無口な王様

久水やよい

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無口な王様.有

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 彼は天才だ。1を知れば10理解できる、そんな天才だ。スポーツでは必ずエース級の活躍ができる、そんな天才だ。彼を見れば誰もが、文武両道とは彼のためにある、そう口を揃えてしまうほどの天才だ。



 けれど彼はそれを自覚しなかった。いや、できなかったと言った方が正しいかもしれない。彼は小学校を通して、並々ならぬ実力を発揮したにも関わらず、誰にも褒められなかったのだ。両親はできて当たり前、という育て方をしたそうだ。先生たちは何度か彼のことを話題に上げたが、ついには褒めることも、喋ることもなかった。



 さらに不幸なことに彼には友達がいない。彼と接した人はみな彼のことを心の通わない機械のようだという印象を受ける。私も何度か彼と話したことがあるが、その応対はまるで機械のそれであった。



 中学生になる頃、他所の小学校から合併した子たちに彼は特に人気だった。友達のいない小学校の生活では誰とも比較できず、己の実力が知れなかった彼は中学生におけるテストの順位で他との差を感じることになる。



 初の期末テストで、彼はそれが正しいように1位を取ってみせた。特に、上位を狙って勉強していた生徒は彼に興味を示した。何度か褒められもしたが、彼の応対は変わることはない。3学期にもなれば、やはり彼は孤立した。けれど彼は何事も手を抜かず、1位という玉座に君臨し続けた。



 やがて彼は、無口の王様と呼ばれるようになった。



 高校受験が終わった彼は、なんと驚くべきことに私と同じ高校に進学していた。偏差値は50前後の、普通からそれ以下程度の学校だ。彼は県内唯一の偏差値70程度の高校に受かっていたことは、中学の先生の発言により、周知の事実だった(もちろん本人に公表の許可は取っている)。そんな彼がどうして偏差値50台の高校に通ったのか。



 結論はひとつだった。簡単なことなのだ。彼は高みを目指していない。自分のことを平々凡々のつまらない人間だと決めつけている。いわば、自己肯定感の低さゆえだろう。この頃から、私は彼に興味を持った。彼の目に映る景色をスクリーン越しに観たいと思った。



 高校最初の中間テスト。彼は当たり前のように1位を取る。中学3年間で、彼が90点以下を取っている様を私は見たことがない。それはきっと、高校でも同じだったに違いない。



 体育の授業でも彼は無類の才能を発揮した。男子たちは彼の才能に驚愕し、女子たちはそれを騒ぎ立てた。しかし、本人に社交の才はやはりないらしく、次第に孤立していく。簡単な応対を繰り返すだけの、心の通わない機械。無口の王様。



 そんな彼にひとりの女性教師が立ち向かった。最初の頃、教師は勉強がすごい、運動がすごいという、かつて私たちが彼を動かせなかった言葉を知らずに告げる。やはり彼は機械だった。けれど長年の経験からか、教師はさまざまなアプローチを試みているらしかった。



 数ヶ月もして、私は彼の変化に気がついた。笑うのだ。彼はあの教師と話すときは人間なのだ。思い返せば、彼はあの教師が担当する授業はいつもどこか落ち着かない様子であった。教師が来れば顔を明るくし、嬉しそうな素振りも見受けられた。極めて小さく、油断していれば見逃してしまう彼の無意識の素振りは私の心に溶け込んだ。



 1年も経つ頃、彼は明らかに変わった。彼の応対はまだ機械のような印象を残すが、けれど人間のそれであった。皆がその変化に気づいたかは定かではないが、2年生になって、彼はおそらく人生における初めての友達を作っていた。たったの3人。けれど、彼にとっては非常に大きな3人である。



 3年生になる頃には、彼はもう機械の影を残さなくなった。心が通う、正体不明の王様ではなくなった。彼は友達や教師の前では特によく笑う。楽しそうというよりも、嬉しそうだと感じる。



 受験が終わる頃、それとなく彼に進学する大学を聞いてみた。彼は京都の私立大学に進学するらしい。理由を聞くとあの教師の母校だからとはにかむ。私はやはり、彼は変わったのだと確信した。東京の国立大学は受けなかったのかと興味本位で聞いてみると、彼は受けて、かつ受かっていたらしい。しかし進学する気は毛頭ない。ではなぜ受けたのかと聞くと、「自分の限界を知りたくなった。僕の、今の正位置を確かめたくなった」と言った。



 卒業式の日、彼は泣いていた。小中と共にした卒業式で、彼は涙を見せないどころか興味なさげに淡々と過ごしていた。彼は機械までも卒業した。



 それから彼に会ったのは成人式の同窓会のことだった。無口の王様と呼ばれていたあの頃と全く雰囲気の違う彼を見て、皆一様に驚いた。私も、その過程を知らなければ同じように驚かされただろう。



 このとき知ったことなのだが、彼はどうやらあの女性の教諭に告白していたらしい。結果振られたが、彼はそのことを悔やんではいないらしい。



 何年後かの同窓会で彼は妻子を得られたらしいことを知った。彼のことだ。きっと素敵な妻子に恵まれ、それはきっと妻や子から見ても同様であろう。



 一方で私はあの日のことを胸に抱えたまま教師になった。けれどどれだけ歴を積んでも彼のような生徒は現れない。勉学や運動、そのどちらかに才能がある者は定期的に現れる。そのどちらにも才能がある者も、低い頻度ではあるが現れる。けれど彼だけはいない。あらゆる面に才能を輝かせながらも、誰にも必要とされてない孤独感に打ちひしがれる心の通わない人間はいない。今、私が彼のような子に出会っても心を開かせるのはほとんど不可能だろう。



 故に私は考えた。もしかして、あの女性教師も彼の同類ではなかろうか。あらゆる面に才能があるというのに、誰からも褒められず、それが人格形成の際に起こったものだから飛躍して、誰からも必要とされない孤独の(女)王様。故に心を開かせたのだ、と。



 きっとこれは邪推だ。これは正しくない。私の心がそれを否定する。



 彼は高校での出会いを通して、ついには自分自身さえも乗り越えた。唯一の弱点とも言えたその自己肯定感の低さからくる社交性の無さでさえ、彼は克服してみせた。人間として彼は存在するようになった。無口な王様はもういない。



 ──やはり彼は天才だった。
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