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五章 深川めし
五章 深川めし(7)
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五
江本さんが達輝を捕まえて間もなく、現場には警察が駆けつけてきた。
繁華街の真ん中での捕物もどきともなれば、それなりの騒ぎになる。通行人の誰かが通報したのだろう。
江本さんは警察へ事情を説明する。ただ、達輝をそのまま引き渡すことはしなかった。私の願いに答えてくれたのだ。
情けをかけたわけじゃない。ただ、彼との関係を精算するためには、直接理由を聞いておかねばならない気がした。
当然誰もいない店内の隅、四人がけのテーブルに、達輝を奥にして一対二で座る。
彼は背中を丸くして、うつろな目を空へ泳がせるばかりだった。魂が抜けたようだが、同時に憑物がとれたような表情にも見える。
どうして私を脅迫なんてしたの。仮にも好きと言っていたのに。だが訊こうとした矢先、達輝が先に口を開いた。
「俺だって気付いてたのか」
彼がすれた目で見たのは、私ではなく江本さんだった。白い喉を振って、問いかけられた店主はこくりと頷いた。
「えぇ、まぁ。気付いたのは、今日になっての話ですが」
さっき、江本さんが事情があるのだとはぐらかしたわけが分かった。犯人が私の幼馴染だったから、すぐに警察に通報しないでいてくれたのだろう。
「うまいことアリバイ作ったと思ったんだけどなぁ。事件があったとき、俺はここにいただろう」
「……えぇ一度は騙されました。ただ、物を落とすくらいなら、そう大きな仕掛けを用いなくとも済む。あなたは昨日、店へ客として来る前に、裏口に侵入し、小細工を仕掛けたのでしょう? 仕掛けは、およそ今回あなたが引っかかったものと同質のものです。どこかに紐を挟んでおいて、それが何かのきっかけで外れれば裏口で物が落ちる。違いますか」
「……あ」
そういえば、私が外を覗いたすぐ後に、大きな物音がした。あのとき、カラクリが作動したわけだ。
「また、あなたは万が一にも他の客が扉を開けて、予期せず仕掛けが作動してしまわないように、営業中プレートをも裏返していた。だから最近では開店待ちが出ることすらあった店に、あなた以外が寄りつかなかった」
「……本当に全部当てるんだな」
江本さんの推理は全て的中していたようだった。達輝は呆気にとられたようで、ふっと短く笑う。
「笑いごとではありませんよ」
だが、無駄なく冷ややかな江本さんの言葉に、その上がった口角はすっと元の位置に戻った。
「なんでこんなことしたの」
その厳しさを引き継いで、私は達輝を睨む。
もう許してやるつもりなど全くなかった。同情する余地は挟まない。彼はそんな意図を汲み取ったか、私と目を合わせないまま、意外なことを口にした。
「……好きだと思ってたからだよ」
何度も告白されてきたから、好意を持たれていたこと自体は知っている。ただ、脅迫する理由にはなっていない。それに、持って回ったような言い方も気になった。
「俺は小学生の頃からずっと結衣が好きだった。それは知ってるだろ? 何回も告白してきたから」
「……それとこれと何の関係があるの」
「腹が立ったんだよ。俺がどれだけ好きでも、お前は振り向いてくれなかったのに簡単に、そこの店主に絆されてんのが」
「……達輝のことは好きになれないって何回も言った」
「それがむかつくっていってるんだ。俺はそれなりに女子から好かれることだってあった。それでも、お前を好きで、お前以外とは付き合わないでやってきたのに」
「私は友達以上に思えなかった。それに、達輝が本当に私のことを好きなようにも思えなかった!」
話が噛み合わず、つい熱くなってしまった。私は少し深呼吸をして、息を整える。まずは冷静に、言い分を聞く必要があるかもしれない。
「……とにかくそれがむかついんだんだよ。だから、お前ら二人を切り離してやろうと思ったんだ。……それで結衣が店をやめるなら、脅迫だけで終わるつもりだったさ。でも、お前は俺を振った。挙句店に行く、なんて言われて、カッとなった」
