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第35話 安西と緒方の関係

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「いや、そうなったのは崖崩れて行けないことが確定したことと、その状況下で二件目の事件が起こったからだ。警察としてはそう簡単に容疑者の範囲を狭めるわけにはいかない。家の中にいる連中は外からの侵入がないと判断しているようだが、そう思わないのが警察なんだよ。あんな山の中、誤魔化しなんていくらでも利くからな。車で近くまで移動し、そこから徒歩で建物に近づくことは簡単だろ」
「へえ」
 初めてこの友人が刑事に見えたとばかりの反応をする英士だ。が、それくらいで将平は気にしない。直接馬鹿にされない限り、取り合わない方針なのだ。そうしないと疲れる。
「それで、だ。一人はすでにはっきりしている」
「弁護士の緒方だろ」
「ああ」
 なんだ知っていたのかと、これには将平も気の抜けた返事になる。すると、二人から先ほどまでの推理を披露されることとなった。そしてそれは将平には意外な共通点以外の何物でもなかった。
「なるほどねえ。クリエイターかそうでないか。たしかに緒方だけ浮くことになるな。法律って縛りがある以上、クリエイティブな活動をするわけない」
「そう。で、この緒方さんって弁護士の何がはっきりしているんだ」
 ああ、そうか。関係性を推理しただけだから具体的なことは知らないのかと、これまた意外な気分になる。まったく、理系の連中とはどれだけ付き合っても不思議な連中だ。
「緒方は安西の顧問弁護士なんだよ。個人的な相談を受けていた。画家として成功してんだ。そのくらいの奴がいて当然だな。ここ最近は今後の資産に関する相談を受けていたという。流行りの言葉で言えば終活だな。さすがに七十を超えて資産を持ってりゃ、死後揉めないように対策を立てるもんなんだとさ」
「それって弁護士事務所の受け売りですか」
「そうだよ。俺には一生無縁の話だからな」
 公務員だからなと、将平は溜め息だ。しかし事件の要因としてよく上がる遺産問題であるだけに、心中複雑という顔だった。
「その遺産を巡ってってことは」
「ないだろう。そんな明確な動機がある奴がいるんだったら、警察は真っ先に任意同行を求めているよ」
「ですよね」
 翔馬の安直な考えは、将平にすぐ否定された。たしかに警察も真っ先に疑って当然の人物となるわけで、不可解さは何もない。
「安西はまだ終活を始めたばかりらしくて、具体的な資産の計算をしている最中だったという。まだ誰に何を譲るなんて決めてなかっただろうよ。安西には家族がいねえからな。まあ、次に遺体で発見された女医とは懇ろな関係にあったようだが、だとしても、二人を消して遺産が転がり込んでくる奴はいない」
「そうなんですか」
 交友関係は広いのに、そういう人はいないのかと、翔馬は意外な気持ちになる。
「親族はいないし、弟子はいるみたいだが、特に譲るという話は出ていないみたいだな。若手の支援なんかもしているが、誰か一人だけを贔屓するということもなかったらしい。つまり、残る金について気にしていたが、その譲り先に関して特定できるようことは何一つない状況だ」
「へえ。じゃあ遺産も個人に譲るつもりはなかったかもしれないってことですか」
「そうだ。その可能性が最も高い。若手を支援していたことから考えて、財団を作るとか、どっかの美術館を支援するとか、そういう方向だったはずだ。というわけで、遺産絡みの殺しという線はあっさりと消えたんだ。だから調べるのに手間取っている。こいつらの中に、何か因縁のある奴がいてくれればいいんだけどな」
「ああ、なるほど。逆に広く浅いということは、特定の誰かを絞り込むのが難しいってことか」
 ようやく警察が手間取っている理由が解り、英士は納得と頷いた。誰かとべったり仲が良ければそいつを疑うだけでいい。ところが、誰とも等しく接していたとなると可能性が全員に広がってしまうのだ。
「そういうことだ。この中に犯人がいるとして、一体どっちだ。まさか弁護士が犯人なわけないだろ。安西の資産が欲しければ書類を捏造すればいいからな」
「だよね。どっちだろう」
 結局は同じ結論になるんだなと、三人は腕を組んで悩むのだった。



 夜が更けるにつれ、ダイニングの空気はより一層重いものに変わっていた。
「あの、このまま黙っていても寝ちゃいますよ。何か気晴らしでもしませんか」
 大地がおずおずと提案すると、友也が名案だなと頷いた。その友也はずっとスマホを弄っていた。といっても、それは友也だけではなく千春も忠文も同じだ。提案した大地もスマホと目の前のノートの睨めっこをしていた。仕事をして気を紛らわせようとしていたのだ。しかし、そろそろ集中力の限界だと大地が根を上げただけである。時刻はすでに午前零時。たしかに眠くなってくる。
「こう黙ったまま顔を突き合わせていても、暗い方向にしか思考しないですからね。田辺さん、何かありますか」
 友也は同じくダイニングで待機する田辺と石田の方を見て訊いた。二人もすでに同じテーブルにいた。いつまでも立ちっ放しでいるわけにはいかないだろうと、忠文が勧めたのだ。
「そうですね。トランプくらいなら」
「おっ。丁度いい。取って来てもらってもいいですか」
「ええ。ついでに何か飲み物を。そろそろ無くなりそうですから」
「私も手伝います」
 石田も立ち上がり、二人揃って台所へと向かった。その間、また静かになる。千春はカップに残っていたコーヒーを飲みながら、どうしたものかなと思案する。果たしてこのままでいいのか。しかし、事件を解くといっても手掛かりはゼロだ。下手に発言すれば自分が疑われる可能性もある。
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