら一瞬で、会場のほとんどを制圧できたようだった。
天井に吊るされていた魔導照明の一部が、床へ落ちてしまったこともあって、辺りは暗く、視界がかなり利きにくくなっていた。
荒らすのはもう十分だろう。
そう判断した俺は、ツイストトルネードに使っていた魔力を遮断する。
暴風がその姿を消すのにあわせて、俺は身体の内側で魔力を水属性へと切り替えた。
「『ウォーターフォールン』!」
剣を宙へ連続で地面に振り下ろすことにより、水の塊を降らせる。
煙たい空気を浄化するためだ。
その用途だけなら、アリアナの使うアクアシャワーが最も効率がいいかもしれないが、俺には彼女ほど水を繊細に扱いきれない。次善の策だが、今回ばかりは加減できないのが功を奏した。
「風が止んだと思ったら、今度は雨⁉ ここは室内だぞ! くそっ! 身動きが取れねぇ」
「そんなレベルじゃねぇだろ、これ! いてぇ、腹がやられたっ! まるで、丸太が降り注いできてるみてぇだっ」
アクアシャワーの威力では難しいだろう、逃げ出そうとした参加者の足止めにもなったからだ。
あまりの阿鼻叫喚ぶりに力を緩めたくもなるが、元を辿れば彼らが違法賭博に興じていたのが悪い。
「……あんた只者じゃねぇな。この短時間で、あの人数を制圧するだなんて」
ライトニングベールの内側で、保護した大柄な男が驚きの声を漏らす。
少女は床に座り込み、ただじっと水浸しになる場内を見つめていた。
視界がだんだん晴れていく中、俺は三度魔力を切り替えた。雷魔法『フラッシュライト』を使って場内を照らす。
「けっ、随分と面白い余興じゃねぇか」
それとほぼ同時に、不快な笑い声が建物内にこだました。
俺はすぐに剣を構え直して、声のした階上を見上げる。
「だが、その程度で我々の計画を停められると思っているなら大馬鹿ものにも程がある」
そう言って、けけけ、と笑うのは、先ほど主催者として紹介されていた平べったい顔の男だ。
そいつは、自分の周りを数人に警備させながら、観覧席の真ん中に悠然と座っていた。
明らかに想定外なはずの状況だというのに、余裕そうな表情だった。
「おめぇ、タイラー・ソリスだな? たしか、この町に来た新任の官吏。見張りをつけていたはずだが、どうやって抜けてきた?」
「さぁ。その見張りに聞けばいいだろ。もっとも、なにも気付いてないだろうけどな」
俺は適当にはぐらかして答える。だが、それが主催者のお気に召さなかったらしい。
「つまらない答え方してんじゃねぇぞ、おめぇ!」
打って変わって柵から身を乗り出し、怒声を浴びせてくる。
「ふざけたこと言ってると、こいつらがどうなるか分からねぇよ? おら、連れてこい!」
連れてこられたのは、縄で手足を縛られた男女数名だ。
強気な態度でいたのは、そういう理由か。
「けっけっけ。今日やる予定だった決闘は一組じゃねぇ。何組も準備させてたんだよ」
ぐったりした様子の彼らのうちの一人に、男は刀を突きつける。
俺を挑発するように、首元で刀を揺すった。
「おめぇが今日の話を全て心のうちにしまい、俺が今日得られるはずだった利益を全て弁償するなら許してやらなくもない。それが仁義ってもの……ってなに!? いないだと⁉」
男の話は、神速で移動しながら耳にしていた。
「まだ人質がいたこと、教えてくれて助かったよ」
俺は男の背後へと回り込み、斬りかかる。
しかし、脇を固めていた者たちがその攻撃を阻んだ。
「な、な、なんだと⁉ さっきまで下にいたのに、どうやってこんなところに⁉ 三階席だぞ⁉」
「どうぞお逃げください、ここは私たちが!」
驚愕する平べったい顔の男に、護衛たちがそう促す。
わらわらと集まる兵たちはかなりの量だ。長槍を手にした前衛隊のせいで、簡単には近寄れない。
だからといって、ここまできて逃がすわけにはいかない。
俺が風魔法で蹴散らすことを考えた矢先――
「『ウォーターアロー』!」
どこからか飛んできた矢は、動く対象相手でも正確に命中した。
逃げ出そうとする男の足のすぐ前に、とんと刺さる。
「な、なにぃ⁉」
バランスを崩してこけかかった男の襟を二本目の矢が貫く。三の矢がちょうどその矢の後ろにぴったりと付いて、勢いを加えていた。
「アリアナ、気合い入ってんなぁ……」
彼女も俺と同じく、ここ最近の身動きが取れない状況に鬱憤を溜めていたのかもしれない。
向かいの階段に立って、弓を手にした彼女の表情はどこかツヤツヤしていた。
マリの補助もあったのだろう、矢の威力は十二分であった。
男は矢に押されるように、壁に打ちつけられ、宙吊り状態になっていた。
気を失ったようで白目まで剥いている。
「たしかにそうかもしれませんけど、ボクが野良猫……」
んー、やっぱり嫌だったか?
