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三章 火野カブ漬け
三章 火野カブ漬け(2)
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後片付けのあと、江本さんを手伝って、私もういろうにありつく。
これまでお土産で貰ったことは何度かあるが、それらと比べても、この上なく美味だった。生地はもっちり濃厚で、こしあんがさらりと口溶けのいい甘さを舌に示す。頬張るごとに満足感が増して、怒りやら恥ずかしさをひとまずどこかへ追いやることができた。
「それで、おばさん。どうしたの」
さらえたあとには、さっきより冷静になれていた。
「友達から聞いたんだ、ここの店長は探偵だって。助手もいて、それが私の可愛い姪っ子って言うから試しに来てみたの」
「それで?」
「実はちょっと依頼があってね。これ、見てもらってもいいかしら」
レザー生地のいかにも高級そうなハンドバッグを彼女は膝上に置く。少し漁るようにしてからテーブルの上に置いたのは、白いトレーだった。
真空パックで封をされた中身は、エコバッグやビニル袋から出てくるなら分かるが、ブランドのロゴには全く馴染まない。
「……一本漬けの大根?」
「うーん。一個ずつは小ぶりだから、カブかな?」
私は江本さんの顔を見て、真偽のほどをうかがう。そうですね、と彼はカウンターの奥からトレーに手を伸ばして裏返した。
「このカブ漬けがどうかされましたか。市販のものではなく、誰かの手作りだとお見受けしますが」
「えっどうして分かるの」
私には出来合いにしか見えない。
「賞味期限のラベルシールが貼ってございません。剥がした後もなさそうですので」
「探偵の噂は本当みたいね、すごいわ、はじめくん。そうなのよ、これは貰い物なの。というより押し付けられたって感じなのよね。実はこれ、今朝私の家のポストに突っ込まれてたの」
「このままの状態で、でしょうか」
「うん、裸で。だから郵便でも宅配便で届けたのでもないみたいなのよね。たぶん直接投函されてるんだけど、差出人はもちろん不明」
それは、なんというかありがた迷惑な話だ。貰っても、どうにもできない。
昔、友達が受け取っていたラブレターのことを思い出す。かなり長文で思いが綴られ、本気度は伝わってきたけれど、記名がなくて「誰?」で終わってしまった。大事なのは誰からか、だ。
「これ実は毎年なのよ。毎年この時期に届くのね、これ。他に被害があったわけじゃないから警察には届けてないんだけど……やっぱり気にはなってね」
それが連続ともなれば、もはや恐怖でしかない。
「おばさん、また変な男と付き合ったりしなかった?」
「あーその線はあるかもねー」
身内なので、私はずけずけと踏み込む。
最近でこそぱったりだが、彼女は少し前まで、浮いた話に事欠かない遊び人だった。その美貌を活かして、捕まえた男は数知れない。ただ、その大概はダメ男というオチがつくので、この歳でも結婚はできていない。
「こちらのカブ漬けですが、食べたことは?」
「あるわけない。だって怖いでしょ、なに入ってるかわからないし」
「そうでしたか。こちら、開けてしまっても?」
「うんいいよ、やっちゃって」
江本さんはその場で封を切る。そして、まるで理科の実験のように手で煽って匂いを嗅いだ。
「特に変な薬品などは使われていなさそうですね。試しに食べてみてもよろしいでしょうか」
「えっ、大丈夫なんですか。だって安全かも分からないんじゃ」
私は止めかかるが、叔母は「いいよ」と認める。「ただし自己責任で」と付け加えた。面倒ごとを持ち込んだくせに、自分だけ逃げ道まで設けるとはずるい。
そんなずるさを知ってか知らずか江本さんはもう、まるで研究者と言うような顔つきになっていた。ペティナイフでカブを薄くスライスする。
一枚を躊躇いなく口に入れて、すぐに硬直した。額には大粒の汗が浮かび始める。
私と叔母は顔を見合わせた。まさか本当に毒が盛られていたのでは。焦りかけていたところで、江本さんは口を開いた。
「とても辛いです」
それだけ!? と突っ込みたくなった。ひとまず私は安堵してほっと胸を撫でる。と同時に、一切れで汗が吹き出るほどの辛さがどれほどのものか興味が湧いた。
実は江本さんが辛いものに弱いのかもしれない。だとすれば、それはそれで面白い。安易な気持ちで自分も手をつけて、
「うぐっ、これは……」
物を言えなくなった。
鮮烈な辛さだった。一種類ではない。唐辛子のストレートなもの、強い酢の酸味、カブ自体の青々しさからくるもの、それらが一体となって舌を刺してくる。
好きな人は好きかもしれないが……。味覚の敏感な私には、かなり堪えた。こんなものを名無しで送りつけてくるのは、たとえ安全だろうが、嫌がらせとしか思えない。