燃やすつもりは元からなかったんだ、と達輝はスーツの襟を広げて見せる。たしかに、火をつけられそうなものは所持していなさそうだった。たばこも吸わない男だ。
「ただもう一回、バカガイをばら撒いてやろうと思った。それだけで、結衣は考え直すかもしれないってな」
「どうしてバカガイ……?」
「なんとなく分かってるんじゃないのか」
「もしかして知ってたの」
バカガイから連想されるのは、深川めししかない。
でも、あの調理実習は私といっくん二人だけの思い出のはずだ。動揺して短く問うと、達輝はあぁと首を縦に振る。
「小学生の頃、結衣がお熱だった初恋の人がいただろ。たしか、いっくんだったか。
俺はその頃から結衣が好きだった。だから放課後、結衣が居残りしてる時も、お前がなにをしてるかずっと気になってたんだ」
そんなある日、彼は私が美術室でいっくんと仲良さそうにしているのを聞きつけたのだと言う。
それで、いてもたってもいられなくなったらしい。
「簡単に言うと、後をつけるようになった。今考えればストーカーだな」
驚きの事実に、私は言葉が出なくなる。
そんな私をよそに、達輝はまた静かに話を続けた。
「その時に見たんだよ。お前がいっくんと調理実習してんのを。そのあと、ここにきたのも知ってる」
「……じゃあ上野公園にいたのも?」
彼は、偶然じゃない、ときっぱり言った。
「あぁ結衣の後をつけたんだ。昔も、今回もな。昔は結衣を上野駅でずっと待ってた。今回は、仕掛けの下見に、ここに来たとき、お前を見かけたんだ」
私は愕然とする。前提を覆された気分だ。
彼との関係は途中からこじれたのだと思っていたけれど、幼い頃からずれきっていたようだった。
「今回の計画は、佐田さんの思い出を利用したわけですか。犯人をその初恋の人に仕立て上げ、罪をなすりつけようとした。そういうことですね」
江本さんは重々しい調子で言って、腕を組む。
私に向けられたものではないと分かっていてもぞっと背中に震えが走るくらい、その表情は険しい。
「あの壁に脅迫文を書いたのも、それが理由でしょう。元々は全然別の言葉が書いてあった。それを書き変えることで、佐田さんの思い出をも上書きしようと考えた。違いますか」
「……あ、あぁ」
「浅ましい考えですね」
まるで吐き捨てるようかのようだった。ここまで感情をあらわにしているのは、会って以来初めて見た。
私は呆気にとられる一方で、少し違和感を覚えた。
江本さんは、どうして壁の落書きのことを知っているのだろう。店舗を改装する時にでも見たのだろうか。だとしても、私が書いたものとは分からないはずだ。
私の疑問はさておき、話は進む。
「……そもそも結衣が俺に振り向いてくれない原因は、そのいっくんとやらにあると思ったんだ。結衣は中学生の頃、俺と付き合った時も、初恋をずっと引きずってたからな」
「…………知ってたの?」
「仮にもずっと好きだったんだぞ。分かるさ、それくらい」
達輝の眉がゆっくりと落ちる。
当時の私にしてみれば、達輝と付き合ったのは、友達に勧められたからという軽い理由だった。
けれど、彼には違った。本気で私を好きで、告白してくれていたのだ。
そのズレは、この歳になるまでずっと解消されなかった。地下深くプレートが動くみたいにゆっくりと深くなっていって、今回の事件へと発展した。
そう考えれば、事件の理由の一端は、私にもあるかもしれない。
「……どうしてこうなったんだろうな。昔はただ好きだったのに」
「……今は?」
「冷静になったら分かるよ。もう好きじゃなかったんだと思う。いわば、ただの執着だな」
「そっか、そんな気がしてた」
達輝の話はこれで終わりのようだった。疲れ切ったように、彼はだらんと項垂れる。最近は見栄を張ったような姿しか見ていなかった。ここまでやつれた彼は、久しぶりに見た。
「それで、どうされますか」
江本さんが言うのは、自首するか否かだろう。
「動けないようなら連れて行きましょうか」
「自分で行くよ。まだ出たところにいるだろうしな」
達輝はふっと笑って、肩を落としながら立ち上がる。
とぼとぼと店内を移動して、外の戸に手をかける。そのバックでは、赤色灯が回って、目が痛かった。
最後に達輝は、私を見た。
