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第13話 お昼はカレー
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朝飛がそう言うと、ううむと信也が顎を擦った。確かに初期宇宙に関して考えていくのならば、このプランクスケールを無視することは出来ない。しかし上手く行くだろうか。そう思っているのがよく解った。
「プランクスケールとはもちろん、プランク単位系での話ということになります。プランク長、プランク質量、プランク時間を使った単位系。それは非常に小さなものであり、プランク長は1.61599×10のマイナス35メートルと、イメージすら難しい小ささです。しかし、宇宙はこの大きさから始まったはずで、これは今回の初期宇宙を解明するという目的にも合致してくることになります」
「そうだけどね」
しかし、どうにも無理があるように思うと、志津が顔を顰めた。重力理論の観点から見ると、宇宙の先にあるのは特異点となる。もちろん、それは回避すべき解ではあるが、プランクスケールに総てを求めるのはどうか。そうも考えてしまうのだ。
「さて、このままいくと内容がどんどん高度になっていくな。昼前の肩慣らしとしては、この辺りで止めておく方がいいだろう」
そこまでと、倫明がストップを掛けた。いつの間にか集中してしまって、あっさり一時間経っていたらしい。腕時計に目をやると、十一時四十分になっていた。
「つい夢中になってしまって」
「いや。助かったよ。今回は分野的に違う人が集まっているから、互いの理論の理解を深めることも目的としている。そういう意味で、小宮山のやり方は、これから説明してもらう皆さんの指針にもなっただろうしね」
「そうか」
確かに他の分野の専門家に対してこうやって説明をし、反応を見られる機会はなかなかない。そういう点でも、ある程度言いたいことを言ってしまった方がいいというわけか。
「というわけで、お待ちかねのカレーにしましょうか」
「あっ、そうだ。すっかり忘れていた」
朝飛がそう言うと、周囲から全くもうと笑いが起こる。そして、このテーブルのまま食事にしようと話がまとまり、倫明がそれを藤本へと伝えに行った。
「理論としては面白い内容ね。問題は、この理論もまた実験での証明が難しそうだということかな」
その間に真衣が、この点に関してはどう思っているのかと意見を求めてきた。
「そうですね。プランクスケールとなると観測することそのものが難しくなります」
「不確定性原理ね」
「ええ。ハイゼンベルクが確立した不確定性原理によると、系を観測しようとすると、その系を乱すことになってしまう。よって、運動する粒子の位置座標と運動量成分の両方を確定することは出来ない。常に確率で求めることになってしまう。しかも確率として求めるにはプランク定数そのものが小さすぎる。
プランク定数はそれ以上は小さくならない限界の数値のようなものですから、これを実験で証明するとなると、どんなものが必要になるか。さすがに理論をやっている俺には想像できないところですね」
「それ、こっちを試しているってこと」
「まさか。でも、そうですね。いずれプランクスケール内での実験が可能になるでしょう。そういう希望的観測はいつも持っているとしておきましょうか」
「うまく逃げるわね」
「それ以上はツッコミなしで」
そう言って朝飛が逃げたところで、藤本特性のカレーが運ばれてきた。それは夏野菜ふんだんで、しかもスパイスが多く用いられているようだった。
「刺激の弱い方はいますか」
給仕を手伝うために厨房から出てきた藤本が、辛くないものも用意してあるという。すると、意外にも信也が手を挙げた。他には織佳がマイルドがいいと申し出る。
「意外ですね」
「いやあ、最近胃が悪くてね」
朝飛が辛いのは苦手なのかと訊くと、胃炎だよと信也は苦笑いだ。
「なるほどね」
「刺激物はそもそも胃痛の時は駄目でしょう」
美樹が真っ当なことを言うと、それを言うと好きなものはたいてい我慢する羽目になると、信也はさらに苦笑いだった。つまり、日頃の食生活が祟っての胃炎らしい。
「そうそう。若いからってがつがつ食ってたら駄目だぞ。特に小宮山、お前は危ない」
「まさか」
「いやいや。昨日の感じからして、食生活はかなり偏ってるだろ」
「うっ」
偏っていることは自覚しているので、それ以上の反論は出来なかった。そんな様子を見ていた他のメンバーも、気を付けなさいよと忠告してくる。
どうやら食生活に関して、全員が意外に思ったと同時にこれは駄目だとも思ったらしい。それを悟った朝飛は、微妙な顔をして頷くしかなかった。
スパイシーで美味しいカレーを食べ終え、一旦解散となった。さすがに食後すぐに議論を再開したところで頭に入らない。それは高校生だろうが大学生だろうが同じだ。というわけで、再開は一時間後と決め、それぞれの部屋で寛ぐことになった。
「で、何で君は俺の部屋にいるんだ」
「いいじゃないの。ダブルだし」