「食べなくてよかった~。私辛いのダメなのよね」
とは一人被害を免れた知命の美魔女。口に手を当て、けらけら笑う。
さらにあろうことか、スマホを弄り始め、その末には
「とにかく依頼は、それが誰からか調べて欲しいってこと! 分かったら連絡してね。待ってるよ」
と、さっさと出て行ってしまった。
なんて叔母だ。
ういろう代を払っていってくれたのが、せめてものプラスだろうか。あとはマイナスばかりだった気がする。突然店に来て厄介ごとを振りまいて去っていったわけだ。
「すいません、本当」
私は、江本さんにぱちんと両手を合わせる。
「愉快なご親戚ですね。佐田さんの家は明るい声が絶えないのでしょうね」
「……いえ、あそこまでお気楽なのは叔母だけです」
あれが、お固い母の姉とは言われなければ誰も分からないだろう。
それに、母と叔母はとても仲が悪い。口を聞いているのを最後に見たのは、いつだったか思い出せない。
だからこそ、母と喧嘩した時には叔母の存在が頼もしくもあった。そんな彼女が困っているのなら、今日の行動はともかくとして、力になりたいとは思う。
「それで江本さん。分かりそうですか、この漬物を送ってきた犯人といいますか」
私は良い返事はもらえないと分かりつつ、尋ねてみる。
「そうですね、少しではございますが」
「えっ、本当ですか」
さすがはお料理探偵だ。
「このカブですが、カナカブという種のものでございます。漢字にして火に野の蕪と書き、その名の通り、焼畑農法で作られるカブでございます。普通は秋から冬にかけて収穫しますが、春にという農家もいるのかもしれませんね」
焼畑、遠い記憶を辿れば、高校生の頃に習ったことがあった。たしか土地ごと燃やして耕す、伝統的な農業の一つだったはずだ。
少なくとも、古いイメージがある。
「その焼畑って今でもやってるんですか」
「地域に限定的な話でございます。やはり畑を全てを燃やすというのは危険を伴いますから今はほとんど行われておりません。……このカブを焼畑で育てているのは、秋田。叔母様に秋田の知り合いはいらっしゃいませんか。もしいるのなら、その方が送ったものと思われます」
「……秋田っていえば、叔母の出身地です!」
そして、彼女も小さな頃には秋田を去っているから、今も付き合いがあるような友人はいないだろう。
となれば、浮かぶのは唯一。
血を分けた唯一の妹、私の母しかいない。
これまでお土産で貰ったことは何度かあるが、それらと比べても、この上なく美味だった。生地はもっちり濃厚で、こしあんがさらりと口溶けのいい甘さを舌に示す。頬張るごとに満足感が増して、怒りやら恥ずかしさをひとまずどこかへ追いやることができた。
「それで、おばさん。どうしたの」
さらえたあとには、さっきより冷静になれていた。
「友達から聞いたんだ、ここの店長は探偵だって。助手もいて、それが私の可愛い姪っ子って言うから試しに来てみたの」
「それで?」
「実はちょっと依頼があってね。これ、見てもらってもいいかしら」
レザー生地のいかにも高級そうなハンドバッグを彼女は膝上に置く。少し漁るようにしてからテーブルの上に置いたのは、白いトレーだった。
真空パックで封をされた中身は、エコバッグやビニル袋から出てくるなら分かるが、ブランドのロゴには全く馴染まない。
「……一本漬けの大根?」
「うーん。一個ずつは小ぶりだから、カブかな?」
私は江本さんの顔を見て、真偽のほどをうかがう。そうですね、と彼はカウンターの奥からトレーに手を伸ばして裏返した。
「このカブ漬けがどうかされましたか。市販のものではなく、誰かの手作りだとお見受けしますが」
「えっどうして分かるの」
私には出来合いにしか見えない。
「賞味期限のラベルシールが貼ってございません。剥がした後もなさそうですので」
「探偵の噂は本当みたいね、すごいわ、はじめくん。そうなのよ、これは貰い物なの。というより押し付けられたって感じなのよね。実はこれ、今朝私の家のポストに突っ込まれてたの」
「このままの状態で、でしょうか」
「うん、裸で。だから郵便でも宅配便で届けたのでもないみたいなのよね。たぶん直接投函されてるんだけど、差出人はもちろん不明」
それは、なんというかありがた迷惑な話だ。貰っても、どうにもできない。
昔、友達が受け取っていたラブレターのことを思い出す。かなり長文で思いが綴られ、本気度は伝わってきたけれど、記名がなくて「誰?」で終わってしまった。大事なのは誰からか、だ。
「これ実は毎年なのよ。毎年この時期に届くのね、これ。他に被害があったわけじゃないから警察には届けてないんだけど……やっぱり気にはなってね」
