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水曜日(2)
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直史は暗い理科室の戸を開けた。紡を引き入れると、戸を閉める。
暗さに慣れるまで少しの時間を要した。
ぼんやりとシルエットだけだった互いの顔が少しずつ見え始め、紡は直史の表情に驚く。
「どこか痛む?」
少し息が上がっているのは、直史自身も気づいていた。額にじわりと汗が滲んでいる。
「ここ」
胸を指す。
「心臓、壊れそう。何なんだよこれ。お前が……」
「保健室行こう」
紡が直史の腕を掴む。そのまま戸口へ向かいかけたその体を引き寄せ、直史は腕の中に包み込んだ。
「ちょっ、直史……」
「静かにしてろよ。わかる?俺の心臓の音」
紡の耳元へ口を寄せる。
「う、うん」
返事を聞くと、直史は腕を緩めた。
「ごめん、紡。俺のバカな考えでお前を苦しめてた」
「えっ……何?」
紡は理解できず、首を傾けた。
「お前は毒だと言ったけど、俺にはいい薬だったんだよ。お前の苦しみや痛み、今度は俺が感じるんだな」
「直史、何の事? わかんないよ。ちゃんと……」
紡の頭を引き寄せ、額をこつんとぶつけると、直史は目を閉じた。
「ありがとな。お前のおかげでこの感情を知った」
ゆっくりと額をはなして、しっかりと紡を見る。
紡の頬は染まり、視線をそらした。
直史は息をひとつついて、笑う。
「解放してやる。こんなバカな暗示から」
そう言うと、老人から貰った葉を紡の前に出した。
「暗示って? 何言って……」
「食べろ」
有無を言わさぬ直史の言葉に、紡は戸惑う。
「え……ヤダよ。硬くてまずそうだし」
「いいから。食べろよ。ちょっと噛んでみるだけでいいんだ」
無理に口へ入れようとするが、顔をそむけ紡は抵抗した。
「や、やだよ。直史、ちょっ、ほんとに止めてよ」
「頼む。ちょっとでいいから……。頼むよ、紡」
焦って手に力を入れた。すると、葉から桃の甘い香りが漂い、紡の目が一瞬とろりとし、動きが止まる。直史はその口へ葉を押し込んだ。
苦さでむせる紡は、涙目になった。
口から吐き出された葉は、ひらりと舞ってかき消えた。
「ひどっ……ひどいよ。こ、こんなバカなイタズラするなんて、思わなかったよっ!」
紡は怒りで顔を赤くして、立ち去った。
静かな教室に一人残された。
――あの時からの記憶が、消えたんだろうな……
妙な寂しさがこみ上げてくる。
直史は、ずるりと崩れ落ち、笑った。
「はは……バカみてぇ、俺。嫌われたな……」
帰宅してから着替えもせずに、ソファーで横たわり天井ばかり見つめていた。
午後の授業はほとんど筒抜けていった。
振り返ることのない紡。
二つ前の席にいるその背が遠くに感じた。
思えば毎日授業中でも一、二度は目が合っていた。問題がわからないと困った顔、授業の内容が面白いと思ったら笑った顔、自習になるとすぐに直史の席に飛んできた。
思い出して笑ってしまう。
帰る時、さっさと教室を出て行く紡の後ろ姿を見た。
初めての経験だった。
体にぽつんと穴が空き、点の様だったそれは徐々に大きくなった。
「もったいないのぉ……」
テレビの上に腰掛けた老人がつぶやいた。
一瞬声に驚いたが、いつもの事だと背を向ける。
今は誰とも話したくなかった。
「せっかくの桃はひと切れしか使わず、使った相手を受け入れもせず、効果を消してしまうとは……」
「何だよ、呼びもしないのに出てきて……」
「少年、お主はそれで良かったのか?」
あの日から、紡のことばかり気にかけていた。いつの間にか、楽しくなっていた。
