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暗雲
(3)
しおりを挟む度々断っているおかげで、サラティアナを花乙女の館からエスコートする必要がなかったのは良かった。
ロレシオはリンファスが贈ってくれたハンカチーフを胸に挿し、夜会に臨んだ。
会場では真意を裏に隠した会話が交わされる。
うんざりしながら付き合っていると、青いドレスを着たサラティアナがやって来た。
「リュクト王子のご婚約が決まったのね」
「まだ内々の話だ」
「貴方も急かされているんじゃなくて?」
ずいっとサラティアナがロレシオに寄り、蒼から銀のグラデーションの瞳が光る目を見つめてきた。
幼い頃から自信に満ちたままの紫の瞳を憎らしいと思う。
自分を裏切ったという意味でも、そしてどうしたらそんなに自信が持てるのかという意味でも。
「……僕は親族に厭われているから、そんなことはされない」
「王家の男子としての、責任はどうするのよ」
「放棄してはいないさ」
飲み物をテーブルに置いてその場を去ろうとすると、サラティアナが食い下がって、ロレシオの腕を取った。
「この前、館の門の前でリンファスと一緒に居る貴方を見かけたわ。どういうつもり? あの子は貧しい村の、何の教養もないような子よ」
「逆に、君に問いたいな。イヴラと花乙女は地位に縛られない理(ことわり)の筈だ。それを無視して、僕に立場を要求する理由はなんだ」
ロレシオの冷たい視線にも、サラティアナは負けない。
「立場なんて関係ないわ。貴方が良いのよ。最初に花をもらった時から、私には貴方だけだったわ」
仮にサラティアナの言葉が本当だとしても、その後ろにアンヴァ公爵が居る限り、サラティアナを好意的に見ることは出来ない。
それにロレシオの心はもう、リンファスに傾いてしまった。
「イヴラと花乙女は心に関して自由であるべきだ。君がそれだけ花を咲かせていながら自由に僕を選ぶように、僕もまた自由に心を決める」
「それがリンファスだと言うの?」
「答える義務はない」
「ロレシオ!」
言いおいてその場を去る。リンファスもサラティアナのように思ってくれたら良いのにと思いながら。
「リンファス、どうしたの? 元気がないわ」
プルネルが部屋に来て、リンファスの手を取った。リンファスは舞踏会でのことをプルネルにどう相談したら良いか言葉に迷っていた。
「……プルネル……、……愛していると言った人が、私の疑問に答えてくれないのはどうしてだと思う……?」
リンファスの疑問にプルネルも黙る。暫く考えた後、プルネルは、私は経験がないから分からないけど、と前置きして応えてくれた。
「なにか……、事情があるんじゃないかしら……。例えば、答えられる時期ではないと判断されたとか……」
「時期……」
「リンファスだって、愛してると言われて急にその方を愛せるわけではないでしょう? それと一緒のような気がするのだけど……」
であれば、何時かプルネルにロレシオを紹介することが出来るかもしれない。
「リンファス……。いつか、その花の方じゃなくても、貴女に愛する人が出来た時には教えて?
花乙女たるべきは愛されることかもしれないけれど、人にとって一番大事なのは、自分の気持ちですもの」
自分の、気持ち……。
プルネルもロレシオと同じことを言う。
今まで花乙女としての役割を果たそうと、愛されることを望んできて、花が咲くことを喜んでいた。
でもケイトのように一人前になる為には、愛されるだけではなく、リンファスも愛する気持ちを持たなければならないらしい。
愛するって、どうしたら良いんだろう……。
「難しいわね……。私にも分からないわ……。
ただ、自分の心がその方の心を包んであげたいと思った時が、私が思う、愛する瞬間じゃないかと思っているの。
痛みも苦しみも、全て分けて欲しいと思った時……。そんな気がするわ……」
じゃあ、ロレシオはリンファスの心を包み込みたいと思ってくれたのだろうか。
貧しかった村での生活も、ファトマルの仕打ちも、花乙女として役に立てなくて辛い思いをしていた日々も全て……?
「愛していただくには、人と会って話をしなければならないけど、愛するためにもやっぱり話をするべきよ。
リンファスがその方のことを愛したいと思うなら、話をするべきではないかしら? 相手の方を知らないと、愛することも出来ないですもの」
思えばロレシオとの会話ではずっとリンファスが聞かれてばかりだった。
ロレシオは自分のことをあまり言わなかったし、触れて欲しくない過去があるのだろうと言うことしか分からなかった。
その過去を知ったうえで彼の痛みも苦しみも分かち合えるかが、リンファスがロレシオを愛せるかどうかになるのだろう。
「そうね、プルネル……。恐れずに私、話をしてみるわ。話をして、知って、……それからどうなるかを考えるわ」
リンファスの言葉にプルネルは微笑んでくれた。友人という存在に、こんなに助けられている。……ありがたいと、リンファスは思った。
翌日の茶話会当日。
出られない、と言っていたロレシオはやっぱり姿を見せなかった。
その代わり、目を疑うものを見た。会場に居たイヴラの一人が、あの蒼い花の刺繍のハンカチーフを胸に挿していたのだ。
青の花に黄色の糸の縁取り……。間違いなくリンファスがロレシオに贈ったものだ。
どきんどきんと胸が騒ぐ。
リンファスの贈り物はロレシオにとって要らないものだったのだろうか。
他人に渡してしまえるような、そんなものだったのだろうか。
リンファスにとってあの紫色の石のネックレスは、大切に保管しておくべきものなのに。
疑念が渦巻く。
信じていたものを裏切られた思い……。
リンファスは言葉少なに茶話会室を出た。
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