こうして日々接していると忘れがちだが、キューちゃんは気高い伝説の精霊獣だ。
精霊というだけで尊い存在なのに、その中でもさらに上位のカーストに属するのが、我が愛猫だ。
「その女にやらせた方がお似合いですっ!」とか言って、アリアナと口論になってもおかしくない。
「無理なら別の方法考えるけど、どうかな」
キューちゃんの反応を見て、諦めつつあった俺だったが……
「ご主人様の命令ならば、何なりと! ご主人様さえよければ、ボクはそういうのも嫌いじゃありません!!」
捉え方はともかく、二つ返事で承諾してくれた。
それから彼女は不思議な力により、可愛い青のリボンも首輪も、すっと消すと、その滑らかな白い毛を腕でくしくしとやって乱し、目もことさらキッと鋭くした。
「やるからには、絶対になりきって見せます! にゃおっ!」
どうやら、うちの愛猫はなかなかの演技派らしい。
キューちゃんが帰ってきたのは、その夜、日を跨ぐ少し前のことだった。
リビングの大窓が、こつと肉球で叩かれる。続いて、庇護欲を掻き立てられる鳴き声がした。
俺はすぐ窓の鍵を開け、鳴き声の主を中へと招き入れる。
「ご主人様、ボクはばっちり任務を果たしましたよ」
精霊獣の誇りを捨て、野良猫を精一杯演じてくれていたらしい。
元に戻らない険しい目つきや、灰色にけぶった毛並みから、その努力の一端が覗く。
「よかったよ、帰ってきてくれて」
俺も気が気でなかっただけに、安堵した。
もしこのまま朝まで帰ってこなかったら、一人で夜更かしをしてでも待つ覚悟だった。
全力で労ってやろうと腕を開けば、キューちゃんは大きく飛び跳ねて、俺の胸元へと飛び込んできた。
「ふふふ、これを味わえるならどんな試練もどんとこいですよっ。あぁ、これですこれ! もっともっと!」
言っていることは可愛らしいが、悪い人相――猫相というべきか――のままであった。
だが、そんなことはお構いなしに、にゃんにゃん頬を擦り付けて甘えてくる。
頭の上に綺麗な紅葉を乗せているあたり、野良猫になってもキューちゃんはあざとい。
それを摘んで取ってから毛繕いしてやる。
「お疲れ様、泥棒猫。で、なにか分かったの?」
そこへ、アリアナから茶々が入った。
紅茶をすすりながら、という片手間具合で、言葉も態度も不遜。
だが、なんだかんだと彼女も寝ずにキューちゃんの帰りを待っていた。
アリアナも素直じゃない。
「ボクがどれだけ頑張ったと思ってるんですか!」
「だからそれは認めるわよ。でも、余計にひっつきすぎよ」
そんなことを知らないキューちゃんが、アリアナと火花を散らし始める。
「いいんですぅ! 猫だけに許された特権ですっ」
「あんた、都合のいい時だけ猫ぶるわよね」
俺は二人を眺めて肩を竦めた。
一緒にキューちゃんの帰りを待ってくれていたマリとサクラ、エチカも困った顔をする。
こうなることは薄々分かっていたが、ここで騒ぎになって、キューちゃんの存在が知られるのも困りものだ。
マリとサクラに、アリアナたちを後ろから押さえてもらって、俺は喧嘩を止める。
「キューちゃんさんも、アリアナさんも、仲良くだよっ!」
俺に代わってエチカに、二人を叱ってもらった。
年下の少女からの言葉は、やっぱり強力らしく、争いがすんなりとやむ。
それから俺が本題に入ろうとすると、先にキューちゃんが話し始める。
「ボクが聞いた感じだと、今夜、日付が変わる頃から、町のはずれで何かをやるそうですよ」
「微妙にふわっとした話だな。そっか、確証は取れなかったか?」