部活さえもつまらなく感じ、辞めてしまおうと思っていたのに。
「あの葉はな、桃の効果は消えるが、記憶は残るんじゃよ」
暗さに慣れるまで少しの時間を要した。
ぼんやりとシルエットだけだった互いの顔が少しずつ見え始め、紡は直史の表情に驚く。
「どこか痛む?」
少し息が上がっているのは、直史自身も気づいていた。額にじわりと汗が滲んでいる。
「ここ」
胸を指す。
「心臓、壊れそう。何なんだよこれ。お前が……」
「保健室行こう」
紡が直史の腕を掴む。そのまま戸口へ向かいかけたその体を引き寄せ、直史は腕の中に包み込んだ。
「ちょっ、直史……」
「静かにしてろよ。わかる?俺の心臓の音」
紡の耳元へ口を寄せる。
「う、うん」
返事を聞くと、直史は腕を緩めた。
「ごめん、紡。俺のバカな考えでお前を苦しめてた」
「えっ……何?」
紡は理解できず、首を傾けた。
「お前は毒だと言ったけど、俺にはいい薬だったんだよ。お前の苦しみや痛み、今度は俺が感じるんだな」
「直史、何の事? わかんないよ。ちゃんと……」
紡の頭を引き寄せ、額をこつんとぶつけると、直史は目を閉じた。
「ありがとな。お前のおかげでこの感情を知った」
ゆっくりと額をはなして、しっかりと紡を見る。
紡の頬は染まり、視線をそらした。
直史は息をひとつついて、笑う。
「解放してやる。こんなバカな暗示から」
そう言うと、老人から貰った葉を紡の前に出した。
「暗示って? 何言って……」
「食べろ」
有無を言わさぬ直史の言葉に、紡は戸惑う。
「え……ヤダよ。硬くてまずそうだし」
「いいから。食べろよ。ちょっと噛んでみるだけでいいんだ」
無理に口へ入れようとするが、顔をそむけ紡は抵抗した。
「や、やだよ。直史、ちょっ、ほんとに止めてよ」
「頼む。ちょっとでいいから……。頼むよ、紡」
焦って手に力を入れた。すると、葉から桃の甘い香りが漂い、紡の目が一瞬とろりとし、動きが止まる。直史はその口へ葉を押し込んだ。
苦さでむせる紡は、涙目になった。
口から吐き出された葉は、ひらりと舞ってかき消えた。
「ひどっ……ひどいよ。こ、こんなバカなイタズラするなんて、思わなかったよっ!」
紡は怒りで顔を赤くして、立ち去った。
静かな教室に一人残された。
――あの時からの記憶が、消えたんだろうな……
妙な寂しさがこみ上げてくる。
直史は、ずるりと崩れ落ち、笑った。
「はは……バカみてぇ、俺。嫌われたな……」
帰宅してから着替えもせずに、ソファーで横たわり天井ばかり見つめていた。
午後の授業はほとんど筒抜けていった。
振り返ることのない紡。
二つ前の席にいるその背が遠くに感じた。
思えば毎日授業中でも一、二度は目が合っていた。問題がわからないと困った顔、授業の内容が面白いと思ったら笑った顔、自習になるとすぐに直史の席に飛んできた。
思い出して笑ってしまう。
帰る時、さっさと教室を出て行く紡の後ろ姿を見た。
初めての経験だった。
体にぽつんと穴が空き、点の様だったそれは徐々に大きくなった。
「もったいないのぉ……」
テレビの上に腰掛けた老人がつぶやいた。
一瞬声に驚いたが、いつもの事だと背を向ける。
今は誰とも話したくなかった。
「せっかくの桃はひと切れしか使わず、使った相手を受け入れもせず、効果を消してしまうとは……」
「何だよ、呼びもしないのに出てきて……」
「少年、お主はそれで良かったのか?」
あの日から、紡のことばかり気にかけていた。いつの間にか、楽しくなっていた。
部活さえもつまらなく感じ、辞めてしまおうと思っていたのに。
「あの葉はな、桃の効果は消えるが、記憶は残るんじゃよ」
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