「――まあいいか」
どういう理屈だよと思ったが、高校でほぼ一緒にいるだけに、追い出す理由もなかった。朝飛は素直に使っていないベッドを美樹に明け渡す。
「ううん。それにしても、風も雨も強くなってきたね。レストランにいる時は気にならなかったけど、この三階にいると気になるね」
「そうだな」
角部屋とあって窓が多いこともあり、台風が近づいてきているのが感じ取りやすい。ごうごうという風の音と一緒に、窓を雨粒が叩く音もした。
「静かね」
「そうだな。間に一部屋空室を挟んでいるし、使っている人数も多くないからな」
「だね。ここ、かなりの大人数で使うことを想定しているよね」
「それはそうだ。加速器を動かすとなればそれなりの人数が必要になるし、多くの研究者でデータを共有した方がいい。そういうことを考えてのことだろう」
「ううん。でも、それに乗り気なのは佐久間さんのお祖父さんだけなんだね。あの聡明って人と一緒に来ている企業の人たちは、昼さえもレストランに下りて来なかったし」
「そうだな。それだけ斎藤さんに任せておけば間違いない、と思っているのかもしれないし」
「ううん。凄い丸投げ感」
「まあね。それだけ関係のないものという位置づけってことだな」
せっかくこれだけの施設が整っているのに勿体ないと、さすがの朝飛も溜め息を吐いてしまう。
とはいえ、それこそ個人資産で設立した研究所の難点だ。引き継ぐ人がちゃんと決まっているかどうか。周囲をちゃんと説得しているかどうか。そういうところが、継続性が保たれるかどうかを決めてしまう。
「そう考えると、繁明さんは無理矢理ここを作ったってことになるね」
「そうだな。現役の頃はワンマン社長だったみたいだし、その流れでここも一人で全部決めてやったんだろうね。だからこそ反発も強いってわけだ」
困ったものだなと思いつつ、まあいいかと朝飛はパソコンを開いた。
結局、部外者があれこれ言ったところで解決しない問題だ。しかも親族である倫明が諦めモードとなれば、説得する隙もない。
「加速器って、建設費用いくらだろう」
「さあ。十億くらいは掛かるんじゃないの」
「うわあ。それを一人で決めて使っちゃったのか」
「そういうことだね」
そこで美樹も諦めたのか、スマホを弄り始めた。台風情報をチェックするようだ。
そうしてしばらく風の音と雨の音は気になるものの、静かな時間が続いた。しかし、その静寂は廊下を歩く人の足音に遮られた。
「ん?」
「何か騒がしいね」
続いて廊下からバタバタと走る音と、さらにどんどんっとドアをノックする音がしている。さらにざわざわと声が続く。
「見てみるか」
トラブルかもしれないなと、朝飛はパソコンを閉じると立ち上がった。ドアを開けて確認すると、すぐ向かいの部屋のドアをノックする日向と企業側の一人、大関薫平の姿がある。
「どうしたんですか?」
「プランクスケールとはもちろん、プランク単位系での話ということになります。プランク長、プランク質量、プランク時間を使った単位系。それは非常に小さなものであり、プランク長は1.61599×10のマイナス35メートルと、イメージすら難しい小ささです。しかし、宇宙はこの大きさから始まったはずで、これは今回の初期宇宙を解明するという目的にも合致してくることになります」
「そうだけどね」
しかし、どうにも無理があるように思うと、志津が顔を顰めた。重力理論の観点から見ると、宇宙の先にあるのは特異点となる。もちろん、それは回避すべき解ではあるが、プランクスケールに総てを求めるのはどうか。そうも考えてしまうのだ。
「さて、このままいくと内容がどんどん高度になっていくな。昼前の肩慣らしとしては、この辺りで止めておく方がいいだろう」
そこまでと、倫明がストップを掛けた。いつの間にか集中してしまって、あっさり一時間経っていたらしい。腕時計に目をやると、十一時四十分になっていた。
「つい夢中になってしまって」
「いや。助かったよ。今回は分野的に違う人が集まっているから、互いの理論の理解を深めることも目的としている。そういう意味で、小宮山のやり方は、これから説明してもらう皆さんの指針にもなっただろうしね」
「そうか」
確かに他の分野の専門家に対してこうやって説明をし、反応を見られる機会はなかなかない。そういう点でも、ある程度言いたいことを言ってしまった方がいいというわけか。
「というわけで、お待ちかねのカレーにしましょうか」
「あっ、そうだ。すっかり忘れていた」
朝飛がそう言うと、周囲から全くもうと笑いが起こる。そして、このテーブルのまま食事にしようと話がまとまり、倫明がそれを藤本へと伝えに行った。
「理論としては面白い内容ね。問題は、この理論もまた実験での証明が難しそうだということかな」
その間に真衣が、この点に関してはどう思っているのかと意見を求めてきた。
「そうですね。プランクスケールとなると観測することそのものが難しくなります」
「不確定性原理ね」