「はい、きちんと警戒されていたみたいで……あ! でも、門番の一人がこう呟いてたのは聞きました。『俺も行きたかったなぁ。今月生活きつかったし』、と」
核心に迫る情報とは言いがたいが、キューちゃんの言葉をまとめれば簡単な推理くらいはできる。
町のはずれって言ったら……真っ先に思い浮かぶのは、真っ黒に塗られたテンバス家の倉庫だ。
加えて、門番の発言から見るに、お金絡みの話だと思う。
それがなんなのか、俺たちの待遇に関係あるかは定かではないが、キューちゃんのはたらきに報いる意味でも確かめておきたい。
「少なくとも、なにか隠さなければならない催しが行われるのは確からしいな……」
俺はそうまとめてから、キューちゃんを撫でると召喚魔法を解除する。
それから立ち上がって、剣置きに乗せていた刀を手にした。アリアナやマリも、同様に武器の手入れを始める。
やっぱり俺たちにはこっちが性に合っている。
「ソリス様、どのように行かれるのですか? 外はかなり警備が厳重ですが」
サクラの疑問はしごくもっともだが、手段を選ばなければやりようはいくらでもある。
俺はさっきキューちゃんが帰ってきた窓の外を指さす。
「仕方ないから、そこから行くよ。エチカと二人、留守番しててもらえるか? 俺たちがいないことはどうか隠し通してくれ。朝には戻るから」
「その程度であれば、お任せください。必ず隠し通します」
まったく頼もしい限り。うちのメイドは超優秀だと、色んな人に自慢したいくらいだ。
俺は窓を少しだけ開けて、アリアナにアイコンタクトする。
「恵みの雨を降らせよ、『アクアシャワー』」
まずアリアナに放ってもらったのは、局所的に雨を降らせる魔法だ。
マリの精霊による加護を受けていることで威力が増し、空高く作られた雨雲の範囲は屋敷を覆って余りあるほど広がっていく。
「なんだ、雨かよ……くそ、聞いてねぇぞ」
「おい、カッパ持ってこい! これじゃ風邪ひいちまう」
外の警備員らがこのような会話を交わすのが聞こえてきて、俺はにっと笑う。
だが、これで終わりではない。雲が広がり、雨が降ったのだから、お次は雷だろう。
「うおおっ、今度は雷⁉ 一時退避だ、おめぇら! なんたって突然こんなに天災が⁉」
俺は雷属性魔法『サンダーボルト』をアリアナの雲に纏わせ、稲光りを作り出した。
当然、力はきちんとセーブしている。
こんなところで全力を使えば、一帯を焼け焦がしてしまうかもしれない。
生み出した雷を挨拶程度にあいさつ程度に木へ落として、そのうちの一本を割ってしまう。
その光景を見て、阿鼻叫喚といった門番らを尻目に、俺たちはホライゾナルクラウドを使って宙に浮く。
悠々と屋敷の敷地外へ降り立ち、三人で手首を合わせる。
「完璧ね。やっぱり私たち、いいパーティかもしれないわ」
「ですわねっ」
アリアナとマリが笑顔を見せる。
「間違いないな。ありがとう」
お揃いの魔法腕輪が、しゃらりと揺れた。
深夜のツータスタウンは静かだった。
開いている店は一つとしてなく、立ち並ぶ家々からも生活音はしない。
鈴虫の声が、町の外周を囲う山々から長く響き渡っていた。
静かなだけなら、なんの不思議もない。
だが、一つだけ違和感があった。
「……商店街に沿って、結構な数がいるみたいだな」
警備隊員が、等間隔に配置されているのだ。
夜警の巡回が一人いる程度ならばまだしも、人っ子一人通らない場所にその警備は厳重すぎるというものだ。
「二人とも、このまま隠れていくぞ」
