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第一話 或る男の話
しおりを挟む人は死んだらどうなるのだろうか?この答えのない問いは誰もが考えたことがあるだろう。天国?地獄?冥土?極楽浄土?一口に死後の世界といってもいろいろある。宗教によってもまったく異なる。それだけ違うというのなら、もしかすると死後の世界なんて1周回って無いのかもしれない。それが私の思うところだった。
しばらく前に来た宗教勧誘がしきりに言っていた「死後の世界」とやらは暇な老人がぼんやりと考えるにはうってつけの内容だった。そろそろ眠くなってきた。今日はもう寝よう。そう思い立ち、寝室に向かう。その時だった。心臓に激痛が走る。
「うっ、あぁぁぁ」もだえ苦しんでいるうちに私の意識は遠のいていった。
なんだか頭がぼんやりとしている。ここはどこだろう。私はどうなったんだ?慌てて周りを見渡すと、真下に私の体が見える。自分の体が透けている。これが幽体離脱というやつだろうか?幸運だ。幽体離脱の状態から生き返った人もいるという。今なら生き返れるかもしれない。自分の体に戻るため、私は全力で体をばたつかせた。だが、進んでいる気がしない。むしろ、重力に逆らい、上昇している気さえする。
突然、視界がホワイトアウトした。体がぐにゃぐにゃと別の何かに変形している。意識が遠のいていく…。
泥のような眠りから覚めたような粘着質な目覚め。……ここはどこだろう?暖かくて真っ暗な空間に私はいた。ここから出られないか?壁を押してみても弾力があり、それになぜか力が入らない。それに、どうやって呼吸しているのだろう?外部と繋がっているわけでもない。いつからこの場所にいたかはわからないが、今まで呼吸出来ていたということは大丈夫なのだろうか?しかしどうも不思議だ。小さい頃から狭い空間が怖かった。私は大の閉所恐怖症だ。狭い空間にいると自分が押しつぶされるような感覚がする。いつもはそのせいで体調を悪くするのだが、ここでは何も感じない。むしろ心地よく感じる。何か大きなものに守られているような安心感がある。……不思議な感覚だ。なんだかまた眠くなってきた。
私は再び目を覚ました。カメラのシャッター音と歓声が聞こえる。音の方向に目をやる。…人間だ!久しぶりに感じる。すぐ近くに人間がいるということは、何とか助かったのか?先ほどまでの空間は病院の治療室だったのだろうか?だがどうもおかしい。ここが病院だとは思えない。歓声はともかく、カメラのシャッター音が聞こえるのは妙だ。出産の瞬間じゃあるまいし。自分の状況を確かめるため人間のところに向かおうとした時、もふもふした何かに進路を遮られた。なんだこのもふもふは?よじ登り、正体を確かめる。
それはとても大きいホワイトタイガーだった。これほど近くで見るのは初めてだ。この地球の生態系の頂点に君臨する自然界の王。逃げる気すらおきない絶対的な存在。助けを求めようと人間のほうを向く。相変わらず彼らは悠長にカメラをいじくっている。むしろ微笑ましい、めでたいものを見ているかのような視線を向けてくる。……このサイコパスどもめ!!奴らに期待は出来ない。自力で逃げよう。だが、ホワイトタイガーに阻まれる。味見するかのように顔をなめ回してくる。よく見ると優しい目をしている。なんというか、子供を見つめる母親のような暖かい視線。母親?……いや、あり得ないだろう。脳裏によぎった衝撃的な仮説に私は驚愕した。とりあえず私の体を確認してみよう。全体的に猫のような体。しかし、白黒の体色が自身の種族を明らかに示していた。生き死にを永遠に繰り返す輪廻転生か。死後の世界は確かに存在していた。
突如母親に咥えられ、どこえやら移動させられる。『ああ…まるで猫の子のようだ。』檻の奥まで連れていかれる。食べろということだろうか?小さくカットされた肉を差し出される。お腹も空いたので食べてみようか。……おいしい。味覚も人間だった頃とは異なるらしい。私の初めての食事が嬉しいのか、母の顔がほころぶ。
あれから何年たっただろうか?私は檻の中で見世物にされる生活もいい加減に慣れてきた。最初こそ落ち着かなかったが、時がたつにつれ、何も感じなくなった。今は檻の中で知り合いが尋ねて来るのを待っている。まぁ来たところで相手は私に気づくはずもないだろう。しかも、ここは私の見学にくる者の人種の割合からして外国だろう。だが、最近は昔の知り合いの顔を思い出すことも出来ない。当然だろう。人間社会から切り離されて相当な時間が経過している。もう二度人間として会うことは出来ないが、一目両親を見てみたい。私の中の両親は人間の頃の両親だけでなく、今の両親も含む。ホワイトタイガーの母はどこか別の動物園に移動させられてしまった。別れ際の母の寂しそうな。目だけは今も明確に覚えている。もうすぐ人間としての私は死ぬのだろう。人間の頃の記憶がどんどん薄れていき、やがて消える。終わらない輪廻の中で過去の自分が消えていく。……これが本当の死か。
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