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第26話 先生はいい香り
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「多くは水が改善されると治るでしょうけど、浮腫みはしばらく続くと思います。それと悪い水を飲んだせいか胃腸が弱っていますね。これは漢方薬の助けが必要でしょう」
「了解」
法明の所見を聞いて、弓弦がてきぱきと準備を始める。その様子を見ていると、二人揃って医師免許も取得した方がいいのではというレベルだ。薬剤師で留まるなんてもったいない気がする。
とはいえ、二人は陽明の依頼がなければこんな超法規的なことはやらないので、普段の業務では必要ない。でも、後で問題にならないためにも必要では。そんな心配をしてしまう。
「それと、緒方さん」
「は、はい」
余計なことをあれこれ考えている桂花に、法明が声を掛けてきた。正直、ここまで高度な調剤となると、しかも漢方薬となるとお手伝いできることなんてないはずだが、何か仕事を頼みたいらしい。
「台所をお借りして、重湯を作って来ていただけますか?」
「重湯ですか」
「ええ。漢方は空腹時に飲むのが基本ですが、数日食事を召し上がられていない状態で胃に入れると、ますます胃腸の動きを妨げてしまいます。ですので、重湯と一緒に飲んでいただこうかと」
「な、なるほど。解りました」
指示された内容に桂花はそれならばとすぐに立ち上がった。重湯はいわばお粥をさらにどろどろに煮詰めたもの。そのくらいは日頃、簡単な料理は作っている桂花にも作れる。
「おばあちゃん、冷やご飯って残ってますか」
しかし、お米から作るのは非常に不安だ。そこで、法明の手を握っている路代に確認する。
「ええ。それなら冷蔵庫の中にあるわ」
「解りました。お粥を作るのにお借りしますね」
「あらあら、そんな。いいのよ」
「いえいえ。普段、祖父がお世話になっていますから」
「あら、そう。じゃあ、お願いね」
そこでようやく、今日初めて路代が笑った。その顔に少し安心する。それは法明も同じようで、握っている手を空いている方の手で優しく撫でてあげている。
「先生はいい香りがしますねえ。何の香りかしら。知っている匂いだわ」
「ううん。池内さんが知っているとなると、お線香にも使われる沈香でしょうか」
「ああ、そうね。きっとそうだわ。お寺でよく嗅ぐ匂いだもの」
台所へと向かう桂花の耳に、そんな会話が聞こえてきたが、はて、法明から沈香の匂いなんてしたことがあっただろうか。
「まあ、普段は薬局の中だもんねえ。生薬から出る色んな匂いが混ざっていて、どれが薬師寺さんの匂いかだなんて解らないか」
台所で冷蔵庫を開けつつ、桂花はぼやいてしまう。
あれ、でも、そう言えばあの不思議な青年からもいい匂いがしたような。ふと考えると、思い出したことの中に匂いもあったはずだ。それこそ沈香のような香り。あの香りのおかげで無条件にこの人は大丈夫と思ったようなところがある。
「って、違う違う。あの人からは確かに沈香の香りがしたかもしれないけど、それはそれ。薬師寺さんからそんな匂いがしたとしても、たまたまよ。きっと漢方を用意する時に白衣に匂いが付着したんだわ。うんうん」
どうにもあの青年と法明を比較してこうやってあれこれ考えてしまうのも、この不思議な状況のせいだ。法明には大きな秘密がある。それが確定している状況の居心地の悪さが、安易な想像に走らせるのだ。まあ、陰陽師の手伝いをしているという時点で不思議さ全開だ。
「解らないなあ。でも、本人にダイレクトに訊くのもなあ。どう切り出せばいいか解らないし。せめてあの人の名前が解っていれば、薬師寺さんとの関係も訊ねやすかったのに」
「おやおや。恋する乙女は楽しそうだね」
「ぎゃああ」
完全に独り言を呟いていた桂花は、唐突に聞こえた声にびっくりしてしまう。振り向くと、いつの間に着替えたのやら、神主姿の陽明がそこに立っていた。そしてにやにやと、その爽やかな見た目に合わない笑みを浮かべている。
「おっと、叫び声は乙女にふさわしくない、声は踏み潰されたカエルのようだったな」