小声で囁く俺に、アリアナ、マリがそれぞれ頷く。
この光景を見て、「なにもない」はありえないと確信する。
町外れまで続いているらしい警備隊の列を辿っていけば、必ずなにかしら答えを得られる。
俺たちは、民家の影を踏むようにして、そろりそろりと進み始めた。
警備隊たちは、油断しきっているらしく、まったく俺たちに気付く様子はなかった。
これなら、楽にたどり着ける。そう確信しかけた時であった。
「……ひゃっ、なにか顔に」
アリアナが小さく呟き、次の瞬間――
「ひ、ひっ、む、虫ぃー!」
その声が絶叫に変わった。
おいおい、それはまずいだろ! マリも同じことを思ったようで、すぐさまそれを取り払って、マリと二人、暴れる彼女の口を覆う。
高く形のいいアリアナの鼻先に止まっていたのは、鈴虫だ。
「いま、誰かの声がしなかったか⁉」
「そこの民家の裏だ! 出歩いてやがる奴がいるみたいだ。お前ら、周りこめ!」
アリアナの声を聞いた警備隊が俺たちを探し始める。
……うん、もう手遅れだな、これ。
「ど、ど、どうしましょうっ⁉」
慌てて左右を見るマリに俺は応えた。
「言っててもしょうがない!」
近づいてくる警備隊の足音を聞きながら、足元に風属性魔法を纏わせると、俺はマリとアリアナを抱え、『神速』を発動した。瞬時に、前方にあった民家の屋根の上へと隠れる。
煙突が設置してあり、警備隊たちからはちょうど死角になっている。
「だ、誰もいない……いや、でも、確かにここから声がしたような」
「なんだ、気のせいか……?」
「念のためだ。この辺りを捜索しろ! 『参加証』を持っていない者なら、問答無用で拘束だ」
警備隊らがにわかに騒がしくなるなか、俺は煙突に身を預け、息をつく。
無事に、ピンチを切り抜けたようだ。
それだけではなく、既に通過した後方に騒ぎを聞いた人が集中したことで、行く先の警備が手薄になった。
禍転じて福となす、といったところか。
「ソリス様、はじめからこうすればよかったんじゃ?」
俺の脇に抱えられたまま、マリが言う。
「……はは、かもしれないな」
風魔法は、雷魔法の次に得意な属性だ。
しかも、神速は多用してきた技であり、練度も高い。
この分なら、警備隊に見切られる心配はないと見てよさそうだ。
俺たちが軽く会話を交わしていると、虫に翻弄されて目を回していたアリアナが意識を取り戻す。
状況を把握すると、アリアナが頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。虫だけはどうしてもダメなの……って任務なのに言い訳はダメね。ごめん」
「いいよ、結局どうにかなったし。でも、二度目は勘弁な」
俺は幼馴染である彼女に、にっと笑いかける。
それから再び『神速』を駆使して、警備隊たちの目をくぐり抜け、町の南端へ向かった。
怪しいと睨んでいた黒塗りの建物の前に到着する。
「お前たちも、催しの参加者か? なら、参加証を見せて――」
俺は、門の前を警備していた数人の首裏に、素早く手刀をお見舞いする。
マリの精霊に、彼らが起きないか見張りについてもらうよう頼んでから、俺たちは建物の中へと入った。
わずかに聞こえる人の声を頼りに奥へと進んでいくと、鉄製の扉が出迎える。
少しだけ開けて中を覗くと、そこには三階分程度の高さはあるだろう大きな空間。
かなりの人数が集まっている。
中心には、十メートル四方の大きな台。その台の各辺には鉄柵が立てられ、鉄線が張り巡らされている。