それが連続ともなれば、もはや恐怖でしかない。
「おばさん、また変な男と付き合ったりしなかった?」
「あーその線はあるかもねー」
身内なので、私はずけずけと踏み込む。
最近でこそぱったりだが、彼女は少し前まで、浮いた話に事欠かない遊び人だった。その美貌を活かして、捕まえた男は数知れない。ただ、その大概はダメ男というオチがつくので、この歳でも結婚はできていない。
「こちらのカブ漬けですが、食べたことは?」
「あるわけない。だって怖いでしょ、なに入ってるかわからないし」
「そうでしたか。こちら、開けてしまっても?」
「うんいいよ、やっちゃって」
江本さんはその場で封を切る。そして、まるで理科の実験のように手で煽って匂いを嗅いだ。
「特に変な薬品などは使われていなさそうですね。試しに食べてみてもよろしいでしょうか」
「えっ、大丈夫なんですか。だって安全かも分からないんじゃ」
私は止めかかるが、叔母は「いいよ」と認める。「ただし自己責任で」と付け加えた。面倒ごとを持ち込んだくせに、自分だけ逃げ道まで設けるとはずるい。
そんなずるさを知ってか知らずか江本さんはもう、まるで研究者と言うような顔つきになっていた。ペティナイフでカブを薄くスライスする。
一枚を躊躇いなく口に入れて、すぐに硬直した。額には大粒の汗が浮かび始める。
私と叔母は顔を見合わせた。まさか本当に毒が盛られていたのでは。焦りかけていたところで、江本さんは口を開いた。
「とても辛いです」
それだけ!? と突っ込みたくなった。ひとまず私は安堵してほっと胸を撫でる。と同時に、一切れで汗が吹き出るほどの辛さがどれほどのものか興味が湧いた。
実は江本さんが辛いものに弱いのかもしれない。だとすれば、それはそれで面白い。安易な気持ちで自分も手をつけて、
「うぐっ、これは……」
物を言えなくなった。
鮮烈な辛さだった。一種類ではない。唐辛子のストレートなもの、強い酢の酸味、カブ自体の青々しさからくるもの、それらが一体となって舌を刺してくる。
好きな人は好きかもしれないが……。味覚の敏感な私には、かなり堪えた。こんなものを名無しで送りつけてくるのは、たとえ安全だろうが、嫌がらせとしか思えない。
「食べなくてよかった~。私辛いのダメなのよね」
とは一人被害を免れた知命の美魔女。口に手を当て、けらけら笑う。
さらにあろうことか、スマホを弄り始め、その末には
「とにかく依頼は、それが誰からか調べて欲しいってこと! 分かったら連絡してね。待ってるよ」
と、さっさと出て行ってしまった。
なんて叔母だ。
ういろう代を払っていってくれたのが、せめてものプラスだろうか。あとはマイナスばかりだった気がする。突然店に来て厄介ごとを振りまいて去っていったわけだ。
「すいません、本当」
私は、江本さんにぱちんと両手を合わせる。
「愉快なご親戚ですね。佐田さんの家は明るい声が絶えないのでしょうね」
「……いえ、あそこまでお気楽なのは叔母だけです」
あれが、お固い母の姉とは言われなければ誰も分からないだろう。
それに、母と叔母はとても仲が悪い。口を聞いているのを最後に見たのは、いつだったか思い出せない。
だからこそ、母と喧嘩した時には叔母の存在が頼もしくもあった。そんな彼女が困っているのなら、今日の行動はともかくとして、力になりたいとは思う。
「それで江本さん。分かりそうですか、この漬物を送ってきた犯人といいますか」
私は良い返事はもらえないと分かりつつ、尋ねてみる。
「そうですね、少しではございますが」
「えっ、本当ですか」
さすがはお料理探偵だ。
「このカブですが、カナカブという種のものでございます。漢字にして火に野の蕪と書き、その名の通り、焼畑農法で作られるカブでございます。普通は秋から冬にかけて収穫しますが、春にという農家もいるのかもしれませんね」
焼畑、遠い記憶を辿れば、高校生の頃に習ったことがあった。たしか土地ごと燃やして耕す、伝統的な農業の一つだったはずだ。
少なくとも、古いイメージがある。
「その焼畑って今でもやってるんですか」
「地域に限定的な話でございます。やはり畑を全てを燃やすというのは危険を伴いますから今はほとんど行われておりません。……このカブを焼畑で育てているのは、秋田。叔母様に秋田の知り合いはいらっしゃいませんか。もしいるのなら、その方が送ったものと思われます」
「……秋田っていえば、叔母の出身地です!」
そして、彼女も小さな頃には秋田を去っているから、今も付き合いがあるような友人はいないだろう。
となれば、浮かぶのは唯一。
血を分けた唯一の妹、私の母しかいない。
応援ありがとうございます!
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