「ふっ、踏み潰されたカエルって、たとえが酷いです。それに仕方ないでしょ。突然声を掛けられたからびっくりしたんです。それより、どうしたんですか」
冷やご飯を取り出して、桂花は深呼吸をしてから反論した。すると、井戸の水がどうやらそのまま台所の水として使われているようだと言う。
「了解」
法明の所見を聞いて、弓弦がてきぱきと準備を始める。その様子を見ていると、二人揃って医師免許も取得した方がいいのではというレベルだ。薬剤師で留まるなんてもったいない気がする。
とはいえ、二人は陽明の依頼がなければこんな超法規的なことはやらないので、普段の業務では必要ない。でも、後で問題にならないためにも必要では。そんな心配をしてしまう。
「それと、緒方さん」
「は、はい」
余計なことをあれこれ考えている桂花に、法明が声を掛けてきた。正直、ここまで高度な調剤となると、しかも漢方薬となるとお手伝いできることなんてないはずだが、何か仕事を頼みたいらしい。
「台所をお借りして、重湯を作って来ていただけますか?」
「重湯ですか」
「ええ。漢方は空腹時に飲むのが基本ですが、数日食事を召し上がられていない状態で胃に入れると、ますます胃腸の動きを妨げてしまいます。ですので、重湯と一緒に飲んでいただこうかと」
「な、なるほど。解りました」
指示された内容に桂花はそれならばとすぐに立ち上がった。重湯はいわばお粥をさらにどろどろに煮詰めたもの。そのくらいは日頃、簡単な料理は作っている桂花にも作れる。
「おばあちゃん、冷やご飯って残ってますか」
しかし、お米から作るのは非常に不安だ。そこで、法明の手を握っている路代に確認する。
「ええ。それなら冷蔵庫の中にあるわ」
「解りました。お粥を作るのにお借りしますね」
「あらあら、そんな。いいのよ」
「いえいえ。普段、祖父がお世話になっていますから」
「あら、そう。じゃあ、お願いね」
そこでようやく、今日初めて路代が笑った。その顔に少し安心する。それは法明も同じようで、握っている手を空いている方の手で優しく撫でてあげている。
「先生はいい香りがしますねえ。何の香りかしら。知っている匂いだわ」
「ううん。池内さんが知っているとなると、お線香にも使われる沈香でしょうか」
「ああ、そうね。きっとそうだわ。お寺でよく嗅ぐ匂いだもの」
台所へと向かう桂花の耳に、そんな会話が聞こえてきたが、はて、法明から沈香の匂いなんてしたことがあっただろうか。
「まあ、普段は薬局の中だもんねえ。生薬から出る色んな匂いが混ざっていて、どれが薬師寺さんの匂いかだなんて解らないか」
台所で冷蔵庫を開けつつ、桂花はぼやいてしまう。
あれ、でも、そう言えばあの不思議な青年からもいい匂いがしたような。ふと考えると、思い出したことの中に匂いもあったはずだ。それこそ沈香のような香り。あの香りのおかげで無条件にこの人は大丈夫と思ったようなところがある。
「って、違う違う。あの人からは確かに沈香の香りがしたかもしれないけど、それはそれ。薬師寺さんからそんな匂いがしたとしても、たまたまよ。きっと漢方を用意する時に白衣に匂いが付着したんだわ。うんうん」
どうにもあの青年と法明を比較してこうやってあれこれ考えてしまうのも、この不思議な状況のせいだ。法明には大きな秘密がある。それが確定している状況の居心地の悪さが、安易な想像に走らせるのだ。まあ、陰陽師の手伝いをしているという時点で不思議さ全開だ。
「解らないなあ。でも、本人にダイレクトに訊くのもなあ。どう切り出せばいいか解らないし。せめてあの人の名前が解っていれば、薬師寺さんとの関係も訊ねやすかったのに」
「おやおや。恋する乙女は楽しそうだね」
「ぎゃああ」
完全に独り言を呟いていた桂花は、唐突に聞こえた声にびっくりしてしまう。振り向くと、いつの間に着替えたのやら、神主姿の陽明がそこに立っていた。そしてにやにやと、その爽やかな見た目に合わない笑みを浮かべている。
「おっと、叫び声は乙女にふさわしくない、声は踏み潰されたカエルのようだったな」
「ふっ、踏み潰されたカエルって、たとえが酷いです。それに仕方ないでしょ。突然声を掛けられたからびっくりしたんです。それより、どうしたんですか」
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