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二章 商品企画部のエリート部長は独裁者?

29話 エリート部長の事情

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「私は、料理屋の長女なんです。といっても、なんてことのない定食屋です。華々しくもなければ、老舗ってわけでもない」

自分の境遇を、少しずつ言葉にしていく。

希美にとってみれば重大なことでも、話にすればそう長いものでもない。

──本当は店を継ぐはずだった。ずっと夢に見ていて、高校生のある日、それがぽっきりと折れた。ただそれだけのことだ。

「願っても、私は料理ができません。それはもう仕方ないって思ってます。でも! 私のような人を増やしたくない。お金とか人間関係とか、理由はどうだっていいんです。とにかく、そんなことで料理を諦めてほしくない。
本部にとっては企画一つでも、お店にとっては売上の上下が、命がかかってます。だから、私はこの企画が大切なんです」

意思表明を終えると、希美は右の手首に巻いたGショックを握りしめる。それで、弱気を一切合切追い出すことができた。

「今度は仲川さんが話す番です! 昇進したい理由があるんですよね」
「なぜ私まで話さなきゃいけないんです」
「そうじゃないと、公平じゃありませんよ? さっき自分でそう言ってたじゃないですか」

希美は、入り口となる襖の前に両手を広げて立ち塞がる。まさかここまでやるとは思わなかったのだろう。

パーツ一つ一つの美しい顔が、苦虫を噛み潰したような表情へ変わった。

「あなた、自分の行動の意味が分かってますか?」
「もちろん! 失礼を働いてるのは承知です。それでも引きません」
「いいえ、分かってない。ここは男と二人きりの個室ですよ。なにをしたって誰にも見られない」

それがどうかしたのだろう? そんなことは見れば分かる。希美が首を捻っていたら、長いため息が吐かれる。

「……大したことじゃありませんよ」

本当に話してくれる気になったらしい。思惑どおりになったのだが、意表をつかれた。希美は机に飛びつくよう、焦って席へ戻る。

「家が貧しいので、お金を入れる必要があるんです」
「……えっ。もしかして、ご結婚をされて?」

妻帯者を二人きりで連れ出すのは、どちらの世間体もよろしくない。
希美は、机のへりに掛けられていた彼の左手をばっと見る。薬指に、指輪はついていないようだ。

「そうではなく実家です。農家をしていて、歳の離れた兄弟が多いんですよ」

ほっと息をつく。

そういえば、たしか五人兄弟だと鴨志田からの触れ込みがあった。人数が多ければ、それだけお金が必要になろう。

「それに、恩を返さねばならない友人もいます。あなたにもお渡ししたでしょう? 煎餅。新潟で、その店主をしている者です。彼と、手紙で約束を交わしているのです」
「……あ。デスクに貼ってた手紙?」

えぇ、と仲川は浅く頷いた。

「自分で言うのもなんですが、うちはかなり貧しかった。普段でさえ家計は常に火の車でした。天候災害などで、収穫がひどい時にはお米しか食卓に上がらなかった。弟たちにお菓子を買ってやる余裕もありませんでした」

淡々と変わらぬ説明口調で、話が進んでいく。ただ内容は、別人にすり替わったかのようだった。

「そんな時に、高校の同級生だった彼が弟たちに煎餅をくれるようになったんです。大して仲がいいわけでもなかったのに、です。私はこういう性格ですし、当時は勉強と家の手伝いばかりで友達が少なかった。なにか裏があると思ったんです。それで理由を問い詰めたら、彼はそうだとあっさり認めました。でも、それが思っていたのと違った」

仲川は、少しはにかむように笑った。片方の頬だけが不器用そうに上がる。

「彼は、私と友達になりたかったのだそうです。ただそれだけの理由だ、と。馬鹿みたいでしょう? でも、おかげで初めて親友ができました。煎餅だけではなく大切なものをいくつももらった。彼には、まだ借りがたくさん残っています。早く返すためにも、私は上り詰める。そう彼と約束したのです」

話が終わったようだ。

仲川は机に肘をついて、頭を覆う。どうやら話しすぎたことを後悔しているらしい。
想像をはるかに超えていくほど、立派な理由だった。けれど、理解できなかった言動の断片が徐々に連なっていって、そのギャップを埋めていく。

「……もしかして、ゼリードリンクもなにか理由が?」
「あぁ、あれは安いからですよ。家族が質素な生活をしているのに、自分だけ贅沢はできませんから」

早川部長から仲川の話を聞いた時、覚えた違和感の理由がはっきりした。

やっぱり、地位が価値観の全てというわけではなかった。それどころか家族や友人のためだと言うのだから、健気でさえある。

そういうことならむしろ、早く成り上がってほしいくらいだ。

であればこそ。希美は彼が進まんとしている道に、立ちはだからなければならない。

「それで、昇進したいがために上の意見そのまんまのフェア商品を作ったんですね」
「……それがなにか」
「いえ別に。ただそれじゃあいつまで経っても今より上にはいけないんじゃないですか。都合のいいコマにされそうですけど」

ぴくっと仲川の額に筋が浮き上がる。

エリート様相手に、かなり偉そうなことを言ったとは思う。仲川の出身校である京大なんて、学生時代の希美には当然ご縁すらなかった。
でも、平々凡々だからこそ分かる。

この人は、上に行きたいがために、目の前しか見えなくなっている。

「仲川部長は、それでいいんですか?」
「そんなわけがないでしょう」
「じゃあ、今ここで勝負を仕掛けるべきだと思います! 御偉いさんだろうが関係ありません。ばりっと、間違ってるものは打ち砕く! そう、煎餅を噛むみたいに!」

希美は、机を手のひらで打つ。
笑ってくれるわけもなく、盛大に滑った。お冷やが揺れて、メニュー表が倒れる。

そんな時に、ちょうど店員がやってきた。
やや引け腰になりつつ、例のさくらんぼパフェを置いていく。

事前に頃合を見て持ってきてもらうよう、阪口にお願いをしていたのだ。

「……これは」
「私が考えたパフェ案です! これならインパクトも和洋折衷のコンセプトもあると思うんです!」

ただし、団子は乗っかっていない。

代わりに中央で存在感を発揮しているのは、さくらんぼの水まんじゅうである。実を丸ごと一つ、片栗粉で固めた。外から見ると実がぼやけて、ハートマークに映るのが特徴だ。

穏やかな白と赤のコントラストは、「和」ならではの落ち着いた印象を与えていた。なにより、味の主張が控えめであるため、全体にまとまりも出る。

ヒントは、実家から届いていた水まんじゅうから得たものだ。昨日、空っぽになった頭にふと浮かんできた。
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