視線が束の間、絡み合う。
この一瞬が最後になると思えば、散々困らせられて、こんな事件まで起きたというのに、少しだけ物悲しかった。
江本さんが達輝を捕まえて間もなく、現場には警察が駆けつけてきた。
繁華街の真ん中での捕物もどきともなれば、それなりの騒ぎになる。通行人の誰かが通報したのだろう。
江本さんは警察へ事情を説明する。ただ、達輝をそのまま引き渡すことはしなかった。私の願いに答えてくれたのだ。
情けをかけたわけじゃない。ただ、彼との関係を精算するためには、直接理由を聞いておかねばならない気がした。
当然誰もいない店内の隅、四人がけのテーブルに、達輝を奥にして一対二で座る。
彼は背中を丸くして、うつろな目を空へ泳がせるばかりだった。魂が抜けたようだが、同時に憑物がとれたような表情にも見える。
どうして私を脅迫なんてしたの。仮にも好きと言っていたのに。だが訊こうとした矢先、達輝が先に口を開いた。
「俺だって気付いてたのか」
彼がすれた目で見たのは、私ではなく江本さんだった。白い喉を振って、問いかけられた店主はこくりと頷いた。
「えぇ、まぁ。気付いたのは、今日になっての話ですが」
さっき、江本さんが事情があるのだとはぐらかしたわけが分かった。犯人が私の幼馴染だったから、すぐに警察に通報しないでいてくれたのだろう。
「うまいことアリバイ作ったと思ったんだけどなぁ。事件があったとき、俺はここにいただろう」
「……えぇ一度は騙されました。ただ、物を落とすくらいなら、そう大きな仕掛けを用いなくとも済む。あなたは昨日、店へ客として来る前に、裏口に侵入し、小細工を仕掛けたのでしょう? 仕掛けは、およそ今回あなたが引っかかったものと同質のものです。どこかに紐を挟んでおいて、それが何かのきっかけで外れれば裏口で物が落ちる。違いますか」
「……あ」
そういえば、私が外を覗いたすぐ後に、大きな物音がした。あのとき、カラクリが作動したわけだ。
「また、あなたは万が一にも他の客が扉を開けて、予期せず仕掛けが作動してしまわないように、営業中プレートをも裏返していた。だから最近では開店待ちが出ることすらあった店に、あなた以外が寄りつかなかった」
「……本当に全部当てるんだな」
江本さんの推理は全て的中していたようだった。達輝は呆気にとられたようで、ふっと短く笑う。
「笑いごとではありませんよ」
だが、無駄なく冷ややかな江本さんの言葉に、その上がった口角はすっと元の位置に戻った。
「なんでこんなことしたの」
その厳しさを引き継いで、私は達輝を睨む。
もう許してやるつもりなど全くなかった。同情する余地は挟まない。彼はそんな意図を汲み取ったか、私と目を合わせないまま、意外なことを口にした。
「……好きだと思ってたからだよ」
何度も告白されてきたから、好意を持たれていたこと自体は知っている。ただ、脅迫する理由にはなっていない。それに、持って回ったような言い方も気になった。
「俺は小学生の頃からずっと結衣が好きだった。それは知ってるだろ? 何回も告白してきたから」
「……それとこれと何の関係があるの」
「腹が立ったんだよ。俺がどれだけ好きでも、お前は振り向いてくれなかったのに簡単に、そこの店主に絆されてんのが」
「……達輝のことは好きになれないって何回も言った」
「それがむかつくっていってるんだ。俺はそれなりに女子から好かれることだってあった。それでも、お前を好きで、お前以外とは付き合わないでやってきたのに」
「私は友達以上に思えなかった。それに、達輝が本当に私のことを好きなようにも思えなかった!」
話が噛み合わず、つい熱くなってしまった。私は少し深呼吸をして、息を整える。まずは冷静に、言い分を聞く必要があるかもしれない。
「……とにかくそれがむかついんだんだよ。だから、お前ら二人を切り離してやろうと思ったんだ。……それで結衣が店をやめるなら、脅迫だけで終わるつもりだったさ。でも、お前は俺を振った。挙句店に行く、なんて言われて、カッとなった」
燃やすつもりは元からなかったんだ、と達輝はスーツの襟を広げて見せる。たしかに、火をつけられそうなものは所持していなさそうだった。たばこも吸わない男だ。