周囲を観察していると、観客の声が耳に入った。
「早く始まらねぇかなぁ」
「ほんとな。楽しみで仕方ねぇぜ! 俺は今夜、ひと月分の給金を賭けたからな!」
「へへ、隣町から来た甲斐があるぜ。勝っても負けても楽しい催しはそうそうないってもんだ」
外の静まり返っていた様子とは打って変わって、中には熱気がこもっていた。
それは、ちょっとの隙間からでも漏れ伝わってくる。
湿度や温度による熱気というより、なにかに魅入られた者たちの醜い欲望が生み出す熱とでも言おうか。
「……なんだよ、これ」
俺はその異様さに圧倒されて、一度扉を閉めた。
男たちの話を聞く限り、賭博で間違いないだろう。
俺の後ろから様子を覗いていたアリアナとマリがしかめっ面をする。
「なにやってるのかしら。でも、いいことじゃなさそうなのは確かよね」
「ですわね、こそこそ隠れて賭け事だなんて……」
彼女たちが、同じような感想を抱いていたことに、俺はちょっとほっとする。
詳細を確認するため、俺は再び扉の隙間から会場の様子を探る。
ふと静まり返ったと思えば、このイベントの司会らしき男が壇上に現れた。
「さぁみなさん、もう始まりますよ! 注目してください! みなさんで盛り上げてください!」
男は大きな声を出して、手を叩くなどの大げさな振る舞いで聴衆を煽る。
それから階上の観覧席にいた主催者らしき男の紹介を手早く済ませると、壇上に誰かを連れてきた。
片方は、髭面の大柄な男。大きなノコギリを腰にぶら下げている。
そしてもう片方は……年端も行かぬような少女だ。
少なくとも、俺の位置からではそう見えた。
あんな小さな子がこの時間に、しかも見せ物にされている。
その事実だけで身体が動きそうになるが、俺は踏みとどまって息を吐いた。
「さぁ、ご存知の通り! 彼らにこれからやってもらうのは、真剣勝負だ。どちらが勝つのか、それ次第であなた方への払い戻しが決まる。ちなみに九対一で、ノコギリ男に票が集まりましたが、どうなるか」
まだだ。ここを耐えなければ真相を聞けない。
「これは、ただの勝負ではありませんよ。どちらかが死ぬまで、やります」
まだ早い。決定的な証拠をつかむまでは――
「果たしてこの男が少女を殺せるのか。良心が勝つか、命への執着が勝つか。それとも少女がその隙を突いて、この男を刺すか。極限状態での殺し合い、実に楽しみですねぇ。では、いざ尋常に……」
俺はその場で立ち上がる。ギリギリまで我慢したが、もう限界だ。
「なぁアリアナ、いいタイミングで、上に回り込んで主催者を矢で狙ってくれるか。俺がここをどうにかする」
「……どうにか、って具体的にどうするのよ、タイラー」
「壊す。勝負も賭けも。マリは、アリアナの補助を頼むな」
俺は二人に伝えて扉を開け放った。いままさに戦いの火蓋が切られようとしている会場へと単身乗り込む。
神速で人の合間を縫うようにして台まで向かうと、その角を踏み台にリングの真ん中へと、着地を決めた。
「な、何者だっ! ここは神聖な戦いのリングぞ⁉」
司会を務めていた男が、俺の登場に狼狽える。
良心と命への執着のせめぎ合いを観察することは、決して神聖ではなかろう。
俺は男を無視して、『ライトニングベール』で二人をそれぞれ保護した。
「てめぇ、何者だ⁉ ふざけんな、俺たちの賭けをどうしてくれるんだ! 余計な邪魔しやがって!」
醜い野次が客席のあちこちから飛びはじめる。
「てめぇ、ワテの賭け金どないしてくれんじゃい! やってまうぞ!」
