図書館に棲む落ちこぼれの神様

渋川宙

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第19話 繋ぎ止めていたもの

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「――」
 この先に静嵐がいる。
 そう確信した愛佳は躊躇わなかった。丁度良くジーンズにスニーカーで動きやすい。半袖を着ている腕は少々怪我するかもしれないが、低木を踏み分ける足は怪我しない。
 そう思うと、思い切って一歩を踏み出していた。木を踏んでごめんなさいと、そう心で謝りながら進もうとした。
「あれ?」
 しかし、木を踏んだ感触はなかった。するんと抜けてしまった。そんな感じだ。そして目の前には、あの庭がある。
 後ろを振り向くと、やっぱり低木があって、人が簡単に通れないようになっている。まるでマジックを仕掛けられたみたい。
「通してくれたのかな」
 でも、辺りをきょろきょろと見渡しても、静嵐の姿はどこにもない。仕方なく、窓の位置を確認して、あの石を探すことにした。
 必ず、あの石が関係しているはずだ。あの結界を考えれば、それは今や確信に変わっている。
「これだわ」
 そっと近づいてみると、雑草に埋もれたそれは大昔の墓石のようだった。苔むした石が、二つ重なっている。下はどっしりした大きな石で、上は丸みを帯びるように加工された石。
 一体誰のだろうと思ったが、すぐに気付いた。
「まさか」
 静嵐のお母さんの墓なのでは。そうでなければ、静嵐がずっとここにいるはずがない。つまり、静嵐はこの墓をずっと守るために、ここに居続けたのではないか。ということは、静嵐を縛っているものはこれだ。
 静嵐の様子から、母親に対して負い目を感じているようだった。
 自分を生んだせいで早くに亡くなったのでは。たぶん、そう自分を責めていたのだろう。そして、自分が生きていけるようにしてくれた感謝を込めて、この墓を、ずっと守っていた。それこそ、どこにもいかずに。自らの存在を縛るものになるとも知らずに。
 だが、同時にこれが、静嵐が神である証拠でもあるのではないか。
 ここで墓を守る不思議な青年。それが、静嵐を神として成り立たせていたのではないか。人々が施す対象にしたのは、この墓ではなく静嵐だった。
 そう考えれば、どうして図書館に棲むことになったのかも、すんなりと理解できる。ここで墓を見守りながら、学生を見守ってくれないか。そう、創立者は頼んではないだろうか。そして、そう提案されれば静嵐だってあっさりと頷く事が出来る。
 やはり、静嵐の行動はこの墓に縛られていたのかもしれない。そう思うと、とても悲しかった。自分の存在を自分で曖昧にしてしまったようなものだ。
 でも、考えてみると静嵐にとって母親は、唯一の肉親なのではなかろうか。乙女として神に差し出された少女は、立場の弱い人だった。とすると、神の子を宿した彼女はとても苦労したことだろう。それこそ、親子手を取り合って、ひっそりと生きていくしかないほどに。すると、静嵐が母亡き後、ここにずっといるという選択しか出来なくても、仕方なかったのかもしれない。
 寺本のように人として扱ってくれる人が、もう少し早く現れていたら違ったのかもしれない。しかし、誰も助ける者はいなかった。そうしているうちに月日は流れ、いつの間にか連綿と昔は神として守られていた静嵐が、人間として扱われる機会なんてなかっただろう。
「餅をくれた」
 そう、静嵐は言っていた。つまり、大学が出来るまではちゃんと祀られていたのだ。この墓と一緒に。彼は間違いなく神様の一人だった。
「時代が、静嵐の生活を変えてしまったんだ」
 明治になり、大学が出来た。そして戦争を挟んで、現代は信仰そのものが薄れてしまった。片隅に祀られていた社も墓石も、今は庭の片隅に追いやられ、そして忘れられてしまった。そう考えると、総てが繋がっていく。
 静嵐はそうした時代の流れの中で、常に疑問に思っていたことを爆発させてしまった。
 どうして自分は人でも神でもないのかと――
「お願い。静嵐はどこにいるんですか?」
 思わず、愛佳はその墓石に縋っていた。手を合せて、一心に静嵐に会わせてと願う。
 彼と、同じ時間を生きたい。そう思うのは傲慢ですかと、静嵐の母に向けて問う。
「――」
 すると、ざっと風が吹き抜けた。愛佳はその風を目で追い掛ける。なぜか、そうすべきだと思っていた。そして、誰かが微笑んでいるのに気付く。
 それはぼんやりとしていて、確かな姿ではない。でも、呼んでいる気がした。愛佳が立ち上がると、風がもう一度吹く。
 こちらだと、導かれている。愛佳は風を追い掛けて歩き出した。それはいつしか、駆け足になる。
 庭のある場所を抜けて、一体どこに導かれているのか。いつしか、大学の喧噪が遠い。それなのに、敷地を出た感じはしなかった。いや、踏んでいる地面の感覚はずっと土だ。今、自分がいるのは現世ではないのかも。そう思ったけど、足を止めることはなかった。
「あっ」
 そしてようやく、探していた静嵐の後ろ姿を捉えた。そこでもう一度、風がざっと吹き抜ける。
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