「ええ。ハイゼンベルクが確立した不確定性原理によると、系を観測しようとすると、その系を乱すことになってしまう。よって、運動する粒子の位置座標と運動量成分の両方を確定することは出来ない。常に確率で求めることになってしまう。しかも確率として求めるにはプランク定数そのものが小さすぎる。
プランク定数はそれ以上は小さくならない限界の数値のようなものですから、これを実験で証明するとなると、どんなものが必要になるか。さすがに理論をやっている俺には想像できないところですね」
「それ、こっちを試しているってこと」
「まさか。でも、そうですね。いずれプランクスケール内での実験が可能になるでしょう。そういう希望的観測はいつも持っているとしておきましょうか」
「うまく逃げるわね」
「それ以上はツッコミなしで」
そう言って朝飛が逃げたところで、藤本特性のカレーが運ばれてきた。それは夏野菜ふんだんで、しかもスパイスが多く用いられているようだった。
「刺激の弱い方はいますか」
給仕を手伝うために厨房から出てきた藤本が、辛くないものも用意してあるという。すると、意外にも信也が手を挙げた。他には織佳がマイルドがいいと申し出る。
「意外ですね」
「いやあ、最近胃が悪くてね」
朝飛が辛いのは苦手なのかと訊くと、胃炎だよと信也は苦笑いだ。
「なるほどね」
「刺激物はそもそも胃痛の時は駄目でしょう」
美樹が真っ当なことを言うと、それを言うと好きなものはたいてい我慢する羽目になると、信也はさらに苦笑いだった。つまり、日頃の食生活が祟っての胃炎らしい。
「そうそう。若いからってがつがつ食ってたら駄目だぞ。特に小宮山、お前は危ない」
「まさか」
「いやいや。昨日の感じからして、食生活はかなり偏ってるだろ」
「うっ」
偏っていることは自覚しているので、それ以上の反論は出来なかった。そんな様子を見ていた他のメンバーも、気を付けなさいよと忠告してくる。
どうやら食生活に関して、全員が意外に思ったと同時にこれは駄目だとも思ったらしい。それを悟った朝飛は、微妙な顔をして頷くしかなかった。
スパイシーで美味しいカレーを食べ終え、一旦解散となった。さすがに食後すぐに議論を再開したところで頭に入らない。それは高校生だろうが大学生だろうが同じだ。というわけで、再開は一時間後と決め、それぞれの部屋で寛ぐことになった。
「で、何で君は俺の部屋にいるんだ」
「いいじゃないの。ダブルだし」
「――まあいいか」
どういう理屈だよと思ったが、高校でほぼ一緒にいるだけに、追い出す理由もなかった。朝飛は素直に使っていないベッドを美樹に明け渡す。
「ううん。それにしても、風も雨も強くなってきたね。レストランにいる時は気にならなかったけど、この三階にいると気になるね」
「そうだな」
角部屋とあって窓が多いこともあり、台風が近づいてきているのが感じ取りやすい。ごうごうという風の音と一緒に、窓を雨粒が叩く音もした。
「静かね」
「そうだな。間に一部屋空室を挟んでいるし、使っている人数も多くないからな」
「だね。ここ、かなりの大人数で使うことを想定しているよね」
「それはそうだ。加速器を動かすとなればそれなりの人数が必要になるし、多くの研究者でデータを共有した方がいい。そういうことを考えてのことだろう」
「ううん。でも、それに乗り気なのは佐久間さんのお祖父さんだけなんだね。あの聡明って人と一緒に来ている企業の人たちは、昼さえもレストランに下りて来なかったし」
「そうだな。それだけ斎藤さんに任せておけば間違いない、と思っているのかもしれないし」
「ううん。凄い丸投げ感」
「まあね。それだけ関係のないものという位置づけってことだな」
せっかくこれだけの施設が整っているのに勿体ないと、さすがの朝飛も溜め息を吐いてしまう。
とはいえ、それこそ個人資産で設立した研究所の難点だ。引き継ぐ人がちゃんと決まっているかどうか。周囲をちゃんと説得しているかどうか。そういうところが、継続性が保たれるかどうかを決めてしまう。
「そう考えると、繁明さんは無理矢理ここを作ったってことになるね」
「そうだな。現役の頃はワンマン社長だったみたいだし、その流れでここも一人で全部決めてやったんだろうね。だからこそ反発も強いってわけだ」
困ったものだなと思いつつ、まあいいかと朝飛はパソコンを開いた。
結局、部外者があれこれ言ったところで解決しない問題だ。しかも親族である倫明が諦めモードとなれば、説得する隙もない。
「加速器って、建設費用いくらだろう」
「さあ。十億くらいは掛かるんじゃないの」
「うわあ。それを一人で決めて使っちゃったのか」
「そういうことだね」
そこで美樹も諦めたのか、スマホを弄り始めた。台風情報をチェックするようだ。
そうしてしばらく風の音と雨の音は気になるものの、静かな時間が続いた。しかし、その静寂は廊下を歩く人の足音に遮られた。
「ん?」
「何か騒がしいね」
続いて廊下からバタバタと走る音と、さらにどんどんっとドアをノックする音がしている。さらにざわざわと声が続く。
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