「そうだそうだ、邪魔者は殺してしまえ! 排除だ」
随分と不興を買ったものだ。
俺は、愛刀に手をかけて、臨戦体勢に入った。
その瞬間、ぞくりと足元から震えが全身を駆け上がった。
恐怖でなくて、高揚感のようなものから鳥肌が立つ。
鍛錬こそ毎日続けていたが、実戦というのはやはり別物だ。真正面から向けられる敵意と対峙してこそ、やり甲斐があるというものらしい。
ただ、俺はそこで思い直す。
……こんな時こそ、落ち着かないとな。
心の中で燃え上がろうとする火を消すように、一つ息をついた。
それから刀身の向きを反対にして握りなおす。
いくら悪人でも、向こうが殺すつもりでかかってきても、俺にとって不殺は絶対だ。
柄を強く握って魔力を伝えると、刀身をライトグリーンの光が駆け上った。
「へへっ、若造。随分自信満々なようだが、この人数相手に何もできねぇだろ! いくぜ、『ファイアブレス』!」
「こっちからは、雷だ。食らいな、『エレキサークル』!」
リングまで上がってきた者が、左右から俺に襲いかかる。怒りばかりが込められた単調な攻撃を避けるのは、実に容易い。
身体の捻りと足運びで、その両方を避けた。
「くっ、台に刺さって抜けねぇ!」
情けなくも刀を抜こうと焦る一人の男を尻目に、斜めに刺さったその剣を足場にして魔法を放つ。
「『ツイストトルネード』!」
身体を回転させて、魔法と剣をあわせて敵を迎え撃つ。
円形の旋風がどんどん大きくなっていく。
それは、ファイアブレスもエレキサークルも簡単に呑み込んだ。
「う、うわぁ⁉ な、なんだ、これは!」
「風の渦⁉ ま、巻き込まれるぅ!」
会場内に叫び声が響く。
この技の特徴は、他人の魔力をその内側へ巻き込むことができるため、威力が衰えずに増していく点だ。
より強い魔力に触れれば打ち消されるが、今のように多人数が魔法を放つ状況にはうってつけだった。
俺は地面に着地して、すぐに構え直す。
「あー……やりすぎたか?」
だがすぐに刀を下ろして、目の前の光景を見た。
その場にいた者の大半が、積んであった木箱などと共に風に巻き上げられたのか、壁際まで押しやられていた。
壊れた武器や道具からは木屑や鉄片が、ヒビの入った土壁からは砂塵が舞い上がっている。
どうやら一瞬で、会場のほとんどを制圧できたようだった。
天井に吊るされていた魔導照明の一部が、床へ落ちてしまったこともあって、辺りは暗く、視界がかなり利きにくくなっていた。
荒らすのはもう十分だろう。
そう判断した俺は、ツイストトルネードに使っていた魔力を遮断する。
暴風がその姿を消すのにあわせて、俺は身体の内側で魔力を水属性へと切り替えた。
「『ウォーターフォールン』!」
剣を宙へ連続で地面に振り下ろすことにより、水の塊を降らせる。
煙たい空気を浄化するためだ。
その用途だけなら、アリアナの使うアクアシャワーが最も効率がいいかもしれないが、俺には彼女ほど水を繊細に扱いきれない。次善の策だが、今回ばかりは加減できないのが功を奏した。
「風が止んだと思ったら、今度は雨⁉ ここは室内だぞ! くそっ! 身動きが取れねぇ」
「そんなレベルじゃねぇだろ、これ! いてぇ、腹がやられたっ! まるで、丸太が降り注いできてるみてぇだっ」
アクアシャワーの威力では難しいだろう、逃げ出そうとした参加者の足止めにもなったからだ。
あまりの阿鼻叫喚ぶりに力を緩めたくもなるが、元を辿れば彼らが違法賭博に興じていたのが悪い。