「ただもう一回、バカガイをばら撒いてやろうと思った。それだけで、結衣は考え直すかもしれないってな」
「どうしてバカガイ……?」
「なんとなく分かってるんじゃないのか」
「もしかして知ってたの」
バカガイから連想されるのは、深川めししかない。
でも、あの調理実習は私といっくん二人だけの思い出のはずだ。動揺して短く問うと、達輝はあぁと首を縦に振る。
「小学生の頃、結衣がお熱だった初恋の人がいただろ。たしか、いっくんだったか。
俺はその頃から結衣が好きだった。だから放課後、結衣が居残りしてる時も、お前がなにをしてるかずっと気になってたんだ」
そんなある日、彼は私が美術室でいっくんと仲良さそうにしているのを聞きつけたのだと言う。
それで、いてもたってもいられなくなったらしい。
「簡単に言うと、後をつけるようになった。今考えればストーカーだな」
驚きの事実に、私は言葉が出なくなる。
そんな私をよそに、達輝はまた静かに話を続けた。
「その時に見たんだよ。お前がいっくんと調理実習してんのを。そのあと、ここにきたのも知ってる」
「……じゃあ上野公園にいたのも?」
彼は、偶然じゃない、ときっぱり言った。
「あぁ結衣の後をつけたんだ。昔も、今回もな。昔は結衣を上野駅でずっと待ってた。今回は、仕掛けの下見に、ここに来たとき、お前を見かけたんだ」
私は愕然とする。前提を覆された気分だ。
彼との関係は途中からこじれたのだと思っていたけれど、幼い頃からずれきっていたようだった。
「今回の計画は、佐田さんの思い出を利用したわけですか。犯人をその初恋の人に仕立て上げ、罪をなすりつけようとした。そういうことですね」
江本さんは重々しい調子で言って、腕を組む。
私に向けられたものではないと分かっていてもぞっと背中に震えが走るくらい、その表情は険しい。
「あの壁に脅迫文を書いたのも、それが理由でしょう。元々は全然別の言葉が書いてあった。それを書き変えることで、佐田さんの思い出をも上書きしようと考えた。違いますか」
「……あ、あぁ」
「浅ましい考えですね」
まるで吐き捨てるようかのようだった。ここまで感情をあらわにしているのは、会って以来初めて見た。
私は呆気にとられる一方で、少し違和感を覚えた。
江本さんは、どうして壁の落書きのことを知っているのだろう。店舗を改装する時にでも見たのだろうか。だとしても、私が書いたものとは分からないはずだ。
私の疑問はさておき、話は進む。
「……そもそも結衣が俺に振り向いてくれない原因は、そのいっくんとやらにあると思ったんだ。結衣は中学生の頃、俺と付き合った時も、初恋をずっと引きずってたからな」
「…………知ってたの?」
「仮にもずっと好きだったんだぞ。分かるさ、それくらい」
達輝の眉がゆっくりと落ちる。
当時の私にしてみれば、達輝と付き合ったのは、友達に勧められたからという軽い理由だった。
けれど、彼には違った。本気で私を好きで、告白してくれていたのだ。
そのズレは、この歳になるまでずっと解消されなかった。地下深くプレートが動くみたいにゆっくりと深くなっていって、今回の事件へと発展した。
そう考えれば、事件の理由の一端は、私にもあるかもしれない。
「……どうしてこうなったんだろうな。昔はただ好きだったのに」
「……今は?」
「冷静になったら分かるよ。もう好きじゃなかったんだと思う。いわば、ただの執着だな」
「そっか、そんな気がしてた」
達輝の話はこれで終わりのようだった。疲れ切ったように、彼はだらんと項垂れる。最近は見栄を張ったような姿しか見ていなかった。ここまでやつれた彼は、久しぶりに見た。
「それで、どうされますか」
江本さんが言うのは、自首するか否かだろう。
「動けないようなら連れて行きましょうか」
「自分で行くよ。まだ出たところにいるだろうしな」
達輝はふっと笑って、肩を落としながら立ち上がる。
とぼとぼと店内を移動して、外の戸に手をかける。そのバックでは、赤色灯が回って、目が痛かった。
最後に達輝は、私を見た。
視線が束の間、絡み合う。
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