「……あんた只者じゃねぇな。この短時間で、あの人数を制圧するだなんて」
ライトニングベールの内側で、保護した大柄な男が驚きの声を漏らす。
少女は床に座り込み、ただじっと水浸しになる場内を見つめていた。
視界がだんだん晴れていく中、俺は三度魔力を切り替えた。雷魔法『フラッシュライト』を使って場内を照らす。
「けっ、随分と面白い余興じゃねぇか」
それとほぼ同時に、不快な笑い声が建物内にこだました。
俺はすぐに剣を構え直して、声のした階上を見上げる。
「だが、その程度で我々の計画を停められると思っているなら大馬鹿ものにも程がある」
そう言って、けけけ、と笑うのは、先ほど主催者として紹介されていた平べったい顔の男だ。
そいつは、自分の周りを数人に警備させながら、観覧席の真ん中に悠然と座っていた。
明らかに想定外なはずの状況だというのに、余裕そうな表情だった。
「おめぇ、タイラー・ソリスだな? たしか、この町に来た新任の官吏。見張りをつけていたはずだが、どうやって抜けてきた?」
「さぁ。その見張りに聞けばいいだろ。もっとも、なにも気付いてないだろうけどな」
俺は適当にはぐらかして答える。だが、それが主催者のお気に召さなかったらしい。
「つまらない答え方してんじゃねぇぞ、おめぇ!」
打って変わって柵から身を乗り出し、怒声を浴びせてくる。
「ふざけたこと言ってると、こいつらがどうなるか分からねぇよ? おら、連れてこい!」
連れてこられたのは、縄で手足を縛られた男女数名だ。
強気な態度でいたのは、そういう理由か。
「けっけっけ。今日やる予定だった決闘は一組じゃねぇ。何組も準備させてたんだよ」
ぐったりした様子の彼らのうちの一人に、男は刀を突きつける。
俺を挑発するように、首元で刀を揺すった。
「おめぇが今日の話を全て心のうちにしまい、俺が今日得られるはずだった利益を全て弁償するなら許してやらなくもない。それが仁義ってもの……ってなに!? いないだと⁉」
男の話は、神速で移動しながら耳にしていた。
「まだ人質がいたこと、教えてくれて助かったよ」
俺は男の背後へと回り込み、斬りかかる。
しかし、脇を固めていた者たちがその攻撃を阻んだ。
「な、な、なんだと⁉ さっきまで下にいたのに、どうやってこんなところに⁉ 三階席だぞ⁉」
「どうぞお逃げください、ここは私たちが!」
驚愕する平べったい顔の男に、護衛たちがそう促す。
わらわらと集まる兵たちはかなりの量だ。長槍を手にした前衛隊のせいで、簡単には近寄れない。
だからといって、ここまできて逃がすわけにはいかない。
俺が風魔法で蹴散らすことを考えた矢先――
「『ウォーターアロー』!」
どこからか飛んできた矢は、動く対象相手でも正確に命中した。
逃げ出そうとする男の足のすぐ前に、とんと刺さる。
「な、なにぃ⁉」
バランスを崩してこけかかった男の襟を二本目の矢が貫く。三の矢がちょうどその矢の後ろにぴったりと付いて、勢いを加えていた。
「アリアナ、気合い入ってんなぁ……」
彼女も俺と同じく、ここ最近の身動きが取れない状況に鬱憤を溜めていたのかもしれない。
向かいの階段に立って、弓を手にした彼女の表情はどこかツヤツヤしていた。
マリの補助もあったのだろう、矢の威力は十二分であった。
男は矢に押されるように、壁に打ちつけられ、宙吊り状態になっていた。
気を失ったようで白目まで剥いている。
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